山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第4回>

2013-05-26 05:47:38 | くるま旅くらしの話

【今日(5/26)の予定】 

  道の駅:シルクのまちかや →(R176・R9)→ 道の駅:農匠の里やくの →(R9・R176) 宮津・天橋立方面 →(R178)→ 丹後半島・伊根方面(詳細未定)

 

【昨日(5月25日)のレポート】       

<行程>

道の駅:山中温泉ゆけむり健康村 →(R8)→(福井市・鯖江市・武生市通過)→ 道の駅:河野 →(敦賀市通過)→(R27他)→ 道の駅:若狭熊川宿 →(R27)→ 瓜割り名水公園 →(R27他)→ 若狭小浜お魚センター他 →(R27)→(舞鶴市通過)→(R27・R175・R178・R176)→ 道の駅:シルクのまちかや(泊)   

 <レポート>

昨夜は真に快眠だった。眠りが浅くなってもすぐに深い眠りの波が何度も押し寄せてくるのを実感できるような嬉しい眠りが続いた。4時に起き出すまで、一時の無駄もないような快眠は久しぶりのことである。2~3日不眠が続いたとしても、これほどの快眠がもたらされるのなら何の心配も無用である。眠るとはあの世に行くのと同じことだと自分は思っている。良く眠るとは良く死ぬことでもある。生死の違いは、目覚めるかどうかの差にすぎない。中途半端な眠りは不幸なことだと思っている。昨夜は実に良く死ねた幸せな一夜だった。(少しオカルト的な悟りなのかもしれない)ところで、相棒さんの方はどうなのだろう。少し気分は良くなったようだが、まだ少し頭の重さが残っているとか。連日の長距離走で疲れが出たのであろう。それほど心配することもなさそうである。ま、無理は禁物だけど。

自分の方は快眠だったのだけど、ブログを書き終える頃に急に腹が刺し込み、トイレ行を余儀なくされた。どうやら昨夜の堅豆腐が朝になって少し悪さをしたらしい。その後も2度ほど強制的な通いを免れなかった。しかし、出発する8時半ころまでにはどうやら落ち着いて大事には至らなくて幸いだった。二人ともそれぞれの疲れ方をしていて、その特徴が出たのかもしれない。これを乗り越えれば、もはや問題はないと思っている。

今日の行程も基本的には移動ということになる。従って目的地は決めることはできない。若狭湾のエリアのどこかの道の駅にでも到達できればいいと思っている。あえて目的はといえば、それは若狭の名物のサバの串焼きをゲットするくらいであろう。サバ寿司にも多大の魅力を感ずるが、カロリーのことを考えれば、どちらか一方を選択しなければならず、自分としてはやはり串焼きを選ぶことになる。酒がないのが問題で、誘惑に負ければ一本買い入れるということになる。さて、どうなるかはゲットするサバ君次第である。と、まあ、他愛もない目的なのである。

山中温泉からは昨日来た道を戻り、R8に出て福井方面を目指す。この道も何度か走っている。いつもだと永平寺や一乗谷朝倉氏遺跡などに寄るのだけど、今回は若狭から先の日本海側の京都を訪ねたいと思っているので、脇道や寄り道は極力しないことにしている。車は順調な流れで、福井市街を通過し、隣の鯖江の市外で給油を行う。この辺りの油価は高くて、守谷なら軽油はL当り120円なのに、スタンドは軒並み130円以上を表示している。中には140円などというものもあり、一体何を考えているのかと思うほどなのだった。そんな中で、122円というスタンドを見つけ、やれやれと思った。ここでは妙な籤のついた機械があり、それをストップさせるとさらなる割引のサービスがあった。その結果4等賞でL当り2円の割引が加算された。従って守谷と同じ120円で給油することができ、大満足だった。くるま旅では、燃料代はコストの重要な要素を占めることになるので、1円の差を大事に扱う必要がある。安い店があると、すぐに給油することにしている。

給油を終えた後も車の流れは順調で、敦賀に入る手前にある道の駅:河野というのに寄り一息入れる。この道の駅は、若狭湾に突き出た高所に造られており、若狭湾を一望することができる。今日の若狭湾は、天気が良すぎるくらいで、ぼやっと霞んでいた。いつもここへ来ると思うのは、サバ君たちはどの辺りを泳いでいるのかなあということである。若狭湾とサバ君は自分の頭の中では超密接に癒着しているのである。

一息入れた後、しばらく断崖に沿ったトンネルや洞門の多い曲がりくねった道を下りる。右手下には若狭湾が広がっているのだけど、その景観を見る余裕はない。しばらく走ると敦賀の街が見えてきた。坂を下りて、街中への入口の所で道を間違い、旧道の方へ入ってしまった。引き返す余裕もないので、そのまま街中へ。おかげさまで、敦賀の中心街の一部を通ることとなり、いつもとは違う景色を見ることができた。とはいっても只のアーケード街を通っただけである。気比の松原などに寄ればいいのだとは思うが、今回もその気にはなれない。松原の近くに水戸天狗党の首塚があり、幕末のころの水戸人の一つの生き方の典型を見る思いがあるのだけど、そこへ寄るのは相棒の忌むところなので、今回もパスする。間もなくR27に出て、ここからはひたすら小浜市方面を目指す。この辺りの道路はいつの間にか相当に整備されて、前回通った時よりもトンネルなどが増え、ずいぶんと通りやすくなっているのに驚かされた。北陸道と舞鶴道とをつなぐ工事がかなりのスピードで進んでいるようで、それと合わせて幹線国道も整備が進んでいるのかもしれない。

しばらく走って、そろそろ昼食時を迎えるので、昼食はR27から琵琶湖に向かう道を少し行ったところにある道の駅:若狭熊川宿に行き名物の焼きサバ寿司を買うことにして少し寄り道をする。熊川宿というのは、その昔の若狭と京都を結ぶ鯖街道といわれる道の中にあった宿場町の一つで、現在もその昔の姿を良く残している。何年か前に一度その町並みを往復して歩いたことがある。道の駅に行ってみると、何とものすごい混みようで、車を止めるスペースがない状態だった。やむを得ず道脇に車を待機して、相棒だけが焼きサバ寿司を買いに行くという羽目になった。これじゃぁ、ここでゆっくり休むこともできないので、少し先にある瓜割りの名水のある公園の駐車場に行って休むことにする。とにかく、外は暑くなっており、気温は30度近くになっているようだ。

少し走って名水公園に到着。ここの水は愛飲している。水を汲むための通行手形も持参しており、昼食の後存分に名水を汲むことにしている。駐車場は木陰がない場所なので、外に出ると厳しい暑さだけど、車の中は風も通って快適だった。さっそく焼きサバ寿司を味わう。相棒の説明では、この焼サバ寿司というのは熊川宿が発祥の地だとか。サバ寿司は脂の乗った鯖を酢で〆たものが載っているが、この寿司は焼いた鯖が載っている。その分濃厚さが劣ることになるのだけど、あっさり感のある分だけ、それを好む人も多いということだろうか。自分は鯖大好き人間なので、どんなものでも鯖が一緒ならば何の問題もない。ま、あれこれ講釈などし合いながらの昼食だった。久しぶりに飲んだ八女の緑茶は旨かった。これは去年の九州への旅で買い求めたものだとか。

昼食の後は、自分は水汲み爺さんとなり、相棒は名水の源泉の瓜割りの滝の方の散策へ出かけて行った。通行手形を張ったポリタンで何往復化して車の水槽を満たし、その後飲料のペットボトルを満たす。最後にポリタンに水を満たして水汲みは終了。ひっきりなしに水汲みの人が車でやってきて、ここの水は相当に人気があるようだ。確かに美味い水である。これでしばらくは水の心配はなくなった。一息入れていると相棒が戻ってきた。いい顔になっていた。清水の源流のマイナスイオンを存分に吸ってきたようで、今まで残っていた頭の重さが吹き飛んだとか言っていた。水汲み場からは木立の森の中を300mほど上の方に小さな滝があり、そこが名水の源流となっている。そこを往復すれば、どんな邪心も邪悪な病も浄化されるに違いない。大いに結構なことだ。

水を汲んで少し重くなった車体を元気づけながら更に西行を続ける。次は小浜のフィッシャーマンズワーフに行って、今夜のおかずの串焼き鯖をゲットするのである。土曜なので混んでいるかと心配したけど、駐車場にはかなり空きがあって心配無用だった。このところ串焼きサバはフィッシャーマンズワーフではなく、すぐそばにあるお魚センターの方で買い求めている。自分的には魚市場に似たスタイルのこちらの店の方が気に入っているからだ。太った鯖が串に巧みに刺されて焼かれていたものを1本買う。1千円也。これを見たら、やはりアルコール無しというわけにはゆくまい。昨日に引き続いて禁を破って、この後酒を買うことに決めた。今日はビールではなく日本酒でゆこう。なんだか元気が出てきた。小浜で買い物をしているうちに、今日の宿は宮津の少し先の加悦(かや)町にある道の駅にしようと決める。

小浜から出た後は、ひたすら舞鶴方面に向かって走る。途中スーパーで酒と大根などを買う。大根は焼きサバ用のおろしを作るために不可欠だ。1本200円近くもするのには驚かされた。概して今まで通ってきたエリアの諸物価は守谷と比べて高い感じがする。守谷ならば大根はせいぜい150円くらいではないか。こうしてみると、自分たちは結構良い所に住んでいるのだなというのが解る。大根一本にも暮らしの重さがのしかかっているのである。舞鶴では、久しぶりに自衛艦などをチラリ見した。相棒は嫌いのようだけど、自分は戦争を抜きにしての戦艦には興味大である。舞鶴は引き上げの人々の懐かしさと哀しさの名残の積もった街であるけど、自分たちは今まで通過するだけで一度も街中を歩いたことがない。いつかじっくり歩いてみたいと思いながら、今日も通過したのだった。

舞鶴から少し行って、由良川の橋を渡り右折して宮津の方に向かう。宮津といえば天橋立が有名だ。明日もしかしたら訪ねることになるかもしれない。以前、あの松林の続く砂嘴の地を歩いて向こう側まで行き、帰りは観光船で戻ったことがある。結構良い思い出となっている。明日の再チャレンジは天気と相棒の体調次第である。さて、どうなるか。そのようなことを思いながら天橋立を通り過ぎて、与謝野町へ入る。少し行って左への道を曲がると加悦町へ向かうことになる。この辺りは丹後ちりめんで有名だ。織物のことは自分はよく知らないけど、相棒は結構詳しくて、丹後ちりめんには手が届いていない愚痴を何度か聞かされている。高価なものらしい。買ってあげるなどというおこがましい気持など一度も持ったことがなく、欲しいものは自分の可能な範囲で買えばいいじゃないかというのが、結婚以来の自分の考えで、財布の中身がどうなのかなど考えたこともない。貧乏人出身者には二つのタイプがあって、その一は貧乏を脱出しても財布の中身の細部にこだわるタイプ、もう一つは貧乏を脱出できたら2度と財布の中身など考えたくないというタイプである。自分は依然として貧乏を脱出したとは思われないけど、財布を相棒に預けて以降は家計のことを考える煩わしさからは脱出できたように錯覚している。ま、無責任といえば、これ以上の無責任はないのかもしれない。一体何の話だっけ。

間もなく今日のゴールとなった道の駅:シルクのまちかやに到着。しかし、実際はこの道の駅ではなく、少し先にある温泉入浴施設のある「リフレかやの里」というのがいつもお世話になっている場所なのだ。道の駅は坂の途中にあり、駐車場も狭くて利用しにくい感じがするので、こちらに来てしまう。今日もそうさせていただくことにした。TVの設定など泊る準備を終え、相棒は温泉に入りに出かけて行った。まだ17時を過ぎたばかりで、陽は高く残っている。相棒が戻るまでブログのレポートを書くことにして取り組む。あっという間に1時間余が過ぎて、相棒が戻ってきたのだが、ブログの方はホンの書き出しといった感じでさっぱり進まない。恐らく、この後に控えている焼きサバ君とお酒のことが気になっているのであろう。上機嫌の相棒の話を聞かされているうちに、ブログは止め、さっそく楽しみを味わうことにした。その後のことは書くまでもない。上等の極楽を味わい、天国に昇天したのは言うまでもない。

コメント
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