山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第73回>

2018-08-06 04:45:03 | くるま旅くらしの話

【今日(8/6:月)の予定】 

終日別海町キャンプ場に滞在

 

【昨日(8/5:日)のレポート】 天気:晴れ

<行程>

別海町ふれあいキャンプ場 →(D・R234他)→ コインランドリー他買い物など →(R234・D)→ 別海町ふれあいキャンプ場(泊)

<レポート>

 涼しさは夜が更けるにつれてだんだんとその強さを増し、夜間は寒さのレベルに達して、起き出してもう一枚着衣を増やさなければと思うほどとなった。温度計を見たら17℃となっていた。外は15℃以下になっていたに違いない。どうしてこのようなことになるのかさっぱり分からないけど、これが道東の世界なのだと改めてそう思った。この地球上では北極に近付くほど、この季節は一日の寒暖の差が激しくなるのであろうか。否、今はこの地球は大きな変動の時期を迎えているのかもしれない、と、そのようなことを思った。

 今朝の歩きは、別海町近郊の道端の野草たちの花を撮ることに決めて、いつもとは違う重いカメラを抱えて出掛けることにした。というのも昨日の野付の原生花園の花たちよりも、この町の道端の野草たちの方がより豊かにこの夏を楽しんでいるように思えたからなのだ。野付の原生花園の花たちは、何だか力衰えて嘆いているような印象だったのだが、昨日見たこの辺りの野草たちは、いつもと変わらぬように伸び伸びと花を咲かせていた感じがした。それで、今日はもっと確りしたカメラに収めておきたいと思ったのだった。

 二時間近く重いカメラを抱えながら道端の野草たちを撮り続けたのだが、面白いのは、その花ばかりを撮っていると、必ず違う奴がカメラの前に現れて、私も忘れないで!とばかりにアピールするのである。植物がそのような要求などするはずもないのだが、彼らと半ば対話をしながら歩いていると、自然とそのような現象が起こるのである。これはそのようなバカなことをしない人には決して理解できないことなのだと思う。道端の野草たちにも生きものとしての主張がきちんとあるのである。だから、この歩きには疲れは皆無なのである。10種類以上の野草たちの花を撮りながら6kmほど歩いて、最後にヤナギランとクサレダマの花を撮って、7時半近くにキャンプ場の車に戻る。楽しい時間だった。

ヤナギランの接近写真。蘭ではないけど、蘭の花のように優雅で美しい雰囲気を持つ花だ。ヤナギというのは、この植物の葉が柳の葉に似ているところから用いられていると聞く。

咲き始めたクサレダマの花。この花が道端に溢れ咲くようになると、別海町の夏は極まり、まもなくお盆を迎え、一直線に秋に向かって時が進んでゆくことになる。

 予報では、今日も昨日と同じように涼しい一日となるとのこと。半分くらいは信ずることにして、今日はどうするかと考えていたら、邦子どのが布団を乾燥させたいのでコインランドリーに行って欲しいという。本来ならば、このキャンプ場の中にある木立にロープでも張って、そこに布団を干せばいいのにと思うのだが、どういうわけなのかこのキャンプ場では木と木の間にロープを張って洗濯物を干したりすると、遊びに来た子どもたちがロープに首をひっかけて事件が起こるかもしれないから禁止なのだという。呆れ返る前に、そのようなことを無理に思いつかなければならないほど、可哀そうで且つ滑稽な世の中になってしまったことに愕然とする思いがした。このような調子で世の中の全てが運んで行かれてしまうと、やがて、日本人は自分が生き物であり、危険が常に身近にあって、それを自分の知恵で回避するという本能を捨て去ってしまうのではないか。そう思うのだが、このキャンプ場の管理思想は安全第一というのを被害に遭わないようにするのが全てと考えているようだ。町の役人がそう考えているとしたら、それは思い上がりなのだということに早く気付いて欲しいと思った。おかげ様で。2時間近くかけて人工の乾燥による健康を有料で拝受する。愚かな世の中はどんどん進んで行く様である。

 邦子どのがコインランドリーで汗を流している(空調が不備なのである)間、自分は隣の中標津まで行って、パソコンに入っているクラシックの曲を聴く為のスピーカーを買いに行く。今回は音響に関する用具を一切持参しなかったのだが、ここへ来てどうしてもクラシックの曲を聴きたくなり、そのための簡易スピーカーが欲しくなったのだ。20分くらいかけて中標津の電気店に行き。ほぼ目的通りの機器を手にいれ、コインランドリーに戻る。

 その後はキャンプ場に戻って、昼食にグリーン麺というのを茹でて食べる。ここには冷たい水もあり、暑いときには麺類は最高の食べ物となる。グリーン麺の成分が何なのか判らないけど、茹でながら気づいたのは、この面の中に含まれる塩分の多さである。概して麺類は塩分が多いのだが、この麺は特別な感じがした。大汗を書いた後なら塩分補給も大事だが、それほど汗を書いていない時に大量に食べるのはちょっと気をつけないといけないなと思いながら満腹にならないレベルで終えることにした。その後はしばらくショパンのノクターンを聴いて落ち着く。

 TVを見てみたら今日から甲子園の高校野球が始まっているのを知った。そのままTV観戦を続けることになった。若者たちが全力を尽くすのを見るのは老人の力になる。何事も全力を注いで事に集中している姿は美しい。それは己の生命を表現している姿だからであると思っている。人間は誰でも己の生命の表現者であり、その意味でアーティストなのだと思っている。甲子園の若者たちは、野球選手だけでなく、応援に汗を流している子たちを含めて青春の一大芸術祭を演じているのではないか。そのようなことを思いながら、傍観者の老人もちょっぴり心を躍らせたりした。

 16時半過ぎ待望の来訪者が来られた。地元のMさんである。先回もお越しいただいているのだが、ゆっくり話が出来ず心残りだった。教員をされていて、超お忙しい方なのである。その合間を縫ってわざわざお出で下さるのには頭が下がるものがある。Mさんは自分の倅よりも若い方なのだが、教育者として稀にみる優れたパワーを持つ人物だと思っている。この人の話を聴くのは楽しい。邦子どのがチャチを入れて、時々話の本筋を乱すので困惑することがあるのだが、それを全て呑み込んで話をして頂けるので、ありがたいことだと思っている。

 いろいろな話の中から、今回は教育現場の中から感じておられる幾つかの問題点についてお話を伺い愕然としたことがある

 一つは物事を為すに当って、パラレル(=同時並行的)な発想で対処することができない子が増えているという話。つまり、言われたことの一つだけしか出来ず、その続きもその脇にあるテーマにも気づけない子が多いのだという。「一を聴いて十を知る」という言葉があるけど、その反対現象なのだ。この「一」がもし複数の課題だとしたら、それを理解することができず、「一」の中の一つだけしか出来ないという、単細胞人間が増えているということらしい。幅のない人間が生まれているということなのか、恐ろしい現象だなと思った。

 もう一つはアトピーの子が多いという話。これには食の問題が大きく係わっている。身体に耐性が不足している子が増えているということでもある。これには食だけでなく環境問題も係わって来る。彼が指摘した問題の一つに、抗菌という発想の危険性があり、これは自分も普段からそう思っていたので、大いに首肯出来た。世の中には最近は抗菌を売り物にした商品が多い。抗菌という内容がどんなものなのか、そのレベルがどれほどのものなのか知らないけど、抗菌というのだから無菌というわけではないと思うけど、もし無菌が最高の環境なのだなどと信じる人がいたとしたら、それは人間という生き物が何なのかを忘れ果てた愚かな者と言わなければならないと思う。人間は、いや全ての生きものは無数とも思える菌類との共生によって命を維持しているのである。菌類の中には悪いものも良いものもいるけど、良いものだけと仲良くして悪い物は全滅退治するという発想は、一見当然のように思えるけど、実は菌と生きものとの共生というこの世の仕組みを人間の都合だけで動かそうという思い上がりなのだ。抗菌という発想があってはならないとは決して思わないけど、菌の全てを悪者と考える捉え方は、結果として人間の耐性のレベルを低下させ、別の菌のもたらすマイナス作用に抵抗ができなくなってゆくのではないか。バイキンとさえも共生してゆくと考えなければ人間は己自身の身体の耐性を失ってゆく存在なのではないか。自分は常からそう思って邦子どのなどに強調しているのだが、いつも鼻先笑いで扱われてしまっている。アトピー症なども親の代からの耐性不足が大きいのではないか。Mさんと話ししながら、我が意を得たりの感がした。

良いと思われていることでも、鵜呑みにするのではなく、その背景や副作用、反作用等を慎重に検討する必要があるのではないか。薬を飲めば治るという発想は、危険である。サプリメント等も同様だ。宣伝の巧みさに吊られてはならない。そのようなことを改めて思った。同時にMさんから聞いたこの二つの現象は、国家的な課題だなとも思った。日本の未来を担うべき子どもたちが、賢さを失い、身体の耐性を弱めて行くとしたら、一体どのような未来が待っているというのか。恐ろしい話である。

Mさんと話していると、時間が経つのを忘れる。ご予定のギリギリまでの時間を使わせてしまって、申し訳ない。とても考えさせられる刺激の大きな時間だった。感謝、多謝。

その後は軽い夕食の後、キャンプ場の管理事務所で開かれている軽食堂に邦子どのと一緒に生ビールを飲みに行く。久しぶりに揚げ餅を口にして、この食べ物は自分でも作るのだが、北海道ならではの開拓時代からのご馳走であり、主食の時もあったという食べ物なのだ。マスターとの話が少し弾んで、もう一杯となって満足し車に戻る。かなり寒くなりだしている。今夜もぐっすり眠れそうだ。

コメント
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