山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第88回>

2018-08-21 04:45:16 | くるま旅くらしの話

【今日(8/21:火)の予定】 

クッチャロ湖キャンプ場 →(D・R238)→ 稚内市開基百年記念塔・北方記念館 →(R238他)→ 宗谷ふれあいキャンプ場(泊)

 

【昨日(8/20:月)のレポート】 天気:晴れ、終日強風が吹きまくる

<行程>

終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在

<レポート>

 今日も終日の静養日で、グータラに過ごす。従って特に書くこともない。書くとすれば何といっても高校野球の準決勝2試合のことくらいだろう。特に第1試合の西東京代表日大三高と秋田代表金足農業高校の試合は息をのむ投手戦で、ついに金足農業高校が試合をモノにして決勝に進むことになった。期待通りの活躍に、日大三高ファンの方には申しわけないけど、まんぞく満足である。第2試合は負けて欲しかった大阪代表桐蔭高校が無事に愛媛代表の済美高校を破ってこれ又決勝戦にコマを進めた。さすがだと褒めなければなるまい。さあ、いよいよ明日は決勝戦。勿論高校球史場初の農業高校が頂点を極める瞬間を期待するだけである。監督さんも選手の皆さんも、妙な欲をかかないで無心に全力を発揮して貰いたい。ただそれだけである。

 さて、今日はそれだけで終わりにすると楽なのだが、ここで今年も1週間お世話になっているクッチャロ湖キャンプ場のある浜頓別町のことを紹介させて頂きたい。勿論これは自分自身の受け止めている印象に基づくものである。

 浜頓別町は北海道宗谷郡に属する、オホーツク海に面する町である。南は枝幸町と中頓別町に隣接し、北は猿払村、そして西は幌延町に隣接している。面積は401.6㎢というから、自分の住む茨城県守谷市の凡そ11倍くらいの広さである。茨城県では一番面積の小さな守谷市はたった37㎢足らずなのである。かなり広いというべきなのだろうけど、北海道の自治体の中では平均的な広さなのであろう。現在の人口(2015年)は3,881人という。守谷市の66,598人(2018年)と比べると、密度の差に驚かされるだけである。

 この町は大正5年に枝幸町から分村して頓別村となった。そしてその5年後の大正10年に中頓別村を分村して浜頓別村となった。そして戦後の昭和26年に町政を施行したとのことである。

 現在の産業の中心は漁業と酪農となっている。漁業の中心である頓別エリアは直ぐにそれと気づくのだが、酪農の姿は町の中心部を見ている限りどこに牧場などがあるのか気づきにくい。山間部の牧場を訪れたことがあまりないので、そのような印象を受けるのであろう。

 この町の名所といえば、何といってもクッチャロ湖とベニヤ原生花園、それに頓別川水系ウソタンナイの砂金採りというところか。クッチャロ湖一周27km、面積が約13.7㎡の海跡湖であり、水鳥、渡り鳥の飛来することで、ラムサール条約に登録されている。まだ見たことは無いけど、冬にはたくさんのコハクチョウなどが飛来することで有名だ。ベニヤ原生花園は、これからの季節はリンドウやサワギキョウ等が咲く広大な原生花園なのだが、最近は熊が出没しているとのことで、うっかり探索するのは危険なようだ。それから砂金採りは、明治の一時まさに一攫千金を夢見る人たちでゴールドラッシュを呈したことがあったが、この種の人の集中は定住して村を形成するには至らず、開拓等が始まるのは明治も遅くなってからということになる。先ずは漁業から始まって、次は林業、そして農業へと移行発展してゆくのが北海道の開拓の一つのパターンとなっているようだ。

クッチャロ湖の景観。キャンプ場はこの湖の東側に位置しており、この正面が西側となるのだが、湖面に夕陽が映って見事な景観となる。

 現在の浜頓別町は、外見はとてもリッチに見える。立派な町役場の庁舎は守谷市を凌いでいるし、多目的アリーナと称する建物は守谷市の有する体育館を遥かに上回った規模である。その他にも使われていない体育館がもう一つあったり、野球場も整備されているし、勿論パークゴルフ場も備わっている。運動文化施設は守谷市などの遠く及ぶところではない。そして現在役場近くに交流センターというのが建設中である。これは道の駅を兼ねていると聞いている。

浜頓別町役場庁舎。重厚な建物はこの町では際立って貫録ある存在だ。

多目的アリーナの建物。何種類ものスポーツ競技を楽しむことができる立派な施設である。

 これらの箱ものを羨ましいと思う反面、その利用度のことを考えると、気の毒にもなる。65千人の守谷市民ならこれらの施設をフルに活用できるのに、5千人足らずの町民では、宝の持ち腐れとなることは明らかだ。このようなアンバランスは、何も浜頓別町に限ったことではなく、北海道を旅していると、どこにでも見られる景色であり現象である。

国として何かが少しねじれているのではないか。町民の使いきれない施設を造るのはもうそろそろ止めにして、国全体で国民の誰でもが利用できる施設を造るべきではないか。これは地方行政に求めるものではなく、国としての、国家行政に望むことである。例えば、くるま旅をしている立場からは、安価な料金で安心・安全な旅ができるような簡易モータープール(電気・トイレ・給排水・ゴミ処理などが可能な)等を、くるま旅のインフラと考えて用意すべきではないか。現行のままではくるま旅をする人の増加に連れて、道の駅やSA、PAなどでのトラブルが多発することになる。外国からの観光客が車を使って旅をするようになったら、この問題は一層深刻になるに違いない。観光立国を唱えるならば、このような一面を視野に入れた国としての取り組みが不可欠となるのではないか。少し脱線したけど、北海道を訪ねる度に思わずにはいられない感慨である。

今朝も町の中心街にあるアメニティ公園というのを歩いた。早朝の6時頃では歩いている人は皆無である。広大な公園の中には幾つも遊歩道が造られていて、自分はその中で小さな川辺と小さな森の中に造られた小径を歩くのが好きだ。キャンプ場から公園までは20分ほど歩かなければならないのだが、そこまで行く途中も、そして公園の中の小径も十二分に楽しい。しかし、日中にその辺りを通っても歩いている人を見かけたことがない。心なしか、川辺の道は雑草たちがのさばり出して、荒れ気味となっている感じがした。こんなに恵まれているのに、それを感じさせない行政の在り方を再検討すべきではないか、などと再び余計なお世話の思いが浮かび上がって来た。

アメニティ公園の中にある木立の散歩道。1年を通していったい何人がこの道の歩きを楽しむのだろうか。まだ、自分以外の人を見たことがない。

「ふれあい」とか「交流」とかいう言葉は北海道の至る所の箱ものにつけられている常套句の様である。けれどもそれが実現できている所は極めて少ないようだ。何がそうしているのか。一つは安易な箱もの行政であり、もう一つはふれあいや交流のノウハウ、ソフトウエアの欠如であろう。自分がもう少し若かったら、この北の大地にはビジネスチャンスが一杯あるなあと、そう思うのだが、真老にはもはや関寛齋のような気力も活力もない。

 ※関寛齋については陸別町の関寛齋資料館を訪ねられたい。72歳にして十勝の山奥の陸別町の開拓に取り組んだ人物である。

  一つ追加しなければならないことがある。夕刻になって嬉しい出来事があった。地元の若い漁師のご夫妻が見えられて、なんとホタテの貝柱と、貝殻に入った調理住みのホタテを頂戴したのである。一昨日このご夫妻は家族でここへキャンプに来ておられたのだが、その時邦子どのが声をかけたのか、かけられたのか、話が通じあったらしく、今日ホタテを持ってくるという話があったと聞いていたのだが、今日は朝から10m近くの強風が吹き通しだったので、これではとても漁には出られまいと思って、諦めて?いたのだが、それがキチンと約束を守ってお出でになったのだった。この町の地元の方の誠実さというのか、それをみた感じがした。貝柱の刺身は甘くしっかりした味がして、直ちに終わりかけていた晩酌をもう一杯追加することとなった。美味かった。嬉しかった。ありがたかった。今日は実にい一日だった。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第87回>

2018-08-20 05:16:39 | くるま旅くらしの話

【今日(8/20:月)の予定】 

終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在(最終日)

 

【昨日(8/19:日)のレポート】 天気:晴れ、風強し

<行程>

終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在

<レポート>

 今日のブログは休みとします。昨日は全くの静養日で、歩いて、風呂に入って、飲んで、寝て、ただそれだけの一日でした。静養とはこのような状況を言うのかなと思いながら、過ごした一日でした。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第86回>

2018-08-19 06:09:50 | くるま旅くらしの話

【今日(8/19:日)の予定】 

 終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在

 

【昨日(8/18:土)のレポート】 天気:晴れなれど雲多し

<行程>

終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在(泊)

<レポート>

 この4日間は静養のつもりでいるので、何もせず湖畔のキャンプ場で終日のんびり過ごすだけ。従って、特に書くこともなし。書くとすれば高校野球のTV観戦記くらいか。ちょっと書いて見よう。

 今日はベストエイトが揃って、準決勝に進む4チームが対戦するという最も面白い一日である。自分の今日の関心は第1戦の浦和学院高校と大阪桐蔭高校との一戦。そしてもう一つは金足農業高校と近江高校との1戦である。最初の方は何といっても打倒大阪松陰高校を浦和学院高校に期待したいということであり、もう一つは金足農業高校に是非とも買って欲しいという願いがあるからなのである。その理由といえば、大阪桐蔭高校にすんなり2回もの春夏頂点を極めさせるなどということは、関東の者にとってはあってはならないことであり、金足農業高校にはこの国がかつて農業立国から始まっていることを、ぜひとも全国民に分からせ、知らしめて欲しいということなのだ。

 さて、第1試合の浦和学院高校と大阪松陰高校の対戦だが、結果は大差となりスコア以上に失望した。何に失望したかといえば、選手たちではなく、監督の用兵のまずさにである。スコア上負けているとはいえ、接戦でこのあと逆転も大いに期待されていたのに、何をトチ狂ったのか突然ピッチャーを交代させてしまった。ワンポイントではないかなどという解説者のコメントもあったが、ワンポイントどころか大量得点をプレゼントするための交替でしかなかったように思う。選手たちとの本当の信頼関係が出来ていたのか、疑問は膨らむばかりである。思うに、この監督は負けないことを考えてそれを優先させたのかもしれない。駒をたくさん持ち過ぎているので、つい余計な邪念にとらわれたのかもしれない。選手たちが可哀そうだなと思った。この歳になると、選手だけではなく監督のあり方も大いに気になるのである。選手たちを信頼し、とことん試合に集中させることが出来ている監督が必ず勝利をモノにするように思う。大阪松陰高校の監督はそれがほぼ出来ているようだ。あとは選手たちの力の表出だけであろう。次戦が楽しみだ。

 第2試合は歩きに出かけていて、終盤からの観戦だった。見ると1点差で負けているではないか。最終回となって、さて、これから逆転のドラマが始まるぞと大いに期待を膨らませて見ていた。すると、何とノーアウト満塁のチャンスが訪れたではないか。近江高校のピッチャーは相当に緊張したのか、それとも金足農業高校の気迫が勝ったのか、あれよあれよと思う間に塁が埋まってしまった。こうなると、もはや金足農業高校が負ける理由はなくなる。結果はその通りとなった。スクイズが成功しアッという間の逆転フィナーレとなった。近江高校のファンには申しわけないけど、自分は日本で唯一農業高校での甲子園出場を勝ち取り、ここまで勝ち上がったこの学校とその選手たちのスピリットを応援しないわけにはゆかないのである。丁度現在北海道の開拓の歴史を訪ねている最中でもあり、開拓者の魂というものが、この高校にも息づいているに違いないと信じて疑わないのだ。膝まで積もった雪の校庭を、長靴をはいて走って足腰を鍛えた、その精神は軟いものではない筈だ。そこにこのチームの魅力を感ずるのである。このあと、是非決勝に進み、どこも為し得なかった農業高校として頂点を極めて貰いたい。心からそう願っている。今日はこれまで。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第85回>

2018-08-18 07:08:44 | くるま旅くらしの話

【今日(8/18:土)の予定】 

 終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在

 

【昨日(8/17:金)のレポート】 天気:雨午後遅く晴れ

<行程>

道の駅:にしおこっぺ花夢 →(R239・R238)→ 道の駅:おうむ →(R238)→ クッチャロ湖キャンプ場(泊)

<レポート>

 昨夜も止むことなく雨が降り続いていて、天井を叩き続けていた。その前の日も雨だったから、積算の降水量もかなりのレベルになっており、今日も降り続くということになると、何か問題が起こりはしないかと少し心配になって来ている。どうして今頃このような天気が続くのか、何度も同じような疑問が浮かんでは消える。明治の開拓時代の頃だったら、今年なんぞは大凶作の年となったに違いないと思った。夏なのに暖房が欲しくなるというようなことでは、農作物も牧草も順調に生育する筈がない。まことに困惑する天候である。

 さて、今日の予定といえば、郷土資料館の方はオホーツクエリアでは猿払村を残すだけとなっているので、しばらくはクッチャロ湖のキャンプ場に滞在してのんびりすることにして、その前に雄武町でLPガスを充填してから向かうことにしている。移動日である。明後日辺りには天気も回復するようなので、それを大いに期待している。クッチャロ湖の夕陽を是非もう一度見てみたい。

 9時過ぎ出発したのだが、雨勢は益々強まって、ワイ―パーが間に合わない降りに見舞われたりして困惑した。道路脇の河川は濁流が昨日よりも遥かに激しさを増して奔っていた。途中にあった道路情報の電光掲示板には、紋別地方の北部地区に洪水警報が発令されたとあった。なんてこったと思いながら、それでもこの国道は先ず大丈夫だろうと、先に進むことにした。興部から海側の道路を走るのだが、時々見える海岸線には川から流れ出た水で濁った色となった海が、昨日と同じような激浪とも思われる白波を立てているのが見えた。邦子どのの怯える景観である。海の傍で生まれ育った時間が長いくせに、それが却って怯えの原因となっているのは、余ほど怖い目に遭っているからなのかもしれない。その話は聞いてはいないのだが。

 LPガスの事務所には10時半頃には着いたのだが、担当の人が出かけているので、午前中は充填ができないので、午後に来て欲しいとのこと。2時間半も待つのは何だか無駄をするようでガッカリしたけど、ここで入れておかないとこの後は充填所を探すのが大変だし、その前にガスが切れてしまって冷蔵庫がダメになってしまう。とにかく待つことにして、一先ず近くにある道の駅:おうむに行くことにする。

 雨は相変わらず止もうとはせず、断続的に強弱の降りを繰り返していた。しかし、11時を過ぎた頃から小雨になり、しばらくすると止んだようで、路面が乾き始めた。やれやれと言った感じである。13時に行くまでにまだ時間があるので、少しブログの下書きなどをして過ごす。昼食は寒いので即席ラーメンを作って温まることにした。13時になったので、充填所に向かう。

 充填所は行って見ると閉まっていたのだが、間もなく担当の人が来て、充填をして頂いた。5kgボンベが2本共空近くになっていたので、充填して頂く。これで家に戻るまで冷蔵庫は大丈夫だ。先ずは一安心をして、今日のゴールのクッチャロ湖キャンプ場に向かう。その後、枝幸の町を通りかかり少し買い物をすることにしてスーパーに寄る。浜頓別町のスーパーよりは少し安いかと思ったのだが、キャベツなどは小玉サイズが何と1個400円近くの値段となっているのには驚いた。この地区の人たちは高い買い物を余儀なくされていて気の毒だなと思った。

 買い物の後はひたすらに浜頓別町のクッチャロ湖を目指す。枝幸を通り過ぎた頃から青空が見え始め、何だか晴れそうな予感が膨らんだ。路面も乾いており、この辺りは雨は大したこと無かったようだ。しかし川の橋を渡るときは、濁流が奔っていたので、やはり雨は降ったのだなと思った。間もなくクッチャロ湖畔のキャンプ場に着く。

今年は2回目の来訪である。今回は4泊することにして受付を済ませた。

雨はすっかり上がって、青空が広がり始めていた。しかし風が強くて、8m以上の風速となっていたのではないか。しばらく洗いものや荷物の整理をしていると、その内に風も次第に弱まり、何と一面に青空が広がっているではないか。今朝の大雨の状況からは想像もつかない天気の激変ぶりである。ま、良い方向へ変わってくれたのだから何の文句もない。嬉しくなってその青空をカメラに収めた。晴れとはなったけど、暑さは戻らず、長袖の下着を着ても寒い感じは拭えなかった。明日も晴れてくれれば、暑さも戻って来てくれるのであろう。

久しぶりに青空らしい青空を見て、思わずカメラを向けてシャッターを切ってしまった。それほど今年の旅の空は青空と縁が薄いのである。

今月もあと半月足らずとなって、夏も残りが少なくなってきた。キャンプ場はその夏を存分に楽しむかのように、大勢のキャンパーのテントで賑わっていた。雨が上がってキャンパーの皆さんもホッとされているのではないか。間もなく夕暮れが近づいて、もしかしたらこの分では名物の夕陽が見られるのではないかと期待した。今日の午前中の天気からは想像もできない出来事である。もう10年も前になるのだろうか、この地で空と湖が真っ赤に染まった夕陽を見て以来、この地に来たらもう一度あの光景を見たいという気持ちが膨らむのである。18時を過ぎて日が沈む頃になって、上部に邪魔な雲が膨らんでいて、やはり普通の夕陽しか見られなくて残念。しかし久しぶりの夕陽を見ることが出来てそれだけでも満足だった。

久しぶりに見たクッチャロ湖の夕陽。もうこれだけでも十分と思わなければならない。嬉しいひと時だった。

間もなく静かな夜を迎える。今日は騒ぐ人もおらず、みんながマナーを守って一夜の夢の世界へと誘われる。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第84回>

2018-08-17 05:56:45 | くるま旅くらしの話

【今日(8/17:金)の予定】 

道の駅:にしおこっぺ花夢 →(R239)→ 道の駅:おうむ →(R238)→ クッチャロ湖キャンプ場(泊)

【昨日(8/16:木)のレポート】 天気:雨

<行程>

道の駅:かみゆうべつチューリップの湯 →(R242・R238)→ 紋別市内コインランドリー →(R238・R273)→ 滝の上町郷土館 →(R273・R238・R239)→ 道の駅:にしおこっぺ花夢 (泊)

<レポート>

 昨夜も雨は断続的に降り続いていた。朝になっても一向に止む様子は無く、天気予報ではこれから雨勢は益々強くなるとのこと。蝦夷梅雨の第2期に入ったのかと思うほどである。昨日のくんねっぷ歴史館でご説明頂いた方の話では、今年は気温が低く雨や曇天が多くて、農家の皆さんは心配事が多いと話されていたが、もはやこの雨が止む頃となると間もなく足早に秋がやって来て、直ぐその後を冬が駆け足で追っかけて来るのであろう。全国的な異常気象は、北海道にもじわじわと押し寄せて来ているのを実感しないわけにはゆかない。

 さて、今日は洗濯の日である。一応の予定としては午前中紋別市内のコインランドリーで洗濯を済ませ、そのあと西興部の道の駅に行った後雄武町のガス屋でLPガスを補てんし、道の駅に泊るつもりでいるのだが、天気とコインランドリーの状況次第で、変更を余儀なくされるかもしれない。毎度のことなので、それは仕方がない。

 コインランドリーのことがあるので、少し早目に出発する。雨は一向に止む気配を見せず何となく憂鬱な気分になる。40分ほど走って目的のコインランドリーに着いたのだが、何と予想以上の混み具合で、空いている機械が1台もないという状態だった。別の店を探すのも面倒なので、とにかく空き次第利用させて貰うつもりで、ここで洗濯に取り組むことに決める。毎度のことながら洗濯は邦子どのの仕事の領域なので、自分は運び屋を少々努めるだけである。どう見積もっても午前中では終わりそうもないので、自分の方もパソコンを取り出し記録の整理などをすることにした。

 邦子どのの要領がいいのか、思ったよりも順調に洗濯は進んで、昼前には終了した。雨は相変わらず強い調子で降っている。近くのスーパーで買い物をした後、西興部の道の駅に行く前に、紋別の隣の滝上町の郷土館へ行って見ることにして出発する。当初は予定に入れてなかったのだが、折角ここへ来ているのだから、外す理由もないと考え、向かうことにした。雨の中を40分ほど走って到着する。途中の川はかなり水が増していて、濁流が奔っていた。邦子どのが騒ぎ出すラインにまでは行っていないようだけど、この調子で雨が降り続けたら、どうなるか分からない。気温もかなり低くなっているようで、途中の表示板には12℃台の数値が表示されていた。とても夏の日中とは思えないレベルである。

 郷土館に着いて、150円也を払って中に入る。ここは大正9年に紋別市にあった渚滑村から分村して昭和の戦後に町となった所である。それらのいきさつや暮らしや産業に係わる民具や用具などが並べられていた。中央に近代産業遺産と表示された大きな樽の薄荷の蒸留釜があり、この地でも一時薄荷の製造が盛んだったことが判った。北見だけではなく、道北のこの辺りまで広く栽培と製造が行われていたのであろう。この町の主産業はやはり林業ということになるのであろうか、重い材木を運ぶ馬そりも展示されていた。それから別の棟には鉄道の機関車とラッセル車が展示されていた。北海道各地で廃線となった鉄道路線は多いのだが、それを偲ぶ地元の人たちの心は永遠に消えないようである。

 見学を終えた後は、もう一度紋別市に戻り、市内のスタンドで給油を済ませ、次の目的地の西興部村の道の駅に向かう。ここに向かうのは、前回にここに寄った時に邦子どのが何やら気に入った土産品を見つけたらしく、今回はどうしてもそれを手に入れたいというからなのである。途中興部町への道は海岸近くを通るのだが、風がかなり強く吹いていて、海は大荒れで大きな白波が幾つも押し寄せていた。それを見ていた邦子どのは早くも目をそらして、座席なのに波を防ぐ態勢をとっていた。これでは当初予定していた雄武町の道の駅に泊るのは止めて方がいいなと思った。

 西興部から左折して山側に入り西興部村の方へ向かう。この地も分村して現状となったのであろう。北海道の海側と山側とでは同じ町でも立地条件も産業条件もかなり違っている場所が多いので、行政上も分村は妥当だったのかもしれない。しかし、現在では元に戻る所も出て来ており、通信技術の進展などがこの後も自治体の姿を大きく変えて行くのかもしれない。その中心にあるのが過疎というのは寂しい限りである。そのようなことを考えながら、大雨の中道の駅:にしおこっぺ花夢に到着する。

 泊っている車の数は少なく、少しさびしい気がするけど、海の傍の波の音が聞こえてくるような場所よりは安心できると考え、今日はここに泊めさせて頂くことに決める。邦子どのは早速売店に行き、求める品物を探していたようである。花夢という名をこの道の駅に付けたのは、村おこしのテーマに夢と自然環境を据えたことによるものらしい。この道の駅には隣接して有料のナチュラル花園があり、何種類かの野草などが植えられているようだ。

又、駅舎の中には妖精をイメージした小人さんの演奏楽団の模型があり、30分ごとに曲に合わせて動くような仕掛けがあって、なかなかユニークである。16時になってエーデルワイスの曲が流れ、小人さんたちの演奏が始まったので、その姿を動画に収めた。孫たちに見せてあげるつもりである。

駅舎の中央ホールにある妖精たちの楽団。二組の楽団が背中合わせに演奏する仕組みである。留辺蘂の道の駅の花夢林の鳩時計と比べると小人たちの動きが少ないのが残念。でも素晴らしいアイデアだと思う。

雨は相変わらず強く降り続いており、一段と寒くなって、とても夏とは思えない夜を迎えることとなった。泊りの車は自分達だけかと思ったら、もう一台キャブコンが泊ってくれたので、安堵した。夕食を済ませ、雨音を聴きながら眠りに就く。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第83回>

2018-08-16 04:37:38 | くるま旅くらしの話

【今日(8/16:木)の予定】 

道の駅:かみゆうべつチューリップの湯 →(R242・R238)→ 紋別市内コインランドリー →(R238・R239)→ 道の駅:にしおこっぺ花夢 →(R239・R238)→ 道の駅:おうむ(泊)

 

【昨日(8/15:水)のレポート】 天気:雨

<行程>

道の駅:おんねゆ温泉 →(R39)→ 留辺蘂・武華駅逓 →(R39・D)→ 訓子府町・くんねっぷ歴史館 →(D・R39・D)→ 留辺蘂・加根志め食堂 →(R39・R242)→ 道の駅:かみゆうべつチュ-リップの湯(泊)

<レポート>

 お盆も今日が最後の送り火の日となる。そして今日は終戦記念日。あの忌まわしい戦争が終わってもう何年となるのか。世界中の至る所で、テロや戦の類は相変わらず絶えることがない。平和を口にしながら人間のやることは、破壊活動の方が圧倒的に多いように思われるのは何故なのだろうか。戦争で尊い命を散らされた人たちから見れば、その後の世界は少しも進歩してはいないように見えるのではないか。終戦記念の日に当って、改めて多くの戦没者、そしてその後の貧困の中で生命を失って行った人たちに対して心からのご冥福をお祈りしたい。

 昨夜は天井を叩く雨音はしなかったのだが、音無しの雨は降り続いていたようで、朝起きて外を見ると路面はどこも濡れ尽くしていた。7時を過ぎる頃に再び強い雨音が天井を叩き始め、その後は終日絶えることのない雨降りの一日となった。そのような中、今日は2カ所の訪問先を決めている。一つはこの道の駅のある旧留辺蘂町の武華駅逓という所で、ここは郷土資料館ともなっているとか。その後で北見市に隣接する訓子府町の郷土資料館のくんねっぷ歴史館を訪ねることにしている。その後の予定は天気の状況などを見て決めることにしている。

 先ずは近くにあるらしい武華駅逓に向かう。ナビを頼りに行ったのだが、何と昨日入った遠別つるつる温泉入口の直ぐ近くに建物があったので驚いた。今まで何度も近くを通っているのに、全く気付かなかったのである。駅逓(えきてい)というのは、馬車が交通の主役だった頃の駅舎であり、宿等も用意されていた公共の場所だった所である。昭和45年に、それまで残っていた建物をそのまま利用して郷土資料館にしたというような説明書きがあったが、今日は閉まっており、入館希望者は事前に教育委員会に連絡されたしと書かれていた。しかし、この状況では中に入って見てもそれほど参考になるものは無いのではないかと判断し、見学は止めることにした。駅逓の写真を撮って説明書きもカメラに収めて、次の目的地の訓子府町に向かう。

 訓子府町を訪ねるのは初めてである。多分樹木の生い茂る山地が多いのだろうと思いながら行ったのだが、案に相違して町の地形は平地やなだらかな丘の畑地が多かったので、少し驚いた。歴史館の建物について玄関を見たら、入館希望の方は1週間前に連絡してくださいという張り紙がしてあった。一週間も待つわけにはゆかないので、ダメ元で良いからと教育委員会に電話をしたら、見えて頂けるとの返答を頂いて安堵した。5分ほどして解錠の方が来て下さった。教育委員会社会教育係長の佐藤さんという方だった。そのあと展示の順を追いながらこの町の開拓の歴史等について順次ご説明を頂いた。この辺りは遅く開拓の始まったエリアであり、民間の高知県からの開拓団体である北光社が深く係わっているとのこと。北光社のことは昨日北見文化センターでも目にしている。帰宅後調べて整理してみたいと思った。北見の薄荷の有名なことは承知していることだが、この訓子府の地でも一時薄荷の栽培が盛んだったとのこと。現在は畑作が中心でそれと牧畜酪農が町の経済の中心となっているとのこと。元々は林業の盛んな隣の置戸町と一緒だったのが、大正9年に分村して現在のような形となっていると話されていた。40分ほどいろいろご説明いただきありがたかった。お礼を申し上げて歴史館を後にする。雨は依然として止もうとはしない。

 この後どうするかを考えてみたが、この雨では丸瀬布や白滝の方へ行って見ても獲物は無い様に思われ、もう今日は明日に備えて湧別町の道の駅:かみゆうべつチューリップの湯へ行って泊ることに決める。その雨に留辺蘂駅前にある加根志め食堂というのへ行って天丼を食べることにした。この食堂は勿論初めて訪ねる所であり、どうしてかというと何年か前TVを見ていたら、留辺蘂という懐かしい地名が出ていて、そこの駅前にあるこの食堂の天丼のことが紹介されているのを見て、直ぐにメモをして地図に貼り付けて置いたのを思い出したからなのである。どうせ食べるのなら、そのような場所を訪ねるのも面白いではないか。そう思った次第。実は昨日も下見に行ったのだが、JRの留辺蘂駅がどこにあるのかが判らず、そのまま道の駅に戻ったのである。その借りを返さなければならない、とも思った次第。今日はすんなり営業中の店を見つけて安堵したのだが、駐車場は満杯で止められず、少し離れた駅の脇の駐車場に車を置き、傘をさしての来訪となった。

 どんな所かと中に入って見ると、丁度昼時で店内は客で満杯の状態だった。少し年配のご夫妻が二人で店を切りまわしているようであり、今も状態だと天丼にありつくまでに1時間以上はかかるなと思った。このような場合、自分は殆ど言ってよいくらい待つのを敬遠して店を去るのだが、今日はどういうわけなのか何としても食べるぞという気持ちになり、ほんとに1時間ほど待ち続けたのである。

 ようやく天丼が出来上がって運ばれて来た。いやあ、みごとなボリューム、盛り付けである。まさにこれぞ天丼という姿なのだ。全部を食べられるかどうか、見た時は不安があったのだが、いざ食べてみると、てんぷらの多くは野菜類を巧みに揚げており、抵抗なく食べられるのである。邦子どのは大丈夫かと見ていたのだが、いつもだと残す量が多い人なのだが、まあまあの食べっぷりで、持ち帰る必要などなかったのである。かなりの満腹となり、これはもう夕食は無しとしなければと思いつつ、店を後にして車に戻る。

加根志め食堂の天丼。よくもまあこれほど巨大な盛り付けができるものだと、老夫婦のアイデアとその力量に感心する。

 雨は少しも止むつもりは無い様で、依然細かくて濡れる雨を降らし続けていた。その 中を遠軽方面に向かって走り続ける。しばらく山の中の道を走って、生田原を通過し間もなく遠軽町の市街地へ。それを通り抜けて20分ほど走ると見覚えのある道の駅の案内板が目に入り、間もなく到着となる。ここには日帰り入浴の温泉施設があり、今日はお盆の終わりの日とあってなのか、かなりの車で込みあっていた。いつもと同じように隅の方に車を止めて夜を迎えることにした。邦子どのは疲れたと言って早々に寝床の中へ。自分はブログの記事を一通り整理してからにした。天丼が効いていて、とても夕飯を食べる気は起らず、そのまま二人とも寝床の中へ沈没する。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第82回>

2018-08-15 06:31:35 | くるま旅くらしの話

【今日(8/15:水)の予定】 

道の駅:おんねゆ温泉 → その先未定。(もう一日ここに泊るか、或いは湧別方面へ向かうか)

 

【昨日(8/14:火)のレポート】 天気:曇り後雨

<行程>

メルヘンの丘めまんべつ →(R39・D)→ 端野町歴史民俗資料館 →(R39・R333他)→ 上仁頃美里開拓資料室 →(D他) → 北網圏北見文化センター →(D・R39)→ 遠別つるつる温泉 →(R39)→ 道の駅:おんねゆ温泉(泊)

<レポート>

 昨夜は断続的に雨音が天井を叩いて、かなりの降雨量があったようである。朝になって歩きから戻った7時頃になると、何故か急に青空が現れて、しばらく日射しが続いたので、今日はもしかしたら天気予報が外れるのではないかと密かに期待したのだが、9時を過ぎて出発する頃になると青空はたちまち閉ざされて怪しげな雲が下界に覆いかぶさってしまった。どうやら予報は外れはしないようである。

 今日はやっと火曜日となったので、北見エリアの3カ所を見学するつもりでいる。先ずは旧端野町の歴史民俗資料館を訪ねた後、少し離れた上仁頃の美里という所にある開拓資料館を訪ね、最後に北見市内の北網圏文化センターを訪ねて、そのあと旧留辺蘂町にある温泉に入って、泊りは道の駅:おんねゆ温泉にするつもりでいる。

 北見市というのは元は野付牛(のっけうし)と呼ばれていた場所で、この地も屯田兵の入植から始まっているというのは知っているのだけど、最初の旧端野町も又屯田兵の開拓した場所である。図書館脇の資料館に着いたのは10時少し過ぎだった。図書館で受付を済ませ、早速中に入って展示物を見せて頂いた。やはり屯田兵に係わるものが多かったのだが、それと合わせて薄荷の製造に係わる用具等が並んでいたのは、さすがに北見だなと思った。北見は薄荷の名産地であり、その最盛期には世界の70%くらいを生産していたという。年表等を写真に収めて、ここを後にする。

 その後は少し市街地から離れた場所となる上仁頃の美里という所にある開拓資料室へ向かう。着いてみたら、無人で教育委員会などへ事前連絡が必要とあった。電話をしたら30分ほど待って頂ければとのことだった。このような現地にある資料館は是非見ておきたいと考え、待つことにした。丁度30分ほど経って、担当の方が見えられた。上仁頃郷土研究会の副会長をされている水嶼さんという方だった。その後丁寧に展示品やこの地区の歴史などについてご説明をして下さった。一番印象に残ったのは、たくさん貼られている写真の中にあった一枚で、それは開拓当初の明治40年代の教育施設である小屋と先生一人、生徒三人の子供が写っている写真だった。小屋は拝み小屋同等の粗末なもので、お話では先生は四国の方の方で、一度帰省してその後戻って来なかったという。往時のこの地を思わせる一枚であり、お話だった。相当に厳しい環境にあり、相当の覚悟がなければ住んではいられなかったのだと思った。それにしても子どもたちを教育しなければならないという、この熱意はもの凄いものだなと思う。それは各地を回って何度も思った体験だった。日本人はやはりただ者ではないのだと思った。

明治40年代にこの地で初めて開かれた学校の写真。このような小屋の中でも先祖たちは子弟の教育を忘れることはなかった。

 その他民具などの用途についても丁寧に説明をして下さった。又戦時中に供出を強要された半鐘の代わりに支給されたという鐘も展示されていて、そのようなものがあったのかと驚いた。往時、半鐘は緊急時を知らせる合図のために必要不可欠のものだったので、このような措置をとったのであろう。今は半鐘は消え去りどこにも見られないが、水嶼さんは子どもたちに伝えなければならないと自ら半鐘を吊るした物見台の絵を書かれて、脇に掲示されていた。その他、日本で唯一ここにしかないという日本近代化産業遺産である、薄荷製造の天水釜も展示されていて、往時の先人の苦労に思いを馳せた。やはりこのような資料室は、ただ見ただけではだめなのだと思った。現地に住みご先祖の思いを後世に残す責任を感じている方の説明は、素朴だけど心に響くものがあり、とても勉強になった。水嶼さんに改めてお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

近代化産業遺産に指定されている薄荷製造の天水釜。その後改良が加えられて大規模なものとなっていった。

 見学が終わって外へ出ると本降りの雨となっていた。近くのそば屋で昼食をと行ってみたら、何と本日休業。先ほどまで灯りがついていて人がいたのにと、邦子どのが愚痴ること。仕方なく、次の目的地である北見市内にある北網圏文化センターという所に向かう。全くのナビ任せの走行なので、来た道とは違うガイドをされはじめたので、邦子どのはこんな雨降りの中では、山の中の細道等を通らさせられたらたまったものではないと文句を言い始めたのだが、そのようなことは無く、直ぐに広い道に入って間もなく北見市内に至り、目的地に無事に到着する。相変わらずの細い濡れる雨が降り続いている。

北網圏文化センターは大きな施設でプラネタリウム等もあって、多くの子どもたちが訪れていた。自分達は70歳超の高齢者なので入場は無料でありがたい。博物館のエリアだけを見学する。ここには北見市の歴史が展示説明されており、それを見るのが目的。古代の化石や石器・縄文時代等の遺跡も幾つかあるようである。デスモスチルスの骨格模型なども展示されていた。近代の歴史では、やはり野付牛時代の屯田兵や薄荷についての展示が目立っていた。端野や美里の見学で凡そのことは理解していたので、ざっと見るだけで済ますことにした。

その後は車の中で軽く昼食を済ませ、温泉に入ることにして、旧留辺蘂町の奥の方にある遠別つるつる温泉へ。1時間ほど湯に浸った後は、道の駅:おんねゆ温泉に行って夜を迎える。5時少し前について、早速5時になって大きな鳩時計を久しぶりに見て、その後は一杯やって、たちまち寝床の中へ。雨が降り続いていて、これが明日も続くのかと思うとうんざりする気分になる。しかし、今日の見学は、特に上仁頃の美里開拓資料室の見学は良かったなあと、思いを反芻しながら眠りに就いたのだった。 

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第81回>

2018-08-14 05:03:47 | くるま旅くらしの話

【今日(8/14:火)の予定】 

メルヘンの丘めまんべつ →(R39・D)→ 端野町歴史民俗資料館 →(R39・R333他)→ 上仁頃美里開拓資料館 →(R333・R39他) → 北網圏北見文化センター →(D39他)→ 道の駅:おんねゆ温泉(泊)

 

【昨日(8/13:月)のレポート】 天気:晴れ後曇り

<行程>

道の駅:メルヘンの丘めまんべつ →(R39・238他)→ ワッカ原生花園散策 →(D・R238・D)→ 常呂郷土資料館 →(D・R238・D)→ 網走市内で買い物 →(R39)→ 道の駅:メルヘンの丘めまんべつ(泊)

<レポート>

 朝方は少し雲が多かったが、間もなく青空が広がって、今日も暑い一日となった。この道の駅では、今頃の時期となると近くに農家の直売所が開かれて、地元の良質な野菜類が販売されるのだが、今朝は9時の開店を待ち兼ねて買い物に出向く。5分前だというのにもう長蛇の列が出来ていた。今日はお盆なので、近くの人たちが車で乗り付けて、大量の花や野菜を買いに来ていた。自分たちも負けずと並ぶ。並ぶのが嫌いな自分でもこのところ野菜類が不足気味だったので、何としてもキャベツとレタスくらいは、そして新ジャガくらいは買っておきたい。遅れて邦子どのが来て追加して茄子やトマト、それにブロッコリーなどを買うこととなった。新鮮な物がかなりの安値で手に入るのが有難く嬉しい。満足して車に戻る。

 さて、今日の予定は旧常呂町にあるサロマ湖畔のワッカ原生花園を訪ねること。それが済んだら、邦子どのの要請で網走市内でコーヒー豆を買い、その後は再びこの道の駅に戻って泊ることにしている。

 野菜を買い終えて、一息入れてワッカに向かって出発する。日射しが厳しくなりだし、暑さが膨らんできた。網走湖の湖畔をしばらく走り、その後今度は右手に能取湖を見て走ることとなる。二つともかなり大きな湖だ。どちらも多分海跡湖なのだと思う。海跡湖というのは、砂嘴が海を取り込んで出来た湖であり、その代表的なのがサロマ湖ということになる。北海道にはこの海跡湖が多い。海と陸地の関係は思ったよりも複雑なようである。そのようなことを考えながら1時間余り走って、ワッカネイチャーセンタ―に到着する。

 今日の原生花園の花の中では一番期待しているのがクロバナノハンショウヅルである。但し、今が開花期なのかどうかはもう4年もご無沙汰しているので、定かではない。真っ先にネイチャーセンターの中に入って、現在咲いている野草たちのリストを見たのだが、その中にクロバナノハンショウヅルは無かった。もう終わってしまったのかもしれない。少しがっかりしながら、カメラを手に歩き始めたのだが、何と最近熊が出没しているので、散策中止となっている道があるではないか。その方向へ行けば必ずクロバナノハンショウヅルがあるのに、なのである。益々ガッカリしてしまった。

熊出没注意の看板は北海道の至る所で見られるが、この北の花園にも熊君たちはやって来るようになってしまっていた。

目立つ花といえば咲き残りのエゾカワラナデシコ、ツリガネニンジン、コウゾリナ、ミシマサイコ、それにほんの少し残ったエゾフウロくらいで、それらの中に寒さでたけが30cmほどしかないハマナスが小さな紅い花を咲かせている程度だった。やはり遅きに失したという感は否めない。念のためにと、別のクロバナノハンショウヅルのある辺りを探したのだが、見つけたのは咲き終わった後のゼンマイヒゲの姿だけだった。ハンショウヅルは花が咲き終わると、カザグルマと同じようなゼンマイヒゲを残すのである。それでも咲き終わった証拠を見つけた感じがして、何となく納得した。やはり野草を見るにはタイミングが大切であり、今回は元々が野草観察に重点を置いていなかったので、このような結果になってしまった。次回はチャンスを逃さないように心して探訪したいと反省した。

クロバナノハンショウヅルの咲き終えた証拠である風車。がっかりしたけど、なぜか安堵もした

 そのあと、間もなく昼食の時間となるので、網走市内まで行くことにする。その前に明日もう一度常呂に来て郷土資料館を見るつもりでいるのだが、その前にどんな場所にどのような状態であるのかを見ておくことにしてナビを設定する。町の中心街から10kmほど離れた所に資料館はあった。元小学校の校舎が当てられているようで、普段来訪者も殆どない様で、少し荒れ気味の雰囲気となっていた。入口に張り紙があり、普段は無人なので、見学を希望する方は教育委員会まで事前に連絡して欲しい旨のことが書かれていた。今日は休館日とのこと。それは知っていたのだが、果たして明日わざわざここまで見にくる必要があるのか疑問を覚えた。それで明日はここをパスして北見中心地の方に向かうことに決めた。町の歴史のことは、合併によって、曖昧になっているケースが多い。本当は常呂のこの資料館も逃してはいけないのだろうけど、果たして年表等が整理されて掲示されているのか、疑問に思った。

 その後は、網走の道の駅まで行き、先ずは昼食を摂る。といっても食べるのは邦子どのだけで、自分は先ほどのネイチャーセンターで焼きおにぎりを2個食べたのでパスする。邦子どのが食事の間、車の中でブログの原稿を書くなどして過ごす。間もなく戻って来て、目的のコーヒー豆を買いに行ったのだが、何とその店は本日休業となっていた。定休日が昨日だというのでわざわざ今日買いに来たのに、なんだ!と思った。お盆などの影響で、休みとしたのかもしれない。

 その後は道の駅:メルヘンの丘めまんべつに行くことにしたのだが、その前に今朝歩きに出かけた際に、役場近くに郷土資料室があるのを知ったので、それを見せて頂こうと向かう。研修室という建物の2階に教育委員会があり、その脇の部屋が資料室となっていた。お願いして扉を開けて頂き中を見学させて頂く。邦子どのはふるいよどんだ空気に耐えられないらしく、敬遠して外へ出て行った。資料室の中は大雑把に区切られて、様々な民具などが並んでいたが、特段の解説も説明もなく、単なる収蔵庫のような状態となっていた。しばらく見ていたが、特に女満別の空港ができるまでの記事に関心を覚えて、説明書きなどを写真に収めた。空港はこの町の大きな自慢となっているようである。さもあらん。それ以外のことは一応略年表のようなものが掲示されていたので、写真に収めたのだが、果たして読めるかどうかは分からない。追ってネットなどで調べることにした。

 道の駅に戻ったのは、16時近くだった。今日は昨日よりは車も人も少ない様である。邦子どのは疲れたらしく午睡態勢に。自分は残りのブログ記事を書き終えて、その後ビールを飲みながらしばらくTVで高校野球を観戦する。この時期これが一番の楽しみである。やがて夜になって、もはや後は眠るだけ。明日からこの地方は雨となるという予報だが、なるべくならそれは止めて欲しい。暑くてもやっぱり晴れた方がいい。予報が外れることを願いながら眠りに就く。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第80回>

2018-08-13 05:31:36 | くるま旅くらしの話

【今日(8/13:月)の予定】 

道の駅:メルヘンの丘めまんべつ →(R39・238他)→ ワッカ原生花園散策 →(D・R238・D)→ 網走市内で買い物 →(R39)→ 道の駅:メルヘンの丘めまんべつ(泊)

 

【昨日(8/12:日)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程>

道の駅:ウトロシリエトク →(R344他)→ 斜里町知床博物館 →(R244)→ 小清水原生花園探訪 →(R244・R391・R334・D)→ 小清水町ふれあいセンター(入浴)→(D・R334・D・R39)→ 道の駅:メルヘンの丘めまんべつ(泊)

<レポート>

 朝は雨。後曇り。今日も天気は期待できないのかとガッカリしながら朝を迎えたのだが、9時頃に出発して斜里町の中心街に向かう途中から次第に雲が消え去って、青空が広がり始めた。同時に暑さが膨れ上がって来て、一挙に夏が回復したのである。この落差は大きく、特に老人には厳しいものがある。昨日までの寒さ対策をたちまち暑さ対策に切り替えなければならない。致し方なし。

 これで今年はウトロのこの地ともおさらばである。お盆間近とあってなのか、昨夜は道の駅の駐車場はほぼ満車となっていた。寝る時空いていた隣のスペースにも、朝起きてみたらいつの間にかキャンピングカーが泊っていた。ここには、この時期何回か来て泊っているのだが、これほど混みあっているのを見たことがない。

明らかに車を使っての旅は拡大増加しているのを実感する。同時に国は道の駅ではなく、もっと別の種類の旅のくるま旅向けの宿泊施設を、観光発展のためにも用意すべきではないか。外国からと思える「わ」ナンバーのキャンピングカーなども増えており、ホテルやバスにばかり気をとられているのではなく、旅のインフラの一つとしてくるま旅用のモータープールを造る施策を検討推進して欲しいと思った。道の駅の壁には構内でのキャンプを禁止する張り紙や脅しの文句が貼られていたけど、そのようなことだけではこの流れを止めることはできないのではないか。今のところくるま旅のメッカとして北海道のあり方が注目されていると思うが、見ている限りでは後ろ向きとしか思えない。ゴミは持って帰れ、ゴミ箱は置かない、水はトイレの水を汲んではならない、等々禁止事項ばかり増やしていていいのだろうか。無料の道の駅よりも安心して泊れる有料の施設を造ろうとはしないのだろうか。民間に任せれば、設備の費用を回収するために高い価格設定となるのは必定なのだから、ここはやはり国が顔を出してこれからの新しい旅のスタイルに適応した施設づくりに動いて貰いたいものである。

さて、今日は休日でも開館している斜里町の知床博物館を訪ねた後、浜小清水の原生花園を覗き、その後小清水町のふれあいセンターという所で風呂に入って、泊りを予定の道の駅:メルヘンの丘めまんべつに行くという行程である。明日を含めた調整日と考えている。先ずは斜里町の知床博物館へ。

博物館というので、歴史資料という点ではあまり期待はしていなかったのだが、それなりに町の開拓の歴史等についても触れられていたので、参考になった。立派な建物であり、博物館の隣には斜里町の友好交流記念館というのがあり、この町では二つの町との友好関係を持っているとのこと。参考までにと入って見ると、一つは青森県弘前市であり、これは一時津軽藩が幕末に北方の守備を命じられた際に、この地でその守りに就いたという歴史に由来するということらしい。弘前ねぷたの山車等が展示されていた。又、もう一つは北とは真反対の南国の竹富町で、面白いなと思った。お互い想像もつかない交流が出来て素晴らしいなと思った。1時間ほど見学して館を後にする。

その後は、2か月前にも行っている小清水原生花園を覗きに出発する。今の時期はあまり花は期待できない。目立つ花はもう殆ど開花期を終えているし、次の野草たちが花を咲かせるのはもう少し後になってからが多いのだ。取り敢えずどんな按配か行って見たのだが、やはり予想通りだった。前回のスカシユリやキスゲのような主役級の花は殆どなく、カセンソウ等の如何にも雑草風の野草くらいしか目立たなかった。時間をかけても仕方がないので、明日のワッカ原生花園に期待することにして、早々に切り上げ、小清水町のふれあいセンターという所に温泉があるので、昼食を兼ねて入りに行くことにする。

11時をごろから益々晴天の度合いを増し、すっかり夏空となった。昨日までの天気は何だったのかと思うほどの暑さとなった。これが本物の夏というものであろうから、文句は言わない。ふれあいセンターに着いた頃はピカピカの青空が広がり、逃げ場がないほどの暑さとなった。幸い少し風が吹いており、影のある場所は涼しい。車の中にも良く風が通って、これなら息苦しくもなるまいと思った。

先ずレストランに行って昼食を摂る。豚丼をオーダーしたが、ご飯が超少なくて、ガッカリした。豚肉の方はまあまあだったが、タレに元気が無くて、上等とは思えなかった。調理をする人の勉強が足りない感じがした。この頃は時々外食をするので、比較してコメントすることが多くなった。良い物を食べさせようと思ったら、自分の作ったものだけを最高と思わないことが大切だなと思う。調理人も料理人も多くを知って進歩しなければならない。現状維持は退歩なのだ。

そのあと車に戻り、しばらく休憩する。邦子どのは風呂には入らないらしく、早々に寝床に横になってしまった。入りたくない時は入らない方が良い。自分一人が入りに行く。サウナもあって、湯の質もよさそうでたっぷり浸りたいのだが、このところ血圧が高い傾向にあるので、サウナに入るのは止め、湯に浸るのも短時間にすることにした。40分くらいで外に出たのだが、相変わらずのピカピカの青空で直射日光が厳しくて、汗が引っこんで落ち着くまでに時間がかかった。

15時近く出発する。当初は網走で買いものをする予定だったのだが、その店が今日は休みということが判り、買い物は明日にすることにして、道の駅:メルヘンの丘めまんべつに向かう。ナビに従って、まだ通ったことのない道道などを通ったのだが、途中麦畑の大型機械による収穫作業や、別の畑ではこれも大型機械による消毒作業のようなものを見たりして、北海道ならではの農作業などの景色を大いに楽しみながらの通行だった。

16時近く道の駅に到着する。広い駐車場が満車に近くなるほど人と車が溢れていたので驚いた。どうやら休日やお盆などでこのような場所に大勢が押し寄せて来ているらしい。自分達が来た時が人出のピークだったようで、1時間もしない間にたちまち静かになった。いつもの雰囲気に戻って安堵する。

この道の駅も今回の旅では二度目である。丘の景観が素晴らしい場所があり、気に入っている道の駅の一つだ。夜になって涼しくなって、車もぐっと減って今夜は北海道らしい夏の夜を送ることができるだろう。そう思いながら眠りに就く。

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18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第79回>

2018-08-12 04:50:00 | くるま旅くらしの話

【今日(8/12:日)の予定】 

道の駅:ウトロシリエトク →(R344他)→ 斜里町知床博物館 →(R244)→ 小清水原生花園探訪 →(R244・R39)→ 道の駅:メルヘンの丘めまんべつ(泊)

 

【昨日(8/11:土)のレポート】 天気:雨時々曇り

<行程>

 終日道の駅:ウトロシリエトクに滞在

<レポート>

 夜来の雨は朝になっても止まず、グズグズと降り続けていた。どうやら今日は終日雨に見舞われる一日となるらしい。どうするか迷った結果、今日は動かないでここに居座ることにした。この近郊の郷土資料館の開館状況を調べると、斜里町を除く小清水町も清里町も教育委員会に事前連絡が必要であり、多分土・日は役所が休みだろうし、月曜日は休館日となっているから、ここ3日間は行っても無駄になることになる。斜里町の知床博物館は明日訪ねることにして、今日は整理・休養日とすることにした。

 ウトロはちょっと変わった場所である。この地名はアイヌ語ではゴロゴロと大きな岩のある場所という意味だそうで、実際ここにはオロンコ岩とか三角岩、或いはゴジラ岩と呼ばれている巨岩・奇岩が集中している。雨が降らなければオロンコ岩のてっぺんに登って、取り残された野草たちの観察ができるのだけど、高所恐怖症の傾向のある自分には足元がおぼつかない状況下では、この巨岩を上る勇気はない。そうなるとゴジラ岩の見物くらいしかやることがなくなるので、随分と退屈なことになるけど、その時は一杯やって寝床に入ればいい。というような計算で一日が始まった。

 8月も上旬が終わって中旬に入り、お盆の時期を迎えようとしている。そのようなことはすっかり忘れ果てていたのだが、朝のニュースを見て里がえりラッシュが始まったと聞き、もうそのような時期なのかと思い出した次第。北海道へ帰られる方も多いのであろう。大変だなあと思う。これは人間の帰巣本能とも言うべきものなのだろうか。ふるさとがある人、故郷で待つ人がいる人は幸せである。最早そのような境遇の失せ去った老人には、羨ましいというよりも幾分かの微笑みを持ってこの年中行事の有り様を眺めているだけである。邦子どのがLPガスの充填のことを(過剰に)心配して、お盆の期間が休みとなっていたら困るというので、店に電話したら、通常通り営業していますとのことだった。帰省者を受け入れる側では、ガスを使うニーズは高くなるのではないか。休んでなどいられないのかも。

 午前中は記録の整理などしていたらあっという間に時間が過ぎた。ちょっと歩こうと外へ出たら、どうも頭がクラクラするので、もしかしたら血圧が高くなっているのではないかと気になり、血圧計で計ってみたら予想以上の高い数値だったので少し驚いた。2ヶ月毎の定期健診では、高血圧を指摘されたことなどないのだが、知らぬ間にその傾向が強まったらしい。クラクラするのは老化の進展のために貧血になって来ているのではないかと思ったりしたのだが、どうやらそうではなかったらしい。邦子どのに正直に伝えると過剰な反応を示すので、ちょっとだけ報告して少し寝床に横たわることにした。とんだ静養日となったものである。

 12時に起き出して、もう大丈夫なので軽く昼食をとり、しばらくTVを見る。天気が少し回復して日が射しはじめソーラーも動き始めたようなので、ちょっぴり安心する。TVを見るくらいは電気は充電されているようだ。やはり自分は動かないと体調の維持が難しくなると考えており、その後付近を一回りすることにした。邦子どのに言わせると、自分はマグロのような人であり、一時もじっとして居る時がないのだそうな。マグロほど太ってはいないけど、カツオくらいの動きはしているように思う。動物というのは、動けなくなった時がお終いの始まりなのだと思っている。動けば一時血圧は上がるかもしれないけど、その後は安定的な血圧となるに違いない。ま、無理をせぬように適当に身体を動かすことがどんな時でも必要なのだ。

 オロンコ岩の麓まで行ったのだが、やはり少し怖気づいていて登るのは止めにした。反対側からオロンコ岩を見てみようと、隧道を通って三角岩の前にある駐車場へ出て、その先からじっくり岩を眺めていた。こちら側から見上げるのは初めてである。やっぱりでかい岩だなと改めて思った。麓の方に波に浸食されたのか大きな洞穴のようなものが3カ所あった。崖の中ほどにはかもめたちの住みかが幾つもあって、猫のような鳴き声が姦しかった。

ウトロ港の反対側から見たオロンコ岩の景観。大きな海食洞と思われる穴が3か所あるのが見えた。

 そのあとゴジラ岩の方へ写真を撮りに行く。ゴジラ岩は小さいのだけど、高さは10mは越しており、如何にもゴジラらしい風貌をしている。雨風にさらされて自然とこのような姿形となったのであろうが、その造形の妙というのは実に不思議である。なかなかいい写真が撮れず、諦めて車に戻ることにした。途中港の岸壁で何人かの人たちが釣りをしていたが、それらしき獲物は皆無のようだった。孫が大きくなれば連れて来て一緒に釣りができるのだけど、それができるようになるまでにはあと5年はかかるだろうから、今から血圧が上がったなどと言ってはいられない。ジサマが釣りの名人(=迷人)であることを伝えておかなけらばならないと思っている。

ゴジラ岩の景観。近くで見るとまさにゴジラなのだが、見る場所によっては、巨大な亀のような怪物にも見える。不思議な大自然の造形だ。

 車に戻って、気分も大分すっきりして一休み。15時の頃から再び霧雨が降り出した。今日は土曜日とあってか、道の駅の駐車場はほぼ満車が続いている。入れ替わり立ち替わり別の車が入って来る。人気の道の駅なのであろう。一日中動かないで留っていることに少し引け目を覚えたりしているのだが、明日はここを出るので今日一日は勘弁して貰おうと思いながら夜を迎える時間となった。

今日の収穫は、クラクラの犯人が血圧が高くなっていたことに気づいたことだった。酒も食べ物も注意しなければならない。しかし、決して止めることはしない。もし高血圧が病だとするなら、病と付き合いながら安全を確保することが病に向き合う常道だと思っている。

 今夜も雨となるらしい。夏はなかなか戻って来てくれない。夏よ、早く来い。ほどほどの暑さでやって来い。退屈な一日だった。

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