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yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

ギャンブラーの誤謬

2025-07-10 06:16:24 | 文化
丁半・賭博などの賭け事は、原理的には確率計算により説明できるはずですが、人間は、勝負の流れや、表現の仕方や「思いこみ」に惑わされます。
コインを投げる時、表が出ると○と表現し、裏が出ると●と表現するとします。○が出る確率と裏が出る確率は同じと仮定します。(各々0.5)
さて、問題です。
5回コインを投げた時、次のAとBと、どちらの確率が高いでしょうか。
A. ○○○○○
B. ○●●○●

多くの人はBと答えがちですが、AとBの確率は同じで0.5の5乗 0.03125 です。
では、Aとなった後、6回目に●が出るか○が出るか、どちらになりやすいでしょうか。
多くの人が●と答えがちですが、●と○の出る確率は同じで0.5です。これが「ギャンブラーの誤謬」と呼ばれるものです。
 次の質問にはどう考えますか。2枚の宝くじがあってどちらかをあげると言われたら、どちらの番号を選びますか。
A. 111111
B. 168372
多くの人がBを選びがちですが、当たる確率は」AもBも同じです。「Bが当たりそう」と
思うのは心理的な理由によるものです。人間は数学的な確率とは別の規準により判断を下しているようです。
 読者の皆様はどちらの医師に手術をしてもらいたいですか。
A. これまで1000人の手術」をしているが、950人が5年以上生存している。
B. これまで1000人の手術」をしているが、50人が5年未満で死亡している。

表現に左右されて医師Aを選ぶ人が多いそうですが、AとBはまったく同じことを
言っています。
天気予報などは、受け取る側の主観や願望により、趣旨が誤って伝わることが多いそうです。災害予報の表現には、配慮が特に必要とされるとのことです。
 「土曜日までは雨は降らないでしょう」という」という天気予報があったとします。これには、「土曜日になったら雨が降る」という解釈と「日曜日になったら雨が降る」という解釈があります。日照り続きで早く雨が降って欲しいと願う農家の人は、「土曜日に雨が降る」
と考えるでしょう。一方、土曜日の遠足を楽しみにしている小学生は、「土曜日に雨が降らない」と考えるでしょう。自分の期待が情報の受け止め方に影響するのです。
 
邑本 俊亮 「災害と人間: 認知心理学の視点から」 U7 Vol. 53
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ギャンブラーの誤謬

2025-07-01 06:25:15 | 文化
丁半・賭博などの賭け事は、原理的には確率計算により説明できるはずですが、人間は、勝負の流れや、表現の仕方や「思いこみ」に惑わされます。
コインを投げる時、表が出ると○と表現し、裏が出ると●と表現するとします。○が出る確率と裏が出る確率は同じと仮定します。(各々0.5)
さて、問題です。
5回コインを投げた時、次のAとBと、どちらの確率が高いでしょうか。
A. ○○○○○
B. ○●●○●

多くの人はBと答えがちですが、AとBの確率は同じで0.5の5乗 0.03125 です。
では、Aとなった後、6回目に●が出るか○が出るか、どちらになりやすいでしょうか。
多くの人が●と答えがちですが、●と○の出る確率は同じで0.5です。これが「ギャンブラーの誤謬」と呼ばれるものです。
 次の質問にはどう考えますか。2枚の宝くじがあってどちらかをあげると言われたら、どちらの番号を選びますか。
A. 111111
B. 168372
多くの人がBを選びがちですが、当たる確率は」AもBも同じです。「Bが当たりそう」と
思うのは心理的な理由によるものです。人間は数学的な確率とは別の規準により判断を下しているようです。
 読者の皆様はどちらの医師に手術をしてもらいたいですか。
A. これまで1000人の手術」をしているが、950人が5年以上生存している。
B. これまで1000人の手術」をしているが、50人が5年未満で死亡している。

表現に左右されて医師Aを選ぶ人が多いそうですが、AとBはまったく同じことを
言っています。
天気予報などは、受け取る側の主観や願望により、趣旨が誤って伝わることが多いそうです。災害予報の表現には、配慮が特に必要とされるとのことです。
 「土曜日までは雨は降らないでしょう」という」という天気予報があったとします。これには、「土曜日になったら雨が降る」という解釈と「日曜日になったら雨が降る」という解釈があります。日照り続きで早く雨が降って欲しいと願う農家の人は、「土曜日に雨が降る」
と考えるでしょう。一方、土曜日の遠足を楽しみにしている小学生は、「土曜日に雨が降らない」と考えるでしょう。自分の期待が情報の受け止め方に影響するのです。
 
邑本 俊亮 「災害と人間: 認知心理学の視点から」 U7 Vol. 53
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「反捕鯨」是か非か

2025-06-25 06:22:06 | 文化
既に、以前より広く議論されて来たことかも知れませんが、私には「反捕鯨」という主張に合理性があるとは思えません。

反捕鯨を主張する国は欧米諸国、オーストラリア、ニュージーランドなど49ケ国です。
一方、捕鯨支持国は日本、ノルウェー、アイスランドなど39ケ国です。

捕鯨支持国は数で劣勢ですし、支持国の中心となっている日本も国際会議では発信力が少ないように見受けられます。

反捕鯨国の欧米では、牛や豚を屠殺して食用にしています。同じほ乳類の鯨を捕るのがいけないというのは首尾が一貫していません。近年は、動物の食肉化・工程が分業しているので一般の人が屠殺現場を目撃する機会が少ないし、食肉店に行くと誰でも、牛や豚の肉を労せずして購入することができます。
 一方、鯨の場合は、鯨が大型・重量であるため、海上または捕鯨船上で鯨の屠殺を行わざるを得ません。この現場を見る機会のある人は、動物に残酷な仕打ちをしていると思うかも知れません。しかし牛や豚や羊を殺すのは容認されて、鯨を殺すのは認めないというのは、一方的な言い分ではないでしょうか。

反捕鯨の急先鋒であるオーストラリアも、かつては捕鯨を行って、鯨油を利用したという歴史があるそうです。近年は、オーストラリアやニュージーランドの周辺の海域に、多くの日本の捕鯨船が出動したので鯨を大量に捕られるのが気に入らないのでしょうか。

日本は欧米人が牛を食べる習慣やこうした食文化を批判してはいないと思います。一方、日本人は古来、鯨を食べる習慣があり、捕鯨により生計をたてている人がいます。
世界各地の多様な食文化、多様な価値観を、他国が一方的に否定するのは公平を欠くのではないでしょうか。

それに、地球上には鯨が増加し過ぎて、大量の魚を食べるので、魚の生存にとって鯨の存在は脅威となっているとも聞きます。鯨が絶滅危惧種にならないように節度のある捕鯨をすることは可能です。調査捕鯨の量云々を議論する以前に、「反捕鯨には合理性が無い」という主張を何故、日本がしないのか、私には疑問に思えます。
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THE LONGEST DAY

2025-06-19 06:26:08 | 文化
「THE LONGEST DAY, 最も長い日」とは、第2次世界大戦において連合軍の英米軍が、欧州戦線においてフランスのノルマンジ-海岸に上陸し、独軍に対する反攻を開始した日、即ち1944年6月6日のことです。アメリカを代表する映画制作会社、20世紀FOX社が社運をかけて制作した映画の題名です。43億円の巨費を投じ、ジョン・ウェイン、ヘンり-・フォンダ、ロバ-トミッチャム等、英米の有名俳優総出演という豪華版でした。邦題は20世紀FOX社の日本支社の広報を務めていた故・水野晴郎氏が「史上最大の作戦」と命名しました。戦争という文字を使うことなく、大作映画を予感させる優れたタイトルでした。興業も大成功であったということです。邦題の傑作といえば、「How Green was my valley」や「Gone with the wind」 に、「我が谷は緑なりき」「風とともに去りぬ」という邦題を命名したのも、秀れセンスを感じます。さて、日本にも「日本のいちばん長い日」があります。太平洋戦争の終戦の日、1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送に至る一日を描いたドラマであり、書籍も映画もあります。タイトルの選定にも納得です。作者の半藤一利氏の苦心の産物ともいえます。









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WASP

2025-06-16 06:31:13 | 文化
WASPは「筋目のアメリカ人」のことです。1620年にメイフラワー号でイギリスからアメリカに渡った人々。White Anglo Saxon Protestantの頭文字を取っています。
以下は司馬遼太郎の「アメリカ素描」からの引用です。

WASPはある程度は日本の外来語の仲間に入っているだろう。筋目のアメリカ人のことである。ワスプなどという語はいやらしい選民意識だという感覚がアメリカ社会にもあるらしく、
いまでは川の本流、支流になぞらえてmainstreamといったりするそうである。
 征服者だったスペイン人をのぞくと、移民として最初にこの大陸にきて、農場や牧場をつくり、法と慣習をつくったのが、ワスプだったから、新入りの諸民族が、先住のひとびとのやり方に従わざるをえず、従わぬまでも規準にせざるをえない。
 しかし、時とともにワスプの輪郭もぼやけてくる。第三十五代大統領J・ケネディの家系はアイルランド系で、カトリックだから、初期的定義でのワスプではない。生前、ケネディの印象が、大統領という以上にミスター・アメリカだったというところに、多様な人種をかかえたアメリカ社会における一段階の成熟がみられたといっていい。連合王国(英国)ではアングロ・サクソンとのあいだに区別のあるスコットランド人は大西洋を越えた途端にワスプになった。だからスコットランド系のマッカーサー元帥はワスプである。アイルランド系の新教徒もまたアメリカにくるとワスプになった。カーター前大統領がそうであるように。ドイツ系やオランダ系、あるいはスカンジナビア系も新教徒もその仲間に入れられた。
 
 白人は、このように扱われますが、黒人や有色人種は、簡単には仲間に入れてもらえないかも知れません。それは、オーストラリアやニュージーランドにおいても同じではないかと思われます。
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「ボ-ッ」と生きている

2025-06-13 07:03:14 | 文化
NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」で大人が答に窮すると5歳の女児のチコちゃんに「ボ-ッと生きてんじゃね-よ」と一喝されます。「こんな基本もわきまえずに生きてきたのか」と、チコちゃんは詰(なじ)っているのでしょう。
「ボ-ッ」は注意散漫なこと。しかし、予期せぬ事態にしかと対応できるよう、あえてふわっと身を漂わせておくのも、時には大事かも知れません。
ところで「ボ-ッ」と生きているんじゃね-よ」は、英語では何と言うのでしょうか。「ボ-ッ」と生きている私には、よく分からないので、ネットで調べてみました。

So much for fooling around
Don’t sleep through life
You had better wake up

fooling around(ぶらつく)や、「ボ-っと生きている」=「眠っている」とする英語の表現には、いまいち ピンと来ないところがあります。
それにしても、スマホをいじりながらボオ-っと歩いていたりする人は迷惑です。



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「情報が錯綜」に違和感

2025-06-03 07:06:37 | 文化
日本人10人が犠牲になった「アルジェリア人質事件」の報道において、「情報が錯綜」という言葉がよく言われました。「錯綜」という言葉の意味は、「複雑に入りくむこと。入りまじること」です。アルジェリア発の情報は不確実で入りくんでいたであろうことは事実なのでしょう。複数の情報発信者があり、異なる情報がたくさん出ており、その上、軍による情報統制が厳しく行われていたようです。
しかし、テレビ局などのメディアや政府発表における「錯綜」という言葉を聞いて、私は強い違和感を持ちました。メディアや政府機関には、国民(視聴者)に正しい情報を迅速に公表し、伝える義務があると思っています。以下、偉そうな発言をお許し願えれば。
情報を発表する当事者は、情報を集め、分析して、内容を確認して発表するのが任務のはずです。その当局が「情報が錯綜して分からない」と言うのは、自身の無策、無力を公言し、悪いのは、あたかも、他人(アルジェリア側)だと、言っているのと同じ様に聞こえます。
発表はもっと謙虚に客観的に行うべきではないかと思います。すなわち、「現時点では、確実な情報をつかんでおりません。引き続き情報収集に努力しているので、わかり次第発表します」とするべきではないでしょうか。
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5S

2025-05-13 06:12:55 | 文化
我が家に工務店が入り、家の保全、修繕作業などをやってもらっておりますが、工務点が立てている看板に、4Sと言う標語が書いてありました。「整理、整頓、清潔、清掃」を徹底するという意味のようです。そこで会社に勤めていた頃を思い出しました。会社では5S活動をしていました。すなわち、「整理、整頓、清潔、清掃、躾け」のことでした。5S活動では、毎週決まった時間に全員で職場とその周辺の清掃と塵拾いをしました。身の周りの5Sは大切なことだと思います。なお5Sに「しっかり」と「しつこく」を加えて7S活動を実施している会社もあるということです。
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奈良の宿 日吉館

2025-05-04 06:33:28 | 文化
「日吉館」は奈良の有名な宿です。奈良国立博物館の北側、東大寺の南西の一等地にありました。創業は1914年と古く、多くの学者、学生を格安の料金で泊めてきましたが、老朽化したため1995年に廃業し、三年後に名物女将、田村ヨシノさんが他界したこともあり、去る6月22日から取り壊されました。
宿帳に残る著名人は会津八一、久松潜一、和辻哲郎、志賀直哉、広津和郎、堀辰雄、亀井勝一郎、小林秀雄、水原秋桜子、平山郁夫、土門拳など際限がありません。戦前、戦中、戦後を通じて日本の文化と学問を支えてきた人々が、奈良に日本古来の文化や芸術の根源を探ろうとした時、「日吉館」を宿にしてきました。そして彼等の薫陶を受けた弟子、学生達もここに泊りました。採算などにこだわらない女将が、低料金で運営しており、早寝、早起きを客にも励行させ、テレビは学究の徒には要らないという主義を貫いた質素な宿でしたが、夕食にはしばしば肉がふんだんに入ったスキヤキが振舞われました。
玄関には会津八一が「旅舎 日吉館」と揮毫した堂々たる看板がありました。また平山郁夫(元 芸大学長)の絵の原点は奈良であると言われ、ここから中国、シルクロードを経て中央アジアにまで伸びて行っています。氏は「日吉館」を最後まで見つめ続けていました。

  さて、新薬師寺は「日吉館」の位置よりやや山側の、高畑という所にあり
ます。ここを亀井勝一郎は「高畑の道」という文で次のように描写していま
す。

新薬師寺を訪れた人は、途中の高畑の道に一度は必ず心ひかれるにちがいない。はじめて通った日の印象は、いまなお私の心に一幅の絵のごとく止まっている。山奥へ通ずるそのゆるやかな登り道は、両側の民家もしずかに古さび、崩れた築地に蔦葛のからみついている荒廃の様が一種の情趣を添えている。古都の余香がほのかに漂っている感じであった。

  昔「日吉館」を識らなかった私は、この高畑の道のほとりにあった奈良学
芸大(現 奈良教育大学)の桜寮に只同然の料金で泊めてもらい、連日、奈
良、大和路を歩き回りました。この寮は若草山に隣接して建っていましたの
で、朝方には庭に鹿がやってくる、まことにのどかな旅舎でした。
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対人関係13の過失 

2025-05-01 06:54:37 | 文化
アメリカの海軍における話題です。良い人間関係を築いて維持するための要件として「合衆国沿岸警備他隊マガジン」という雑誌に人間関係における「マイナスの指針」すなわち、やってはならないことを「13の過失」として列挙して発表しています。これらは、海軍におけるリーダーの育成という観点から書かれていますが、海軍士官のみではなく一般社会においても注意すべきことのように思われます。

(1) 自分勝手な善意の基準を設けようとすること
(2) 他人の楽しみを自分自身の物差しで測ろうとすること
(3) 世間の意見が画一的であるように期待すること
(4) 相手の経験の無さを酌量しないこと
(5) すべての気質を同じ型に作りあげようとすること
(6) 重要でない些細なことについて譲歩しないこと
(7) 自分自身の行動に完璧を求めること
(8) つまらぬことで、自分自身や他人についてくよくよと思い悩むこと
(9) 人を助けることができるのに助けないこと
(10) 自分自身が実行できないことを、誰がやっても不可能と考えること
(11) 自分の心でとらえうるものだけしか信じないこと
(12) 他人の弱点を斟酌しないこと
(13) 内部の質的基準でなく、外部の質的基準で人を評価すること

これらは、謙虚であり、かつ、相手を尊重して思いやることが基本精神のようです。国境と時代を越えて、また海軍という分野を越えて、現代の日本の一般社会においても良い人間関係を作る上で参考になる指針ではないかと思われます。

徳川宗英(とくがわむねふさ)著『江田島海軍兵学校 究極の人間教育』講談社
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