山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

14 東北春の旅レポート <第16回>

2014-05-24 06:39:29 | くるま旅くらしの話

【今日(5/24)の予定】 

  道の駅:なかせん →(R105・R13他)→ 六郷湧水 →(県道・R13)→ 横手市方面・その先未定

 

【昨日(5月23日)のレポート】    

<行程>

道の駅:なかせん →(R105・R13・県道)→ 払田の柵探訪 →(県道・R105・R46・県道)→ 抱返り渓谷 →(県道・R105・R46・R341他)→ 乳頭温泉・黒の湯 →(R341・R46・R105)→ 道の駅:なかせん(泊)

<レポート>

昨日の夕方近くになって降り止んだ雨は、今朝まで未だ降る気を衰えさせてはいないようで、昨夜も何度か天井を叩いていた。朝になっても晴れ間は覗かれず、昨日の夕方からバッテリーの残量を示す計器は赤の点滅を続けていた。それでも7時を過ぎる頃にはようやくわずかな青空が時々現れるようになり、今日は天気は回復するのだなと思えるようになった。8時からの朝ドラを見る頃には電源は回復し、久しぶりに普通のTV画面を見ることができた。

今日の予定は、先ず最初にこの近くにある払田(ほった)の柵跡の史跡を探訪しようと思っている。東北にはその昔大和朝廷が領地を拡大するために築いた「柵」と呼ばれる城壁を持つ官衙跡が幾つかあり、払田の柵もその一つである。以前これを見ようとしたのだが、場所が判らず諦めたことがあり、今日はその借りを返したいというわけである。その探訪が終わったら、田沢湖方面に向かい、どこかにたくさんある筈のバッケのトウ立ちしたものを採るつもりでいる。その後、秋田駒ケ岳の山懐の奥にある秘湯乳頭温泉の黒湯という所に行き、超本物の温泉を味わいたいと思っている。その後は、再びこのにち駅に戻り、3泊目の夜を迎えるつもりでいる。

9時過ぎ、払田の柵跡に向かう前に、少し食料を補給しておこうと近くにあるイオンの食品売り場に出向く。無くなっていたパンなどを買う。その後は大仙市にある払田の柵跡へ。今回はナビがあるので、目的地に届かぬはずはない。この辺りは一面の田んぼで、田んぼの中にその柵とやらがどのような形で作られていたのか、どうもイメージが湧かないのである。普通は古代の官衙といえば、たとえば筑波の平沢官衙のように、山裾だとか、多賀城のように小高い丘の上に造られているものと思うのに、この地では前回それを見出だすことができなかったのだった。とにかくナビの指示に従って20分ほど走ってそれらしき場所に着くことができた。

払田の柵跡は、予想を超えるスケールの大きなものだった。二つの大きな丘の森の中ほどに政庁が造られていたらしく、この森を取り巻いて二重の防護柵が巡らされていたという。この森なるものが予想をはるかに超えて、田んぼを遮っていたので、前回は物の方向から来て気付かなかったのだと思った。この柵跡は、現在も県や大学などの関係者で史跡の発掘等が進められているようで、案内の事務所の他に研究関係者の事務所なども建てられていた。先ずは、資料などのある館に入り、DVDを見せて頂く。柵城の説明と、その昔の柵の造られた時代をテーマとしたアニメと、それから柵の外側の南門の復元の状況を示すものと計3巻、50分の鑑賞だった。これで柵城のことの大半が理解できた。資料の方は、家に帰ってからゆっくり読むことにする。DVDを見る前に、昨夜相棒との話の中で、坂上田村麻呂の蝦夷鎮圧とか、源義家の奥羽鎮圧だとか、格好いいことのように聞こえるけど、元々東北の現地に住んでいた人から見れば、随分と身勝手な暴挙に見舞われた話で、大迷惑だったに違いないと話していたのだが、アニメなどの内容はまさにその通りのものだった。アイヌの人たちの暮らしぶりなどを知るにつれて、どうも大和朝廷では当たり前の話が、現地に対する侵略行為以外の何物でもないなと考えるようになった。ま、狩猟民族と農耕民族の戦いは往時の歴史の流れからは逃れられないものだったのかもしれない。平安時代の昔、遠く奈良や京都の方からやってきた万を超える軍隊が、勝手に攻め込んできて現地を占領し、そこに治世の拠点をして建てたのが柵と呼ばれる政庁の建物施設だった。

  

払田の柵跡の復元された南大門の景観。このような門が東西4ヶ所、外柵と内柵とに設けられていた。

何しろ広大な規模なので、一回りするのも難しい。とりあえず、復元された外側の柵の南門を見学し、その後政庁跡のある丘の方を往復することにした。南門は先ほどDVDでその建造プロセスを見たばかりで、釘一本も使わないとのことだったが、古代の人々の知恵には脱帽することが多い。復元して20年たった今の姿は、やはり木でできていることもあり、柵の一部は朽ちかけてきた個所もあり、木や草が生えていたりした。恐らく往時も何年か後には補修作業が講じられたに違いないなと思った。それにしても周囲が5km以上もあると思われるこの地に、大板で二重の柵をめぐらすという工事は、材料の調達を始め大変な作業だったのではないかと、往時の人々のエネルギーには驚くばかりである。その後、小高い丘の中央に造られていた政庁跡に上る。この造りは、多賀城の官衙と同じ形式だと説明にあったが、多賀城よりも規模が大きいように感じた。多賀城は、東北治世の拠点であり、それなりに重要なものだったが、それをしのぐ規模だったというのは、この柵城の持つ意味が、まだ解明されない何かがあるのかもしれないと思ったりした。ま、それらについては、この後の研究者たちが明らかにしてくれるのであろう。

  

政庁の正殿跡からの景観。四方は見渡す限りの水田となっているけど、これが造られた当時は、まだ未開の土地だったのであろう。

1時間半ほど探訪をした後、昼も近くなったので、ここを出てどこかで食事をすることにして出発する。田沢湖の辺りまで行って、適当な場所を探そうかと走っている内に、前に行ったことのある抱返渓谷(だきかえりけいこく)に行くのがいいなと気付いた。抱返渓谷というのは、上流にある岩盤浴で有名な玉川温泉の方から流れ下っている川で、角館からも近い場所にある。以前その川原近くに造られた公園に行ったことがあり、そこには広い駐車場もあるので、ゆっくり休むことができる。行ってみると、誰も居らず、片隅に車を停めて、今朝買ってきたうどんにおがわら湖で買った山芋を摩り下ろして、とろろうどんを作って食べることにした。この作業はすべて自分の担当。つまり相棒に作って食べさせてやっているという形になるわけだ。食事が済んでから、コンロを外に出して一昨日どうしても買いたくなって手に入れた赤魚の粕漬けを焼く。夕食用なのだが、今の内にここで焼いておこうというやや変則的な発想である。しかし、その後これを焼くには苦労した。魚の肉の厚みがあり、なかなか内部まで火が通らない。それに焼き網が平なので、少し風が吹くと火は下部の方しか回らず、熱効率が悪いのである。焼き上がるまでに40分近くもかかって、出来上がりはぼろぼろの形となってしまった。通常でも赤魚の粕漬けは焼くのが難しいのに、このような状況ではやはり買うべきではなかったかと反省する。

そのあとは、トウ立ちしたバッケを探して秋田駒ヶ岳山麓を乳頭温泉の方に向かう。田沢湖は何度も行っているので、今回は無視。初めはとても食べるには遅すぎるレベルとなっていたトウ立ちしたバッケが、高度があがるにつれて、次第に適当さを増して道の両側に溢れて見えるようになった。残雪が見られるようになった場所にはまだバッケ味噌に適当と思われるものもあり、まだこの辺りには春が冬と同居しているなというのが判った。適当なものがたくさん見出された場所に車を停め、中くらいの大きさのポリ袋に一杯のバッケの茎を集めた。これを蕗の茎と同じように処理して、さつま揚げなどを刻んだものと一緒に炒めるなどして食べるのである。まだ食べたことはないのだけど、黒石の焼そば屋のご主人の話では、蕗の茎よりも柔らかくて苦味もあり、酒の肴には最適な一品なのだということだった。是非明日辺りチャレンジしてみたい。とにかく春の東北を味わうためにはこのような獲物が重要なのである。

獲物を確保した後は、更に坂を登り続けて、乳頭温泉郷へ。ここには幾つかの浴場があるけど、今日は黒湯という所へ行くことにしている。細い坂道を登り出すと、無事に目的地までこの車で行けるのかといつも不安を覚えるのだが、これはもう度胸を据えて行くしかない。坂に入ると、ハッとするほどに柔らかな緑の木立が迎えてくれた。まだ50年ほどの若いブナの木立だった。一瞬息をのむほどの緑だった。今回の旅では、新緑の鮮やかさを堪能し続けているけど、これほどの優しい緑は初めてだった。思わず車を停めてその雰囲気をカメラに収める。さて、うまく収まったか。

  

やわらかなブナの新緑のトンネル。この癒しの力は、温泉のそれをはるかに上回っているように思った。

その林の中を700mほど走って、ようやく黒湯の駐車場に着く。この湯は硫黄泉なので、相棒には向いていないということで、彼女は入らないことになった。自分一人が駐車場からの坂を下り、湯のある小屋の方へ向かう。駐車場からの景観は、まさに秘湯のそれをほしいままにしていた。正面の方に流れ下る滝が見え、右手の方には渓流が音を立てて奔り下っていた。所々湯煙が立って、まさにこれぞ温泉という景観だった。受付で510円也を払い、さてどの湯に入るか。ここには混浴、男湯、女湯の三種があり、選択は男湯か混浴かの二つに一つなおのだと思うけど、受付の人に訊いたら、両方に入れば良いとのことだった。しかし二つの風呂は離れているし、近いのは混浴の方である。女性は入ることは多いのかと訊いたら、あまりいないということだったので、それじゃ、と混浴の方に入ることにした。行ってみると、誰もいない。安堵すると同時に少しがっかりしたような気持ちもある。バカモン。

  

黒湯温泉入口の景観。正面事務所の右脇の方に混浴の小屋がある。男女別浴場は左手の方。

それからあとは、ずっと一人占めの温泉の味わいだった。このよう場には小屋掛けの屋内と露天風呂が設けられており、露天風呂からは間近に渓流の奔るのが見られる。そして源泉から引かれている樋には湯煙が揺らいでいて、何とも言えない風情だった。お湯は少し硫黄の臭いのする白濁した、柔らかい感じの湯だった。このような温泉に入る時には、一切の洗いは無用である。30分ほど出たり入ったりして湯を楽しんだ後、車に戻る。戻る途中の坂道の脇にショウジョウバカマが赤い花を咲かせているのを見つけた。傍には雪が残っており、ようやく遅い春が本格化し始めたことを物語っている感じがした。

  

黒湯温泉への坂道の脇に見つけたショウジョウバカマの花。関東辺りでは3月下旬ごろに咲くのではないか。

相棒の待つ車に戻り、帰路に着く。身体が落ち着くまでに少し時間がかかった。自分ではあまり感じないのだが、多分全身から硫黄の臭いが発しているのだと思う。湯に入っている時は柔らかさしか感じなかったが、運転していると意外と体の一部がピリッと来ているのに気づいた。やはり相棒には向いていないのかもしれない。しかし、あの秘湯の湯船の雰囲気を味わえないのは気の毒ではある。ひたすら走り続けて、17時ごろ道の駅:なかせんに到着。今夜で3泊目となり、同じ場所での宿泊回数が田舎館の道の駅と並んだことになる。明日はここを出て南下の予定である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする