日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
第2回・高校受験は全敗・ヤミ米一俵で裏口入学
第2回・似鳥昭雄(ニトリ社長)
高校受験は全敗・ヤミ米1俵で裏口入学
中学に上がるころには体も大きくなりいじめられることは少なくなったが、成績は相変わらずさっぱり、
成績は最下位か、ビリから2番目「カンニングがうまくいった時だけ、順位が一つ上がった」と似鳥氏は笑う。受験した高校もすべて落ちた。
「ここなら大丈夫だろうと思って受けた創立2年目の新設校まで不合格。急いで夜学受験の手続きをしたんですが周りからお前では無理だと言われていました」結局夜学は受けなかった。工業高校への入学が決まったからだ。
「試験は落ちていたんですが、うちがヤミ米を配達していたお得意さんの友人がそこの校長先生で、米を1俵持って行ったら入れてくれたんです」と似鳥氏は冗談とも本気ともつかぬ顔で話す。
何とか高校に潜り込んだものの学業には全く身が入らず、相変わらずのビリ争いをしていた。勉強はだめでも、何かで一番になりたいと思った似鳥氏は珠算に打ち込んだ。
珠算に力を入れている高校で。毎年全校生徒が参加するソロバン大会が開かれていた。そこで似鳥氏はなんと総合優勝してしまう。ここぞという時の集中力がすごいのだ。
珠算で鍛えた暗算力は今も健在、インタビューの最中に為替の話に及んだ時だった。その日の動きが詳細に頭に入っていて、数十分前まで、円相場がどう推移していたか、銭単位で正確な数字がスラスラと出てきた。
だが学業に対しては珠算のような集中力は発揮できなかった。大学を目指すのはとても無理なレベルだったが、似鳥氏は進学を決意する。「親父の会社に入るのが嫌だった」からだ。
似鳥氏が高校に進む頃、父親はコンクリート会社を起こしていた。高校生の似鳥氏は夏休みになるとそこで土木作業を手伝った。
「縄で編んだ網に砂利を入れ、木を通して二人で担いで運ぶんです。親父は息子を鍛えるつもりだったのか、
ボクにはとりわけ重たいのを担がせた。終わると肩が真っ赤に腫れ、触ると跳び上るほど痛い。これを続けるのはつらいなと思い、大学に進むことにしたんです。
唯一受かった北海道学園大学に入学、アルバイトに明け暮れる毎日を過ごした。学費や生活費は全部自分で出す約束だった。大学にはあまり顔を出さなかったが
、4年後何とか卒業に漕ぎ着け、敬遠していた父の会社に入社した。「長男だから継げ」と命令されたのである。間もなく似鳥氏は音を上げることになる。
半年後虫垂炎になり、手術を受け、退院して家で寝ていたら、父親から「すぐ仕事をしろ」と怒鳴りつけられたのだ。
「本当にお腹が痛かったし、あとで癒着していたこともわかった。でもおやじは盲腸を病気とは認めなかったんです。風邪でも引いたらかえって恐ろしい目にあう。汗が出れば治ると言われて普段よりもっと仕事をさせられる。うちでは病気で寝ているなんて罪悪。
働きながら治すのが家訓なんです」
自分の身は自分で守るしかないと思った似鳥氏は、貯金の5万円を持って家出。友人のアパートへ転がり込んだ。そいつの彼女が来るたびに部屋を追い出される。
このままじゃいけないと思って新聞の広告で住み込みの仕事を探したんです。そうして見つけたのが札幌市にアル交通関係の広告会社だった。 つづく
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