山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第3回>

2013-05-25 06:30:21 | くるま旅くらしの話

 【今日(5/25)の予定】 

  道の駅:山中温泉ゆけむり健康村 → 福井市経由若狭方面へ(詳細未定)

 【昨日(5月24日)のレポート】      

<行程>

道の駅:白馬 → 道の駅:小谷 →(糸魚川経由)→ 道の駅:越後市振の関 →(富山バイパス)→ 道の駅:万葉の里たかおか →(金沢バイパス)→ 道の駅:しらやまさん → 道の駅:一向一揆の里 → 道の駅:こまつ木場潟 → 加賀藩(加賀市菓子ドライブイン) → 道の駅:山中温泉ゆけむり健康村(泊)

 <レポート>

白馬の一夜は、快適だった、と書きたいところなのだが、その実はほとんど眠れなかった。8か月ぶりの遠出の旅に興奮したのか、或いは眠り薬がないためだったのか、はたまたあまりにも早い就寝時刻のためだったのか、隣人の相棒の寝息が強度を増すのを聞きながら、寝禅など奥の手を使ってみたのだけど、どうにも快眠を得るには至らなかった。眠れないときは眠くなるまで起きて待つというのが持論なのだが、それは家にいる時の話であり、旅に出た車の中では、起きていれば電気を消耗することになり、これは限界があり、眠くなるまでに消耗してしまう危険性もある。それゆえ、寝床の中でじっと目を閉じてひたすら眠りが来るのを待つしかない。しかし、眠れなくても身体の方は自然と日中の疲れを回復すると思っているので、特に焦ることはない。眠れないのは頭の方だけなので、起きて居たければ勝手にすればいいんじゃないの?というもう一人の自分がいるので、そいつの考えに従って眠れない自分を傍観しているだけである。そんなことをしているうちに2時が過ぎて、寝床に入ってから7時間ほど経った頃にようやくちょっぴり眠りらしい眠りがやってきて、ストンと2時間ばかり我を忘れたのだった。小鳥たちの声に気付いて時計を見たら4時だった。ブログの記事を書かなければと起きだして書いたのが、昨日のレポートだった。まったくの書き下しで、見直しの一度もしていない。旅の間は恐らくたくさんの誤字が生み出されるのだと思う。読書子には、行間から正解を見出して頂いて中身のご理解を頂きたいと願っている。まことに横着で申し訳ないとは知りつつもお許し頂きたい。

さて、昨日は堀金の道の駅を止めて、R147・R148を北上して白馬の道の駅に泊ったのだが、今回何故この道を選んだのかについて少し述べておきたい。それには二つほど理由があって、そのひとつは中央構造体(帯)という日本国の地形・地質を構成する大地の背骨のようなものがあり、この国を東西に分けているとされる静岡・糸魚川ラインの道を一度は通ってみたいと予てから思っていたのだった。それがR147とR148の国道ということになるのだけど、この道はまた、その昔は千国街道と呼ばれ、日本海側と信濃の松本エリアを結ぶいわゆる塩の道と呼ばれる交易の道だったということである。この道が実際にどのような場所をどのように通っているのかをこの目で見ておきたいと思っていたのである。昨日はその半分ほどを通って来たのだったが、中央構造体の方は判るはずもなかったけど、塩の道の方はいつだったか見た数々の道祖神の顔などを思い浮かべながら、その昔の人影少ない細いけど大切だった山の中の道のあり様を思い浮かべたのだった。高い山々に囲まれた谷間を流れる川に沿って、その昔は道が続いていたのであろう。道祖神に祈る道に沿って住む人たちや旅人たちの思いがなんとなく伝わってくるのが分かるような雰囲気の道だった。現代は車の中からそのようなことを思い浮かべる時代であり、不謹慎なのかもしれないけど、まあ、勘弁して頂きたい。さて、今日はどのような道を通るのだろうか?

朝、ネットのニュースを見たら、三浦雄一郎さんが80歳エベレスト登頂を見事に達成されたとの報道があった。先日から気になっていたのだが、昨日のアタックが成功したとのこと。心から祝福したい。この方の登頂へのチャレンジは、自分などのまだ半端な老い方しかしていない者にとっては、大きな励みになる。3月にTVで彼のチャレンジへの話を聴いて、自分自身もやってみようと始めた歩行鍛錬は、その後驚くほどの成果を上げ、相当に健康への自信を深めたのだった。三浦さんに比べれば、まだまだひよ子にすぎないけど、この恩恵をこれからも大事に継続して享受したいと思っている。うれしいニュースだった。どうぞご安全に下山されて、凱旋の帰国をして頂きたい。

白馬の道の駅は売店の営業開始が9時からとなっており、待ち切れずに少し早目の出発となる。今日は快晴で、青空の向こうに白馬の山々の白い輝きがほんの少し見えるのが気がかりだった。道の駅は少し外れの方に造られているらしく、山々の全貌は見えないのである。出発して少しゆくと、巨大な白き神々の座が間近に目に飛び込んできた。おもわず駐車場所を探し、車を止め、カメラを取り出す。しかしあまりにも大きな景色のため、カメラに収めるのは難しかった。それでもカメラを叱りながら何回かシャッターを切る。白馬村は、スキーのメッカとは聞いていたけど、道路の両側にはしゃれた家々が幾つも立ち並んで、とても山中の村だとは思えなかった。                                                         

  

白馬村からの白馬連峰の景観。どれがなんという山なのか、さっぱりわからない。神々の白き座という言い方があるけど、まさに神の座す白き峰々という厳かな気持ちになる景観だった。

少し走 ると小谷村となった。ここもやはり冬のスポーツ観光に力を入れている場所というのが分かる。何しろはじめて通る道なので、何もかもが珍しい。自分は冬のスポーツは全部だめで、スキーもスケートも全く経験がなく、雪や寒さの体験といえば、20代に冬山に出かけていたことぐらいしかない。それゆえ、このような場所にまずーっと無縁だった。それはこれから先も同じことだと思う。せめてこれからは、冬に栄える場所を冬以外の季節に訪ねることぐらいはやってみたい。今回はその手始めとなるのかもしれない。小谷にも道の駅があり、そこには温泉もあるとガイド書に案内されていたが、なかなかその場所に着かなかった。トンネルを抜け、厳しい曲がりくねった坂を下った急流を見降ろす小さな平地にようやく道の駅の建物を見つける。中を見ると、店の開店は10時からだという。まだ30分も先の話だ。山菜が残っていないかと期待していたのだけど、相棒が店の人に聞いた話では、もうほとんどないとのことだった。それでは30分待つ意味がないので、先に行くことにした。

さあ、それから先が大変だった。何が大変かといえば、国道のあり様である。姫川の急流が流れ奔る複雑な谷間を縫って、幾つものトンネルや洞門が連なっており、それらのほとんどが皆曲がっているのである。曲がりくねっているトンネルというのは緊張する。しかもあまり高さのない感じの狭い道なのだ。洞門に入ると垣間見る山峡の渓流が、はるか下の方に見えるのだが、その昔の塩の道というのは一体どこをどう走っていたのかと思った。小谷村というけど、ここは小谷などではなく、超大谷という感じの場所だった。四国の大歩危・小歩危やこれから通る越後の親知らずなどと比べてもその危険度は変わらぬほどの難所なのだった。こんな場所を昔の人たちはどんな気持ちで通ったのだろうか。謙信が信玄に塩を贈ったという話は有名だけど、その塩もこの道を、この難所を通って行ったのだろうか。さまざまな思いの駆け巡る通行だった。

ようやく難所を通過し、少し平らになったかと思うと、間もなく日本海近くとなり、糸魚川に出て、R8に入る。途中姫川の川原に降りてヒスイの原石でも探そうかなどと考えていたけど、巨岩混ざりのごつごつした石ばかりの川原を見たら、その気は消え失せたのだった。糸魚川からは、日本海に沿って、富山を目指しての走行となった。この道は何度も通っており、なんとなく安心感がある。やはり初めての道というのは緊張感が大きいものだなと、中央構造体の静岡・糸魚川線を通って改めて感じたのだった。今日の日本海は、風もなく穏やかに光の中に横たわっていた。しばらくは、親知らず付近の海に突き出た難所に苦労して造られた道を慎重に運転して進む。それでも先ほどの小谷村と比べれば緊張は少ないように思った。親知らず辺りの北陸道架橋の下に、道の駅があるのだが、今日はパスして先に進む。しばらく走って、新潟県と富山県の県境近くにある道の駅:越後市振の関にて小休止をする。

ここから先は特に当てもなく行けるところまで行って適当な所で泊る考えである。一つだけ目標があるのは、白山の堅豆腐を何とか手に入れたいということ。これは白山山麓の道の駅にあるはずだと思っており、金沢から先は白山方向へ寄り道する考えでいる。世の中にはいろんな種類の豆腐があるけど、自分としての三大好物の豆腐といえば、今のところは五箇山豆腐、五木の豆腐、そしてこの白山堅豆腐ということになる。自分は豆腐大好き人間で、木綿のしかも堅いものほど魅力を感じている。白山堅豆腐はその頂点に立っているのである。その堅豆腐に惹かれて出発となる。

富山県に入ってからは、ただひたすらに西走を続ける。黒部、魚津を抜け富山市はほぼ高速道に近いバイパスを走り抜け、とりあえずは昼食をと高岡市内にある道の駅:万葉の里たかおかを目指す。2時間近い連続走行でかなり疲れた。13時少し前にようやく高岡の道の駅に到着。ここは初めて寄る場所だった。弁当を買うかそれとも食堂にするか迷ったが、温かいものの方がよかろうと食堂にした。食券スタイルの簡易食堂である。自分は昨日に引き続いてラーメンをオーダー。ふだんあまり食べないものほど食べたくなるものらしい。カロリーオーバーを承知しながらの蛮行である。ホウレンソウだらけのグリーンラーメンは美味かった。一息入れて出発。

高岡からは源平合戦で有名な倶利伽羅峠を越えて百万石の城下町金沢へ。街の中心から少し外れたバイパスを走って、金沢を通過し、野々市から左折してR157を白山市の方へ向かう。道の駅:しろやまさんというのがあり、てっきりそこが堅豆腐を売っている場所だと思い込んでいったのだが、行ってみてイメージとは違うのに気付き、相棒と二人苦笑しあうこととなった。しばらくこの辺に来ていないので忘れていたのだけど、堅豆腐のあったのは一向一揆の里というもう少し先の道の駅だった。気を取り直して先に進む。間もなく道の駅に到着。さっそく売店へ。あった、在庫ありである。3種類くらいあり選ぶのに迷ったが、一番高いものをチョイス。パックに入った1丁が270円也。普通の豆腐の半分くらいの大きさだけど、質量はぐっと重く、もうそれだけで嬉しさは倍加する。

豆腐を買って、さてこれからどうするか。しばらく考えて、今日の泊りは加賀の名湯の一つ、中山温泉に道の駅があるので、そこへ行ってゆっくり風呂に入り疲れを癒すことにした。ここからはそれほど遠くはない。小松市の方に向かい、しばらく走るとR8のバイパスに出た。これを左に行けば加賀方面に行くことになる。このバイパスは自動車専用道路といっていいほどだ。しばらく走ると道の駅の看板があり、どうやら新しい道の駅ができているようである。ちょっと寄ってみることにした。道の駅:こまつ木場潟というのがその名称だった。新しい建物に新しい駐車場、停まってる車も皆新しいように見えた。古いのは自分たちのSUN号だけ?これは冗談。野菜の中からルッコラとすぐり菜というのを買う。サラダ用である。

道の駅を出て、しばらく走ると加賀市に入りR8はバイパスは本道と一本となる。少しゆくと菓子舗の大型ドライブインの加賀藩がある。ここには度々寄っている。加賀福というあんころ餅風の銘菓もあるけど、それよりも相棒はここにある折り紙博物館に関心大であり、そこを訪ねることが多い。今日もちょっと覗いてみたのだが、もう17時近くになっており、お菓子の製造工程の稼働は終わっており、来客もほとんどなく、自分はすぐに車に戻った。相棒は折り紙博物館を訪れたらしいけど、空調が身体に合わなくなったらしく、途中で気分が悪くなったと言って間もなく戻ってきた。それじゃあ、温泉に浸ることにしようと、山中温泉方面に向けて出発する。

10分ほどで今日の泊りを予定している道の駅:山中温泉ゆけむり健康村に到着。ここは温泉街からは少し離れた場所にあり、日帰り入浴施設が併設されている。この辺りに来るといつも利用させていただいている場所でもある。車を止め、今日はTVも見ることにしようと、BSアンテナの設定を行う。久しぶりの操作なのでなかなかうまくゆかず手間取る。この作業は一人では無理で、相棒との共同作業となるのだが、まず呼吸が合った試しがなく、いつも互いがイライラすることが多い。今日もやはりそうだった。それでもどうにか設定を終え、19時からの鬼平犯科帳も見ることだできるようになった。まずは温泉に入ることにして,相棒も一緒に行くのかと思ったら、先ほどの加賀藩以降どうも気分が悪いので、しばらく横になって様子を見ることにしたいという。それならば、お先に一人でと出かける。

ここの湯も柔らかくていい泉質だ。特に露天風呂がいい。岩に囲まれた湯船に浸っていると、どこからともなく山中節の唄が流れ聞こえてくる。それを聴きながら手足を延ばして昨日、今日の疲れを湯に溶かす。いい気分である。昨夜はほとんど眠っていなかったこともあり、頭のどこかに重いものが沈んでいるような気分なのだけど、これで車に戻って堅豆腐でビールを一杯やったら、爆睡間違いない。そう思っただけで、なんだか嬉しくなってしまう。しかし、反面、相棒の調子はどうなのだろうかと、別の心配がよぎる。はしゃいでいたと思ったら、突然身体がおかしくなって落ち込むことが良くあるので、まあ、慣れてはいるとは言うけどやはり心配ではある。そうそう、先ほど受付で何やら籤を引いたらこれが当たって、無料の入浴券というのを頂戴したのだった。相棒が入るのならば、これを使えばいいのにと思った。ということで、車に戻ったのだが、相棒はまだ寝床の中で、大丈夫か、と訊いてもどうもはっきりしない。こんな時は風呂になど入らない方が良いに決まっている。

結局、そのあとは自分だけが堅豆腐で一杯やり、相棒は風呂にはゆかずほんの少し堅豆腐をつまんだだけの夕食を済ませ、鬼平犯科帳を最後まで見た後、二人とも寝床に潜るという顛末となった。勿論、自分の方はあっという間の爆睡で、昨日の不眠の分は完全に取り戻してお釣りの来るくらいの快眠だった。相棒は、加賀藩の空調の影響が原因などではなく、二日間で500km以上もの長距離を、助手席でうたたねなどをした疲れが出たらしく、そのせいで突然の不調を来したようだった。ま、大丈夫でしょう。今日はここまで。

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