市議になり9年目に突入しました。
別に荒探しが好きな訳ではないのですが、「何故こんなことがまかり通るの・・・?」との疑問は今も多数遭遇しています。
一々このブログで書きませんが、6年前の不思議な話をそのまま貼り付けました。
今も全くこの体質は変わっていないからです。
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2005年04月22日 | Weblog
不思議なことがあるものですね~。
入札に関することを調べだすと切りが無いくらい色々と不思議な問題に遭遇します。
今日これからお話しすることも「?」の範疇に入る事だと思います。
市議になり、何となく「臭い」と感じた入札制度。しかし、最初はどこから手をつけて良いのか全く見当も付かなかったので、私はとりあえず過去の入札金額、落札会社等々の推移を調べることにしました。
そのために情報公開で平成8年からの「一般競争入札」と「指名競争入札」の全ての書類を手に入れました。そして、年度ごと、業種ごとのデーターを自己流に作り変える作業をすることにしました。
そうして調べていたら、ある会社の流れに不明な点が出てきたので、平成7年8年の「入札参加資格者名簿」を調べる必要に迫られました。
早速担当課に問い合わせ、過去の「入札参加資格者名簿」を保存しているかどうかの確認をしました。
広瀬:
「浦安市は入札参加資格者名簿の保存は何年間ですか?」
担当者:
「はい、10年間です」
広瀬:
「それでは平成7年度の名簿はまだ残っていますね?」
担当者:
「はい、あります」
そこで私は2月初旬に担当課を訪れ、見せてもらうことにしました。
ところが、此処で可笑しなことが起きました。
「平成7年度、8年度分は紛失してしまいました」と言うのです。
「エッ!紛失。それはあってはならないことですね。当然担当者の責任問題が起きますね?」
と私は言いたくはなかったのですが、担当者の対応が余りにも無責任に思えたのでついついきつい言葉を吐いてしまいました。
担当者は、「はい、それは分かっています」とその時言ったので、私もそれ以上追及はしませんでした。
その時、何故か担当者は平成5年・6年度の名簿を持って来て私に見せてくれました。
平成5年・6年版があるのに、私が見たい7年・8年・9年・10年の四年分が抜けていました。
その後、何度か担当課に「どういう責任の取り方をしたのか、処分が出たのか」等の問い合わせをしたのですが、一向にその気配が感じられません。
私を市議に送り込んでくれた市民の方たちは、私に行政の「見張り番」的役割も期待してくれているわけなので、このような問題を見過ごすことはできません。
また、今回のような不祥事が発覚しても、速やかな対応をする市ではないということは日の出中学校の「ふれあい農園」問題を調べた時にも経験しているので、そんなに驚くことはなかったのですが、それにしても職員の「規範意識の低下」は問題です。
その後、電話で問い合わせたり、直接聞いたりしていました。
そして、やっと先週金曜日に人事課に以下の文書を提出したことが分かりました。
(人事課に提出したのは、人事課が「処分」等を行う機関だとかで、その処分の前提として、顛末書として以下の文書を提出したそうです。)
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適格者名簿(平成7年・8年)の取り扱いについて
注:広瀬記 「適格者名簿」とは「入札参加資格者名簿」のことです
・平成17年2月上旬、広瀬議員から電話により平成7年頃の業者名簿が市に残っているか、保存年限は何年かとの問い合わせがあり、手元に無いので確認するとともに、保存年限は10年と回答いたしました。
・数日後、契約管財課の窓口において平成7年・8年の業者名簿閲覧を言ってきましたが、課の保管場所を探しましたが議員の見たい年度の名簿が見当たらないので、平成11年・12年の名簿を見せました。本人が見たい年度の名簿がないことについて、「なぜ無いのか、先日の電話では10年保存といっていた」とのことから、市における文書保存が悪いとの指摘があり、3月定例議会においてそ点についても質問すると言って帰りました。
・3月定例会の一般質問のヒアリングの時点においても、その後の所在を聞かれましたが、その時点においても所在がつかめないとの回答をいたしました。それを受けて再度議員は紛失した責任は誰にあるのかを訪ねて(注:広瀬記 「訊ねて」の間違い?)きましたが、過去のことはわからないことから、今時点の者に責任があると答えました。
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以上が私が情報公開で入手した文書です・・・要するに「公文書」に当たります。
しかし、①宛名が無いこ
②日付が無いこと
③文書提出者の名前・印がないこと
④「平成11年・12年の名簿を見せました」とありますが、私は「平成5年・6年度の名簿」も見せられましたが、なぜかこの記述が抜けています。
しかし、この人たちは何故一体こんな仕事ぶりなのでしょうか???
このような事例の場合、普通はまず「始末書」を書くのではないでしょうか?
浦安市には「始末書」という言葉がないのかも知れません・・・・・・。
別世界にいるような気になります。