yoshのブログ

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徒然草 百六十七段

2022-08-04 06:20:12 | 文学
兼好法師の文には味わいがあります。「徒然草」百六十七段を次に記します。

一道(いちだう)に携はる人、あらぬ道のむしろにのぞみて「哀れ我が道ならましかば、かくよそに見侍(はべ)らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よにわろく覺ゆるなり。知らぬ道のうらやましく覺えば、「あなうらやまし。などか習はざりけむ」といひてありなん。我が智をとり出(いで)て人に争ふは、角(つの)あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙をかみ出だすたぐひなり。
人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは大きなる失なり。品(しな)の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくのとがあり。慎しみてこれを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消(け)たれ、禍(わざはひ)をも招くは、ただこの慢心なり。
一道にも誠に長じぬる人は、みづから明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に物に伐(ほこ)る事なし。

慢心をいましめる文と思われます。

     「方丈記 徒然草」 日本古典文學大系 岩波書店
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