山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14 東北春の旅レポート <第19回>

2014-05-27 06:19:09 | くるま旅くらしの話

【今日(5/27)の予定】 

  あぽん西浜駐車場 → 道の駅:鳥海 →(R7・R47)→ 道の駅:とざわ →(R47・R13・R287)→ 道の駅:寒河江 → 重要文化的景観:左沢地区探訪 →(R287)→ 道の駅:おおえ(泊)

 

【昨日(5月26日)のレポート】    

<行程>

鳥海温泉:あぽん西浜 →(R7・R112)→(酒田市内経由)→(R112・県道)→ 鶴岡市・鶴岡公園(藤沢周平記念館) →(R112・県道)→ 羽黒山参詣(途中で中止)→(県道他)→ 道の駅:庄内みかわ →(県道・R7)→ 道の駅:鳥海 → あぽん西浜駐車場(泊) 

<レポート>

予想外の変な一日となった。昨夜のあぽん西浜の駐車場の一夜は、風も騒音もなく昼寝をした割りには快適な眠りに恵まれて大満足だった。今日は先ず酒田か鶴岡の市内に行って、気にいった所があればそこに寄って見聞した後、羽黒山に参詣して、その後は山越えして寒河江の方に抜けるか、それとも最上川に沿う道を遡って尾花沢の方に出て南下して寒河江に至るかして、近くにある道の駅:大江に泊ろうかなどと考えていた。

先ずは朝食を済ませて,鳥海の道の駅に寄った後、9時過ぎ酒田市内を目指して出発。海側を通る予定で、R112を利用することにした。酒田市街は、本間美術館や旧本間家、それに山居倉庫などは一度訪ねたことがあり、今回は特別関心を寄せることもなく、場所を確認しながら通過することとなった。酒田市街を抜けて、しばらく海岸に沿って走り、鶴岡市に入って、先日TVのどこかの局で放映された海の守り神の善宝寺というのを訪ねることにした。勿論初めての来訪である。行ってみると、立派な伽藍の並ぶ大きなお寺だった。目立ったのは明治の初め頃に10年の歳月をかけて建てられた五重塔だった。これは魚の供養のために建てられたのだとの説明板に書かれていた。海の守り神という話は自分の誤解だったのかなと思った。このお寺についてはTVを見たというだけで何の予備知識もなく、これは帰宅してから調べる必要があるなと思った。寺を後にする頃、托鉢を終えた雲水姿の修行僧らしき人たちが数人戻ってきた。この寺で修業をされている人もいるらしい。とすれば、スケールの大きいてらなのだろうなと、改めて思った。

   

善宝寺五重塔。明治16年から10年をかけて建てられた、魚の供養のための塔であると案内板にあった。漁師たちの魚への贖罪と大漁の思いとが綯い混ざったモニュメントなのだなと思った。

お寺を出た後は、ナビを鶴岡の致道博物館に設定して鶴岡市の中心街に向かう。庄内藩の藩校の旧致道館には、何年か前に一度訪ねたことがある。幕末の戊辰戦争の流れの中で、庄内藩は日和見的な動きを示していて、結局会津藩を裏切ることになったのだけど、何故か西郷隆盛には親近感大だったようで、西郷の関係する資料などが多くあったのに驚いたことがある。詳しいことは判らない。今回は特に再訪してみようという気持ちもなく、とりあえず中心街のあたりを少し歩いてみようと思ってやってきただけである。ところが博物館についてみると、駐車場は満杯で、とても止められない。やむなく駐車場を探して城跡をぐるっと回って見ることにした。昨日何か大きなイベントがあったらしく、城跡の周辺は一方通行の規制などがあって、なかなか停める場所が見つからなかった。ようやく見つけてやれやれと安堵する。しかし、城跡の傍だというのは判るけど、土地勘は全くなく、どの方向へ行けば街の中心へ出られるのか見当もつかないのである。仕方がないので、城跡の方へ行って見ることにした。

城跡は公園となっていて、昨日は天神祭というのが行われたらしく、公園の中には昨日の祭りの雰囲気をそのままにした香具師の人たちので店が幾つも並んでいた。片づけるのはもっと後になるらしい雰囲気だった。公園の中には荘内神社があり、これは庄内藩主酒井氏の鎮守だったということらしい。その脇に藤沢周平記念館というのがあり、これが覗かねばなるまいと300円也を払って中に入ることにした。藤沢周平という作家は自分の尊敬する5本の指に入る方で、その作品のほとんどを収録している。大半は文庫本だけど、書かれている内容は皆同じだから、ハードカバーや雑誌でなくてもいいのだと思っている。展示会場の中に示されている作品やその背景等については、少し物足りない感じもしたが、これは自分の感性の問題なので、とやかく言う話ではないと思う。展示場の中に大泉に住まわれていた時に使っておられたという書斎が移設されてあったが、自分の書斎と比べてきちんと整理が行き届いておられるのを見て、大いに反省した。帰ったら、書斎の見直しをしなければいけないなと思った。このように他人様のものを見て心が揺れ動いて左右されるというのは、下等の人間である証なのかも知れない。どこかでそのような声もしていた。このところしばらく周平作品からご無沙汰しているので、読みなおさなければいかんなとも思った。大いに刺激された時間だった。

  

鶴岡公園内の藤沢周平記念館。時代小説家というイメージが強いので、このような近代的な建物だったのは少し意外だった。もう少し長生きして欲しかった本物の小説家だった。

記念館を出てから、相棒の調子がおかしくなったようだった。館内の空調が寒過ぎたとかで、何だか暗い表情になっていた。それでも、ま、大丈夫だろうと、街中の方へ向かおうとしたのだが、少し歩いても商店街らしきものなど見られず、結局もっと歩くことになってしまうので、止めることにして車に戻る。名物のお菓子を買おうと思ったのだが、相棒がもう良いというので、断念することになった。それにしても判りにくい街中である。もしかしたら、一番わかりにくい場所に車を停めてしまったのかもしれない。何だか不満の残る時間だった。

その後は羽黒山を目指して走り続ける。鶴岡市街から羽黒山へは一本道のようで、しばらく走ると、大きな鳥居も見えてきた。相棒が何か言っているので、何かと思ったら、羽黒山へ行っても自分は車に残るので、あなただけ行ってきたらいいという話だった。なんじゃいそれは?それほど具合が悪いのなら、一人のこのこと参詣してみても始まるまいと思った。それほど羽黒山参詣に執心しているわけではないので、それならば行っても仕方がないと即断して、先ずは休める場所を探して向かうことにした。調べた結果、道の駅:庄内みかわというのが近くにあるのでそこを選ぶ。

道の駅:庄内みかわには何度か寄ったことがある。かなりだだっ広い敷地に何棟もの建物が立っており、温泉などの入浴施設もある。設備は整ってはいるのだけど、ここには水汲み場もごみ箱もなく、くるま旅の者には恵まれた施設とはいえない。ま、とにかく先ずは休憩ということで、着いたらすぐに相棒には寝床に横になってもらった。12時を過ぎていたので、一応昼食の準備をする。近くにスーパーも同居していたので、そこへ行き、そばなどを買い入れた。まだ山芋が残っているので、山芋を下ろしてそばに掛けて食べることにした。その前に、山菜のコゴミも買ってきたので、それを茹でて食べられるように処理した。そばの方は、相棒も食べるというので、二人分を用意する。[1]ドタバタしている内に2時間以上が過ぎ、相棒も少し落ち着いてきたようなので、今夜ここに泊るかどうかの検討の話となった。ここは一晩くらいならどうにかなるのだけど、それにしても風当たりの強い場所で、今もかなりの強風が車を揺らしている。これじゃあやっぱり落ち着かないと、結局調べた結果、昨日泊った遊佐町のあぽん西浜の方がずっといいということになり、もう一度戻るということに決めたのだった。ここからは35kmほどあるのだけど、一番近いし何よりも昨日泊っているという安心感がある。

というわけで、振り出しに戻ることになって、それからはひたすらR7を走って、14時40分頃には到着する。もうここから先は特に書くこともない。

 

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