紀元前5世紀にインドで生まれた仏教が、周辺に広まって行った幾筋もの道の中で、中央アジアからシルクロードを経て、中国から日本に伝わった道がありました。この道に沿って多くの仏教遺跡が築かれましたが、巨大な仏像、大仏もその一つです。
アフガニスタンのバーミヤンの断崖を利用して3~8世紀に高さ53mもの巨大な摩崖仏が作られました。(しかしこれらは惜しくも2001年にイスラム教徒の暴挙により破壊されました。)やがてタクラマカン砂漠の敦煌、莫高窟などに弥勒大仏(写真)などの仏教遺跡を残しつつ、唐代の中国にまで広まり、楽山・雲崗・大同・龍門の大仏群が造営されました。四川省楽山にある弥勒菩薩の摩崖仏は高さが71mもあり、世界最大の仏像と言われています。大仏造立の流れは海を渡って我が国にまで至りましたが、奈良の東大寺の大仏は、東の終着点に開いた大輪の花と言えるでしょう。この毘盧舎那仏は鎮護国家の象徴として、奈良時代743年の聖武天皇の勅願によって造立が開始され、当時の日本の人口約500万人の半分の延べ260万人の民衆の力が結集され、12年の歳月をかけて完成したものです。その後、幾たびも戦火に遭いましたが、その都度、信仰の篤い人々によって改修されて現在に至っています。インドから奈良まで約7500kmもありますが、信仰の力により大仏はこの道をはるばる伝わってきました。壮大な仏教の道でした。
アフガニスタンのバーミヤンの断崖を利用して3~8世紀に高さ53mもの巨大な摩崖仏が作られました。(しかしこれらは惜しくも2001年にイスラム教徒の暴挙により破壊されました。)やがてタクラマカン砂漠の敦煌、莫高窟などに弥勒大仏(写真)などの仏教遺跡を残しつつ、唐代の中国にまで広まり、楽山・雲崗・大同・龍門の大仏群が造営されました。四川省楽山にある弥勒菩薩の摩崖仏は高さが71mもあり、世界最大の仏像と言われています。大仏造立の流れは海を渡って我が国にまで至りましたが、奈良の東大寺の大仏は、東の終着点に開いた大輪の花と言えるでしょう。この毘盧舎那仏は鎮護国家の象徴として、奈良時代743年の聖武天皇の勅願によって造立が開始され、当時の日本の人口約500万人の半分の延べ260万人の民衆の力が結集され、12年の歳月をかけて完成したものです。その後、幾たびも戦火に遭いましたが、その都度、信仰の篤い人々によって改修されて現在に至っています。インドから奈良まで約7500kmもありますが、信仰の力により大仏はこの道をはるばる伝わってきました。壮大な仏教の道でした。