yoshのブログ

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對花懐舊 釈義堂

2016-05-09 04:52:20 | 文学
南北朝時代の高僧、釈義堂、1325~1388)の七言絶句です。釈義堂は、土佐に生まれ、比叡山で修行の後、鎌倉の円覚字や京都の建仁寺に住し、空華道人と号し、漢詩文集「空華集」を著しました。また、絶海中津とともに五山文学の双璧とされました。

花ニ對シ舊ヲ懐フ

紛紛世事亂如麻
舊恨新愁只自嗟
春夢醒來人不見
暮檐雨洒紫荊花

紛紛タル世事亂レテ麻ノ如シ
舊恨新愁只自ラ嗟(なげ)ク
春夢醒メ人來ツテ見エズ
暮檐(ぼえん)雨ハ洒(そそグ)紫荊(しけい)ノ花
「訳」
   世の中のことは実にわずらわしく、まるで麻の糸のようである。その間に多くの知人を失い、昔のことを恨み、近ごろのことを愁い、ただみずから嘆くのみである。春のうたた寝の夢からさめてみれば、夢に見たそれらの人たちの姿はなく、夕暮れの軒ばの雨が、さびしく紫荊の花にしたたっているだけである。

「鑑賞」
  杜甫の詩に「紛々たる軽薄何ぞ数うるをもちいん」がある。紫荊花は蘇芳(そおう)のこと。続斉諧記」に、田真の兄弟三人が相談して遺産を分けたが、堂前の一株の紫荊樹を三分
しようとしてこれを切りかけたが、たちまち樹が枯れてまるで火が燃えるようなさまになった
ので切るのをやめた。すると、またもとのように勢いよくったので兄弟はこれに感じていったん分けあった財産をいっしょに合わせて仲良よく協力するようになったとある。この故事から兄弟が仲よく父の遺産を共有していることをほめて「紫荊花」というようになった。義堂の時代は南北朝が分立して天下が騒然たる状態だった。それは兄弟が互いに遺産を譲りあわない状態に似ている。ここで「紫荊花」を出してきたのは南北朝の合一によって天下の太平が来たすことの意を寄せたものであろう。なお、南北朝が合一したのは義堂の死後四年目ことであった。

   「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興会


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