山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第1回)~その1

2013-05-06 04:21:34 | 筑波山登山の記

<はじめに>

 本来くるま旅くらしの紹介を中心のブログなのですが、今回新しく「筑波山登山の記」というカテゴリーを追加することにしました。その主な目的は、自分と同世代(=現役をリタイアして、未だどうにか頭や身体を動かすのが可能な世代)の皆様のために、自分自身が標本の如き振る舞いをして、何かの刺激や慰めの材料が提供できたらいいなという思いから発しています。私は1940年生まれで、現在72歳を通過中ですが、一応80歳までは活き活きと生きていたいと考えています。そのためにいろいろバカげたチャレンジも辞さないつもりでいるのですが、今回思い立った筑波登山は、その意思も身体も動かなくなるまで続けようと考えています。そしてそれを続けている間は、山に登る度にその記録やそこで感じたことなどを記し、ブログで言い触らそうと考えています。今回はその第1回目です。長いので、2回に分けて報告することにしました。

 <筑波山登山を巡る我が思いのこと>

我が人生で、筑波山の山頂を目指すのは2度目なのだが、最初は小学校5年生の遠足の時のことで、その時は徒歩ではなくケーブルカーだったので、これは登山とはいえないと思う。そういう意味では今回が初めての筑波登山となるわけである。筑波山は、現代では余り名前が知られていないようだけど、江戸時代辺りなら誰でも知っていた富士山と並ぶ関東を代表する山であった。勿論富士山の山容には比べるべくもないけど、関東平野に二つの頂きを以って聳立するその姿は、江戸の人たちにも目立った存在だった。

「山高きがゆえに尊からず」は人間についての戒めの古きことばであるけど、山そのものについてもあてはまる箴言のようにも思う。筑波山は、茨城県では、八溝山に次ぐ2番目の高さの山であるけど、その存在感は八溝山と比べて別格である。現在はこの山を毎日遠くに見ながら暮しているのだが、そこまで行って歩いて登ろうなどと考えたことは、つい最近まで全くなかった。というのも40年ほど前に膝を痛めて水がたまり、歩けなくなったことがあり、それを治すのに1年ほどリハビリを続けたことがあって、それ以来膝を痛めるような危険性のある運動は厳禁だと自戒して来ているからである。

登山というのは、考えている以上に膝への負担が多い歩きで、特に下山の際は要注意である。20代の頃には、奥多摩や秩父の山々、南アルプスや八ヶ岳連峰など、休日ともなると都合がつけば必ず山へ出かけていた。冬山の単独行をしていて危うくセーフだったということもある。山が好きなのは今でも変わりないが、若い頃から酷使して来ている膝が言うことを聞かなくなってきており、ずっと慎重に対応してきたのだった。

 それが、先日TVでの三浦雄一郎さんの話を聞いていて、一念発起したというわけなのである。彼の場合は私などとは比較できないほどの多くの身体の故障の経験をお持ちに違いない。一度冒険から遠ざかられてメタボの身体となったという経験も自分と余り変わらない出来事であり、そのような方が70歳を過ぎてから体を鍛え直して75歳でエベレストの頂上に立ち、更に今度は80歳で再度エベレストの頂上にチャレンジ中なのである。このお話の中で一番の収穫は、鍛えるとは筋肉を鍛えるということなのだと気づいたことである。身体を動かしているは筋肉なのだから、これを何とかしないと、老人は無力化して行くだけのように思えて来たのである。その結果、三浦さんに倣って負荷をかけての歩きを始めることにしたのだった。勿論、何の注意も無しに、ただ重いものを背負って歩いているわけではない。ストレッチを丹念に行うと共に膝と足裏には格別の思いを込めてサポーターや靴下などに配慮している。更には膝の負担を軽くするためにも大腿部の筋肉の強化が必要であり、これのトレーニングも並行して行うようにしている。三浦さんがリュックを背負っての歩きの他にどのようなことをなさっているのか興味津々であるけど、自分のことは自分で考えるしかない。今のところはあれもこれも手を出さず、身近に出来ることから確実に継続することが肝要だと考えて実践している。

 1カ月ほどこのような鍛錬を続けて、その結果身体が今までずっと警戒して避けて来た登山というハードな運動に耐えられるのかどうか。オーバーに言えば、今回の筑波登山はその試験のようなものなのである。前置きが長くなったが、その第1回目の状況報告である。 

<第1回登山日> 2013年5月2日

 本当は昨日登山の予定だったが、朝起きたら雨が残っていたので、止めにした。しかしその後は晴れて、何だか判断を誤ったかの如く心境だった。今日は予報では午前中晴れとあったので、そのつもりで準備をし、早朝4時ごろ外を見てみると、何と昨日と同じように路面が濡れているではないか。空を見上げると昨日よりも多いほどの雲なのだった。二度も足踏みをするのはあまりいい気分ではない。しばらく様子を見ることにして、5時過ぎにもう一度空を仰いだら、少し回復の兆しが見えたので、思い切って決行することに決めた。良い天気の日に初登頂をしたいと考えていたのだけど、いつものせっかち心は、2日も先送りするのは我慢できなかった。自宅を6時に出発する。我が家から筑波山の登山口のある筑波神社までは30km弱ほどの距離で、小一時間ほどかかる。筑波梅林の駐車場に着いたのは6時50分ごろだった。早朝の道路は途中の渋滞など全く無く、快調な走りだった。

筑波山の登山道は、幾つもコースが作られている。大ざっぱには7コースほどが先日頂いた桜川市の筑波山ガイドマップに紹介されていた。今日は初めてのこともあり、最もポピュラーらしい御幸ヶ原コースというのを選んで登ることにしている。このコースは筑波神社を経てケーブルカーの麓側の宮脇駅の傍から始まり、頂上駅のある御幸ヶ原に出るという道程となっている。御幸ヶ原からは男体山、女体山の双方に行けるようになっているけど、今日は男体山にだけ登るつもりでいる。女体山は次回にしようと思っている。

筑波梅林から筑波神社までは1kmと少しくらいあり、途中は神社の門前町というのか、そのようなお土産店などが沿道に並んでいる。早朝なので、勿論開いている店など無い。靴音を響かせながら10分ほど歩くと、筑波神社の境内入り口に着いた。ケーブルカーの駅は、この筑波神社を経由して行けるようになっている。山門も本殿も立派な造りで、歴史を感じさせるものがあった。60年前の小学5年生の時もここを訪れているはずなのだが、その時の記念写真を取り出して見ても、今の現実からは記憶の全てが消え去っているように思える。懐かしい村の小学校のクラスメイトの顔々を思い出すことは出来ても、筑波山に登ったという印象的な記憶は全く思いだせない。自分の中では、もはや脳のその部分は退化してしまったか、或いは消滅してしまっているのかもしれない。

       

筑波山神社の正面から見た本殿の景観。このカメラ位置の手前に立派な門がある。筑波山神社は、筑波山そのものをご神体として祀ったものらしい。日本の主な山は皆山岳信仰の対象となっている。往古から人々は大自然の造形を敬虔な気持ちで畏れ敬って来ている

新しい気持ちに切り替えて、初めての登山者として筑波神社に参拝し、道程の無事を祈願したりした。神社からケーブルカーの宮脇駅への道を少し登ると、登山道の入り口があった。左側に1m余りの石の道標があった。登山の開始である。とにかく焦らずに足元を確かめながら一歩一歩ゆっくりと足を運ぶことにした。この先どのような道が用意されているのか全く知らない。とにかく前進するしかない。直ぐに杉林に入り、足元は杉の剥き出しになった根株がずっと続いている。10分くらい登った辺りで、早や登山を終えて降りてくる人に出会った。中高年と思しき女性だった。7時40分である。随分と早い出発だったに違いない。驚いて、思わず「もうお戻りですか?」と声をかけてしまった。「そうです」と返答があって、どうやらこの女性は常連の方らしい。恐らく早朝夜の明けきらぬ5時前には登山を開始されたのであろう。凄いなあと思った。

    

筑波山登山口(御幸ヶ原コース)の様子。この鳥居の左側の方にケーブルカーの宮脇駅がある。因みに、宮脇とはお宮即ち筑波神社の脇という意味である。

その後は、同じ杉の樹林帯が続いてのだが、道の方は次第に険しくなり、杉の根株も殆ど無くなって来て、その代わりに岩石とその間を縫って作られた間伐材などで作られた階段の連続する道となった。かなりの急勾配である。出がけは少し寒かったので、ウインドブレイカ―を着ていたのだが、次第に身体が熱くなって来て汗が流れ出したので、これを脱いで歩くことにした。この休憩以外は一度も休むことなく、その後は頂上を目指す。足の方は大丈夫か、膝はどうかと我が身を確かめながらの一歩一歩だったが、この1カ月の鍛錬が功を奏しているのか、殆ど痛みは感ぜられない。少し息が上がるのは仕方がない。いつもの呼吸法を実践しながら息を整えて前進する。(明日へ続く) 

コメント
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