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さらば器量なき政治家・渡辺喜美・七 小生にも覚悟があります

さらば器量なき政治家・渡辺喜美・七

小生にも覚悟があります

 結局渡辺さんからメールで連絡が入ったのは選挙から約半年後。昨年夏の参議院選挙がすぐそこに迫った5月26日のことでした。

『維新との選挙協力は解消しました。ついては今後の戦略について報告をしたいので、まゆみとともにお伺いしたいのですが』という内容です。しかし、連絡の途絶えていた半年の間に、みんなの党、そして渡辺喜美さんは大きく変わってしまいました。

 たとえば5月に、橋下さんの従軍慰安婦についての発言が物議をかもした時、渡辺さんはあれほど橋下氏を評価し、盟友として、その才能、センスを称えていた彼を庇うどころか、メディアと一緒になってバッシングしていました。

また一方で、橋下さんたちの対極に立つ民主党に歩み寄ったりと、もう私には乱心したとしか思えない不可解な行動をとっていたのです。

 私は彼に「もう会うつもりはない」との決別のメールを送りました。8月になると今度は江田さんが幹事長を更迭されました。

 そして12月江田さんは衆参14名の議員を引き連れて離党し、結いの党を作ります。

渡辺さんはその離党すら認めず、あくまでも除名処分と言う対抗処置をとってきました。さらに他の議員は、離党は認めても、会派離脱は認めないという奇手にも打って出た。

 江田さんは大勢の仲間を抱え、困り果てていました。そこで意を決し、年が明けた1月9日、渡辺さんに、

〈信条・理念の違う幹部を更迭するのはトップの自由。そこは一般企業でもよくあるケースではあります。江田さんたちの会派離脱は認めないと各所で悪罵されているようですが、それだけはやめてください。

あくまでも反対されると言うのなら私にも覚悟があります〉という内容のメールを送りました。

 すると、直ぐに返信があったのですが、そこには私が求める明確な答えがなく、

〈離党者の事情聴取が出来ていない〉

〈自分の一存では決められない状況です〉といったことが書かれていました。

党を立ち上げた代表者としての責任感は全く感じられません。むしろ、後輩議員に責任を転嫁する度量の小ささばかりが際立っていました。 八へ続く

 

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ここが危ない日本の原発・最終回 どんな政治家が仕事をするのか

 

ここが危ない日本の原発・最終回

どんな政治家が仕事をするのか

 というのはあそこの秘書の人たちと一緒にね。スタッフの人間としてそういう問題を作っていくんですよ。

だから皆さん方もこれから何かあれば、議員会館で誰も「来るな」と言いませんから、そこへ行って「こういう問題をどうかしてください」じゃなくて、

「こうしましょう」ああしましょう」というものを作って行くんですよ。国会議員さんていうのはね。はっきり申し上げる。国会ではねやりたいんですよいろんなことを。

そうすると選挙の時にね「おらが先生はこんなに活躍している」と言う議事録を有権者に配る訳ですよ。で国会議員さん秘書の人が何をやっていいのかが無いんですよ。なにも。だから、なんにもやっていないんじゃなくて、みなさんが選挙の終わった後、何もやらせていないってことね。

もう一つはクリーンな政治家と言うのも聞きます。

あいつはけしからん、企業からいっぱい集めて・・と。

しかし私が見る限りでは、やっぱりクリーンな国会議員さん、「奥さんとせがれ」が秘書、それで仲良くやっている。情報収集も何もできていない。それで何か仕事が出来るのか?っていう・・・

 ある党首の所へも私は行きました。なるほど金を集めているっていうがいわゆるシンクタンク、自分のブレーンとして様々な分野の人たちを抱えているからそこから全部情報を得ているのね。でもそれをやるのにはお金がかかる、確かに。

 だからどちらを選ぶかですよね。

何にもしないクリーンな政治家を選ぶか

少々荒っぽいことで金を集めるが、仕事が出来る政治家を選ぶかってことですね。

 これは非常に難しい選択ですが、まあ、私なんか思うんですが、今国会議員の半分はなーんにもやっていない人が多い。ね、息子とお母ちゃん二人でなにが出来るかって言うの。

もう歳費を丸取りしようと言うだけで、何も仕事になっていない。

 だからこれからは選挙も重大になってくるし、

皆さん方がこれから裁判官になるか検事さんになるか、弁護士さんになるか、いろんな問題が、本当に泣くに泣けないような問題が出てくると思います。

 私もいろんな原発の裁判で証人として出ておりますが、それに負けないでやってほしいと思います。どうも有難うございました。  完

この講演の3カ月後(1997年1月)

平井憲夫さんは

肺癌で帰らぬ人となりました(58歳)。

おそらく内部被曝の結果であろうことは容易に察しがつきます。東日本大震災、地震と人災の複合福島原発爆発事故の14年前のことでした・・・合掌。

 

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