ひろせ明子の市議日記

無所属・無会派。
市議として日常で見たこと・感じたことを綴っています。

新庁舎建設建設はここまで来ている その46

2010年11月13日 | 新庁舎建設
四選されるや否や、松崎市長は新庁舎建設を再開すると宣言したことがマスコミで報道されたことは記憶に新しいが、市議の間ではこの発言はかなり問題になっている。
昨日開かれた会派代表者会議で、この問題をどうするのかが議題になった。
私は会派はないので、この会議には参加はできないので傍聴した。

小泉議員から全員協議会を開いて欲しいとの要望を議長に伝えてあること、元木議員も早期に全員協議会を開いて欲しいとの要望が出された。
暫時休憩になり、活発な意見交換が行われ、結果として全員協議会を開催する方向で決まった。

この流れからすると、第四回定例会は11月24日(水)に招集される予定なので、多分その前に市長から「新庁舎建設再開」の新聞発表の真意は聞けることになる筈である。

決算審査が終了したのだが、一息つくのはまだまだ先のようだ。

一時中断した時の市の説明(広報うらやすNo.877 2009年2月1日号に掲載)
 新庁舎建設事業の「一時中断」についてお知らせいたします。
 この「一時中断」は、決して一部マスコミで報道された凍結でも、新庁舎建設計画の見直しでもありません。
 現在、市議会の同意の下で新庁舎の基本設計が進んでいますが、基本設計の後の平成21年度に予定される実施設計を一時見送るもので、あくまでも今年度の予算の下で執行中の基本設計については、実施設計につながる形で、年度末までに終了させる予定です。
 この「一時中断」は、100年に一度と言われる昨年後半からの世界同時金融不況による、本市を取り巻く不透明な日本の経済状況に加えて、今年の9月までには行われるであろう総選挙を取り巻く政局が不透明なことなど、先の見えない社会情勢を鑑み熟慮した結果、新年に入り1月6日に副市長と両理事と協議、さらに8日に関係部次長会議で諮り、13日の新庁舎建設検討委員会で決定したものです。
 現在の市庁舎は、昭和49年に人口8万人を想定して建設され、狭あい化のために第2庁舎を昭和61年に建設し、2年後の昭和63年には増設、さらに、平成16年には第3庁舎をプレハブで建てて急場をしのぎ、今に至っています。市役所に来られる市民の皆さんにはご不便をおかけしているところです。
 狭あい化に加えて、老朽化も進んでおり、安全衛生の点からも建て替えは避けて通れないものとの考えは変わるものではありません。
 さらに狭あい化による分散化、防災拠点として国の基準を満たさない耐震強度の問題など、老朽化の加速により、市庁舎の使命である「危機管理の砦」としての役割を果たし得ない現在の状況の下では、新庁舎建設は避けて通れないものと考えますが、危機管理対策上、一朝有事の際には、昨年完成した免震構造の消防本部新庁舎通信司令室の予備室や多目的ホールを暫定的に災害対策本部として活用、さらに集合事務所も活用するなどで対応可能か検討した結果、あくまでも暫定的であれば可能とのことで、「一時中断」を決定したものです。
 本市の財政状況は、法人市民税の減収など不況の波を受けてはいるものの、個人市民税や固定資産税の増収によりさほどの影響を受けているものではなく、さらに、新庁舎建設にあたっての資金は、約80億円の庁舎建設基金の積み立てにより、本市の財政に大きな影響を与えるものではなく、今回の「一時中断」の決定は、あくまでも政治状況の不安、経済状況の不透明などの複合的な不安要素によるものであり、状況が見定められしだい、実施設計の予算化を検討する所存です。
 平成22年度以降、経済状況を見定めて再開の検討をしていきたいと考えています。


新庁舎建設に関するマスコミ報道
≪東京新聞≫
 二十四日投開票の浦安市長選で四選を果たした松崎秀樹市長は二十五日、記者会見に臨み、中断していた新庁舎の建設計画を再開し、来年度予算案に実施設計費を計上する方針を明らかにした。
 新庁舎の計画は、松崎市長が二〇〇九年一月、世界的な金融危機による景気悪化を理由に中断を表明していた。この日の会見では「経済情勢や市の財政状況に大きな変化はなく、横ばいが続く」との見通しを説明。建設を急ぐ理由として「一極集中豪雨など(に対する)防災上、背に腹は代えられない」と、防災拠点としての役割を強調した。
 市は現在の庁舎について、老朽化が進み耐震強度がないことや、庁舎が分散し、市民に不便で事務処理の効率も悪いとして、〇六年に新庁舎の建設を計画。〇八年十月、基本設計を日建設計(東京都千代田区)に約七千万円で委託した。
 〇九年度に着工し、一二年度に開庁する予定だったが、〇九年度は二億円弱とみられる実施設計費の予算化を見送り、経済情勢をにらみながら再開のタイミングを計るとしていた。 (林容史)

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