23日に終了した6月議会、今議会にコロナ感染に対する二件の請願が出されました。
●2号請願 幼児・児童生徒の教育機関におけるマスクの着用に関する請願
●3号請願 COVID-19小児ワクチンに接種に関する適切な対応を求める請願
私は2号請願の賛成討論を行いました。
以下は賛成討論です。
幼児・児童生徒の教育機関におけるマスクの着用に関する請願 賛成討論します
コロナ禍に世界中が襲われて2年半が経過しました。この間、新型コロナウイルス感染症対策としてマスク着用が推奨され、一時はマスクが品薄となったり転売で異常なまでの高騰になったり、国は、その効能の有無は別つとして、全国民に無料配布まで行いと、日常生活にマスクが入りこんできました。
これは大人だけでなく、子供たちの世界にも当然のこととして現れました。
しかし、ある程度コロナ感染が落ち着き、また夏に向かう中での熱中症などの負の場面に直面しだして、逆にその弊害が出て来ました。
今回請願内容の幼児・児童生徒たちへのマスクの着用に関する請願がだされたのは、子供たちの健康を考える大人としてある意味では当然の事だったと思います。
しかし、先日開催の教育民生常任委員会では賛成少数で否決となりました。
私は控室で一部始終を傍聴していまして、請願紹介者の説明、市側の説明、各委員の質疑を
聴いていて何かしっくりきませんでした。
請願紹介者は、浦安市のこれまでの取組は評価するが、国レベルの積極的な対策をして下さいと言っていました。
浦安市はマスクを外すことを「マスク着用はひつようありません」「取っていいです」との表現だが、もう少し踏み込んで欲しい、とのことでした。
私はこのことに異論はありませんが、では具体的にどのような言葉を使えばよいのか、その指摘、提案が観られませんでした。
市の「必要ありません」「取っていいですよ」との言葉では弱く、もっと国の積極的指導に従うべきだと言っているように聞こえました。
ではどういう言葉をつかえば良いのか、多分、市側も賛成しなかった委員も一番悩んでいる、あるいは一番知りたい言葉ではなかったかと思ます。
「どんな場面でも、取るべきだ、取ることを強制する意思は全くない」と、請願紹介議員は言いつつ、国の指導と一致していない現状を批判しているように受け取りました。強制にならないで国の指導に従う言葉を私は、そして市も賛成しなかった委員たちも知りたかったと思います。
もしこの言葉があれば、少しは採決の情勢が変わっていたかもしれません。
私が想像、考えられ言葉は現状では、(そして市も、賛成しなかった委員も)国の指導を現場で行うとすると、「外しなさい」との強制の言葉、紹介議員も否定している強制のことばしか見つからないのではないでしょうか。
具体的な言葉の提案がなく、市の表現ではなく国レベルの対応を求めているように思えました。これはいたずらに現状を批判しているとしか受け止められず、子供たちに強制できない現場は苦悩しているのですから、逆に反発だけを招く結果になりかねませんでした。
紹介議員の熱意は、ストレートには伝わらなかったのではないでしょうか。とても残念でした。
そこで疑問に思ったのは、何故、請願者の方たちも請願理由を述べていただける場を紹介議員は提案されなかったのか、もし、その場があったら事態は異なっていたかもしれません。
今年4月1日に施行された「浦安市議会基本条例」では市民参加を謳っています。これは全議員で作り上げ、全会一致で可決された条例です。
同条例9条で市民参加を規定しました。3項
「3 議会は、請願及び陳情を市民による政策の提案と位置付け、審議等に当たっては、請願者及び陳情者の説明の機会を設けることができる。」のです。
これは「設けなければならい」との義務規定ではなく「設けることができる」との規定ですので、関係者から申し出が必要ではなかったかと思います。。
この条文が生かされていたら、市民の方との直接の意見交換ができ、議論はもっと深まったはずです。
この条例が生かされず、紹介議員だけからの説明で採決したことは返す返すも残念でなりません。
このように批判的なことをいいながら、私は本請願に賛成するのは、私たちと向いている方向は同じだと感じるからです。請願文面に「子どもたちの命と健やかな成長を見守る大人たちの責任」と言う言葉があるように、向いている方向は間違いなく同じです。言葉使い表現の違いはあるかもしれませんが、主眼は未来あることどもたちをどのように守るかです。
政党や宗教の違いを超えて、対立ではなく一致点を模索し、子供たちを守るは大人の責務です。以上、目指す方向に大きな乖離があるとは思えないので賛成します。