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荘子 逍遙遊篇

2010-03-23 08:36:17 | 文学
「逍遙遊」とはこころまかせに遊ぶ、すなわち、何ものにも束縛されることのない絶対的に自由な人間の生活という意味です。荘子は、絶対自由の生活をもつ人間を、究極的な人間という意味で「至人」とよび、また人間を超越した人間という意味で「神人」ともよんでいます。逍遙遊篇は、この至人または神人のとらわれなき生活、自由無碍の境地を、荘子独特の奇想天外な比喩と機知縦横な筆によって描いたものです。
有名な最初の部分を紹介します。

北ノ冥(うみ)ニ魚有リ。其ノ名ヲ鯤(こん)ト為(い)フ。鯤ノ大イサ、其ノ幾千里ナルヲ知ラズ
化シテ鳥ト為ルトキ、其ノ名ヲ鵬と為(い)フ。鵬ノ背(そびら)、其ノ幾千里ナルヲ知ラズ。
怒(ふるいた)チテ飛ベバ、其ノ翼ハ天(そら)垂(み)ツ雲ノ若シ。是ノ鳥ハ、海ノ運(うご)クトキ、将ニ南ノ冥(うみ)ニ徒(うつ)ラントス。南ノ冥トハ天ノナセル池ナリ。

「訳」
世界の北の果て、波も冥(くら)く遙かにたゆとう北極の海。その冥く遙かな波の上に幾千里あるともしれぬ巨体を横たえている鯤という名の魚。やがて、
この巨大な鯤が七色なす極光の神秘に歳月をへて、大いなる転身の時を迎える
と、背(せな)の広さ幾千里あるともしらぬ巨大な鳥に変化する。「怒(ふるいた)チテ飛ベバ、其ノ翼ハ天(そら)垂(み)ツ雲ノ若シ」この鵬とよばれる巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてばその翼の大きさは、
青空を掩う雲かと見まがうばかりである。

 荘子は、書の始めに、まず、人間の思惟と想像力のみすぼらしさをあざわらうかのように、常識の世界を超えて無限の時間と空間を飛翔する鵬・鯤の話をもち出して読者の度肝を抜くのです。

 荘子の郷国である宋は現在の河南省東部にあり、古くから「四戦の地」すなわち四方に敵があって戦にあけくれた土地でした。実際、戦国時代を通じて
しばしば戦乱の中心となり、周囲の強国に踏みにじられた弱小国でした。
宋の民は弱国の悲哀と苦渋、侮辱と屈辱の中で、飢餓と流亡の過酷な生活を強いられ、人間として不自由の極限状態にありました。荘子も痩せこけ、顔は黄ばみ、破れ靴につぎはぎだらけの衣服を身につけた貧窮の生活を送りました。
こうした極限状況の中で、荘子にとって自由とは、「自己がそれぞれの自己として、己が直面する極限状況の中にあっても不屈に生きてゆくこと」を意味しました。古代アジア的専制支配下にあって人間としての現実的な在り方を極限状況の中で追求した自由でした。荘子はまず、弱小な人間と社会にくらべて、想像を遙かに絶する巨大な鵬と鯤から話を起こしていくのです。奔放で壮大な精神的飛翔のすばらしさが感じられます。

         福永光司 「荘子 内篇」朝日新聞社

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