日本の資本主義の父といわれる渋沢栄一は非凡な人物ですが、普通の人と変わらない常識人でもありました。以下に、渋沢が唱えた常識を記します。
およそ人として社会で生きていくとき、常識はどんな地位にいても必要であり、なくてはならないものである。では、常識とはどのようなものなのだろう。わたしは、次のように解釈する。
まず、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ、常識なのだ。これは学術的に解釈すれば、
「智、情、意(知恵、情愛、意志)」の三つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える。さらに言葉を換えるなら、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に外ならない。 「論語と算盤」より
渋沢栄一が偉大なのは、私心が無いこと。行動のすべてが、世のため人のため国家のためであったからだと思います。なお渋沢栄一は、根本精神を「論語」に学んだという事です。
渋沢栄一 「論語と算盤」ちくま新書
およそ人として社会で生きていくとき、常識はどんな地位にいても必要であり、なくてはならないものである。では、常識とはどのようなものなのだろう。わたしは、次のように解釈する。
まず、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ、常識なのだ。これは学術的に解釈すれば、
「智、情、意(知恵、情愛、意志)」の三つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える。さらに言葉を換えるなら、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に外ならない。 「論語と算盤」より
渋沢栄一が偉大なのは、私心が無いこと。行動のすべてが、世のため人のため国家のためであったからだと思います。なお渋沢栄一は、根本精神を「論語」に学んだという事です。
渋沢栄一 「論語と算盤」ちくま新書