山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第89回>

2018-08-22 06:14:24 | くるま旅くらしの話

【今日(8/22:水)の予定】 

宗谷ふれあいキャンプ場 →(R238他)→ 稚内市開基百年記念塔・北方記念館 →(R40他)→ 幌延町農村環境改善センター →(R40他)→ 中川町エコミュージアムセンター →(R40・R232)→ 天塩川歴史資料館 → 道の駅:てしお(泊)

 

【昨日(8/21:火)のレポート】 天気:曇り時々晴れ

<行程>

クッチャロ湖キャンプ場 →(D・R238)→ ベニヤ原生花園 →(D・R238)→ 道の駅:さるふつ →(R238)→ 宗谷岬 →(R238)→ 宗谷ふれあいキャンプ場(泊)

<レポート>

 クッチャロ湖キャンプ場とも今日でお別れとなる。朝は少し欲張って2時間余り町中とその周辺を歩いた。ここに4日泊ったのだが、残念ながら今年はクッチャロ湖らしい夕陽を見ることはできなかった。昨日などは終日10m近い強風が吹き続けて、いつもは穏やかな湖面は白波を立ててざわめいていた。穏やかな日でないと、お天道様も穏やかな夕陽を演出できなくなるのだろうなと思った。来年に期待するしかない。

 9時半頃の出発となった。先ずは近くにあるベニヤ原生花園に寄ることにした。邦子どのの聞いている情報では、最近ヒグマの痕跡が見つかったということで、自在に園内を歩くことはできないようだ。自分としてはもう咲いている筈のサワギキョウの花に一目会うだけで良いのである。熊の出る場所まで行かなくてもサワギキョウは管理棟の近くにある筈だから、大丈夫だと思っている。

直ぐに着いて、早速カメラを抱えて花園の中へ。熊出没注意で立ち入り禁止の場所が何カ所かあったけど、いつものサワギキョウの咲いている場所は大丈夫だった。どうかなと思いながら策道を歩き始めると、直ぐにサワギキョウの青紫の花を発見することができた。この時期だと一緒にリンドウも咲いている筈なのだが、水生の雑草たちが邪魔をしていて、見つけることができなかった。浜辺まで行くのは止めて途中から引き返したのだが、他の目立つ花は少なく、草藪の中にたった一株だけ、エゾトリカブトの花を見つけて、ちょっぴり嬉しくなった。もっと慎重に見て回ればまだまだ発見できたのだと思うが、今年はもうこれまでにしようと引き上げることにした。

湿地の草むらの中に咲くサワギキョウ。この季節のベニヤ原生花園の主役の一つである。

エゾトリカブトの花。この地ではあまり見かけないのだが、咲き遅れたのか、珍しい存在だった。

さて、今日から北上を再開して郷土資料館等を訪ねることにしているのだが、今日は稚内の市街地手前にある道立宗谷ふれあいキャンプ場に泊ることにしており、訪ねるのは明日からにしようと考えている。というのも、今日は午後2時から高校野球の決勝戦があるので、電源の確保されているキャンプ場でじっくり金足農業高校が勝利するのを観たいと思ったからなのである。夕刻からは雨も降るという予報なので、電源があれば安心できるというものである。

ベニヤ原生花園を出た後、邦子どのの要請に応えるべく猿払村漁協直営のホタテの乾燥貝柱等の販売所へ。場所が少し変わっていたが、無事買い終えて、その後道を少し戻って道の駅:さるふつにて昼食休憩。猿払村はホタテの天然養殖で有名だ。稚貝を自然の海に撒いて、それを育てるのである。天然ものに近い育て方ということなのか。昼食にオーダーしたホタテカレーは、まさにこれぞホタテ入りカレーライスだ!と言いたいほど美味だった。近くに風雪の塔というのがあり、その傍に郷土資料館のような建物があったので行って見たのだが、どちらも鍵がかかっており、閉館中とあった。残念。

その後は稚内市方に向かって車を走らせる。30分ほど走ると宗谷岬に着いた。日本最北端の岬である。至る所に最北端を強調した看板などが溢れていた。ここには幕末の探検家間宮林蔵の銅像が建っている。樺太が独立した島であることを発見した間宮海峡探検の話は有名である。その時、間宮林蔵はこの地からアイヌの従者と共に樺太に向かったのである。恐らくチプと呼ばれる丸木舟のような小舟でオホーツクの海を渡って行ったに違いない。命がけの渡航だったのだと思う。間宮林蔵の生家は現在のつくばみらい市にあって、守谷市の我が家からは5~6kmほどの近さなのだ。何度もその記念館を訪ねているけど、ただ只尊敬の念が増すばかりである。

その後はキャンプ場に入る前に買い物をすることにして稚内市内のスーパーへ。買い物を終えてキャンプ場へ。キャンプ場はかなり混んでいるようだった。予約無しで大丈夫かと少し不安だったが、どうにか空いている場所があって安堵した。このキャンプ場は、繁盛期を過ぎると、料金が割引となり、我々高齢者の場合は入場料も無料となり、電源・水道完備で1泊千円で利用できるのである。ありがたいことである。受付を済まして、早速所定の場所に車を止める。

早速TVを設定して高校野球を見ることにした。14時を少し過ぎていた。TVの電源を入れると、何と試合開始前のセレモニーが始まったばかりではないか。何年前だったが定かではないが、決勝戦で、対戦した青森県の三沢高校と愛媛県松山商業高校が、延長戦でも勝負がつかず翌日の再戦でも両校投手の投げ合いが続いた凄い試合があったのだが、その時の投手だった三沢高校太田氏と松山商業高校井上氏との二人が始球式をされていた。良い企画だなと思った。

さて、ゲームが始まったのだが、両校ともかなり緊張した様子で、特に大舞台にはまだ慣れていないであろう金足農業高校の選手諸君には堅さが目立つ感じがした。攻撃面はまあ良かったと思うのだが、守備の面ではどうしても堅さが普段の動きを不意にしてしまうようだ。最初は五分五分のゲーム運びで、リードされても逆転のチャンスがあると見ていたのだが、その後の大阪桐蔭はさすがで、地力を発揮し始めた。加点が進むにつれて、もはや観戦は辛いものとなり果て、しばらく観るのを止めにした。残念ながら金足農業高校の勝利を観るゲームとはならなかった。しかし、甲子園出場の歴史の中で、日本唯一の農業高校として甲子園で優勝を争うまでの意気を発揮した彼らの健闘は限りなく高く評価されるに違いない。日本の農業はいろいろな面で多難な時を迎えているけど、いかなる国においても生命の根源を生育維持するのは大自然の恵みを育てて人々に供する農業なのだ。日本人の多くはもっともっとそのことに気づかなければならないと思う。特に若者においては、そのことに気づいて欲しいと思う。金足農業高校の諸君は、故郷に胸を張って戻って欲しい。そして、この成果を踏まえて日本の農業の本物の振興に力を発揮してほしい。そう思った。

夜遅くなって時々雨が天井を叩き、風の音が耳に異音を届ける悪天候となった。一発雷鳴が轟いたりして、邦子どのは眠れぬ夜を迎えた様である。自分の方は、雷鳴の記憶がかすかに残るだけの白川夜船だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする