ひろせ明子の市議日記

無所属・無会派。
市議として日常で見たこと・感じたことを綴っています。

全国小さくても輝く自治体フォーラム

2006年01月17日 | Weblog
         熱気に満ちた全国からの参加者です

1月14、15の両日、福島県矢祭町で開催された「全国小さくても輝く自治体フォーラム」に参加しました。
2000年12月に森内閣が3200の自治体数を1000まで減らす政策を打ち出しました。それを受けて、全国の小規模自治体の多くが合併をしました。
今年3月には1822の自治体に縮小される予定です。

こんな流れの中で、小規模でも合併をせず頑張っている自治体があります。
それらの自治体が福島県矢祭町に集合しました。
矢祭町は平成13年10月に「市町村合併をしない矢祭町宣言」を行い、法律で合併を強制されない限り合併をしない宣言をしています。

明治・大正の合併はそれぞれが小学校、中学校区を作るという大義名分がありましたが、平成の今回の合併は国民が納得できる説明がないまま進んできました。

今回のフォーラムには、北海道から鹿児島にいたる183の自治体から968名の長・議員・職員・市民が集まりました。
初日は福島県泉崎村長の「ピンチをチャンスに」の講演、続いて京都大学岡田知弘教授による「新市町村合併プランをどう見る」と題しての現状分析がありました。

岡田教授によると、市町村合併で、地方自治は戦後最大の危機に瀕しているとのことです。

合併の目指すものは住民自治を崩壊させ、空洞化させるものであること、また道州制の導入につながるものであり、大変危険な流れになっているとのことです。
実際、合併をした市町村は、「こんなはずではなかった」と推進した担当者からの発言も出ているとかで、合併の矛盾が広がっているようです。

そんな中で、国から財政支援が削減され、苦しい台所事情でも住民と一体となった財政運営を行い、輝いている自治体があるのです。
その一つが、矢祭町であり、泉崎村であります。また、宮崎県の綾町です。

矢祭町は、住基ネットを接続しなかった町としても有名です。また、最近ではテレビでも紹介され、ご存知の方も多いのではと思います。
係長制を廃止し、役場開庁時間は朝7時30分から夜6時45分まで、年中無休です。
「合併しない宣言」以降は、全国600団体、6000人を超える人々が視察に訪れているそうです。

※わが浦安市は「合併」とは無縁の市です。そんな市に住んでいて何故私がこのフォーラムに参加したのかですが・・・、
合併問題は今後の日本の将来を決めるものだと日ごろから考えていました。
地方自治の今後を考える時、避けては通れない問題です。地方分権と言いながら、合併を半ば強制させる今の流れに不安を私は持っています。
この流れに飲み込まれず、独自路線を選択して行く市町村からこそ学べるものがあると思い参加しました。

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ディズニーランドでの平成17年1月の成人式 

2006年01月16日 | Weblog
   昨年の成人式での模様

去る1月9日、今年もディズニーランドにおいて成人式が行われました。
市議になり列席するのはこれで三回目です。
この三回を振り返ってみると、同じ会場でもそれぞれ年により演出が異なり、それぞれの年度の実行委員さんたちの取り組み方が何となく伝わってきます。

今回は昨年の模様をお知らせします。
以下は、昨年私が不定期に発行しているメルマガに書いたものに若干数字を加筆しました。昨年の式典の内容がお分かりいただけるのではないでしょうか。

2005年1月10日・浦安市成人式
  成人者数 1645人
   
1月10日、「浦安市・浦安市教育委員会」主催による「成人式」が行われました。
当日の模様をお知らせします。

小競り合い
開始予定時刻は10時30分でしたが、私は10時過ぎに席に着き、会場の雰囲気や成人した若者の動向を観察していました。女性は殆どが着物姿、男性は背広姿が圧倒的に多かったのですが、中には紋付袴姿で参加した人も見受けられました。皆久しぶりに会えた友人等と楽しく語りあい、のどかなムードだったのですが、前方で何やら数人が小競り合いが始まりました。紋付袴姿の10人前後が背広姿の数人と口げんかカ何かが始まりました。

一時会場が騒然となり、乱闘騒ぎにでもなるのではとハラハラしていたのですが、市の職員一人が(何故か一人だけ)中に入り、約5分で鎮静。

①10時30分開始 プロの司会者のみが進行係り(昨年は成人した中から名乗りを上げた実行委員がプロの司会者とともに司会進行をした)

②10時34分~37分 市長挨拶
ディズニーランドで行われる成人式は今年で4回目
1645名中、1285名が参加し、高い参加率
浦安は昭和27年以来成人式を行っている

③10時37分~42分 市議会議長挨拶
ディズニーランドは年間2547万3千人が入場した
何故こんなに沢山の人が入場するのか、それはディズニーランドは常に新しいものに挑戦し、来場者を大切にし、如何にしたら喜んでもらえるかを考えている。

④10時42分~44分 アンバサダー挨拶

⑤10時45分 カウントアップ(参加者全員で1~20までをカウントする。5,10,15,20になるたびに天井から紙ふぶきが舞い落ちる)

⑥10時52分~11時22分 アトラクション(舞台でぬいぐるみ等がひたすら歌い・踊る)

⑦アトラクションが終わると同時に「お開き」でした。

「何だこりゃ?幼稚園のお楽しみ会でもあるまいし・・・」と言うのが正直な感想。
昨年の成人式にも参加したのですが、昨年は実行委員が舞台に上り、プロの男性司会者とともに司会役もこなし、プロの司会者にリードされてはいましたが、実行委員中心の成人式という印象を抱くことは出来ました。
それに引き換え、今年は、最初から最後まで、プロの司会者が牛耳り、成人した若者が出る幕は一切ありませんでした。

成人した喜びを語るわけでもなく、大人社会に入る不安・危惧・期待を述べるわけでもなく、市長や議長の挨拶を聞き、ミッキー、ミニー、ピノキオ等々の踊りを鑑賞するだけの受身の式典でした。
舞台で歌い・踊ること約30分・・・・、一番前を陣取っていた若者達が時には立ったりして気勢を上げ少々目立つ行動もありましたが、定刻の11時15分を少しオーバーしましたが、何事もなく終了しました。

自分自身の成人式を創り上げる・・・
この成人式、行政側の押し付けではなく、「成人式実行委員会」を立ち上げ、「練って」来たものです。
昨日配布されたパンフレットには、「私たち成人式実行委員会では、しばらく前から自分達の成人式をどのようなものにするのかを考えてきました。その中で、私たちのコンセプトは「自分自身の成人式を創り上げる」です。それは「企画委員の成人式を押し付けるのではなく、参加者一人一人が成人するという意味を深く考えられるようなものにしよう!」というものです。

この式で「成人するという意味を深く考えられる」ものになったのか、はなはだ疑問です。
テレビ、新聞等でも各地で成人式の模様が報道されていますが、その中身はどうだったのでしょうね。

他市における成人式
この成人式にかけた経費は約750万円。(最終的な決算はまだ出ていません)
750万円の大半はディズニーへの入場料が占めています。
近隣の成人式記念行事の内容を調べてみました。
内容を見る限り、浦安よりも工夫しているように思われました。
市川市:「夢追い人」・・・将来の目標を持ち、活動する新成人の映像を放映
船橋市:「二十歳のアピール」・・・楽器演奏、郷土芸能等発表、「出会いひろば」・・・お茶席、似顔絵コーナー等
習志野市:「新成人の集い」恩師を囲む交流会、音楽鑑賞会
八千代市:ロックソーラン、「二十歳のホームルーム」
松戸市:プレセレモニー(新成人による音楽・ダンス等)、松戸に関すること・20歳に関すること、社会に関することをクイズで取り上げ、意見を出し合う
鎌ヶ谷市:「新成人の主張」、立食コーナー、募金コーナー、身体力測定コーナー、恩師出演のビデオレター

さ~て、来年はどんな成人式になるのでしょうか?
※帰りに記念品が渡されました。
昨年同様、
ディズニーのビニール袋に記念品が入っていました。
その記念品とは・・・・、
ミッキー、ミニーの絵柄のハンドタオル二枚と、印鑑入れ、市発行のフレット類です。
記念品までオリエンタルランド社に「おんぶに抱っこ」。
何から何までディズニー一色の町になったようです。

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東大阪市立総合病院の試み・・情報開示

2006年01月07日 | Weblog
NHKスペシャル「日本のがん医療を問う」を見ました。
患者側に立った医療がなされていない実態が浮き彫りにされていましたが、その中で一際目立ったのが東大阪市立総合病院の改革でした。
院長の房本英之医師が、病院建て直しの時にそれまでの病院の医療体制の抜本的見直しを行いました。
医師の数も倍増し、医師間のコミュニケーションにもメスを入れ、また病院に不利な情報も積極的に開示する中で医療技術も向上させて行った経過が語られていました。

同院看護士の方が、「それまでは医師間の連携も良い状況ではなかった」とか、「医師同士のコミュニケーションが不足がちだった」とかの実態を、顔にオブラートをかけることもなく、音声を変えることもなく、堂々とカメラの前で語っていた姿が全てを物語っていたと思います。
外国の番組ですと、顔も音声も隠すことなく堂々と出てくることがあるのですが、日本のマスコミでは、特に批判的な内容の場合は殆どが姿が隠されての発言です。

しかし、同院の看護士さんは全てをオープンにしていました。
あそこまで語ってしまうと、フツーだと職場に居ずらくなったり、酷い場合は退職を余儀なくされがちですが、院長の姿勢がとにかく「情報開示」を前面に打ち出しているのですから、何ら問題はないのでしょう。

同院長曰く、「情報を公開すると、(病院の)悪いところも浮き上がってくる。しかし、それなくしては病院の改革はできない。患者にとり悪い情報も出す。オープンにすればするほど、成績が悪い所(院内の科の意味だと思います)は居ずらくなる。52万人市民の中核病院としてもっともっと情報公開をします。患者が情報が溢れてどうしていいかわからない位開示をします。」

当初52人だった医師を今は120人に増やしたそうです。当然、人件費がかさみますが、(良い医療を行うことで)収入はもっとアップしたそうです。
市民病院ですから、当然市民税が投入されています。医師を増やすにはいろいろと抵抗があったようですが、「金をケチったら、ますます質が悪くなる」とはっきりと言っていました。

東大阪市立総合病院

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再処理工場

2006年01月04日 | Weblog
私たちの食卓をどのようにして守るのか・・・?、真剣に考えなければいけない問題です。
和食は体に良いと言われ、海藻類を一生懸命食べようとしても、放射能汚染の問題が立ちはだかります。

20年前、チェルノブイルの事故がおきた時、「ヨーロッパ産は食べるな、危険だ!」と日本中が沸き立ったことを思い出します。
ヨーロッパ産どころか、日本産が汚染されつつあるのです。

六ヶ所村の再処理工場についてのサイトをご紹介します。
ガッテン「再処理」市民サイト


六ヶ所村からの放射能は海に流れ出て海産物を汚染し、また空気中に放出された放射能により農産物汚染が起きます。
その海産物、農産物が私たちの食卓にのぼります。その結果、がんや白血病が増えるのわけです。

同記事から・・・・・、
『再処理工場から出る放射能は、体に悪い影響をあたえることが報告されています。とりわけ顕著なのは、子どもたちを襲う白血病*です。英国の再処理工場の付近で10倍**、フランスの再処理工場周辺でも6倍と、発病する確率が非常に高いことが確認されています。』

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新年明けましておめでとうございます

2006年01月01日 | Weblog
新年明けましておめでとうございます。

2006年が明けた時、自民党があそこまで圧勝することなど、誰が想像できたでしょうか。
また、強度偽装があそこまで大々的に行われていたことなど、誰も想像できませんでした。
「一寸先は闇」という諺がありますが、「一分先は闇」と言っても良いほど、人々の生活の明日が見えなくなってきています。

社会がこれほどまでに見えにくくなると、結局「自分の身は自分で守る」、「自己責任」と言うことになるのかもしれません。そして他人のことより、まず自分のことを考える風潮にますますなっていくのではないでしょうか。

わが浦安市は、何も起こらなければ、今年秋には四年に一回の市長選が行われます。
「何も起こらなければ」と書いたのは・・・・、
わが市の市長は、私が市議になる半年前に「不正疑惑」でマスコミに「いや」と言うほど登場したのです。((2002年11月に最初の記事が出ました。)
当時の議会は「百条委員会」を作り、疑惑解明に取り組みました。
しかし、百条委員会設置後、約四ケ月で市議会が任期満了で改選になり(2003年4月)、百条委員会は自動的にその活動に終止符を打ちました。

改選後、初めて開かれた六月議会で「市長辞職勧告案」が採択されました。この辞職勧告案は改選前の三月議会でも採択されていました。
しかし市長は二度にわたる辞職勧告案を受け入れることはありませんでした。
そこで今度は議会は「市長不信任案」を提出しましたが、こちらは「否決」されました。「辞職勧告案」に「賛成」した二人の市議が、「不信任案」には「反対」に回ったからです。
この二人、辞職勧告案には「賛成」したわけですから、当然選挙運動のときは「市長批判」をしていました。
それが、「不信任案」になると「反対」になってしまったのです。

昨日まで「市長批判」の側にいた人が、ある日突然「市長擁護」になってしまったわけです。
この二人の市議には市民からかなりの批判の声が届いたと漏れ聞いていますが、このハプニンが起きなければ、わが町の市長は15年に行われた市議選の後すぐに開かれた市議会で「不信任」が成立するという事態が起こっていたのです。

その後、更に議会は二度にわたり不信任案を提出しましたが、二度とも同じ結果でした。

要するに、私が市議になってから辞職勧告案が一度、不信任案が三度も提出されている市長です。この三度とも「あと一票」が足りずに、不信任案の成立が見送られてきただけのことなのです。
議会との信頼関係などないのですから、何が起きても不思議でないのがわが町の実態です。

普通であれば、4年の任期満了で今年秋の市長選を迎えるはずですが、以上のように特殊なお家の事情があるわが町ですので、何が起きても不思議でない、一寸先が闇であるというのが、わが町です。

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