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ひろせ明子の市議日記

無所属・無会派。
市議として日常で見たこと・感じたことを綴っています。

市民病院

2012年02月27日 | 病院赤字問題
「小児外科の灯消すな」と題して、市民病院赤字問題を連載でお知らせして来ましたが、新病院が4月からオープンします。(当面は166床で運営されます。)

オープンに先立ち、26日竣工式がありました。



入り口


屋上緑化




個室(4人部屋の大部屋もあります)


6Fカウンター


小児病棟がある廊下壁面は保育園を連想してしまう和らいだデザインです。




先端機械






午後は文化会館大ホールで、日野原重明氏による記念講演会がありました


講演会終了後は、日野原重明祝祭管弦楽団によるコンサートが開かれました









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小児外科のともしび消すな その18

2009年07月20日 | 病院赤字問題

「小児外科を残してほしい」との一市民の陳情が、大変残念ですが、昨年9月の委員会審査でも本会議でもで否決されたのですが、年末に見事に存続が決まりました。
その後、建て替えが始まりベット数も(建て替え中の為に)大きく縮小された現在の病院ですが、その火は灯され続けています。

この間のブログを読んで下さった市民の方から、小児外科に関するメールを頂きました。
ご本人の許可を頂き、全文を載せさせて頂きます。

      
3番目の子どもが白血病でJ病院に入院中のことです。
鼻からも栄養が取れなくなって、点滴も刺すところがむずがしくなり、胃(?)に直接カテーテルを挿入したいが、「J病院には小児外科がなく、一般外科の先生に診察してもらったら、体が小さ過ぎて挿入できない」といわれ「葛南病院(当時)なら小児外科があるけれど、子どもを動かせない(当時、無菌室にいた)ので、先生に来てもらって手術します」といわれました。

手術は予定時間の2倍くらいかかって、さらに、麻酔からなかなかさめなかったので、相当心配しましたが、無事におわりました。

一度6キロまで増えていた子どもが3キロにやせた、骨と皮の状態だったのです。循環も悪く、血管もやせ細っていました。

小児外科の先生は、二人来てくださったそうで、あとからお名前だけをうかがい、いつかお礼を申し上げたいと思っていたところ、2年後(娘はすでに亡くなっていましたが)長男が肺炎で入院することになり、そのとき、先生をお訪ねして、お礼を伝えました。

その後の数ヶ月のおかげで、骨髄移植に希望をつなぎ、お正月の外泊ができ、1歳の誕生日を祝い、いろんな思い出をつくることができたのです。

もし、小児外科がなかったら、その後の数ヶ月の娘の命はどうなっていたでしょう。
結果亡くなってしまったけど、当時は栄養が確保されれば、薬がきけば、助かる命だったかもしれないとしたら・・・・。

これだけ、医療が高度になってくると、専門性のある医者がいるかいないか、大違いです。

子どもの数が減っているので、採算は取れないと思いますがひとたび、子どもが大病をすると、親はたった一人の子どもの命にかかりっきりになる時代です。
それだけ、責任が大きいので、なり手が少ないのも現状です。
(お年寄りに比べ、子どもがなくなったときの嘆きを見るのはより辛いものと思います)

ですから、「小児外科があるのが誇り」と思います。
近隣の病院からも頼りにされ、大事にされる時代が来なくてはいけないと思っています。

「採算があわないから、私立の病院にはできないこと」です。
J病院がそのいい例です。公立病院だからこそできる仕事をしてほしいと思っています。
もはや私には小児外科にかかる子どもはいませんが、今後、孫や知り合いの子どもが守られる、とおもえば市民税をはらっていることに満足です。

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小児外科のともしび消すな その17

2009年07月16日 | 病院赤字問題
「小児外科の灯消すな!」のキャンペーンで、昨年9月議会以来、このブログでも書き続けて来ましたが、灯が燃え続けていることが確認できました。
先日我々市議に「東棟耐震補強及び改修工事完了のお礼と東棟見学会のご案内」が来ました。
(新病院完成は24年4月予定ですが、それまでの3年間は東棟で(約50床)で診療が行われます。その為に、東棟を耐震工事を行っていました。)

早速私は見学会に行ってみました。
まず、東棟入り口にある看板に目が行きました。

現在は規模縮小しての診察が行われていますが、その中でも、小児外科が現在も診療しています!

昨年9月議会で市民の方から「小児外科を存続してほしい」との陳情があったのに、我が浦安議会では、委員会でも本会議でも蹴りました。何と市民感情とかけ離れた議会なのでしょうね。
私は、本会議でも採決時に陳情賛成討論を行い、その後も事あるごとに、「小児外科は残すべきだ」と言い続けて来ました。
(言うだけではなく、密かに、かなり私なりに動きました。)
その結果かどうかは定かではありませんが、みごとに残りました。


     拡大


見学会そのものは、縮小された現状の病院ですので、30分で終わってしまいました。終了後、管理者の方に「小児外科が残って良かったです」と話しましたらば、思わぬ言葉が出て来ました。
「小児外科は日本でも大変少ない診療科です。それをこの病院が持っていることで、この病院の特色にもなります。」

「小児外科は採算が合わない科ですよね」と私が質問をしましたら、
「採算はともかく、小児外科があることは近隣にない科なので、病院としての特色になります。」

大変先見の目のある発言だと思いました。

昨年9月議会で、何故市も議会もこのような先見性を持てなかったのでしょうか?

なお、小児外科問題はこのブログ左下の「病院赤字問題」をクリックすると、これまでの書き込みが出て来ます。
       

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小児外科のともしび消すな その16

2009年04月16日 | 病院赤字問題
市民病院建て替え計画が正式に発表されました。



「小児外科」が残りました!
昨年9月議会に一市民の方から、「小児外科存続を」と陳情が議会に提出されました。最初、教育民生委員会で審議されましたが、そこでは、市側は「難しい!」との答弁で、結局、委員の大半が陳情採択を否決してしまいました。
(賛成者:美勢さんのみ。私は教育委民生委員ではありません。)
その後、この陳情は本会議にかかり、私は陳情の賛成討論を行いました。
新病院でも小児外科は残すべき診療科に指定されているにもかかわらず、市も委員会も否決するのは可笑しいということを強調した賛成討論を行いました。
しかし、本会議でも否決。
(賛成者:広瀬、元木、井原、美勢/敬称略)

その後、紆余曲折はありましたが、復活しました。
一市民の方の陳情がなければ、絶対に小児外科の存続はあり得ませんでした。
浦安で生活する沢山の子供達にとって、この陳情は計り知れないほど意味があるものだった訳です。
この陳情のお陰で、これからもどれくらい沢山の子供の命が救われて行くのか、それを考えただけでも、一市民の方が議会に投げかけてくれた陳情の重みを感じます。
私は地元で三人の子供を育ててきましたが、幸か不幸か、一度も小児外科にお世話になったことがありません。
ですから、小児外科の有難さを知らないで生活をして来ました。
昨年9月の陳情を通して、小児外科の存在価値を初めて知らされました。有難うございます。







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小児外科の灯火消すな その16・実現!

2009年03月19日 | 病院赤字問題
小児外科は新病院で確実に復活するでしょう!
本日、「浦安市川市民病院の経営移譲並びに東京ベイ・浦安市川医療センター(新病院名)の建設及び運営に関する基本協定書」が我々市議に配布されました。

協定書20条「診療科目」の中に、はっきりと「小児外科」が明記されています!

※新病院に設置される診療科目
内科、循環器科、小児科、外科、小児外科、整形外科、脳神外経科、神経科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、

思えば、昨年9月議会に市民の方から上がってきた「陳情書」。
「新しい病院になっても、現在ある小児外科を残して下さい!」と、切実な訴えでしたが、陳情書管轄の教育民生常任委員会も本会議もこの陳情を否決してしまいました。当時の市側の答弁も、小児外科の存続には否定的で、プロポーザル方式で後継医療法人を選定したのですが、その時のやり取りでも「ある意味で、外科の先生でも小児科に興味があれば、やっていただいている手術ももちろんあるということで、今の段階で絶対小児外科をということになると数の問題もあり、なかな難しいと思う。」と、後継法人に選定された地域医療振興協会側は言っていました。

市民の方からの陳情がなかったら、私はこの問題に気付かず、議会で問題にすることは決してなかったでしょう。
陳情を議会に出して下さった市民の方に感謝しています。
私が二年前の選挙時に訴えていた「市民が主役のまちづくり」とは、このようなことを言うのでしょう。

小児外科問題は「小児外科の灯消すな」に、かなり詳細に一連の流れを書いています。ご一読下さい。
このブログ左下の「Category」でご覧ください。

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小児外科の灯火消すな その15・建設会社の変更

2009年01月27日 | 病院赤字問題
いつの間にか病院建設の設計会社が、株式会社日建設計から内藤建築事務所に変更になっていたことは、すでにお知らせ済みですが、どう考えても納得できないので、その後担当者に質問をしました。

現時点でわかったことは、昨年12月26日に後継法人地域医療振興協会からの変更連絡がはいり、それを何の疑いもなくすんなりと認めたということでした。

変更理由は、株式会社日建設計の設計料が高すぎたとのことでしたが、これってもの凄くおかしな話です。

設計料が高かろうが安かろうが、この事業にエントリーをする時点で設計会社と後継医療法人との間できちんと話をつけておくべき問題です。
9月21日に選定会議に設計会社も参加し、自己紹介をおこない、選定委員の前で建物について説明をしています。
勿論選定委会議では、設計者を選定することが目的ではなく、設計も含めて後継法人を誰にするかを選定したのですが、当然に選定委員さんの意識の中には病院の設計は日建設計が行うという前提で審査していたはずです。
それが、担当者の説明によると、選定委員には一切の相談もなく(無視して)、26日突然に設計者の変更が行われたということです。

「選定会議時に説明したとおりに行えば問題ないでしょう」との考えも成り立ちますが、設計者変更理由が「金額」によるものであることが全く解せないのです。

なぜ、エントリーするまでにこんな大事な問題を調整できなかったのかということです
3ヶ月もたってから、いわゆる内輪もめに等しい形で問題が噴出したわけですが、こんな事態を招く後継法人、大丈夫ですか・・・?と心配になります。
お隣市川市とで、合計97億円も建築費に出します。また、現在ある病院の解体費、土壌調査費等々を入れたら、さらに市民の税金が使われる話です。

スタート段階からこんな内輪もめを抱えている法人、病院経営は大丈夫なのでしょうか?
職員も職員です。昨日の話ですと、設計者の変更に全く問題を認識していませんでしたので、私はその可笑しさを突いたのですが、分かってもらえませんでした。

新庁舎建設でも株式会社日建設計が関与していたのですが、先週21日の市長の突然の「一時中断」宣言、そして病院建設でも設計部分で同社が関わっていたのですが、こちらは突然の変更。
これって単なる偶然でこのようなことが重なって起きたのでしょうか?

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小児外科の灯火消すな その14

2009年01月18日 | 病院赤字問題
市民病院建設を巡り、「突然」株式会社日建設計から株式会社内藤建築という所に変更になったことは15日にお知らせしました。

やはりこの話は納得できません。
昨年9月21日、市民病院選定委員会で地域医療振興協会に決まりました。
その時に、エントリーした二者が設計屋さんと共に選定委員会に出向き、各々の設計について詳細な説明をしています。
その時のやり取りを以下の表にまとめてみました。

両者には病院面積においてもものすごい差がありましたが、株式会社日建設計が提案したものを選んでいます。
もちろん、この時の選定基準は設計だけではありません。他の様々な要素も加味されたことは言うまでもありません。
しかし、病院設計に関しては、日建設計のもので良いということになったからこそ地域医療振興協会が選らばれたのではないのでしょうか?
設計に関しては、「他の設計でも良い、審査時に説明したのものは、あくまでも参考事例です。設計者は地域医療振興協会が後日決めます」との条件を付けた上での選定であれば、今回のようにこれまでどこにも名前が出なかった「株式会社内藤建築」が突如として現われても可笑しくはないのですが、そんな条件を付けたとは聞いていません。

9月21日に日建設計が説明したものを、内藤建築が引きついで設計をするということなのでしょうか?
9月21日以来今まで、設計は全く話が進行していなかったのでしょうか?
そんなことありえない!

9月21日、こんなやりとりがありました。
「施設整備のスケジュールのお話ですが、実は2008年10月、来月には即座に建築の基本設計に取り掛かって大体半年、実施設計が半年というような期間でやりたい。」
要するに、日建設計は基本設計にかかわり始めていたはずです。
それが何故・・・?

9月21日の選定行為以来、一体裏で何があったのでしょうか?



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小児外科の灯火消すな その13

2009年01月15日 | 病院赤字問題
昨年9月に病院建設、新庁舎建設の二つの設計にプロポーザル方式で選ばれた株式会社日建設計について、ここ数日様々な情報が飛び交い始めました。
「えっ、一体何が起きたの?」と不思議に思っていたら、「火のないところには煙は立たない」ではありませんが、こんな記事がありました。

日本建設新聞社
「新病院建設の設計者として内藤建築事務所(東京都中央区京橋2-8-5)を特定したと明らかにした」
同紙にある「内藤建築事務所」、うーん、病院建設でこんな名前聞いたことがありません。
後継法人を選ぶにあたり、昨年9月に後継法人選定委員会が開かれ(9月21日)、医療法人地域医療振興協会が選ばれました。その時同法人とセットで名乗りを上げたのは「株式会社日建設計」です。「内藤建築事務所」と言う名は出ていなかった。
どんないきさつで、「内藤建築事務所」が登場したのか謎が残ります。

同紙によると、株式会社日建設計は耐震補強化に向けての設計業務を行うようで、内藤建築事務所が新築工事の設計を担当するようです。
また、新病院には9月以来問題になっている小児外科は入っていません。

不思議です。

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小児外科の灯火消すな その12

2009年01月05日 | 病院赤字問題
昨日お知らせした朝日新聞記事・千葉版です。

朝日新聞記事 

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小児外科の灯火消すな その11

2009年01月04日 | 病院赤字問題
本日朝日新聞千葉版で、市民病院小児外科のことが大々的に報じられました。
『将来生きる手助け 「地域密着」存続の危機?』との見出しで、
『移譲先も決まり、徐々に概要が明らかになりつつある中、廃止する診療科の一つに「小児外科」が挙がった。・・・・先日開かれた病院組合議会で浦安市の松崎市長は「継続して診療できるよう協議している」』

9月議会で審査した「小児外科を残してほしい」内容の陳情を、市議会は賛成少数で不採択としてしまったことは、すでにこのブログでお知らせしました。(賛成者:広瀬、元木、井原、美勢の4名)

9月に行われたコンペでも、参入希望の二法人とも、小児外科については非常に消極的あることもお知らせしました。
市側の意向も、10月の段階では「小児周産期ということで考えて行く」と、大変後ろ向きな答弁でした。

それが一転して、今回の新聞報道。
新聞報道によると、市長は「(小児外科を)継続して診察できるよう協議している」そうです。

本来「協議」など不要で、現在ある小児外科を残すことは参入の条件であったはずです
その意味では、本来の姿に戻りつつあるわけで、ここに至るまでには紆余曲折ありましたが、大変喜ばしいことだと思われます。

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小児外科の灯火消すな その10

2009年01月03日 | 病院赤字問題
新病院の診療科目、また、立替期間の診療科目にも小児外科が例え「予定」とは言え書き込まれたことは大変喜ばしいことなのですが、何かキツネにつままれた思いです。 この間,一体何があったのでしょうか?手元にある議事録やこれまでの様々なやりとりを見る限りでは、小児外科が新病院でも、建設機関にも取り入れられることは考えられない話です。(19年12月の「浦安市川市民病院再整備に係る検討委員会報告書」に忠実に従えば、小児外科は「存続が望ましい診療科」であり、「必要とする診療科」であることは間違いのない話なのですが。)




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小児外科の灯火消すな その9

2009年01月02日 | 病院赤字問題
昨年9月議会に市民の方から、現在市民病院にある小児外科について二点の陳情がありました。(詳細は9月14日、16日、19日、20日、10月3日、4日、9日、10日にこのブログにも書きました。)
その二点とは、
①新病院でも継続してほしい、
②新病院建て替え中も、継続してほしい

この陳情は委員会審査でも、また、本会議でも賛成少数で否決されました。
(賛成者:広瀬、共産党三名・元木、井原、美勢/敬称略。)

ところが、この小児外科を巡り事態が変わってきたことがわかりました。
12月27日にアップされた以下のホームページを読んでびっくりです。
また、このホームページと同内容の文書が12月31日に新聞折り込みシラシで配布されました。
浦安市川市民病院(仮称)開設準備室



9月議会に陳情があり、賛成者少数で否決されたことが、後継法人は認めてくれているのです!
私が以前このブログで書いたように、19年12月に出された「浦安市川市民病院再整備に係る検討委員会報告書」の中の「新病院再整備基本方針」では、小児外科は「必要とする診療科」として謳われているのですから、今回の「新病院計画」は至極当然のことなのですが、これまでの議会・委員会等での議論は一体何だったのでしょうか?

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市の事務にあらず・・・。

2008年12月22日 | 病院赤字問題
浦安市とお隣の市川市とで共同(費用折半)で運営して来た市民病院がいよいよ幕を閉じ、9月に選定された後継医療法人のもとで新病院建設の話は着々と進んでいるようです。
建設費用として両市で拠出する金額は、97億円。

(解体費や土壌調査費などは別です。)

来年には解体が始まるのですが、その解体費、いくらかかるのか、まだ、どの工事会社が行うのかを知りたくて、担当課に連絡を入れました。

当然、解体工事会は入札で決めるそうです。
しかし、その入社日時は教えてくれませんでした。

その時のやり取り・・・
質問:「当然、公開の場での入札ですよね・・・」
回答:「市の事務ではない(協会の事務)ので、公開はしません」

しかし、「市の事務ではなく協会の仕事だから非公開で良い」とは、全く納得できない話です。
市税が億単位で動く話ですから・・・。

なぜ公開にしないのか、不思議な話です。
もしかしたら、事前に情報が漏れて談合を助長するとでも思っているのでしょうか・・・?

市の事務では以下のように事前に入札日・案件が公開されています。
(この公開は今年4月からですが)
公開されたからっと言って、事前に入札内容が漏れることはありません。

昨年の今頃は、入札日の事前公表はしていませんでしたが、数回にわたり入札情報が外部に事前に漏れ、入札日を延期せざるを得ない事態が発生しています。
このことからも、入札日を公表するかしないかは、入札内容が外に漏れることとは直接の因果関係がありません。
あ~、やはり分らない、なぜ病院関係の事務はこんなに非公開なのでしょうか?




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小児外科の灯火消すな その8新病院

2008年10月10日 | 病院赤字問題
先日私達に配布された資料を基に、プロポーザル方式で参入が決まった地域医療振興協会が提案した診療科目を、現在市民病院にあるる診療科目と比較した一覧を公開します。




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小児病棟の灯火消すな その7新病院

2008年10月09日 | 病院赤字問題
9日午後2時-4時で、「浦安市川市民病院後継法人候補者選定に関する事項につてい」議員説明会が開かれました。
「議員説明会」という言葉は、私は初めて聞いた言葉です。
「会」と名のつくものは、条例か法律に殆どがその根拠があるのですが、「議員説明会」は根拠条例・法律はないのです。
前日の8日に開かれた「会派代表者会議」で、「議員説明会」と言うことで開催することに決めた「会」です。

そもそも、会派代表者会議でこのような会議の設置権限があるのか、私ははなはだ疑問を持っていますが、会派代表者会議で決めたことですので間違いはないと思いますが・・・。

ちなみに、会派代表者会議での協議事項はおおむね以下の4ケです。
 ①議席、会派控室の割り振り調整
 ②全員協議会の開催についての協議
 ③議会が推薦する付属機関の委員の調整
 ④その他議長において必要と認めた事項
    (会派代表者会議申し合わせ事項参照)

議員説明会に至る経過はともかくとして、市長初め副市長、理事(市長公室長)、市長公室副参事2名(市民病院担当)、市民病院再整備プロジェクトチーム主幹の6名の参加の下に開かれました。
議員側は自由参加で、6分×会派で参加した人数の持ち時間で、質疑が出来ました。6分と言っても、当局の答弁も入りますので、私のように無会派一人者の質疑時間は実質3分もありません。
3分もない質疑時間の制限で、一体全体何を聞けるのでしょう?
全く、モーですね。

限られた時間でしたので、私は主に小児外科の存続問題について聞きました。

与えられた時間の殆どを小児外科問題に当てたのですが、回答者は時間を稼ぐことをして、私の質問にまともに答えてくれませんでした。

「後継法人が小児外科を外して提案をして来たことに対して、市側は直ぐに呑んだのか。それともこちらの要望を強く主張したのか?」と質疑をしたのですが、
「これからの話」だと、まだ小児外科の存続には期待が持てそうなはぐらかすような答弁をしたのですが、さらに突っ込むと、否定的な答弁が返って来ました。
「小児周産期ということで考えて行く」とのことでした。
つまり、小児科と産婦人科でチームを組んで診るとのことのようですが、そもそも小児外科は小児科とは異なる科であることの理解が足りないのではと思われました。

参入する医療法人は「横須賀うわまち病院」も運営していますが、そちらには小児外科があります。「小児周産期」ではカバーできないから同病院にはあるのではと思うのですが。

何故、報告書では「必要とする診療科」とまで謳った科を後継法人は提案しなかったのか、審査の段階で審査委員は聞いたのでしょうか?
当局の説明を聞いた限りでは、全く見えてきませんでした。
報告書に謳われたとおりにしない場合は、審査委員たちは市民に説明責任があるのではないでしょうか?

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