弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

朝日5月20日記事顛末

2014-09-15 14:41:52 | サイエンス・パソコン
朝日新聞社が9月11日19時半から記者会見を開き、5月20日の吉田調書をめぐる記事が誤っており、記事を撤回するとしました。
翌12日朝刊「吉田調書をめぐる朝日新聞社報道 経緯報告」2014年9月12日05時00分
『朝日新聞は、「吉田調書」の内容を報じた記事の中で、福島第一原発の事故で所員が「吉田所長の命令に違反し、福島第二原発に撤退」と誤った表現をした経緯について、社内で調べました。これまでの調査の結果、取材が不十分だったり、記事に盛り込むべき要素を落としたりしたことが、誤りにつながったと判断しました。
■「命令違反し撤退」と、なぜ誤ったのか
◇所員に「命令」が伝わっていたか確認不足 少人数で取材、チェック働かず
吉田所長が所員に指示した退避について、朝日新聞は「命令」とし、「命令違反で撤退」という記事を書いた。この記事については、福島第一原発事故の混乱の中で所員の多くに「命令」が伝わっていたかどうかを確認できていないなど、取材が不十分だった。その結果、所員の9割が「所長命令に違反し、福島第二原発に撤退した」と誤った記事になった。
特別報道部を中心とする取材班は、入手した吉田調書の内容を検討する中で、2号機が危険な状態に陥った2011年3月15日朝の動きに注目。所員の多くが福島第二に移動したことについて、「吉田所長の命令に違反した」と判断した。
その主な根拠は、(1)吉田所長の調書(2)複数ルートから入手した東電内部資料の時系列表(3)東電本店の記者会見内容――の3点だった。
吉田所長は(1)で、所員に福島第一の近辺に退避して次の指示を待てと言ったつもりが、福島第二に行ってしまったと証言。(2)の時系列表には、(1)の吉田所長の「命令」を裏付ける内容が記載されていた。また、東電は(3)で一時的に福島第一の安全な場所などに所員が移動を始めたと発表したが、同じ頃に所員の9割は福島第二に移動していた。』
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「(1)吉田所長の調書」は、記者会見と同じ9月11日に内閣官房から公表されました。その中の、朝日5月20日記事に関連する部分について、先日このブログに掲載しました(「吉田調書」抜粋)。
「(2)複数ルートから入手した東電内部資料の時系列表」については、今のところ、5月20日記事にも記載された『朝日新聞が入手した東電の内部資料には「6:42 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう(所長)」と記載がある。』しか目にしていません。
そして、この「東電の内部資料」については、11日の記者会見でも記者から繰り返し質問がされていました。
『杉浦取締役「入手した資料では原発ではない場所でもテレビ会議がモニターであって、テレビ会議を聞いた方がメモした中に第1原発の線量の低いところに退避とメモがあった」
記者「命令はあったとすれば、吉田所長の伝え方が悪かったのか、途中の人がきちんと伝えなかったのか-所内の問題があったという印象も残る。そもそも、命令があったと認定した根拠は何なのか」
杉浦取締役「少なくともテレビ会議システムで、吉田さんの『第1原発のところに退避するように』という音声というか、が記録されていますので、テレビ会議を聞いた人には命令はあったと考えています」
記者「命令を聞いた第三者に確認をしたのか。聞き取った他の原発でのメモだけが根拠なのか」
杉浦取締役「現時点ではそういうことです」
記者「命令を聞いたという職員の方の取材は行ったのですか。この点は大事なので確認させてください」
杉浦信之取締役編集担当「取材はしたが話は聞けなかったということです」
記者「1人も話を聞いていないのに記事にしたのですか」
杉浦取締役「はい」
記者「メモでは『線量の低いところに行きなさい』と言っている。さらに、吉田調書では『線量の低いところがなければ、第2原発に行きなさい』と言っている。これは条件付きではないか。命令はあったと断定すると(命令の)伝え方や部下の問題という印象が残るのではないか」
杉浦取締役「ご指摘の通りだと思います。最初の命令はあったと思っておりますが、そこから違反に結びつくかという吟味。混乱があったり、やむを得ない事情で第2原発に行った人まで違反としたことが過ちだった」
記者「今後、その辺りを含めてさらに事実解明をする計画は」
杉浦取締役「ございます」』

この「東電の内部資料」は、柏崎メモと呼ばれているようです。
『吉田調書以外に、朝日が「命令違反」の根拠にしたのは「柏崎メモ」といわれるノートだ。
福島第1原発事故時のテレビ会議映像が柏崎刈羽原発(新潟県)のモニターにもリアルタイムで流れており、それを所員が個人的に記したノートを朝日が独自に入手していた。ノートには、吉田氏の命令として「1F(福島第1原発)の線量の低い所へ待機」と書かれているという。』

(1)9月11日に公表された「吉田調書」、(2)東電の内部資料(柏崎メモ)、(3)東電の記者会見「一時的に福島第一の安全な場所などに所員が移動を始めたと発表」のみから、5月20日の記事が書かれたということでしょうか。しかしそれにしては、5月20日の記事は、吉田所長の判断と決定事項を本人から聞いたかのように詳細に語っています。

5月20日記事のうち、私が「何を根拠にして記載したのだろう?」と疑問に思う部分を列挙します。下記のうちで太線の部分です。
福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明~木村英昭 宮崎知己2014年5月20日03時00分
『吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。
とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。
午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」


葬られた命令違反 吉田調書から当時を再現
『そして、午前6時すぎ。衝撃音が緊急時対策室に響いた。吉田氏は白い防災ヘルメットをかぶった。
2号機の格納容器下部の圧力抑制室の圧力が「ゼロになったという情報」と「ぽんと音がしたという情報」が、中央制御室からほぼ同時に入ってきた。
2号機格納容器の爆発が疑われる事態だった。
計器を確認させると、格納容器の上部側の圧力は残っていた。吉田氏は「(格納容器が)爆発したということはないだろうな」と思ったが、圧力計が壊れている可能性は残るため、「より安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高い」と考えた。
吉田氏は一方で、構内や緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していないという事実を重くみた。様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。
朝日新聞が入手した東電の内部資料には「6:42 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう(所長)」と記載がある。吉田調書と同じ内容だ。命令の少し前に「6:34 TSC(緊急時対策室)内線量変化なし」と報告があったとの記載もあった。』

吉田調書の内容について検討します。
「吉田調書」は、政府事故調査委員会ヒアリング記録として内閣官房で開示されました。
吉田調書はA4で400枚ということで、通読はあきらめました。朝日新聞9月12日には、吉田調書の抜粋が2面ぶち抜きで掲載されています。当の朝日が掲載するのですから、5月20日の問題記事が依拠した部分は全部抜粋しているだろうと考え、取りあえずはこれだけ読むことにしました。それと、朝日新聞デジタル『「吉田調書」福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの』というサイトに出てくる吉田調書抜粋も参照しました。背実のブログ記事(「吉田調書」抜粋)に掲載しました。
「吉田調書」の私が知り得た範囲(ブログ記事に掲載した範囲)では、以下の記述があります。

『保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した』
『2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた』(なお、この部分については、内閣官房が公表した吉田調書中の記載箇所がまだ確認できていません)

以上の調書内容からは、「2号機の格納容器が破損している可能性があり、これから大量の放射線が発生する可能性がある」として、退避を判断しています。「免震重要棟からの退避」です。1Fの構内で免震重要棟の中よりも安全な場所があったとは思えず、免震重要棟からの退避であれば2Fは適切な判断と思われます。
そして、「現時点で免震重要棟の内部は線量が上がっていないから、2Fまで退避する必要はない」と吉田所長が判断していたことを示唆する記述は、どこにも見つかりません。「これから放射線が上がるかもしれない」と危惧している所長が、「現在免震重要棟内の線量が上がっていないから2Fに行く必要がない」と判断するのはあまりに不可解です。
上記5月20日記事のうちで私が太線とした部分は、一体何を根拠に記述したのでしょうか。

2011年3月15日未明から早朝にかけての「退避行動」は、3つのフェーズがあります。
(1)関連会社の人たちが退避
    (吉田調書中「○質問者 そのときは、実際、協力企業さんたちは帰られたんですね。
           ○回答者 まず、廊下にいる人はほとんど帰ったと。)
(2)東電社員が(最少人数を残して)退避(2Fへ)
(3)中央操作室の運転員が免震重要棟へ引き上げ
    (吉田調書中「中央操作室も一応、引き上げさせましたので」)

当時、これらの情報が現場で錯綜していたはずです。(3)のつもりで1F緊対室でされた発話が、(2)のことだと間違って他所でメモされた、ということもあるかもしれません。
「中央操作室の運転員が免震重要棟へ引き上げ」は、「一時的に福島第一の安全な場所などに所員が移動を始めた」と表現することができます。

東電社員の待避先が2Fになったことについて、吉田調書の実際の記述は以下のとおりです。
『○質問者 あと、一回退避していた人間たちが帰ってくるとき、聞いたあれだと、3月15日の10時か、午前中に、GM(グループマネジャー)クラスの人たちは、基本的にほとんどの人たちが帰ってき始めていたと聞いていて、実際に2Fに退避した人が帰ってくる、その人にお話を伺ったんですけれども、どのクラスの人にまず帰ってこいとかいう。

 A 本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。

○質問者 そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。

 A 今、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して。

 Q 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。

 A 線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に。(8月9日聴取)』

質問者の質問は、「退避先について」ではありません。「2FからGMクラスに帰ってきてもらった」ということです。従って、吉田所長の「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。」がどういう意図での発言なのか、いろいろな解釈があり得ます。

その発言を受け手の次の質問「所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。」と想像を交えて語ると、それに対する吉田所長の回答は質問者の想像を否定する趣旨と受け取れます。

なお、「最少人数を残して退避」と命じた後、退避した人の中から必要な人たちを呼び戻した点については、吉田調書で「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで」と発言しており、同じ吉田調書中の「放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ。」からは一難去った、と考えていたらしいことがうかがえます。

いずれにしろ、私が接した情報の範囲内では、朝日5月20日記事中の
『様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。』
なる文章はとても生まれてきません。

朝日新聞は、単に謝罪して5月20日記事を取り消すだけではなく、取材陣はどのような証拠と判断に基づいてこのような記載に至ったのか、その点を詳細に調査し、われわれにわかるように明確に説明してほしいものです。
コメント (2)
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