山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第82回>

2018-08-15 06:31:35 | くるま旅くらしの話

【今日(8/15:水)の予定】 

道の駅:おんねゆ温泉 → その先未定。(もう一日ここに泊るか、或いは湧別方面へ向かうか)

 

【昨日(8/14:火)のレポート】 天気:曇り後雨

<行程>

メルヘンの丘めまんべつ →(R39・D)→ 端野町歴史民俗資料館 →(R39・R333他)→ 上仁頃美里開拓資料室 →(D他) → 北網圏北見文化センター →(D・R39)→ 遠別つるつる温泉 →(R39)→ 道の駅:おんねゆ温泉(泊)

<レポート>

 昨夜は断続的に雨音が天井を叩いて、かなりの降雨量があったようである。朝になって歩きから戻った7時頃になると、何故か急に青空が現れて、しばらく日射しが続いたので、今日はもしかしたら天気予報が外れるのではないかと密かに期待したのだが、9時を過ぎて出発する頃になると青空はたちまち閉ざされて怪しげな雲が下界に覆いかぶさってしまった。どうやら予報は外れはしないようである。

 今日はやっと火曜日となったので、北見エリアの3カ所を見学するつもりでいる。先ずは旧端野町の歴史民俗資料館を訪ねた後、少し離れた上仁頃の美里という所にある開拓資料館を訪ね、最後に北見市内の北網圏文化センターを訪ねて、そのあと旧留辺蘂町にある温泉に入って、泊りは道の駅:おんねゆ温泉にするつもりでいる。

 北見市というのは元は野付牛(のっけうし)と呼ばれていた場所で、この地も屯田兵の入植から始まっているというのは知っているのだけど、最初の旧端野町も又屯田兵の開拓した場所である。図書館脇の資料館に着いたのは10時少し過ぎだった。図書館で受付を済ませ、早速中に入って展示物を見せて頂いた。やはり屯田兵に係わるものが多かったのだが、それと合わせて薄荷の製造に係わる用具等が並んでいたのは、さすがに北見だなと思った。北見は薄荷の名産地であり、その最盛期には世界の70%くらいを生産していたという。年表等を写真に収めて、ここを後にする。

 その後は少し市街地から離れた場所となる上仁頃の美里という所にある開拓資料室へ向かう。着いてみたら、無人で教育委員会などへ事前連絡が必要とあった。電話をしたら30分ほど待って頂ければとのことだった。このような現地にある資料館は是非見ておきたいと考え、待つことにした。丁度30分ほど経って、担当の方が見えられた。上仁頃郷土研究会の副会長をされている水嶼さんという方だった。その後丁寧に展示品やこの地区の歴史などについてご説明をして下さった。一番印象に残ったのは、たくさん貼られている写真の中にあった一枚で、それは開拓当初の明治40年代の教育施設である小屋と先生一人、生徒三人の子供が写っている写真だった。小屋は拝み小屋同等の粗末なもので、お話では先生は四国の方の方で、一度帰省してその後戻って来なかったという。往時のこの地を思わせる一枚であり、お話だった。相当に厳しい環境にあり、相当の覚悟がなければ住んではいられなかったのだと思った。それにしても子どもたちを教育しなければならないという、この熱意はもの凄いものだなと思う。それは各地を回って何度も思った体験だった。日本人はやはりただ者ではないのだと思った。

明治40年代にこの地で初めて開かれた学校の写真。このような小屋の中でも先祖たちは子弟の教育を忘れることはなかった。

 その他民具などの用途についても丁寧に説明をして下さった。又戦時中に供出を強要された半鐘の代わりに支給されたという鐘も展示されていて、そのようなものがあったのかと驚いた。往時、半鐘は緊急時を知らせる合図のために必要不可欠のものだったので、このような措置をとったのであろう。今は半鐘は消え去りどこにも見られないが、水嶼さんは子どもたちに伝えなければならないと自ら半鐘を吊るした物見台の絵を書かれて、脇に掲示されていた。その他、日本で唯一ここにしかないという日本近代化産業遺産である、薄荷製造の天水釜も展示されていて、往時の先人の苦労に思いを馳せた。やはりこのような資料室は、ただ見ただけではだめなのだと思った。現地に住みご先祖の思いを後世に残す責任を感じている方の説明は、素朴だけど心に響くものがあり、とても勉強になった。水嶼さんに改めてお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

近代化産業遺産に指定されている薄荷製造の天水釜。その後改良が加えられて大規模なものとなっていった。

 見学が終わって外へ出ると本降りの雨となっていた。近くのそば屋で昼食をと行ってみたら、何と本日休業。先ほどまで灯りがついていて人がいたのにと、邦子どのが愚痴ること。仕方なく、次の目的地である北見市内にある北網圏文化センターという所に向かう。全くのナビ任せの走行なので、来た道とは違うガイドをされはじめたので、邦子どのはこんな雨降りの中では、山の中の細道等を通らさせられたらたまったものではないと文句を言い始めたのだが、そのようなことは無く、直ぐに広い道に入って間もなく北見市内に至り、目的地に無事に到着する。相変わらずの細い濡れる雨が降り続いている。

北網圏文化センターは大きな施設でプラネタリウム等もあって、多くの子どもたちが訪れていた。自分達は70歳超の高齢者なので入場は無料でありがたい。博物館のエリアだけを見学する。ここには北見市の歴史が展示説明されており、それを見るのが目的。古代の化石や石器・縄文時代等の遺跡も幾つかあるようである。デスモスチルスの骨格模型なども展示されていた。近代の歴史では、やはり野付牛時代の屯田兵や薄荷についての展示が目立っていた。端野や美里の見学で凡そのことは理解していたので、ざっと見るだけで済ますことにした。

その後は車の中で軽く昼食を済ませ、温泉に入ることにして、旧留辺蘂町の奥の方にある遠別つるつる温泉へ。1時間ほど湯に浸った後は、道の駅:おんねゆ温泉に行って夜を迎える。5時少し前について、早速5時になって大きな鳩時計を久しぶりに見て、その後は一杯やって、たちまち寝床の中へ。雨が降り続いていて、これが明日も続くのかと思うとうんざりする気分になる。しかし、今日の見学は、特に上仁頃の美里開拓資料室の見学は良かったなあと、思いを反芻しながら眠りに就いたのだった。 

コメント
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