山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <70回>

2012-09-09 05:35:19 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月8日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

終日Aさんの別荘に滞在 <0km>

≪レポート≫

 今日も一日Aさんの別荘に滞在することになっている。昨夜は話が弾んで、時の経つのも忘れて、気づいた時は間もなく24時近くとなって、その後の眠りは待ったなしのバタンキューとなり目覚めたのは、3時半過ぎだった。どんなに寝るのが遅くとも、この時刻頃になると目が覚めてしまうのは、長い間の眠りの習慣なのかも知れない。短時間でも眠り足りているのは、眠りの深さが大きくかかわっているのだと思う。昨夜の歓談は、真に楽しいものであり、それが眠りの質を高いものにしてくれたのだと思う。しばらく昨日一日の出来事を反芻した後、寝床から起き出す。外を見ると、薄明るくなった西空の方には雲が多くて、どうやら今日は雲海などの様なものは見えない様だった。昨日のAさんの話では、この別荘からは早朝の西の方(=札幌市街地の方向)に、それらの街を包んだ雲海が望見できるのだという。今日はその景観を見たいという願いは叶わぬようだった。しばらくブログの作成に取り組む。昨日のブログのアクセス状況を見たら、訪問者数が400人を超えており、過去最高の数値が示されていて驚いた。今までの最高は、300人にも届いていなかったのに、一挙にこの数になったのを不思議に思った。同時に。こりゃあ、安易に止めることは出来ないなとも思った。嬉しい驚きである。

 Aさんの別荘は長沼町の間追山丘陵の中腹にあり、森の木々に囲まれた中に建っている。Aさんのご主人が3年をかけて独力で作り上げた別荘は、瀟洒なヒュッテという感じで、森の中の自然の景観の中にすっかり馴染んだ存在だ。ヒュッテは傾斜地を巧みに考慮して建てられており、ベランダからは西側に札幌市街地などを遠望できるのである。左手の東側には恵庭岳などが見えるはずなのだけど、建てた頃は小さかったポプラや白樺などの樹木が今は大きく成長して、葉をつけている期間は、それらの景観を遮るようになってしまったとのこと。それらの眺めの外に、Aさんの工夫は夜の天空を眺めることができるようにもなっており、夜間の余計な照明を省き、晴れた夜には満天の星を見上げるように作られているのだった。昨夜はそれらの星が深夜零時近くの空に煌めき輝いていた。真夜中の天空を見上げていると、忘れていた大自然との関係をたちまち取り戻すことができるように思い、心が安らぐのである。Aさんの思いも、同じなのだなと思った。

   

Aさん手作りの別荘。建築に当たっては、熊笹に覆われた原野のような傾斜地を開墾して地盤を固め、そこに独力で3年の時間をかけて建物を完成させたという。柱を建てる時だけ奥さんと家族が協力したほかは、すべで自力で作ったという執念の力作である。

   

別荘のベランダからの眺望。森の前方に広がるのは、恵庭市や北広島市の街並み。札幌はこの右手奥の方に位置している。夕方の明かりが灯ると、一段と美しい光煌めく夜景が望める。

   

別荘の下には菜園が設けられて、Aさんは毎週末ここで丹精込めた各種の野菜作りに励んでおられる。植えられた果樹類も少しずつ生長をしているようだ。

ブログの投稿終了の後、近くの農場などの方へ歩きに行くことにして出発。相棒は未だ眠りの中のようだった。そのAさんの別荘を後にして、昨日車で登って来た坂を下って、長沼町の田園地帯の方へ歩いて行くことにした。坂の途中の道端や崖の中にアキノキリンソウの黄色い花に混ざって、野紺菊の紫が点在し、さらにもっと濃紺の花を咲かせている野草があり、何という名なのか初めて見る花だった。野紺菊によく似ているので、北海道独自の野草なのかも知れない。新しい花を見つけると嬉しくなる。5分ほど坂を下ると、左手に神社があり、八幡神社とあった。このエリアに住む人たちがどこかの八幡様を勧請したのだと思う。神社は赤い小さな鳥居を平成になってから建てたようで、神社は今の時代もこの地の人々には必要なものとなっているのを感じた。社の方は、神社というよりも倉庫風であり、祀られている八幡太郎義家もやや窮屈さを覚えているかもしれない。それでも皆を守るのは神様であり、苦情を言うはずはない。ようやく信号のあるところまで来て、更にそれを横切って、下方の田んぼの広がる田園地帯まで歩くことにした。道の両側には収穫期を迎えたジャガイモを初めとする何種類かの野菜類などが豊かに実っていた。とうきび畑では、1畝の長さが200mもあり、手作業での収穫は大変だろうなと思った。去年まで作っていた自分の菜園では、1畝の長さは5mに過ぎなかった。守谷市の農家でも200mを超えるほどの畝を畑を持っている人は少ないけど、この地ではそれは当たり前の様である。それにしてもその昔はこの辺りは沼地の湿地帯であり、現在の美畑や美田になるまでには、先祖の方々の並々ならぬご苦労があったのだと思う。その功が実って、今この地に住む人たちは札幌という一大消費地を直ぐ傍に控えて、豊かさに恵まれている。そう思った。やがて坂を下り終わり、道の両側は黄金色に実った田んぼとなった。北海道の米は近年では内地のそれを凌ぐほどの高品質のものができるようになっている。この辺りでも生産されているユメピリカのブランド米は米の名産地の新潟県長岡の魚沼米と比べても遜色がない。すごいなと思う。そのような感慨を抱きながら、次の信号のある交差点まで行き、そこから引き返す。久しぶりの田園地帯の中の散歩は、さまざまの発見をもたらしてくれた。往復1時間ほどの歩きだった。

朝食はAさんの奥さんが心を籠めて作ってくださった、下の菜園で採れた野菜などをふんだんに使った御膳だった。いつもの大雑把な食事とは違った、細やかさのあるメニューに感動しながらの楽しい食事だった。食事の後はしばらく歓談が続き、とにかく今日はゆっくりと過ごすこととなる。昼食は自分が作らせて頂くことを宣言し、先に旭川のSさんから頂戴したクロレラ入りのグリーンの冷や麦を茹でる。薬味は下の菜園の中にあるミョウガやネギを採って来て、それらに生姜のすり下ろしたのを加えるなどした。菜園の威力はここのヒュッテでは相当なものだ。冷や麦だけでは物足りないかなと思って、ジャガイモの味噌炒めを一品追加する。どれも概ね好評を頂いたようで、調理担当としてはまあまあ良かったという感想。グリーンの冷や麦は特に好評で、かなり残ってしまうのでは心配していたのだが、結果的にはその食感が良かったこともあり、殆どが完食に近かったのは、この麺の実力なのだと思う。Sさんにも感謝。

昼食の後は、しばらく休んで、その後は車の中で午睡をさせて頂いた。食べて、飲んで、横になってと、まるで実家に帰った時のくつろぎの気分である。こんなことが許されていいのかとふと思ったりするけど、今の至福の現実を悩むことは止める。17時近くまで眠って、少しブログ記事の準備をし、再びヒュッテの中へ。相棒もこちらの方で昼寝をさせて頂いたとか。Aさんもまあ、大変な人たちと知り合ってしまったものだ。それから後は、近くの由仁町の温泉に4人で出かけ、戻っての乾杯、そして再び、三たびの楽しい歓談が遅くまで続いたのだった。もうこれ以上ズラズラと独りよがりとも思える楽しさなどを書くのは止めよう。充実、至福の旅の恵みの一日だった。Aさんご夫妻に感謝。深謝。多謝。

今日(9/9)の予定】 

Aさんの別荘 → 道の駅:マオイの丘公園 →(未定)

コメント
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