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あれから8年・・・斎藤と田中を分けたものは?

甲子園の暑い夏・あれから8年

斎藤佑樹田中将大の分かれ道はなんだったのか

あの8年前の夏の日の出来事がウソのようだ。

10日の楽天戦で今季2試合目の先発となった日本ハムの斎藤佑樹(25)。9日後の練習後は『コンディションは最高、5回以内にマウンドを降りるのは許されない』と話していたものの、初回先頭から2者続けての四球、連打でいきなり2失点。

二回にも2四球を出した時点で投手交代。斎藤はそれに気づかずにロジンを手に付けていたところ、マウンドに向かってくる厚沢投手コーチ(国士大出)の姿を見て「???」何が何だかわからないままマウンドを降りた。

 プロ入り最短タイKO となる1回3分の1、2安打4四球3失点。3月29日のオリックス戦も6回4失点で黒星。周囲の目は厳しくなるばかりだ。

斎藤のピークは、2006年夏の甲子園だった。決勝戦で駒大苫小牧のエース田中将大(現ヤンキース)と投げ合い、延長15回を戦っても決着がつかず、翌日に再試合、斎藤は2試合を一人で投げ抜き、早稲田実業に夏の初Vをもたらした。

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あれから8年…「甲子園決勝戦敗者」の田中は楽天を日本一に導き、アイドルの伴侶を得て、7年160億円でメジャーの名門ヤンキースに移籍、実質3番手の投手として連日スポーツマスコミを賑わせ。熱烈なファンの歓声を浴びている。一方、8年前勝者の斎藤は、ここまでプロ通算11勝16敗、年俸2800万円。

 昨季は右肩を痛めてわずかに1試合の登板。ファンからもすっかり見放され、この日も罵声を浴びながら降板した。二人の違いはどこにあったのか。

 当時の延長再試合を観戦した某球団のスカウトがこう言う。「あの時から、投球術に頼っている斎藤は今がピーク、『伸びシロがない』との意見が多かった。ただあの大会で『ハンカチ王子』としてブレーク。

2010年のドラフトで4球団が競合したのはローテーション入りさえすれば、グッズの売り上げや、集客に期待できたから。

田中がプロでもまれている間に、大学でチヤホヤされ楽をしすぎた。その間に体と心の成長がピタリと止まってしまった」

 進学した当時、早稲田の応武監督にすっかり甘やかされると『俺は日本一の特別な投手』と勘違いした。

寮生活でも群馬県に住む母親からの毎朝の電話が目覚まし時計になっていた。

 周囲に守られてヌクヌクと4年間を過ごすうちにライバルの田中は手の届かない所へ行ってしまった。

『ストライクが取れないと投球にならない』

と言いながら唇をかむ斎藤だが、8年前にはもう戻れない。終わり

 

 

 

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