山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14 東北春の旅レポート <第23回>(最終回)

2014-05-31 03:00:01 | くるま旅くらしの話

【昨日(5月30日)のレポート】    

<行程>

道の駅:はが →(県道・R294)→ 自宅 

<レポート>

今回の旅の最後の朝を、栃木県は芳賀町の道の駅で迎える。今日も良く晴れた朝で、猛暑日となるらしい。朝食を終える7時半頃には日射しは一気に強くなり始め、紫外線を肌で感じるというほどになってきた。今日はこれから一路我が家を目指すだけである。ここからだと2時間ほどで着くことが出来る。出発する前にこの道の駅の売店で、明日から必要とする野菜類を手に入れなければならない。芳賀の道の駅の野菜売り場は、近郊の人たちが競って買いに来るほど、新鮮で良品質の野菜類がリーズナブルな価格で販売されている。店の開店が9時なのでそれまで少し待つこととなった。気の早い人が何人か、10分ほど前から入り口に並んでいた。5分ほど前にドアが開けられて開店となる。定刻を厳守するのも大切かも知れないけど、お客が並んでいるのだから、少し早くドアを開けるのは、もっと大切なルール違反であっていいように思っている。早速2軒分の野菜類を見つくろって買い入れた。その後直ぐに出発して我が家に向かう。無事、我家に到着したのは、11時5分だった。猛烈な暑さである。それから後は荷物の運び出しなどに大童だった。約1カ月ぶりの孫の顔は、より逞しくなっていた。

<旅を終えて>

4週間を予定していた旅は、暑さのために3週間となってしまったが、特段のトラブルもなく無事に家に戻ることが出来て、先ずはメデタシというところであろう。今回の旅は、東北の春を訪ねることだったが、連休明けの出発ということもあって、思ったよりも春の姿が夏寄りになっていたというのが感想だろうか。しかし、前半の青森県辺りは暑さと寒さが入り混ざって、それも真夏と真冬という感じで体調管理に難しさを覚えた。特に相棒はそれが少し応えたようだった。天気に恵まれたというよりも翻弄されたと言った方が当たっている感じがするのは、老人世代に入っている証拠なのかもしれない。とにかく無事に戻れて良かったと思う。

さて、旅の前に10項目ほど楽しみを掲げたのだが、その結果はどうだったのか?整理してみたら、ちょうど半分しか実現できなかったという結果になった。実現できなかったのは、①あがりこ大王に逢うこと②小川原湖畔での静養③羽黒山参詣④喜多方ラーメンを味わう⑤会津若松の歴史探訪の5項目である。それらの理由の殆どは天候によるものである。特に暑さには参った。何かをじっくり見たいという場合は、歩かなければならないのだが、暑過ぎると体調を崩すことになり、これはもう避けなければならない。終盤の④⑤は完全に暑さのせいである。又①②③は悪天候が背景にある。これらは天の為せる業であり、この場合は決して無理をしないというのが肝心と心得ているので、次の機会に先送りした次第。

ところで願いが叶った楽しみといえば、⑴重要文化的景観の探訪⑵パンダ豆の購入⑶奥入瀬渓流での朝食と野草観察⑷バッケ味噌作り⑸鯵が沢の焼きイカの賞味、の5項目であるが、その中で最大のものといえば、それは⑴の重要文化的景観の探訪と⑷のバッケ味噌作りである。

重要文化的景観は、東北には現在3カ所が指定されているけど、それらの全てを訪ねることが出来て、満足である。一関の本寺地区ではTVのインタビューを受けるハプニング、遠野の荒川高原牧場では山菜の王様のタラの芽の大量採取、大江町の左沢では特に何もなかったけど、それぞれの歴史的背景に思いを寄せることが出来て、十二分に楽しむことが出来満足である。旅にはいろいろな楽しみの目的を持つことが大事だと思っているけど、我々の場合は、今のところ、国指定の「重要文化的景観」と「重要伝統的建造物保存地区」の二つを取り上げている。いずれも日本国の歴史や記憶につながるものであり、今まで忘れて過ごしていたことを思い出し、振り返る上で大きなヒントや感動を得ることが出来るように思っている。これからも旅の中にこれらを織り込んで見聞を広げてゆきたい。

今回の旅の中で、東北の春を身を以て実感できたのは、何といっても2度のバッケ味噌作りだった。青森県は田舎館村の道の駅に3泊もさせて貰って、2度のバッケ味噌作りを楽しんだのは、大きな喜びだった。山菜を採る喜び、それを材料に完成品を作る喜び、そしてそれを味わう喜び、更に付け加えられるのは自慢げに知人に贈る喜びである。旅の中でこれほど多くの喜びを味わえるのは、何という幸せなことなのだろうか。まさに自画自賛の心境である。2度にわたり、10数個のバッケ味噌の瓶詰を手にしての凱旋は、まさに東北の春をそっくり持ち帰ったような心地なのである。これから先もこのバッケ味噌づくりは東北春旅の核となりそうな気がする。

7年ぶりの東北春の旅は、楽しみだけではなく、東日本大震災のその後を、釜石から久慈辺りまで、車窓から眺め続けて、様々な複雑な思いにとらわれたのだった。海岸線の惨状は少しも変わらず、黄色い花を咲かせたペンペン草のような野草に覆われて、無言のままだった。自分が生きている間に、この姿が元に戻ることはないのだなと思った。海に近い丘の中腹に黒く光る墓石の連なるのを見て、無念を残してあの世に旅立たれた方たちの冥福を祈った。福島の方は通らなかったのだけど、原発事故の被害が加わったエリアでは、その悲惨さは現代の最悪の姿となっているのではないか。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の不気味さをそのまま実現している町や村があることを、決して忘れてはならず、改めて脱原発の重要さを思ったのだった。

 

今回の旅の中で、一つ気づいた課題がある。それはもう一度自分なりのくるま旅のガイド書をまとめておきたいということ。というのも旅の中で何人かの方に出会った際に、これからくるま旅を始めようと考えている方が車に近づいて来て話かけられた際に、手渡せるものが何もないからである。出版社がつぶれて本は増版が叶わず、又手作りの本も在庫が無くなってしまい、口でしか情報を伝える手立てがないのである。もう面倒臭くなって、本作りはいいやと思っていたのだけど、本を読まれたという方に声を掛けられたりすると、やはり書いておいてよかったなとしみじみ思ったりもするのである。うぬぼれていうならば、もしかしたらガイド書を書くのは自分の務めなのかもしれない。集大成のつもりで、もう一度まとめてみようと思ったのだった。半年くらいの間に何とかつくり上げたいと思っている。

 

旅から戻って、明日から又いつもの平凡な暮らしに戻ることになる。身体も相当に鈍ってしまっている。心を入れ替えて、7月からの北海道の旅に出掛けられるように、日々の暮らしを充実させてゆきたいと思っている。(おわり)

 

コメント (2)
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