北帰行は私が好きな歌の一つです。1961年に小林旭が歌ってヒットしました。この歌は<o:p></o:p>
一般的な歌謡曲ではありません。向陵駒場同窓会発行の一高の寮歌集(昭42)に採録されており、紛れもなく寮歌です。昭和16-18作詞作曲 宇田博 とあります。<o:p></o:p>
ここに載っている歌詞は5番まで(下記)あり(歌謡曲は3番までしかありません)、これが北帰行の元歌です。作詞者の心情がストレートに表現されていて、しかも格調が高い歌詞です。所謂、典型的な一高寮歌調でなく、抒情的なところが多くの人に共感を呼んでいる理由ではないでしょうか。<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
一 窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく<o:p></o:p>
北へ帰る旅人ひとり なみだ流れてやまず<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
二 建大一高旅高 追われ闇を旅ゆく<o:p></o:p>
汲めど酔わぬ恨みの苦杯 嗟嘆(ああ)ほすに由なし<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
三 富も名誉も恋も 遠き憧れの日の<o:p></o:p>
淡きのぞみはかなき心 恩愛我を去りぬ<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
四 我が身容るるにせまき 国を去らんとすれば<o:p></o:p>
せめて名残りの花の小枝 盡きぬ未練の色か<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
五 いまは黙して行かん なにをまた語るべき<o:p></o:p>
さらば祖国わがふるさとよ あすは異郷の旅路<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
宇田博は1922年に生まれ1995年に永眠しました。<o:p></o:p>
奉天一中を四修で出て一高を受験し失敗しましたが、大陸に戻って建国大学予科に入学、<o:p></o:p>
半年で退学して開校したばかりの旅順高等学校に入学しました。<o:p></o:p>
後に一高、東大文学部仏文を卒業して東京放送に入り、常務、監査役を歴任しました。<o:p></o:p>
北帰行 成立の背景は宇田博の著作、落陽の市街図(六法出版社1990年)、大連・旅順はいま(1992年 六法出版社)、誘蛾灯(2001年 朝日新聞社)などに詳述されており戦中戦後を苛烈な中国東北部(奉天、長春、旅順、大連)で暮らした自由人、宇田博が活写されています。宇田博は極めつきの自由人であり、体制に対する反骨行動もかなりのものでした。旅順高等学校の寮の娯楽室の壁に「生徒は一流、校舎は二流、校長、教師はみな三流」と落書したのはその一例でした。間もなく退学になったのも自然な成り行きでした。<o:p></o:p>
ブログ名を深山あかねと申します。
はじめて訪問させていただきました。
右遠俊郎著『海を渡った蝶』を読んで「北帰行」のことがもっと詳しく知りたいと思って調べていて夫が貴ブログにいきあたったと教えてくれました。目的がかなって、楽しく読ませていただきました。 御礼を申し上げます。