弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「吉田調書」と1号機ICの経過

2014-05-24 13:13:51 | サイエンス・パソコン
『東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。』として、朝日新聞は現時点で非公開の「吉田調書」を、5月20日から朝刊1面で連続特集しています。

5月23日の記事は以下の内容です。
吉田氏、非常冷却で誤対応 震災当日、福島第一 「私の反省点。思い込みがあった」
2014年5月23日05時00分
『 東京電力福島第一原発の吉田昌郎(まさお)所長が東日本大震災が起きた2011年3月11日、電源喪失時に原子炉を冷やす1号機の非常用復水器(IC)の仕組みをよく理解していなかったため、異変を伝える現場の指摘を受け止められず、誤った対応をしていたことが分かった。吉田氏は政府事故調査・検証委員会の聴取で「ここは私の反省点になる。思い込みがあった」と述べていた。1号機は冷却に失敗し、同日中にメルトダウン(炉心溶融)した。』
『吉田氏の聴取を記録した「吉田調書」によると、中央制御室の運転員が11日夕にICの機能低下に気付き、冷却水不足を疑って吉田氏のいる緊急時対策室へ伝え、軽油で動くポンプで水を補給するよう促した。
だが、吉田氏はICの仕組みを理解していなかったため、「水の補給」が機能低下のサインと認識できず、ICが機能している間に行う「原子炉への注水準備の継続」という指示しか出さなかった。』

この中で、『中央制御室の運転員が11日夕にICの機能低下に気付き、冷却水不足を疑って吉田氏のいる緊急時対策室へ伝え、軽油で動くポンプで水を補給するよう促した。』については、私にとって初耳であるように思います。

11日当日の1号機ICの動作経過について、私は11年8月18日の記事「1号機の非常用復水器稼働状況」で以下のように記しました。

『6月18日東電報告書(福島第一原子力発電所 被災直後の対応状況について(PDF 661KB))には、わかっている時系列として以下のように記述されています。
14:52 非常用復水器(IC)自動起動
15:03頃 ICによる原子炉圧力制御を行うため、手動停止。その後、ICによる原子炉圧力制御開始。
15:37 全交流電源喪失
18:18 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)、供給配管隔離弁(MO-2A)の開操作実施、蒸気発生を確認。
18:25 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)閉操作。
21:30 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)開操作実施、蒸気発生を確認。』

この中で、18:25の「IC弁閉操作」21:30の「IC弁開操作」について、上記ブログ記事では11年8月17日のNHKニュースから以下のように抜粋しています。
『11日午後6時半ごろからおよそ3時間にわたって運転が止まっていたことが分かっています。この理由について、東京電力の関係者が政府の事故調査・検証委員会の調査に対し、「復水器が起動していれば発生するはずの蒸気が確認できなかったため、1号機の運転員が復水器の中の水がなくなっていわゆる『空だき』になっていると疑い、装置が壊れるのを防ごうと運転を停止した」と証言していることが分かりました。安全上重要なこの情報は、当時、免震重要棟で指揮をとっていた福島第一原発の吉田昌郎所長ら幹部には伝わらず、非常用復水器が動いているという前提で対策が取られていたことも分かり、吉田所長は「重要情報の把握漏れは大きな失敗だった」という認識を示しているということです。』

この11年8月の記事から、以下のように推測できます。
「18:18、1号機運転員はICの弁が閉であることに気づき、開操作し、蒸気発生を確認した。ところが18:25、蒸気が発生していないことに気づき、『空だき』を心配してIC運転を停止した。再度ICの弁開操作を行ったのはそれから3時間後の21:30である。」
この推測と、今回の吉田調書の『中央制御室の運転員が11日夕にICの機能低下に気付き、冷却水不足を疑って吉田氏のいる緊急時対策室へ伝え、軽油で動くポンプで水を補給するよう促した。』を重ね合わせると、さらに以下のように推測できます。
「18:25、1号機運転員は蒸気が発生していないことに気づき、ICにたまっている冷却水が枯渇ていると推測、『空だき』を心配した。運転員は、冷却水不足を疑って吉田氏のいる緊急時対策室へ伝え、軽油で動くポンプで水を補給するよう促した。また相前後してIC運転を停止した。」
なお、ここでいう「冷却水」は、圧力容器内とICとの間を循環しているはずの水ではなく、IC内部に貯蔵して圧力容器からの蒸気を冷却するための冷却水を意味します。この冷却水を補給するための、軽油で動くポンプが備えられていたということですね。

ps 5/25 上記私の推測は間違っていたようです。5月25日の記事をご覧ください。

従来、11日18時~20時のICの挙動について、1号機運転員は免震重要棟で指揮を執る吉田所長に報告していなかったとの理解でした。しかしそうではなく、「ICの空だきが心配だ」という旨を報告していたのですね。
しかし、この情報は、政府事故調の中間報告でも取り上げられていないように記憶しています。その理由はよく分かりません。この時刻の前後は、1号機の運命の分かれ道だったのですから、政府事故調は、「吉田調書」を受けて細かいやりとりを含めて明瞭に再現して欲しかったです。

11年12月18日の『NHKスペシャル「メルトダウン~福島第一原発 あのとき何が」』でも、このときのいきさつが再現されていました。
3月11日18時25分、「IC(イソコン)からの蒸気発生が停止した」との報告です。このときの中央制御室でのやりとりが番組で再現されていました。
この部屋で一番偉いのが「当直長」、その下の人をここでは「次席」と呼びましょう。次席が当直長に「どうします」と判断を促します。当直長は「止めよう」と答え、次席が大声で「イソコン停止」と命じました。
当直長は、イソコン停止を命じた直後、電話の受話器を取って「イソコン停止」と報告していました。これは免震重要棟への連絡と思われます。しかし、政府事故調報告書でも、「吉田調書」でも、「1号機当直長からイソコン停止の報告を受けた」との記述はないようです。

いずれにしろ、事故から3年、政府事故調の中間報告から2年半が経過し、記憶は薄れる一方です。ここで、12年1月8日のブログ記事「原発事故政府事故調中間報告~1号機の初期状況」を再掲載することとします。

--------再掲載---------
昨年12月26日に公表された東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の「2011.12.26 中間報告」から、津波来襲直後において1号機でどのような経過をたどったと評価されているのか、追いかけてみます。

概要」の4ページでは以下のように総括しています。
『4 福島第一原発における事故後の対応に関する問題点
(1)1 号機のIC の作動状態の誤認 【Ⅳ章3(1)、Ⅶ章4(1)】
1 号機については、津波到達後間もなくして全電源を喪失し、フェイルセーフ機能によって、非常用復水器(IC)の隔離弁が全閉又はそれに近い状態になり、IC は機能不全に陥ったと考えられる。しかし、当初、IC は正常に作動しているものと誤認され、適切な現場対処(その指示を含む。)が行われなかった。その後、当直は、制御盤の状態表示灯の一部復活等を契機に、IC が正常に作動していないのではないかとの疑いを持ってIC を停止した。このこと自体は誤った判断とはいえないが、発電所対策本部への報告・相談が不十分であった。他方、発電所対策本部及び本店対策本部は、当直からの報告・相談以外にも、IC が機能不全に陥ったことに気付く機会がしばしばあったのに、これに気付かず、IC が正常に作動しているという認識を変えなかった。
かかる経緯を見る限り、当直のみならず、発電所対策本部ひいては本店対策本部に至るまで、IC の機能等が十分理解されていたとは思われず、このような現状は、原子力事業者として極めて不適切であった。
IC が機能不全に陥ったことから、1 号機の冷却には一刻も早い代替注水が必須となり、加えて注水を可能とするための減圧操作等が必要となった。IC の作動状況の誤認は、代替注水や格納容器ベントの実施までに時間を要し、炉心冷却の遅れを生んだ大きな要因となったと考えられる。』

次に、「Ⅳ 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」から、長くなりますが関連する記述を抜粋してみます。
--抜粋開始---------------------------
同日(3月11日)15時37分から同日15時42分にかけての頃、1号機から6号機は、6号機の空冷式DG(6Bを除き、全ての交流電源を失った。
この頃、発電所対策本部は、各中央制御室から、各号機が次々に全交流電源を喪失し、1 号機、2号機及び4号機の直流電源も全て喪失したとの報告を受け、かかる想像を絶する事態に、皆、言葉を失った。
また、本店対策本部は、テレビ会議システムを通じて、それらの情報を随時把握していった。
吉田所長は、これまで考えられてきたあらゆるシビアアクシデントを遥かに超える事態が発生したことが分かり、咄嗟に何をしていいのか思いつかなかったが、まずもって法令上定められた手続きをしようと考え、同日15 時42 分頃、官庁等に対し、原子力災害対策特別措置法(以下「原災法」という。)第10 条第1 項の規定に基づく特定事象(全交流電源喪失)が発生した旨通報した21。(91ページ)

発電所対策本部は、各号機のプラント状態について、発電班を通じて、中央制御室の固定電話とホットラインという限られた連絡手段によって報告を受けて把握するよりほかになかった。また、本店対策本部は、テレビ会議システムを通じて、発電所対策本部のメインテーブルで発話された情報を聞き取ることによって、各号機のプラント状態を把握することになった。(91ページ)

3 月11 日16 時36 分頃の時点では、1、2 号機について、いずれも原子炉水位が確認できず、また、1 号機のIC 及び2 号機のRCIC の作動状態も確認できなかったため、注水状況が不明であった。
吉田所長は、全電源喪失に伴いフェイルセーフ機能が作動したのではないかということには思い至らず、発電所対策本部や本店対策本部の誰からもかかる指摘がなかったため、1 号機のIC 及び2 号機のRCIC が作動していることを期待しつつも、当直からの報告を聞いて、IC やRCIC による冷却・注水がなされているとは断定できないと考えた。そこで、吉田所長は、最悪の事態を想定して、原災法第15 条第1 項の規定に基づく特定事象(非常用炉心冷却装置注水不能)が発生したとして、同日16 時45 分頃、官庁等に、その旨報告した。(96ページ)

その後、1 号機の原子炉水位は、原子炉水位計(広帯域)によれば低下傾向にあり、広帯域-150cm を示したのを最後に、3 月11 日16 時56 分頃ダウンスケールして、再度、1 号機の原子炉水位が確認できなくなり、同日17 時7 分頃、当直は、発電所対策本部に、その旨報告した。発電所対策本部及び本店対策本部が、それまでのIC の作動状態についていかなる認識を有していたとしても、少なくともこの時点で、IC の「冷やす」機能が十分ではなく、代替注水の実施作業に着手する必要があることを容易に認識し得たはずであった。
しかし、発電所対策本部及び本店対策本部は、想像を超える事態に直面し、1号機から6 号機までのプラント状態に関する情報が入り乱れる中で、1 号機の原子炉水位の低下という情報からIC の作動状態を推測するという発想を持ち合わせていなかった。(97ページ)

この時点においてもまだ、当直の中で、フェイルセーフ機能によってIC の隔離弁が全閉又はそれに近い状態となって、少なくともほぼ機能喪失に陥っている可能性があると明確に認識していた者はいなかった。
② 1 号機の運転操作をする当直は、誰一人として、3 月11 日に地震が発生するまで、IC を実際に作動させた経験がなかった。当直の中には、先輩当直から、IC が正常に作動した場合、1 号機R/B 西側壁面にある二つ並んだ排気口(通称「豚の鼻」)から、復水器タンク内の冷却水が熱交換によって熱せられて気化した蒸気が水平に勢いよく噴き出し、その際、静電気が発生して雷のような青光りを発し、「ゴー」という轟音を鳴り響かせるなどと伝え聞いている者もいた。
しかし、1号機が全電源を喪失した後、同日18 時18 分頃までの間、当直は、このような蒸気の発生や作動音によりIC の作動状態を確認することを思いつかず、実際に、1 号機R/B 山側に行って排気口を目視するなどして蒸気発生の有無、程度を確認することもなかった。(104ページ)

3 月11 日21 時30 分頃、発電所対策本部は、当直から、IC の戻り配管隔離弁(MO-3A)を開操作したことの報告を受けた。しかし、この時も、発電所対策本部及び本店対策本部にいた者は、吉田所長を含め、この報告が、それまでIC の戻り配管隔離弁(MO-3A)が閉状態であったことを意味することに問題意識を持つことなく、なおもIC が正常に作動中であると認識しており、当直に対して同弁を閉操作したことがあるのかどうかなどを尋ねることはしなかった。
この頃、本店対策本部も、発電所対策本部と同様に、同日18 時25 分頃に当直がIC の戻り配管隔離弁(MO-3A)を閉操作したことを把握しないまま、ICが正常に作動中であると認識していた。(110ページ)

保安検査官の対応原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)によれば、3 月11 日14 時46分頃に東北地方太平洋沖地震発生後、同月12 日未明までの間、保安検査官は、免震重要棟2 階にいたが、緊急時対策室横の会議室に留まり、同室において、発電所対策本部から提供されるプラントデータを受け取り、携帯電話又は衛星電話を用いて、その内容をオフサイトセンターやERC に報告するのみであった。しかし、保安検査官は、IC の作動状態について、発電所対策本部及び本店対策本部と同様の情報を容易に入手できる立場にあり、単に発電所対策本部から提供される情報を受け取ることに終始するだけではなく、IC の作動状態について、発電所対策本部に問い質すなどして、より正確な状況把握に努め、場合によっては必要な指導又は助言をすることもできたはずであった。実際には、保安検査官が、発電所対策本部に対し、必要な指導・助言をした形跡は全く見当たらず、当時、保安検査官が免震重要棟にいたことによって事故対処に何らかの寄与がなされたという状況は全く見受けられなかった。(110ページ)

非常時に冷却機能を果たすIC が、電源喪失した場合、フェイルセーフ機能が作動して配管上の四つの隔離弁が閉となる機構になっていることは、ICという重要な設備機器の構造・機能に関する基本的知識である。
当委員会によるヒアリングの際、東京電力関係者の多くが、「IC があるのは1 号機だけで、特殊である。」などとして、IC の特殊性を縷々述べるものの、当委員会が、「電源が失われて必要な操作ができなくなると、原子炉格納容器の隔離機能が働いて隔離弁が閉じるのか、又は開いたままなのか。」と尋ねると、皆一様に、「隔離弁は閉じると思う。」と述べた。つまり、1号機やIC の特殊性以前に、「閉じ込める」機能の基本的知識を持ち合わせていれば、破断検出回路やフェイルセーフ機能の詳細を知らなかったとしても、電源喪失時にIC の隔離弁が閉じている可能性があることを容易に認識し得たと考えられる。
そうすると、発電所対策本部においても、本店対策本部においても、1 号機について、3 月11 日15 時37 分頃に全交流電源喪失に至り、その頃、直流電源も全て失われたことを認識している以上、少なくとも、この時点で、ICの四つの隔離弁が閉となり、IC は機能していないという問題意識を抱く契機が十分にあったと認められる。
しかし、実際には、発電所対策本部及び本店対策本部の誰一人として、かかる疑問を抱いて指摘した者はおらず、更には、原子炉減圧、代替注水に向けて必要な準備に動いた形跡も見当たらず、かえって、同日21 時頃になってもなお、IC が作動中であると誤信していた。(115ページ)

発電所対策本部及び本店対策本部は、これらの情報を正しく評価していれば、明らかにIC が正常に作動していないことを認識し得たはずである。ICが適切に作動していれば、少なくとも約6 時間、すなわち同日21 時30 分前後までは冷却機能が果たされているはずであるから、同日16 時台から同日17 時台にかけてのこれらの兆候からIC が正常に機能しておらず、その冷却機能に期待できないことに容易に気付くことができるのではないかと思われる。ところが、これらの兆候を認識しながら、なおもIC による注水に期待し、直ちに原子炉の減圧や代替注水に向けた準備に取り掛からなかったことについては、適切に状況判断ができていたとは思えない。(116ページ)

発電所対策本部及び本店対策本部に期待された役割
① 東京電力自身が定めた「福島第一原子力発電所のアクシデントマネジメント整備報告書」は、「より複雑な事象に対しては、事故状況の把握やどのアクシデントマネジメント策を選択するか判断するに当たっての技術評価の重要度が高く、また、様々な情報が必要となる。このため、支援組織においてこれら技術評価等を実施し、意思決定を支援することとしている。」と記載している。
発電所対策本部(発電班、復旧班等の一部の機能班が支援組織を構成)には、当時、1 号機から6 号機までの状況を含む多くの情報が入り、これらへの対応を迫られていたものの、支援組織に求められる役割を考えると、このような厳しい状況にあったことを理由として、1 号機のIC の作動状態という最も基本的かつ重要な情報について誤認識していたことをやむを得ないと容認することは許されないであろう。
まず、非常事態下において、複数の情報が錯綜するのは当然のことであって、その時々の状況を踏まえ、何が重要な情報かについて適切に評価・選択することになる(119ページ)

1 号機について言えば、津波到達直後、プラントパラメータがほとんど計測できない状況の中で、唯一、「冷やす」機能を果たすことが期待されたICの作動状態に関する情報は、冷温停止に向けた対処を検討する上で基本となる最重要情報であった。かかる情報を見落とせば、対応が後手に回ることは自明であり、取り返しのつかない誤った対応につながるおそれすらあったのである。(120ページ)

加えて、本店対策本部においても、基本的には発電所対策本部に対応する機能班が存在し、それぞれの担当班が、テレビ会議システムを通じ、役割に応じた重要情報を把握し、事故対処に追われる発電所対策本部よりも更に現場から一歩引いた立場で、比較的冷静な視点で同情報を評価し、発電所対策本部を支援することが期待されていた。そうであれば、本店対策本部においても、時宜にかなった支援を十分に行うため、IC の作動状態に関する情報の把握に努め、同情報が入れば、これを聞き流すことなくIC の作動状態を評価し、同情報が入らなければ情報を収集すべく、発電所対策本部に適切な助言を行うことは十分可能であったと考えられる。
③ しかし、発電所対策本部及び本店対策本部は、このような重要情報の取捨選択や評価を適切に行ってIC の作動状態を判断していたとは思われない。この点、吉田所長は、「これまで考えたことのなかった事態に遭遇し、次から次に入ってくる情報に追われ、それまで順次入ってきた情報の中から、関連する重要情報を総合的に判断する余裕がなくなっていた。」旨供述する。それまで、SPDS によって各号機のプラント状態に関する情報を即時入手できることを前提とした訓練、教育しか受けていない者が、極めて過酷な自然災害によって同時多発的に複数号機で全電源が喪失するといった事態に直面し、SPDS が機能しない中で、錯綜する情報から各号機のプラント制御にとって必要な情報を適切に取捨選択して評価することは非常に困難であったと思われる。また、当時、重要情報の取捨選択や評価に適切でない点があったとしても、現実に対応した関係者の熱意・努力に欠けるところがあったという趣旨ではない。ただ、各人が全力で事故対応に当たりながらも、事後的にみるとこのような問題点が発見されるのであり、その点については問題点として指摘する必要があると考える。
結局、極めて過酷な自然災害によって同時多発的に複数号機で全電源が喪失するような事態を想定し、これに対処する上で必要な訓練、教育が十分なされていなかったと言うほかない。そのため、発電所対策本部及び本店対策本部において、重要な情報を正しく把握・評価できず、その結果、IC の作動状態に関する適切な判断をなし得なかったと考えられ、かかる訓練、教育が極めて重要であることを示していると考える。(121ページ)
--抜粋終わり---------------------------

3月11日に福島第一原発で操業に当たっていた当事者たちにとって、それまで準備された設備や事故時の操業指針、受けてきた訓練の実情に照らせば、ほとんどは「やむを得ない事態だった」とも言えます。一方ではもちろん、「訓練を受けていないとはいえ、専門知識を有しているのだから、あのとき何でこのことに気付けなかったのか」という反省はあります。本人たちも痛恨の気持ちでいることでしょう。

なお、1号機に関するざっとしたレビューについては、昨年12月18日の当ブログ記事「1号機非常用復水器の構造を幹部は知らなかった」およびその記事でリンクされてる各記事をご参照ください。
--------再掲載終わり---------
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