山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第88回>

2018-08-21 04:45:16 | くるま旅くらしの話

【今日(8/21:火)の予定】 

クッチャロ湖キャンプ場 →(D・R238)→ 稚内市開基百年記念塔・北方記念館 →(R238他)→ 宗谷ふれあいキャンプ場(泊)

 

【昨日(8/20:月)のレポート】 天気:晴れ、終日強風が吹きまくる

<行程>

終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在

<レポート>

 今日も終日の静養日で、グータラに過ごす。従って特に書くこともない。書くとすれば何といっても高校野球の準決勝2試合のことくらいだろう。特に第1試合の西東京代表日大三高と秋田代表金足農業高校の試合は息をのむ投手戦で、ついに金足農業高校が試合をモノにして決勝に進むことになった。期待通りの活躍に、日大三高ファンの方には申しわけないけど、まんぞく満足である。第2試合は負けて欲しかった大阪代表桐蔭高校が無事に愛媛代表の済美高校を破ってこれ又決勝戦にコマを進めた。さすがだと褒めなければなるまい。さあ、いよいよ明日は決勝戦。勿論高校球史場初の農業高校が頂点を極める瞬間を期待するだけである。監督さんも選手の皆さんも、妙な欲をかかないで無心に全力を発揮して貰いたい。ただそれだけである。

 さて、今日はそれだけで終わりにすると楽なのだが、ここで今年も1週間お世話になっているクッチャロ湖キャンプ場のある浜頓別町のことを紹介させて頂きたい。勿論これは自分自身の受け止めている印象に基づくものである。

 浜頓別町は北海道宗谷郡に属する、オホーツク海に面する町である。南は枝幸町と中頓別町に隣接し、北は猿払村、そして西は幌延町に隣接している。面積は401.6㎢というから、自分の住む茨城県守谷市の凡そ11倍くらいの広さである。茨城県では一番面積の小さな守谷市はたった37㎢足らずなのである。かなり広いというべきなのだろうけど、北海道の自治体の中では平均的な広さなのであろう。現在の人口(2015年)は3,881人という。守谷市の66,598人(2018年)と比べると、密度の差に驚かされるだけである。

 この町は大正5年に枝幸町から分村して頓別村となった。そしてその5年後の大正10年に中頓別村を分村して浜頓別村となった。そして戦後の昭和26年に町政を施行したとのことである。

 現在の産業の中心は漁業と酪農となっている。漁業の中心である頓別エリアは直ぐにそれと気づくのだが、酪農の姿は町の中心部を見ている限りどこに牧場などがあるのか気づきにくい。山間部の牧場を訪れたことがあまりないので、そのような印象を受けるのであろう。

 この町の名所といえば、何といってもクッチャロ湖とベニヤ原生花園、それに頓別川水系ウソタンナイの砂金採りというところか。クッチャロ湖一周27km、面積が約13.7㎡の海跡湖であり、水鳥、渡り鳥の飛来することで、ラムサール条約に登録されている。まだ見たことは無いけど、冬にはたくさんのコハクチョウなどが飛来することで有名だ。ベニヤ原生花園は、これからの季節はリンドウやサワギキョウ等が咲く広大な原生花園なのだが、最近は熊が出没しているとのことで、うっかり探索するのは危険なようだ。それから砂金採りは、明治の一時まさに一攫千金を夢見る人たちでゴールドラッシュを呈したことがあったが、この種の人の集中は定住して村を形成するには至らず、開拓等が始まるのは明治も遅くなってからということになる。先ずは漁業から始まって、次は林業、そして農業へと移行発展してゆくのが北海道の開拓の一つのパターンとなっているようだ。

クッチャロ湖の景観。キャンプ場はこの湖の東側に位置しており、この正面が西側となるのだが、湖面に夕陽が映って見事な景観となる。

 現在の浜頓別町は、外見はとてもリッチに見える。立派な町役場の庁舎は守谷市を凌いでいるし、多目的アリーナと称する建物は守谷市の有する体育館を遥かに上回った規模である。その他にも使われていない体育館がもう一つあったり、野球場も整備されているし、勿論パークゴルフ場も備わっている。運動文化施設は守谷市などの遠く及ぶところではない。そして現在役場近くに交流センターというのが建設中である。これは道の駅を兼ねていると聞いている。

浜頓別町役場庁舎。重厚な建物はこの町では際立って貫録ある存在だ。

多目的アリーナの建物。何種類ものスポーツ競技を楽しむことができる立派な施設である。

 これらの箱ものを羨ましいと思う反面、その利用度のことを考えると、気の毒にもなる。65千人の守谷市民ならこれらの施設をフルに活用できるのに、5千人足らずの町民では、宝の持ち腐れとなることは明らかだ。このようなアンバランスは、何も浜頓別町に限ったことではなく、北海道を旅していると、どこにでも見られる景色であり現象である。

国として何かが少しねじれているのではないか。町民の使いきれない施設を造るのはもうそろそろ止めにして、国全体で国民の誰でもが利用できる施設を造るべきではないか。これは地方行政に求めるものではなく、国としての、国家行政に望むことである。例えば、くるま旅をしている立場からは、安価な料金で安心・安全な旅ができるような簡易モータープール(電気・トイレ・給排水・ゴミ処理などが可能な)等を、くるま旅のインフラと考えて用意すべきではないか。現行のままではくるま旅をする人の増加に連れて、道の駅やSA、PAなどでのトラブルが多発することになる。外国からの観光客が車を使って旅をするようになったら、この問題は一層深刻になるに違いない。観光立国を唱えるならば、このような一面を視野に入れた国としての取り組みが不可欠となるのではないか。少し脱線したけど、北海道を訪ねる度に思わずにはいられない感慨である。

今朝も町の中心街にあるアメニティ公園というのを歩いた。早朝の6時頃では歩いている人は皆無である。広大な公園の中には幾つも遊歩道が造られていて、自分はその中で小さな川辺と小さな森の中に造られた小径を歩くのが好きだ。キャンプ場から公園までは20分ほど歩かなければならないのだが、そこまで行く途中も、そして公園の中の小径も十二分に楽しい。しかし、日中にその辺りを通っても歩いている人を見かけたことがない。心なしか、川辺の道は雑草たちがのさばり出して、荒れ気味となっている感じがした。こんなに恵まれているのに、それを感じさせない行政の在り方を再検討すべきではないか、などと再び余計なお世話の思いが浮かび上がって来た。

アメニティ公園の中にある木立の散歩道。1年を通していったい何人がこの道の歩きを楽しむのだろうか。まだ、自分以外の人を見たことがない。

「ふれあい」とか「交流」とかいう言葉は北海道の至る所の箱ものにつけられている常套句の様である。けれどもそれが実現できている所は極めて少ないようだ。何がそうしているのか。一つは安易な箱もの行政であり、もう一つはふれあいや交流のノウハウ、ソフトウエアの欠如であろう。自分がもう少し若かったら、この北の大地にはビジネスチャンスが一杯あるなあと、そう思うのだが、真老にはもはや関寛齋のような気力も活力もない。

 ※関寛齋については陸別町の関寛齋資料館を訪ねられたい。72歳にして十勝の山奥の陸別町の開拓に取り組んだ人物である。

  一つ追加しなければならないことがある。夕刻になって嬉しい出来事があった。地元の若い漁師のご夫妻が見えられて、なんとホタテの貝柱と、貝殻に入った調理住みのホタテを頂戴したのである。一昨日このご夫妻は家族でここへキャンプに来ておられたのだが、その時邦子どのが声をかけたのか、かけられたのか、話が通じあったらしく、今日ホタテを持ってくるという話があったと聞いていたのだが、今日は朝から10m近くの強風が吹き通しだったので、これではとても漁には出られまいと思って、諦めて?いたのだが、それがキチンと約束を守ってお出でになったのだった。この町の地元の方の誠実さというのか、それをみた感じがした。貝柱の刺身は甘くしっかりした味がして、直ちに終わりかけていた晩酌をもう一杯追加することとなった。美味かった。嬉しかった。ありがたかった。今日は実にい一日だった。

コメント
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