山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第92回>

2018-08-25 05:25:39 | くるま旅くらしの話

【今日(8/25:土)の予定】 

道の駅:田園の里うりゅう →(R275・D)→ 妹背牛町郷土資料館 →(D他)→ 沼田町郷土資料館 →(D他)→ 秩父別町郷土資料館 →(D)→ 道の駅;ふかがわ(泊)※天候次第で変更する

 

【昨日(8/24:金)のレポート】 天気:晴れうす曇りのち雨

<行程>

道の駅:ほっとはぼろ →(R232)→ 道の駅:ふわっと苫前 →(R232・R231他)→ 留萌市・海のふるさと館 →(R231他)→ 国稀酒造 →(R231・R233・R275)→ 北竜町郷土資料館 →(R275他)ひまわりの里 →(R275)→ 雨竜町郷土資料館 → 道の駅:田園の里うりゅう(泊)

<レポート>

 朝、羽幌の町の中を1時間半ほど歩きまわった。この町は現在も漁業が中心の町のようだ。焼尻島、天売島の二つの島の観光も柱の一つとなっているようでもある。農業等の状況については、海から離れた場所の状況を知らないので、何とも分からいけど、蔬菜類や果実類の栽培は難しい様な気がするので、やはり酪農中心となっているのかもしれない。昨日の天塩や遠別の町と比べると少し活気があるのを感じた。

 車に戻って、朝食を終え、出発直前までは昨日来た道を戻って中川町経由で美深町のキャンプ場で台風崩れの雨を待ち受ける考えでいたのだが、ナビにそれらの情報を入れていたのに、エンジンをかける段になってやはり南下を続けようと、突然そのような思いが浮かんで来て、取り敢えず小平の道の駅までのナビを入れてみたら、何と27kmほどの距離に過ぎないことが分かった。もっと遠いのではないかと思いこんでいたのである。それならば、遠回りして山の中の道を行くよりも、留萌から空知エリアの残りの自治体を見ることにして、それが終わったら旭川に行って一息入れて次の行程を考えた方がいいと即断決定する。邦子どのが何か文句を言うかと思ったら特に異存はないというので、8時を少し過ぎた時刻に留萌方面に向けての出発となった。これほど自分でも意外な変更は初めてだった。

 今日はすっかり風は収まっていて、日本海沿岸を走るオロロン街道と呼ばれるR232は車も少なく、順調な流れで快適なドライブを楽しみながらの時間となった。40分ほど走って小平町の道の駅:おびら鰊番屋に着いたが、ここの番屋の建物は何年か前に入って見ているので、今回はパスすることにした。そのまま走り続けて、10時頃留萌市の海のふるさと館という歴史資料館に着く。少しくたびれかけた建物の中は、偶々清掃の会社が作業をしていて、機械の音が喧しかったが、それを無視して見学を開始する。海のふるさと館という名なので、やはり内容的には海に係わる歴史展示が多かった。少しは留萌市の開拓の歴史が分かるかと期待したのだが、江戸末期や明治の初めの頃のニシン漁等については力を入れた展示がされていたが、それ以外については、さっぱりで、結局留萌市という所は明治以降どのような経過を辿って今日に至っているかについては、年表もなく殆ど何も分からなかった。帰宅後に再度ネットなどで調べる必要がある。

 その後は、ちょいと足を延ばして増毛迄行って我が国最北の造り酒屋での銘酒となる「国稀」を、帰宅後の自治会への土産として1本買い求めておくことにして向かう。着いて、ついでに酒水が汲めるようになっているので、持参したペットボトル数本満たす。それだけで満足して次の目的地の北竜町に向かう。

 途中の留萌市内で弁当での昼食を済ませ、北竜町の郷土資料館に着いたのは13時を少し過ぎた頃だった。北竜町はサンフラワー即ちひまわりで名を売っている町でもある。ひまわりの里というのがあって、その花の畑に作られた巨大迷路は多くの観光客を楽しませているようである。自分たちも何度か来ているのだが、ここ数年はご無沙汰していたので、もしかしたらまだ咲いている花が残っているかと期待したのだが、やはり既に花のシーズンは終わってしまっていた。生きものたちは皆正直である。正直でないのは人間だけなのかもしれない。

 郷土資料館は、公民館の中にあって、階下が図書館、2階が資料館となっていた。入口の所に靴を脱いだらスリッパがあるのかと思っていたら、何と靴下のままで見学するようになっていたのには驚いた。子どもたちには裸足で見せるようになっているのだろうか。マイスリッパを持って来れば良かったなと思いながらの見学となった。ひまわりとの関係があるのか、黄色い表示が目立った。少し写真が取りにくいので困惑したが、展示内容はこの町の歴史をしっかりと教えてくれて、大いに参考になった。この町は隣の雨竜町から分村したとのこと。雨竜の北部に位置するので北竜と名づけられたとのこと。最初の入植者は千葉県の埜原(やわら)という所から来たということで、千葉県出身の邦子どのは親近感を覚えるのか、或いは今まで殆ど千葉県からの入植者の話を聞いていないので興味をそそられるのか、その後埜原が現在のどこなのかを調べていたが、分からなかったようである。帰ってからの宿題ということになる。

 資料館を出た後、ちょっとひまわりの里を覗いて見ることにした。行って見ると、もうすっかり花は終わっており、実をつけたヒマワリたちがこちらを向いて頭を垂れていた。何だかゴメンと謝られている感じがして、当方も頭を下げなければならない気持となった。やはり出会いや感動というのはタイミングが大切なのだなと改めて思った。

北竜町ひまわりの里のひまわりたち。もう花を終えて、このあとどう処理されるのかを待っているだけの景色があった。

 その後まだもう一ヶ所くらいは回る時間があるので、隣の雨竜町の郷土資料館を訪ねることにして向かう。10分ほどで公民館に着いたのだが、中に入って受付で訊いてみたら、首を傾げられたので、こちらも首をかしげることになった。それは教育委員会の担当で、現在はここには居らずに役場の方に移ったという話だった。何だか面倒くさくなって、とにかく今日はもう探訪は止めることにした。少し疲れが出ているのか、どうも気分が盛り上がらない。それで近くにある雨竜町の道の駅:田園の里うりゅうヘ行って錨を下ろすことにする。

 15時過ぎに着いたのだが、かなりの混雑ぶりだった。ソフトクリームなどを食べている人が多くいて、その他ここには新鮮な野菜類なども販売されており、休憩に立ち寄る人が多いようだ。中に入って野菜売り場を見ると、久しぶりにまともな価格で販売されているナスやキュウリなどを見て何だか救われたような気分になった。今までの道北地区では、ずっと異常感を抱き続けていたからなのであろう。道北の暮らしの厳しさは今でも変わらないのだなと改めて思った。

 今夜もかなりの雨が降るらしいとは予報の情報なのだが、17時近くになって雨が降り出したが、さほどの大雨の感じはしなかった。それよりもエンジンをかけっ放しのトラックの騒音の方が車の暮らしや眠りを妨げて大いに迷惑した。この頃はエンジンを切っているトラックも多いのに、ここに来る連中は他人のことなど知ったことじゃないと思っているのが多いようだ。何とかならないものなのか。騒音も法規制の対象として整備が必要なのではないか。ストレスの溜まる夜となった。

コメント
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