山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14 東北春の旅レポート <第21回>

2014-05-29 06:11:06 | くるま旅くらしの話

【今日(5/29)の予定】 

  道の駅:喜多の郷 →(R121・R49他)→ 会津若松市内探訪 → その先未定

 

【昨日(5月28日)のレポート】    

<行程>

道の駅:おおえ →(R287)→ 大江町:左沢地区散策 →(R287・R112)→ 道の駅:さがえ →(R112・R287)→ 道の駅:しらたかヤナ公園 →(R287・R113・R121)→ 道の駅:田沢 →(R121)→ 道の駅:喜多の郷(泊) 

 <レポート>

久しぶりに雨や風の煩わしさのない一夜を送り朝を迎えた。昨夜ここに泊られたくるま旅の人たちは、早々にここを出発されたようで、残っている車は殆どいなくなっていた。十数年前の自分たちも朝は夜明けと共に旅だって、次の目的地に向かったことを思い出したりした。今は、そのような暴挙は決してしない。考えて見れば旅の中身が随分と変わってきていると思う。もう少し経ったら、一日100km以内を厳守するような時間の使い方になるのかもしれない。

今日は午前中は左沢の町並みを散策するつもりでいる。地図などを見ても良く判らないので、とにかく足に任せて歩き回るつもりでいる。朝食を済ませ、連続TVドラマを見た後、給水やトイレの処理などを済ませて左沢の駅に向かう。左沢には山形につながるJR線が来ており、左沢線と呼ばれているようで、ここが終点となっている。駅前には無料の駐車場があり、昨日確認させてもらっている。

  

JR左沢駅の景観。正面のドーム状の建物には左沢の町の四季の行事などのPR用の展示物などが巧みに紹介されている。

何度かの火災などもあって、昔の町の姿は一部しか残っていないけど、その中心街は駅の近くと少し離れた最上川岸辺にあるらしい。先ずは車を置いた後、原町、横町、内町などの商家のあった辺りを歩くことにした。立派な瓦屋根の光る土蔵付きの家も一軒だけ残っていたが、それ以外は表通りの家はありふれた普通の民家の造りが多く、特徴的といえば、表ではなく裏の方に細長く倉などが連なって造られているのが、今の時代にも使われて残っているという景色だった。写真を撮っても説明を聞かなければ判らないといった感じで、何かが足りないなと思った。

  

左沢地区原町にある旧家。商家であるらしく、この蔵風の建物のほかにも、大きな白壁の土蔵が屋敷の中にあった。ここまで残されている家は、この一軒だけだったように思う。

その後、最上川の方へ行き、川辺の遊歩道というのをあること思ったのだが、手元の資料ではどこからどう行ったらよいのかが判らず、かなり戸惑った。古い最上橋というのがあり、それは直ぐに判ったのだけど、そこに行く道がなかなか見つからないのである。まだ重要文化的景観に指定されたばかりで、案内のパンフレットなどがきちんと出来上がっていないせいなのかなと思ったりした。とにかく、あちらこちらと迷いながらの散策だった。それでも凡そのことはなんとなく理解できたように思う。

  

最上川の岸辺から最上橋を望む景観。この岸辺近くには渡し場や河岸の米蔵などがあったようである。

左沢の探訪を終えた後は、寒河江の道の駅に行って小休止することにした。大江町の道の駅はトイレなどの設備が不十分で、少し面倒だけど隣の寒河江の方が気にいっている。寒河江といえば、サクランボの本場の一つで、もう少し経てばあの愛すべき輝く頬染めた実が見られるのだけど、今はまだ畑の樹木の中で夢を育んでいる最中である。それでも寒河江の道の駅には今日も人が溢れていた。30分ほど休んで、その後は今日のゴールを予定している福島県の喜多方に向かい出発する。当初は米沢から新潟県の方を回って会津に行こうとも考えていたのだが、何も遠回りすることもあるまいと、近道を選ぶことにした。今朝来た道を戻って、R287を白鷹町の方に向かう。今朝の道の駅の電光板では、R287は、大型や中型の車は通れないので、他の道を迂回するようにと案内が表示されていたので、少し気がかりだったが、SUN号は小型なので大丈夫だと思って、そのまま行くことにした。山の中に入り、間もなく白鷹町の道の駅が近いなと思う頃に、この先通行止めで迂回路を指示する案内があった。普通なら絶対に通らないといってよい山道が、その先ずっと続いた。幾つかの限界集落とも思しき数軒しかない人の気配の殆どない場所を通って、相当に大廻りをして、ようやく白鷹町の中心街に出ることができた。既に道の駅は通り越しており、昼食時の休み場所にと少し戻って道の駅:白鷹ヤナ公園に向かう。

ここで昼食休憩とする。何か食べ物で魅力的なものはないかと探したのだが、見当たらず諦めてご飯を炊いて自前のメニューとした。物凄い暑さで、車の外は30度を超えているのは確実である。そうめんなどを食べたいところだけど、水が存分に使えないので、我慢した。この道の駅は、すぐ傍を流れる最上川に巨大なヤナが仕掛けられており、シーズンは鮎の料理などが名物である。しかし今はまだアユ漁は解禁にはなっていないので、売られている焼きものは何だか買う気にはなれなかった。鮎を味わうのは、やはり秋近い頃辺りが一番だと思う。ということで、広い駐車場には停まっている車は閑散としていた。1時間半ほど休んで、長井市方面へ向かう。

  

白鷹町の最上川に仕掛けられたヤナの景観。日本一を標榜するだけあって、確かに規模の大きいものだと思う。それは、最上川の恵みなのだとも思った。

長井市、米沢市街はどこにも寄らずにそのままパスする。長井市のあやめ公園は有名で、ちょうど今頃が見どころなのかもしれない。しかし、この暑さでは、熱中症を志願しに行くようなものである。米沢市内にも魅力的な場所が幾つかあるけど、今日はとにかく喜多方の道の駅まで行って、落ち着くことにした。米沢からR121に入り、少し行くと山が近づきそこに道の駅:田沢がある。ここで小休止する。しかしまあ、その、何という暑さなのだろう。真夏でもこんなに暑い日はないのではないかと思うほど、ジリジリと暑さが身にこびりついてくるという感じで、とても外には長い時間いられないというほどだった。もう少し山の中に入れば涼しい場所があるかもしれないと車を出したのだが、その先は木陰は反対側の方ばかりで、SUN号の行く左側には駐車できるような木陰の場所は皆無だった。やむを得ずそのまま車を走らせて、幾つものトンネルと橋を通って、あっという間に喜多方の道の駅:喜多の郷についてしまった。まだ15時前なのである。

ここも猛烈な暑さだった。日陰のある駐車スペースは2~3台分しかなく、どこへも逃げ場はない。当初は空調が効いて涼しかった車の中も間もなく暑さが侵入してきて、息苦しくなりだすという塩梅だった。仕方がないので、まだ入ったことがない「四季彩館」という建物を覗いたら、ここがまあとても涼しいのである。中には喜多方の祭りの山車や太鼓などが展示されており、中二階もあって、天井の高い蔵風の建物なのであった。これは好都合と、しばらくその中二階にある展示室のソファに身を沈めることにした。その内に相棒が呼ぶので行ってみると、会津型とかいう染めの技法があるそうで、その工房の案内資料があったので、そこへ行きたいという話だった。外へ出れば暑さに見舞われるけど、これから日暮れまでここにじっとしている寄りは気がまぎれるだろうと、喜多方市内の中心地近くにあるその工房へ行って見ることにした。

「染織工房れんが」というその工房は、道の駅からは15分ほどの場所で、行ってみると名物のラーメン屋さんなどが多く並ぶ一角の中にあった。会津型などという世界は自分には全く無縁の世界なので、それから先は相棒に任せて、しばらく古い喜多方の商店街を散策した。喜多方は会津藩の支藩のあったところで、気風も会津人と同じようである。幕末には義を通して大変な目にあったけど、その魂の確かさは本物である。明日は本家の会津若松を訪ねることにしており、あれこれその昔に思いをはせながらの歩きだった。30分ほど経って戻って見ると、相棒はまだ話に夢中のようで、これはもう待つしかない。会津型というのは染物の型のようで、大変微細な模様を描き出す型のようである。このようなファッション絡みの世界には並々ならぬ興味と関心を持つ相棒なので、これはもう一種の病の様なものだと諦めてはいる。それからしばらく経って、ようやく話が終わったらしく車に戻ってきた。そのあと、店の方から湧水があるから汲んで行けばとお勧めがあり、庭先に噴出している水を頂戴して空になっていたペットボトルを満たす。これでもう家に帰るまでの飲料水の心配はなくなった。お礼を言って道の駅:喜多の郷へ戻る。17時を回っており、間もなく日が沈むので暑さも弱まるであろう。

ようやく暑さも鎮まり始めたので、今日はどうしてもビールが不可欠と二人で乾杯して、いい加減な夕食を終えたのだったが、しばらくすると、外で「SUN号だ!」などと声をあげている人がいる。相棒が直ぐに反応して外へ出て行って声をかけていた。すると、その方は馬骨の名を出されて、自分の本を購入して下さった方だという。ブログも良くお読みいただいているとの話だった。まあ、それからいっぺんに賑やかな話となった。栃木県は那須町にお住まいのSさんで、今日は姉さんご夫妻と一緒の旅の途中だとか。大切な知人の経営されているRVランドから旅車を購入されたとかで、ますます親近感が増したのだった。その後、Sさんは我が車を訪ねて来られて、持参されたお酒とつまみをご馳走になりながら、楽しい歓談の時を過ごしたのだった。このような出会いは久しぶりのことで、嬉しかった。旅の中で、まだ一度もお会いしたことのない方から、自分のことを知っていて声をかけて頂けるというのは、無上の喜びである。つたない本だったけど、出版社がつぶれてしまって残念だったけど、書いて世に出させて頂いて良かったなと、しみじみ思った。21時過ぎまで時間の経つのを忘れて、もう、数年前からの知己のように話ができるのは不思議なことである。その内容はプライバシーなので、ここには書かない。Sさんは、奥さんがまだ現役で仕事をされておられるので、ご一緒の旅は短期間とのことだった。奥さんが引退されたら、是非我らでこぼこコンビのように、時にケンカなどしながら旅の楽しさや喜びや苦労などを大いに味わって頂きたいなと思った。今日は最後に思いもよらぬ福に恵まれた一日となった。

コメント
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