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yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

蛍の光 窓の雪

2024-11-23 06:31:25 | 文学
蛍の光 窓の雪
書(ふみ)よむ月日重ねつつ
いつしか年もすぎの戸を
あけてぞ今朝(けさ)は別れゆく

一、 とまるも行くも限りとて
かたみに思ふ千(ち)よろづの
心のはしをひとことに
さきくとばかり歌(うた)ふなり

「蛍の光」は別れの歌として誰でも知っている歌で、このメロディーは世界に広く普及しているように思われます。原曲はスコットランドで生まれました。この曲は明治初年に伊沢修二によって日本に紹介され、「小学唱歌集」の中に採り入れられました。「蛍の光、窓の雪」の歌詞を創ったのは国文学者の稲垣千頴(いながき・ちかい)でした。
 中国の史書「晋書車胤伝」によれば、官吏を志す車胤と孫康という二人の青年がいましたが、夜、本を読むために必要な灯の油を買うことができないほど貧乏でした。車胤は数十匹の蛍を集めて絹の袋に入れて灯とし、孫康は窓辺に雪を積みあげてこの雪の明かりで本を読んだと言うことです。この故事から、苦労して勉学に励んで志を果たすことを「蛍雪の功」と言います。日本語の歌はこれを引用しており、卒業式などの別れの時には決まって唱われてきました。

さて、この歌の原曲の生まれたスコットランドは、歴史上、多くの偉大な人物を生んできました。その中から一人だけ挙げよとスコットランド人に聞けば、躊躇することなくロバート・バーンズ(1756-1796)が選ばれるそうです。ロバート・バーンズはこの国では誰にも敬愛される詩人です。バーンズは単に詩人というにとどまらず、人々に勇気を与え、祖国への愛情をかき立たせてくれる偉大な存在です。これはバーンズの生誕を祝う「バーンズ・ナイト」と言う行事が今でも盛んに行われていることからも窺えます。この行事はバーンズの誕生日の1月25日前後に行われ、スコットランド国内にとどまらず、世界中どこでもスコットランド人のいる所ではスコッチウィスキーを飲みながらバーンズを讃え、最後に全員で「オールド・ラング・ザイン」を合唱する事になっています。なお「Auld Lang Syne」は「遠き昔」と題されたバーンズの詩です。
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 安倍仲麻呂 李白

2024-11-20 06:41:39 | 文学
李白が阿倍仲麻呂を悼んで賦した七言絶句です。

哭晁卿衡

日本晁卿辞帝都
征帆一片翹蓬壺
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧


晁卿衡ヲ哭ス

日本ノ晁卿 帝都ヲ辞シ
征帆一片 蓬壺ヲ翹(めぐ)ル
明月帰ラズ 碧海ニ沈ミ
白雲愁色 蒼梧ニ満ツ



「訳」

わが友、日本の晁衡どのは、都長安に別れを告げ、一艘の帆かけ船に乗って、遠く東方の海上にある蓬莱の島を翹り去った。清らかな月のような晁衡どのは深い海に沈んで帰らぬ人となった。白い雲が憂いをおびて、蒼梧の山に広がっている。

晁衡(朝衡)は阿倍仲麻呂の中国名。遣唐使の随員として、吉備真備と共に唐に渡り、717年に長安に到着し、唐王朝に仕えて玄宗の厚遇を受けた。入唐後35年、56歳の時(753年)に、ようやく帰国を許され、蘇州から乗船したが嵐にあって難破、安南(ベトナム)に漂着した。それから再び長安にもどり、日本には帰らなかった。李白は、仲麻呂の遭難を知って、仲麻呂が死んだ(誤報)と思いこの詩を作ったという。王維も晁衡の帰国の宴で五言古詩を贈っている。
なお「小倉百人一首」に収められている仲麻呂の歌、
 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
にあたる仲麻呂の漢詩「望郷詩」は西安の興慶公園に記念碑となって刻まれている。
  
望郷詩

翹首望東天
神馳奈良辺
三笠山頂上
想又皎月円


首(こうべ)を翹(あ)げて東天を望み
神(こころ)を馳す 奈良の辺り
三笠 山頂の上
想うに又た皎月(こうげつ)は円(まどか)ならん

という優れた漢詩です。
皎月は白い月のことです。

はるか昔、奈良時代には、阿倍仲麻呂のように唐にわたり、玄宗皇帝に仕える官吏となって、皇帝の親任を得、李白や王維と親交を結んだ立派な文人がいたものです。

石川忠久 「漢詩紀行」日本放送出版協会
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   晴空 一鶴 雲を排して上る

2024-10-30 07:18:24 | 文学
中唐の詩人、劉禹錫(りゅう うしゃく)の七言絶句を紹介します。
秋詞
自古逢秋悲寂寥
我言秋日勝春朝
晴空一鶴排雲上
便引詩情到碧霄
 
      「詠み方」

秋詞
古ヨリ秋二逢ヘバ寂寥ヲ悲シム
我レ言フニ秋日ハ春朝ニ勝ル
晴空一鶴雲ヲ排シテ雲上リ
便チ詩情ヲ引キテ碧霄 ニ到ル
       「訳」
     昔から秋にめぐりあうと、その寂しい風情を悲しむもの。
     私がおもうに、秋の季節は春の季節にまさっている。
     晴天の日、一羽の鶴が、雲をおし開いて上りゆき、
たちまち詩情を引き、誘いながら蒼穹に達する。

 「鑑賞」
七言絶句。作者の劉禹錫は中唐の詩人。前半二句において戦国時代の楚の詩人

宗玉が著した『楚辞』「九弁(きゅうべん)」以来、秋は悲しいものだとする固定観念に異を唱え、秋は春にまさる季節だと、まず主張する。これを受け、後半二句において、秋の晴れた日、白鶴が白雲を突き抜けて、まっすぐ青天のかなたに上がってゆく爽快な情景を歌い、秋のすばらしさを具体的に浮き彫りにする。詩性にあふれ、ことに秀逸。晩年は白居易と親交を深めて、数多くの唱和詩を生み、「劉白」と並び称されました。

井波律子 「中国名詩集」 岩波書店



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「読む」考

2024-10-24 06:40:12 | 文学
「読む」という簡単な言葉。英訳はreadですが、日本語の「読む」にぴったり対応する英単語が直ぐに思い浮かびません。日本語の読むには独特の意味があると思います。
例えば下記のように使われます。

先を読む。
票を読む。(選挙の場合)
勝負の成り行き、結果を読む。
相手の出方を読む。
将棋の手を読む。

これらに見る「読む」の意味は「予測する」ということです。
読みが深い、甘いなどとも使います。

将棋のプロが手を読む場合、何手くらい読むのかには、興味があります。

トッププロは普通20ー30手、周辺の変化を含めると200-300手といわれます。
羽生名人:若い頃は、大局観に頼ることができなかったので、沢山読むしかなかった。
谷川九段: 沢山読むより、ある局面で形勢判断をすることが重要。
渡辺竜王: 状況により異なるが400-500手
藤井九段: 大抵の場合、1時間考えても1分考えても、結局は指し手は同じになる。
米長九段: 沢山読むことが重要なのではなく、いかに読む手を捨てるかが重要。

「予測する」に対応する英語は、ですが、どうもぴったりとは言えず、日本語の「読む」に相当する英単語には思い至りませんでした。
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 仙台育英高校 校歌

2024-10-09 08:28:01 | 文学
2022年(昨年)夏の甲子園の全国高校野球選手権大会 決勝戦で、8月22日に下関国際高校と仙台育英高校が戦い、8対1で仙台育英高校が勝利し、東北勢が史上初の栄冠に輝きました。深紅の優勝旗が白河の関を超えたのです。(写真 下)戊辰の敗北か ら150年ぶりの東軍の快挙に拍手します。
 
    甲子園に響いた仙台育英高校の校歌は加藤利吉(会津若松出身の高校創立者)が作詞しました。歌い出しは下記の通りです。

  南冥遥か天翔る鴻鵠棲みし青葉城、ああ松島や千賀の浦

「南冥」や「鴻鵠」という語から中国の故事を連想しました。
「南冥」の説明:「南冥」は南方の大海のことです。
「荘子 逍遙遊篇」より。

北冥ニ魚有リ 其ノ名ヲ鯤(こん)ト為ス、鯤ノ大イサ幾千里ナルヲ知ラズ。化シテ鳥ト為ル、其ノ名ヲ鵬ト為ス、鵬ノ背ノ幾千里ナルヲ知ラザルナリ、
怒(はげ)ンデ飛ブ。ソノ翼、垂天ノ雲ノ若シ、將ニ南冥ニ渉ラントス。南冥トハ天池ナリ。


「鴻鵠」の説明:「史記、陳勝世家」が出典です。
「鴻」はオオトリ、「鵠」はクグイ(白鳥)をいい、ともに大きな鳥であるため、転じて
大人物の志をいいます。
中国、秦 (しん)代の武将で、後に楚(そ)王となった陳勝(陳渉)は年少のころ、家が
貧しかったため作男として働かなければならなかったのですが、つねに大望を捨てず
「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや」と自分の抱負を語り、嘆じた、
と伝える「史記」の故事があります。鴻鵠が燕雀を見下す語感もあります。逆境にあ
った照ノ富士関も鴻鵠の志を保って、横綱にまで上りました。


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老子 上篇 第二十四章

2024-10-06 06:33:51 | 文学
中国、紀元前5世紀、戦国時代の哲人、老子の書「老子 前編 第二十四章」を紹介します。

原文
企者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長。其在道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處。
書き下し文
企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見る者は明らかならず、自ら是(ぜ)とする者は彰(あら)われず。自ら伐(ほむ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。その道に在っては、余食贅行(よしょくぜいこう)と曰(い)う。物或いはこれを悪(にく)む、故に有る道の者は処(お)らず。
 訳
 つまさきで立つものは、立ち尽くすことができない。大股であるくものは、長くあるくことはできない。自分を見せびらかすものには、何もよく見えない。みずから是(ただ)しいとするものは、他人よりきわだって見えることはない。自分でほめるものは、何も成功しない。(した仕事を)誇りにするものは、長つづきしない。それらのものは「道」の立場からいうと、余分の料理や無用の付着物とよばれる。それらを生物はおそらく嫌い、斥けるであろう。だから「道」を有する人は、そんなところに長居はしないのだ。

         小川環樹 訳注 「老子」中公文庫




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 漢字 4文字で読む

2024-09-30 08:03:42 | 文学
テレビのクイズ番組を見ていましたら、新しいタイプの設問として、「漢字を平仮名4文字で読む」というものがありました。不肖にはかなり難解でしたが、いかがでしょうか。下に紹介します。答は末尾に書きました。なお、文語短歌などで使う雅語が多いようです。

問題

 鉄 銅 銀
 武 兵 士
 署 団 弁
 永 数 経
 尺 械 閂
 酣 熱 風
 胡 窟 駕
 対 遖 頑
 倒 篁 褌
 餞 某 閥
 蘭 蛇 獺
 雷 嘴 鬣
 牲 邪 俤
 柵 鎹 皇
 階 陵 叢
 
解答

 くろがね あかがね しろがね
  もののふ つわもの さむらい
  やくわり かたまり はなびら
  とこしえ しばしば たていと
  ものさし からくり かんぬき
  たけなわ ほとぼり ならわし
  でたらめ ほらあな のりもの
  つれあい あっぱれ かたくな
  さかさま たかむら ふんどし
  はなむけ それがし いえがら
  あららぎ くちなわ かわうそ
  いかずち くちばし たてがみ

  いけにえ よこしま おもかげ
  しがらみ かすがい すめらぎ
  きざはし みささぎ くさむら 

   
 

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月明らかに星稀に

2024-09-27 06:36:23 | 文学
1082年に成立した蘇軾の「前赤壁賦」の中ほどに「月明らかに星稀に」の句があります。
  客曰ク
  月明ラカニ星稀ニ
  烏鵲(うじゃく)南ニ飛ブトハ
  是レ曹孟徳(そうもうとく)ノ詩ニ非ズヤ
  西ノカタ夏口ヲ望ミ 東ノカタ武昌ヲ望メバ
山川相纏(まと)ヒ 鬱乎(うっこ)トシテ蒼蒼タリ
此レ孟徳ノ周郎ニ困(くる)シメラレシ者(ところ)ニ非ズヤ 
   
      「赤壁の戦」(208年)で、魏軍が呉軍に敗北した場面を述べています。
一方、「曹孟徳ノ詩」とは魏の武帝、曹孟徳の「短歌行」という詩のことです。この「短歌行」の中に、次のようにあります。

   月明星稀
   烏鵲南飛
   繞樹三匝
   何枝可依
   山不厭高
   海不厭深
   周公哺吐
   天下帰心

       「読み方」

   月明ラカニ星稀ニ
   烏鵲(うじゃく)南ニ飛ブ
   樹(き)ヲ繞(めぐ)ルコト三匝(さんそう)
   何(いず)レノ枝ニカ依ルベキ
   山 高キヲ厭ハズ
   海 深キヲ厭ハズ
   周公 哺(ほ)ヲ吐キ
   天下 心ヲ帰ス

   「訳」
  月が明るく輝いて星影が薄れるころ、烏鵲(かささぎ)は南をさして飛んでゆく。高い木のまわりを三度もめぐり、止まるべき枝をさがしている。山はいくら高くなっても厭わないし、海は水がいくら深くなってもかまわない。いにしえの周公は一食に三回も食べかけの物を吐き出す熱心さで賢才に接したからこそ、天下の人びとの心が彼につき従ったのである。
曹操もそれを羨んだのです。

       石川忠久 「NHK漢詩紀行 三」NHK出版



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徒然草 百六十七段

2024-08-08 06:18:51 | 文学
兼好法師の文には味わいがあります。「徒然草」百六十七段を次に記します。

一道(いちだう)に携はる人、あらぬ道のむしろにのぞみて「哀れ我が道ならましかば、かくよそに見侍(はべ)らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よにわろく覺ゆるなり。知らぬ道のうらやましく覺えば、「あなうらやまし。などか習はざりけむ」といひてありなん。我が智をとり出(いで)て人に争ふは、角(つの)あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙をかみ出だすたぐひなり。
人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは大きなる失なり。品(しな)の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先ても、人にまされりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくのとがあり。慎しみてこれを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消(け)たれ、禍(わざはひ)をも招くは、ただこの慢心なり。
一道にも誠に長じぬる人は、みづから明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に物に伐(ほこ)る事なし。

慢心をいましめる文と思われます。

     「方丈記 徒然草」 日本古典文學大系 岩波書店
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漢語の意味、日本と中国では異なる

2024-07-18 06:28:11 | 文学
漢詩には、通常、漢語が使われますが、字面が同じであっても、日本と中国では意味が異なります。無論、漢詩における漢語の意味は中国流であり、日本流に読み替えてはいけません。
 
     故人  中国では、旧友
         日本では、亡くなった人
     城   中国では、都市や町
         日本では、お城やとりで
  多少  中国では、「多い」の意味
      日本では、「少ない」の意味
  人間(ジンカン)  中国では、俗世間のこと
            日本では、ひと
  遠慮   中国では、深い考え
       日本では、控えめにする
  野望   中国では、「野面をながめる」の意味
       日本では、「大それた望み」
  大人(タイジン)  中国では、徳のある人
            日本では、おとなや成人
  夢中   中国では、夢のなか
       日本では、熱中するさま
  仰天   中国では、天をあおいで嘆息する
       日本では、びっくりする
  偲    中国では、強い、忠告しあう
       日本では、しのぶ
  同情   中国では、同じ思いをもつ
       日本では、おもいやり
  無念   中国では、何も考えないこと
       日本では、「残念」の意味
  外人   中国では、仲間以外の人
       日本では、外国人
  器量   中国では、才能と度量
       日本では、見目や顔かたち
  学者   中国では、学ぶ途中の人
       日本では、学問にすぐれた人
   王維の詩 「西のかた陽関を出づれば故人無からん。」
   李白の詩 「春風 洛城に満つ」
   孟浩然の詩 「花落つること知る多少」

三村公二 「學士會報 No.954」 2022
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