山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第6回>

2013-05-28 06:24:24 | くるま旅くらしの話

【今日(5/28)の予定】 

  道の駅:あおがき →(K7・R176他)→ 篠山市(城址他散策)→(未定) 

 

【昨日(5月27日)のレポート】  

<行程>

道の駅:くみはまSANKAIKAN →(R178・K11・K9)→ 城崎温泉(一の湯へ入浴) →(K3・R426)→ 出石町営駐車場 → 出石城下町散策 →(R426・R482・R312・R9)→ 道の駅・ようか但馬蔵 →(R9・R427・K7)→ 道の駅:あおがき(泊) 

 <レポート>

昨夜は20時過ぎに寝たのだったが、1時にはパッチリと目覚めてしまって、30分ほど我慢したのだけど、もうこれ以上は眠りは不要と判断して起き出す。ネットのニュースを見ると三浦さんが80歳でのエベレスト登頂に成功されて、無事下山したとの一項が載っていた。昨夜のTVのニュースでそれは確認済みなのだけど、「命懸けで」という言葉に心を打たれた。真に全生命を懸けてのチャレンジだったのだと思う。一歩一歩、一挙手一投足が全力を集中したものだったのだと思う。何とも凄いことだと改めて思った。このパワーは、全世界の同世代人に等しく分け与えられるものではないかと思った。今、旅に出て鍛錬不足となってしまっているけど、帰宅したらこの素晴らしいチャレンジのパワーを再注入して継続して鍛錬に励みたいと改めてそう思っている。

ニュースを見た後は、いつものようにブログの記事を書く。ようやく慣れてきてはいるのだけど、やっぱり時間はかかるものだ。昨日の出来事を一つ一つ辿りながら思いを巡らす時間は、我が反省の時でもあり、楽しみの時間でもある。昨日は丹後半島の海沿いの道を走ったのだが、少し甘く見ていたようだった。人間の記憶というのは実に曖昧なもので、十数年前に同じ道を通っているはずなのに、その道の厳しさについては全く覚えていないのである。京都府にこんな険しい海岸線があるとは!驚きである。そんな反省を含めながら記事を書き終えた時は早や5時を過ぎていた。相棒はまだ眠りの中である。

もうすでに明るくなっており、外を覗くと自分たち以外に近くの海で遊んできたのか、ウエットスーツを干して泊っているワンボックス車が1台あった。その向こうにバイクで旅をしているのか、若者がテントを畳んでいた。自分たちだけかと思っていたのだが、同宿の人たちがいたのだった。少し歩いてみようと、靴を履き替え、海側に向かって出発する。昨日見た時は遠いと思っていた海は思ったよりも近くて、鏡のように輝いていた。ここは大きな湖のような湾になっている地形のようで、津波が来ても周辺の丘などに守られて大丈夫なのではないかと思った。坂を下ると右手に神野駅とかいう案内板があったので、その方へ行ってみた。踏切を渡って少し行くと、右手に駅に向かう道路があった。まだ人通りは全くない。このような所を歩いても仕方がないなと思いながら、今日の予定の城崎温泉行のことを考えたりしているうちに、そうだ、少し早く行けば温泉街の駐車場も空いているのではないかと思った。朝湯は7時からだと知っている。相棒の調子が心配だけど、とにかく戻って相談しようと引き返すことにした。6時を少し過ぎていた。

早朝というよりも深夜からバタバタやっているので、相棒の眠りには相当迷惑をかけているのはよく理解しているつもりなのだが、こういう場合は追い打ちをかけることになる。車に戻ると、既に目覚めているようだったが、あまりご機嫌はよろしくないようだった。提案をすると、不承不承ながらもOKなので、とにかく出かけることにした。6時を少し過ぎての出発となった。初めての道なので、ナビの案内に任せることにした。昨日の海沿いの道に似た感じの県道を走って山を越え、平地に出ると円山川の水の盛り上がった流れが見え、そこに架かる橋を渡ると、そこが城崎温泉の入口の鉄道の最終駅だった。その横を通って、まずは駐車場を探すこととなる。調べておいた駐車場は、行ってみると皆機械式のものであり、図体の大きいSUN号の駐車は不可能だった。なんとなく腹が立ってきて、止めて先に行こうかと思いながら温泉街を戻っていると、途中に駐車場の案内板があるのを見つけた。大丈夫そうなので中に入って係りの人に訊いてみると、2時間で千円也の料金だという。どうやら普通車扱いはできないらしく、8ナンバーは本来もっと高いのだという。おまけしてもらっての価格だとのこと。ま、折角来たのだから我慢することにして、とにかく駐車が叶って安堵する。それにしても、名のある温泉街というのは、どこへ行ってもこの車の駐車では苦労する。もう少し何とかならないものなのか。車社会となっている今の世の中を考えて、もう少し環境整備を考えて欲しいなといつも思う。

とにかくほっとして、先ほど見かけた「一の湯」という大きな浴場に行くことにした。城崎温泉には幾つもの外湯があるけど、一の湯は一番歴史が古い湯の様である。600円也を払って、その名湯に浸る。無色透明の柔らかな湯だった。洞窟風呂というのがあり、一風情あって、こちらの方も楽しんだ。1時間ほどでもう満足して車に戻る。汗が収まるまで、しばらく温泉街の中を流れる川に架かる橋の上で風の恩恵を賜る。川の両側は車の走る道路となっているけど、50mくらいの間隔で石の橋がかけられており、その傍には柳の木が植えられて、その垂れ下がった長い葉が風に揺られて、いかにも温泉風情を盛り上げているかのようだった。何枚か写真を撮った。相棒は15分ほど遅れて戻ってきた。一の湯の番台の人と何やら話などをしてきたらしい。今朝起きた時の不機嫌な表情は消えていた。朝湯などは想定外の出来事であり、ほんとは大丈夫かなと心配していたのだけど、却って元気が戻っているようなので、今朝の作戦は先ずは成功したなと思った。

   

城崎温泉外湯「一の湯」の景観。建物は比較的新しいように見えたが、いかにも一番の歴史を誇る温泉を湛えている風格のある建物だった。

その後は、相棒が写真を撮りに出かけたりして、少し温泉街の記録を確実にして、次の目的地を出石城下町として出発することにする。出石町は、今は合併でこの城崎と同じ豊岡市となっているようである。ここからは30分ほどで行ける場所である。昔から時代小説の中で、出石の存在は知っていたのだけど、実際に訪ねたのは数年前が初めてで、今回が2度目の訪問となる。円山川の堤防と思しき場所に造られているR426を走って、間もなく出石の城址下にある町営駐車場に到着。ここの駐車場は先ほどの城崎とは雲泥の差のあるありがたい駐車場である。城址付近には幾つもの駐車場があり、その一番奥まった場所にあるためさほど混んでいない。料金も1日400円であり、人が管理しているので親切だ。明日の今の時間まで留めておいてもいいよ、と気のいい係りの方がそう言っておられた。

風呂に入ったばかりで、今朝は1時過ぎには起き出していたのでなんだか眠くなり、しばらく寝床に入ることにした。相棒は早や出動体制であり、間もなく出かけて行ったようである。その後1時間半ほど熟睡の惰眠を貪る。くるま旅だからこそできる無上の贅沢というものであろう。11時半ごろ起き出してブログの下書きなどをしていたら、相棒から電話があり、お昼のご案内などだった。出石は蕎麦が有名で、皿そばという出石焼のお皿に小分けされた蕎麦を何種類かのトッピングの具をタレに入れて食べるのである。わんこそばはお椀だけど、ここはお皿で、具の方もわんこそばよりはずっと上品である。この街には100軒を超えるほどの蕎麦屋さんがあるように聞いている。相棒は、以前来た時に出石焼のお皿を買い求め、それが気に入っており、今日はその続きを楽しみにしていたので、どうやら以前のお店に顔を出し、そこで話し込んでついでに蕎麦屋さんも紹介してもらったらしい。自分の方はもう少しパソコンの作業をしたかったので、待ってほしい旨を伝えた。

しばらくすると相棒が戻ってきたので驚いた。電話をもらってから1時間以上が過ぎていた。パソコンに気を取られて忘れてしまっていたようだ。慌てて止めて外出する。もう13時を過ぎていた。出石は戦禍に会うこともなく昔のままの建物がそっくり残っている町並みのある所である。それらは国の重要伝統的建物群に指定されている。そのこともあって、観光客も多い。しかし実際みていると観光客のほとんどは、蕎麦を食べるか町並みのほんの一角をちょいと覗き見ただけで、街中を歩く人など皆無のようだ。歩いているのは、観光バス以外の車でやってきた人のほんの一部くらいであろうか。お城の跡に上る人さえ疎らである。ま、観光というのはそんなものなのであろう。

相棒の案内のままにその蕎麦屋さんに直行する。「官兵衛」という名のその蕎麦屋さんは、落ち着いた雰囲気のお店だった。さっそく皿そばを注文する。10枚を二人で食べることにしたのだが、もっと欲しくなって、5枚追加する。トッピングの具は、本物のワサビと山芋と卵だった。ワサビは砂糖をほんの少し入れて摩り下ろすと風味と辛味が増すのだと店の方が教えてくれた。なるほど、その通りだった。二人で15枚食べても少し物足りない感じだったのだが、蕎麦湯を飲むと一気に満足感に満たされるのだった。いいお店で、美味いそばが食べられて、いい気分になって外に出る。

   

蕎麦屋「官兵衛」の皿そば。一人5枚が標準のようだけど、5枚で終わる人は少ないように思えた。食べやすいのである。

その後は腹ごなしを兼ねて30分ほど古い町並みの中をさ迷い歩いた。相棒は盛んに建物の造りについての疑問を話していたが、自分にはあまり興味がなく、よくわからなかった。立ち並ぶ建物の大半が妻とかいう造りが大きすぎる(?)とかいう疑問で、これはその後観光協会の方に出向いて説明して頂いて解消したようだった。出石は明治時代に大火に見舞われ、街のほとんどが焼失し、その後に現在の建物が造られたということで、その際に妻の大きな構造となったとかやら。詳しいことは門外漢の自分にはさっぱりわからないのだけど、大火があったという情報は、この街の建物が江戸時代よりも新しいということを知ったのだった。

車に戻り、さて今日はどこに泊ることにしようか検討する。明日はまだ行ったことのない篠山の城下町を歩いてみたいと思っている。篠山も古い城下町で、国の重要伝統的建物群に指定されている町並みが残っていると聞いている。連日の同じ種類の街の訪問となるけど、まあ、いじゃないか。それで、とりあえず少し近い場所に泊ろうかと考え、条件的には先ずは道の駅:ようか但馬蔵を選んだ。ここには何度か泊ったこともあり、比較的新しい道の駅である。行ってみて気が変われば次の候補として道の駅:あおがきを考えている。ということで、15時少し前、お世話になった出石の駐車場を出発する。

途中で給油や買い物などをしながら道の駅:ようか但馬蔵に着いたのは、15時半ごろだった。まだここに腰を落ち着けるには早い時間だなということで、次の候補地の青垣町の道の駅に行くことにしてすぐに出発する。青垣町というのは初めて聞く名前であり、今は合併してなんぞ名前が変わっているのかもしれない。ここへもナビのガイドに任せることにした。途中からR427というかなり道路番号の大きめの数字の道に入ったので、少し心配もあったのだが、実際に走ってみると確かに山道は曲がりくねって厳しかったけど、道路自体は舗装もきれいで何の心配もなかった。関西エリアの道路では、うっかり400番台の道路を走ったりすると、国道であっても離合が困難な道を通らされる可能性があり要注意である。何度か苦い水を飲まされたことがある。

青垣町の道の駅は、盆地の平たんな場所にあって、何の不安もなかった。17時を少し過ぎての到着だった。今夜はここに安心して錨を下ろすことにする。明日は雨となりそうである。梅雨入りともなるらしい。傘をさしての町並み見物もいいのかもしれない。今日も早めの就寝となる。

コメント
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