山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <69回>

2012-09-08 06:05:53 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月7日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

道の駅:三笠 →(R12他)→ 厚別区内Tさん宅(相棒のみ滞在) →(道道)→ もみじ台公園緑地駐車場 →(道道)→ Tさん宅 →(R12・R274)→ 道の駅:マオイの丘公園 → 長沼町内Aさんの別荘 (泊) <81km>

≪レポート≫

 3時少し前に目覚めて、もう眠る必要はないと判断し、起き出してブログの記事を書く。終わって、外を見ると少し遠くの山の方に霞がかかっており、その上の真っ青な空が印象的だった。このまま晴れの一日となると、またぞろ残暑がぶり返すのかも知れないなと思った。しかし予報ではからっとした過ごしやすい一日となるということなので、それを信じることにした。三笠の道の駅は、幹線道路の12号線が通っていることもあり、夜間はうるさいのを避けられないかと思っていたのだが、それは全くの杞憂で、枝豆とビールが効いて快適な眠りだった。

 今日は相棒の旅の親友のTさんのお宅を訪問する予定である。その後、もう一人の親しき知人のAさん別荘へのお誘いも受けており、相棒にとっては至福の一日となるはずである。旅で知り合った方たちとの交流がこれほどの親交に育っている彼女は幸せ者だなと思っている。おしゃべりが過ぎるのではないかと心配すること大なのだけど、女性同士では余計なお世話ということなのかも知れない。

相棒がTさんと出会ったのは、何年か前に厚別区内にある「開拓の村」を訪ねたのがきっかけで、その頃相棒は、東京都の小金井市の小金井公園内にある江戸東京博物館のたてもの園にボランティアで通っていたのだった。ボランティアの中で建物のメンテナンスの他にもガイドを担当するようになり、それなりの知識や見聞も必要になり、それに伴って全国各地の同様の施設などの見学などに取り組むようになり、開拓の村もそのようなわけで訪ねることにしたのだった。との時偶々村の中でガイドのボランティアをされていたのがTさんであり、それがきっかけとなって年一回の交流が始まったのである。Tさんは織物工芸のアーティストともいうべき方で、彼女の技量とセンスは、相棒の心の琴線を大いに揺れ動かしてくれたようで、尊敬の念は多大らしく、何かそのような領域に触れる度にTさんの話を聞かされている。今はガイドのボランティア活動もなくなり、病のための手術で織機を操れなくなっている相棒なのだけど、Tさんとの再会は毎年大きな楽しみとなっている様である。今日は同じ開拓の村でボランティアガイドなどを務めておられるもう一人のTさん(お二人とも同じTのイニシャルで始まる姓なのである)も一緒に話に加わられるというので、相棒の興奮度は早朝から膨らむばかりだった。

 10時まではいつものようにTVを見て、それから出発の準備をして、15分後には出発となる。11時頃にお宅を訪ねるということだった。ここからは1時間足らずの距離である。久しぶりに走る札幌市街に向かって走る道は、やはり今までの牧場や漁業の港町の通りとは違って、岩見沢から先は、都市化がどんどん進んでいるのを実感させられたのだった。特に岩見沢市は大都市の性格を道路の両端に色濃く出しており、郊外に進出したショッピングモールとそれに付随する建物などが一段と増えているのを感じたのだった。江別市に入るとその傾向はますます進み、野幌辺りは守谷市の町並みなどよりもはるかに都市化が定着している感じがした。間もなく厚別区に入り、Tさん宅に到着。既にお二人にTさんは、相棒が来るのをお待ちかねだったようであった。ここから先は、もはや相棒の世界。別の切り口からは、自分の世界である。いつも一緒にどうですかとTさんからお声をかけて頂くのだけど、女性3人の話の輪に入ることなど、とうてい自分には出来る芸当ではなく、お礼を申し上げて今回も一人にさせて頂いた次第。それから16時半まで、自分一人の時間を独占した。当たり前のこと。

 相棒を届けた後は、さて、どうするかとしばし迷ったが、前回も行って休んだもみじ台というエリアの中に在る駐車場に行ってみることにした。あそこには木陰の駐車スペースがあったはずである。うまくゆけば空いているかも知れない。今日は確かにカラッとしてはいるのだけど、ピカピカの青空で雲一つ見えないほどの上天気である。ということでそこへ行ってみたのだけど、何とほとんど満車に近い混み様だった。どうやら近くにパークゴルフ場でもあるらしく、クラブを抱えた人たちが車に戻ったり、出かけたりしている。これじゃあ落着けないなと思い、別の場所を探すことにした。

 先ほど来た道を戻りつつあると、途中に坂の下に運動場や野球場のようなものが見え、大きな駐車場が見えるので、そこへ行ってみることにした。グーの場所だった。もみじ台公園緑地というらしい。広大な駐車場は、野球場やグランドなどの施設利用者のためのものらしく、平日の今日は留っている車は一台もなく、隅の方の立ち木の傍のスペースも開いており、そこには貴重な木陰が作られていた。ラッキーである。そこに車を停め、今日は動かずにここでTVを見たり、書き物などの整理をしたりして時間が来るまで過ごすことにした。地デジも良く映り、近くには水飲み場や簡易トイレもあり、何の問題もない。それにわずかな木陰だけど、そこを通ってくる涼風は値千金の味わいがある。すっかり嬉しくなって、パソコンなどを取り出し作業を開始する。日差しはかなりきついけど、ソーラーにとっては発電には最高の条件を満たしている。よって、電源の心配もない。心置きなく作業を終え、軽い昼食の後はTVなどよりも眠気を満たす方がずっといいと考え、2時間ほど午睡を楽しむ。今頃相棒たち皆さんは、果てしもない話題を広げ、回しているのだろうなと思いながらの、満たされた自由時間だった。目覚めると、お天道様はかなり動いているようで、貴重な木陰が無くなって、駐車場の向こうの方へ行ってしまっていた。16時近くになっていた。まだ時間があるので、それからしばらくは100mほど離れた水飲み場からの給水作業などに専念した。走行している内に16時をかなり回ったので、このまま放置していると相棒は車に戻るのを忘れ続けるのではないかと考え、メールをすることにした。このような待ちの体勢の場合、相棒の方から来てほしいという連絡を受けた記憶は殆どない。話に夢中になってしまい、時計のことなど眼中になくなるのである。それで、それを断ち切るためにやむなく当方から連絡することになる。直ぐに電話があり、迎えに来てほしいということだった。ずいぶんと賑やかな声が電話の向こうから聞こえていた。楽しいことは人生の薬である。その薬を奪い取るのはあまりいいことではないのかも知れないけど、時間は有限なので仕方がない。Tさん宅に行くと、たくさんのお土産を抱えた相棒が、満面の笑みを浮かべながら玄関から出て来た。自分の一人満たされた時間とは全く別の時間をたっぷり味わえた顔がそこにあった。後で相棒から聞いた話では、Tさんは体調があまり良くないとのこと。お疲れになったのではないかと、心配になった。どうぞ御身お大切にお過ごしください。そして、お二人のTさん、ありがとうございました。

 相棒には次の至福の時が待っている。そしてこれは自分も加わってのAさんご夫妻との再会の楽しみでもある。7月の来道時にAさん宅をお邪魔し、ご歓待を頂いているのだけど、今日はそのAさんのご主人が手作りで建てられた長沼町にある別荘にお招き頂いているのである。明日お邪魔しようと考えていたのだったが、今日からでもOKというお話なので、それに甘えることにしたのだった。先にお会いしてからの2ヶ月の間に、Aさんご夫妻の東京に住む子供さんに初孫が生まれ、つい先日までそのお孫さんの所へ出かけられて戻ったばかりとお聞きしている。お疲れなのに快くお招きいただいて恐縮している。別荘の傍の畑で野菜等の作物もされており、今日はそこで採れたジャガイモやトマトなどの野菜の幾つかをご馳走頂けるとのこと。ジャガイモ男の自分としては、実に楽しみである。初めてAさんの別荘を訪れた時に、採れたてのジャガイモをご馳走になったのだけど、あの時の味の感動は今でも忘れてはいない。超高級の和菓子のような味わいで、ジャガイモを口に中に入れると、シュワッと溶けてしまう、そのような味わいだったのである。

 いや、どうも。話が飛んでしまうのは少なからず興奮している証拠なのでありましょう。2年ぶりの別荘へは、道の駅:マオイの丘公園で待ち合わせをして、お出で頂いたご主人に先導して頂いて、丁度18時頃の到着だった。奥さんとも嬉しい再会の挨拶を交わす。別荘からは先ほど沈んだ太陽の残照が彼方の空を染め、その手前には早や灯りはじめた大都市近くの夜の明かりがチラチラと輝き始めて見えた。如何にも山の自然の中から喧噪の明かりを眺めるという景観だった。

 さて、それから後のことは勿体ないので書くのは控えることにしたい。気づけば24時近くまで、人生談義のようなことに至るまでの話題の尽きぬ、楽しさの中にもそれぞれが何かを刺激されるというか、気づかされ合うという、貴重な語らいの時間だった。話の量が多くなったのは、それにふさわしいほどのアルコールの摂取量のもたらした結果だったのかも知れない。しかし、酔ってはいたけど実に心地よい、直ぐに正気に戻れる、いや、正気のままの満たされた酔いだったような気がする。あっという間に眠りの世界へ。

今日(9/8)の予定】 

終日Aさんの別荘に滞在予定

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <68回>

2012-09-07 05:11:55 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月6日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

道の駅:東川道草館 →(道道90他)→ 旭川ラーメン村 →(道道90・R12)→ 道の駅:ライスランドふかがわ →(R12・道道114)→ 歌志内チロルの湯(♨)→(道道114・R12)→ 道の駅:三笠 (泊) <146km>

≪レポート≫

 二度目の東川の道の駅は、前回よりもずっと涼しく、快適な夜を眠ることができた。気温はそれでも26℃ほどあり、まだ本来のこの季節のレベルには至っていないのだと思う。今日の予報は曇りから雨となっている。尤も今日はずっとここにいるのではなく、移動を開始するので、一応の泊りを考えている道の駅のある歌志内のエリアは雨降りとなっていた。今は雲の間に晴れ間が覗かれるけど、要するに今日はこれから雨降りのエリアに向かうこととなる。雨は降っても、もはや暑さが大気を蒸らすようなことはないだろうから、却って涼しさが増してありがたいということだろうと思っている。

 東川の道の駅の駐車場は分散型で、構内の中に駅舎の売店のある棟と、その他にアウトドアの専門店や信用金庫の店舗などが建っており、我々の車はそこから少し離れた第2駐車場に留っている。旅車の殆どの方は第2駐車場のことはご存じないのか、或いはトイレから遠いからなのか、第2駐車場の方の泊りは我々だけだった。第2駐車場は小さな公園に隣接しており、そこには手動ポンプの働く井戸があって、冷たい水が出るので、自分たちは気に入っている。朝、トイレに行こうと駅舎に行ってみると、パークゴルフの用意をした自分と同年代らしき男女が屯しており、駐車場の殆どが埋まっていて満車近い状態となっていた。何なのかと思って歩いていたら、貸し切りの観光バスが入って来て、パークの人たちが乗り込んでいった。どうやら何かの大会の様なものがあるらしい。それで、ここを待ち合わせ場所にして皆さん集まって来られたらしい。しかし、それはいいとして、この人たちが戻って来るまで早朝から行の道の駅の駐車場はこのままの状態が続くことになる。日中外来の人たちは駐車スペースが少ないことに困惑することになるのではないかと思った。又、そうなればここで営業して老いる人たちにも影響が出るに違いない。このような駐車場の使われ方、使い方には問題があるなと思った。北海道ならではの問題なのかも知れない。

 さて、今日は調整を兼ねた移動日である。午前中は相棒の木工クラフトの製作所やギャラリーを訪ねたいという要望に応えて、近郊にある20を超えるそれらのアーティストの中から、幾つかを訪ねたいと思っている。いつものように朝食の後TVドラマを見終えて、10時過ぎ、歩いても行ける一番近い工房を訪ねることにして出発。直ぐに見つかって入ろうとしたらドアが閉まっており、庭で草取りをしている人に声をかけたら、どうやらその方がご主人だったようだ。奥さんも出て来られて、ギャラリーの中に入れて頂くことができた。その後は奥さんにご案内頂いて、店内の様々な作品を見せて頂いた。といっても、主役は相棒の方であり、自分はざっと作品を見せて頂いた後は、店内に置かれていた北海道の野草の図鑑を見漁っていただけ。北海道の木材を中心に外国からの板材も含めて各種の木材が巧みに使い分けられた、大小さまざまな作品が展示されていた。相棒はかなり興奮して奥さんと話をしていたようだった。何やらペンダントや額などを買い入れていたようである。自分の方は、小さなシュガースプーンを一つ、これは砂糖ではなく調理の際の塩を入れる際に使おうと思ってのオーダーだった。東川町に多数ある工房の中で、ここが一番古くからやっているのだと奥さんは話されていた。東京の中心街などでもデパートや展示会などに出品されているとのことだった。

 店を出た時は既に11時を回っており、相棒はもう十分満足したらしく、もう他の店は良いなどといっていた。でも、せっかくだからもう一店、少し離れたフクロウを中心に北国の森に棲む動物たちをモデルに制作しているという工房にも行ってみようと、車に戻って先日行った遊水公園の先にあるその店に行くことにした。しかし、行ってみると門は閉ざされており、今日はダメのようだった。アーティストというのは、販売よりも制作への情熱が多いのは当たり前なのだから、店の方は一般的な案内書通りには運営してはいないということなのかなと思った。今回はこれで木工クラフト探訪は終わることにし、正午も過ぎているので、旭川のラーメンを食べることにしようとラーメン村に行くことにした。その前に近くにあるキトウシのキャンプ場を覗いてみようとそこへ行ったのたが、開館しているのに誰もおらず、案内のパンフなども見当たらないので、何だか嫌気がさして直ぐに車に戻る。家族旅行村などもあり、かなり大規模な施設のようだったが、ガランとしており、このような運営姿勢でいいのかなと思った。

 先日来た時のラーメン村は、暑くて、暑すぎてそんなものを口にするのはとんでもないと思ったのだが、今日は素直に食べる気になったのは、勿論正気に戻り出した天気のおかげである。ここでのラーメンはいつも「さいじょう」という店の塩に決まっている。塩も昔からの素朴な奴だけで、それ以外のものを食べたいとは思わない。一度他の店のものを食べたことがあるけどダメだった。それ以来ここの店が確定したのだった。チャーシューのいっぱい入ったギトギトの濃厚なラーメンはとうの昔に卒業し、今はあっさり塩味が一番だと思っている。できればチャーシューなどなくして、その代りに野菜などを増やしてもらえばありがたいのだが、特注はしない。決めたことは守るだけである。これから先も旭川のラーメン村では、これを守り続けるのだと思う。そのようなつまらぬことを思いながらの、久しぶりの一杯は美味かった。

 昼食が済んで、移動開始。今日は歌志内の道の駅に泊まろうかと考えていたのだが、明日相棒の親しき知人のTさん宅を訪ねる時刻のことを考えると、より札幌に近いエリアに泊まった方が都合がよいと気づき、歌志内は入浴するだけにして、泊まりは三笠の道の駅にすることにした。先ずは深川の道の駅を目指す。ここでもう一度おにぎりをゲットし、それは夕食に充てることにした。深川の道の駅は野菜も良い。少量しか販売していないのだけど、品質が良いものが多く気に入っている。覗いたら枝豆のいいのがあった。今年は未だ枝豆を食べていない。もう夏も終わりだというのに、何ということか。今まで通ってきた海道の各地では、枝豆に辛うじて2度ほどお目に掛かってはいるけど、高価少量で、とても満足できる状況ではなかったのである。それがここへ来て解消されることになりそうで、嬉しくなって500g入りのを2袋買った。これなら存分に今までの無念さを晴らすことができる。

 買い物に満足した後は、一路歌志内の道の駅を目指す。チロルの湯というのは、道の駅の構内にある日帰り入浴の温泉施設である。今回はHOに無料入浴OKの掲載があるので、利用させて頂こうというわけ。滝川からは日本一の直線道路に入る。30km弱の直線道路は、進路変更をしない限り、本当にまっすぐだ。しかし、今日は砂川市内で左折してしまったので、その感覚を味わうのも不意となってしまった。歌志内は雨降りの時間帯に掛かっているはずだったが、予報は外れているようで、道路は乾いており、丁度温泉の駐車場に車を停めた頃に少し雨粒が落ちてきたという状況だった。1時間ほどいい湯を味わう。体重を計ったら、2kgほどオーバーしていた。それほど食べてもいないのにと思いながら、こりゃあ何とかしないといけないなと思った。61kgが目指す標準である。

 風呂を出た後は、来た道を戻ってR12に入り、三笠の道の駅を目指す。途中給油。家を出て以来、ついに4000kmを超えてしまった。しかし、いつもの年よりはかなり走行距離は減っている。これから先1000kmほどは走るだろうから、5000km台には届いてしまうのだろうと思う。ま、ええか、という感じである。三笠には18時少し前に到着。旅の中では遅い方の到着だ。ここまで南下して来ると札幌はぐっと近くなり、大都市圏の中に組み入れられようとしている町のムードが漂っているのを感じるのである。道の駅のすぐ近くにイオンモールというのか、大規模のショッピングモールがあり、もはや田舎という雰囲気ではない。旭川以上に都市化されつつあるのを感じるのである。その良し悪しは判らないけど、便利であることは確かだ。さっそく枝豆を茹で、おにぎりを頬張りながら我が家の夕餉が始まる。ビールの在庫が小1個しかなかったので、より一層枝豆を味わうためには足りないと、食事の途中に隣のイオンまで歩いてビールを買いに行く。ところがすぐ手に入ると思っていったのに、何とそれを売っている売り場は遠くて、片道500mもあったのだった。往復1kmの買い物となり、予定より1本多く追加購入することとなった。こんなことをしているから体重が2kgもオーバーすることになるのだ!わかっちゃいるけど止められねえ~。これが人生というものであろう。所詮、人生などというものはヤケクソなのである。

今日(9/7)の予定】 

道の駅:三笠 →(R12)→ 厚別区・Tさん宅 →(R12・R274)→ 道の駅:マオイの丘公園 →(未定)

コメント (2)
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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <67回>

2012-09-06 02:36:56 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月5日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

千望峠駐車公園 →(道道・R237)→ ファーム富田 →(R237)→ 富良野山部:嶋田農園 →(R237・道道)→ 道の駅:東川道草館 (泊) <99km>

≪レポート≫

 素晴らしい夜明けの景観だった。千望峠は上富良野町の八景の一つとなっており、ここからは四季を通して目前に十勝連峰の山々と遠く左手に大雪山塊を眺望することができるのである。昨夜吹いていた風は、空を浄化する役割を果たしたのか、4時過ぎの空には雲一つない青空が広がっていた。しばらくすると、大雪山の方が明るくなり出し、気づかなかった筋雲が赤く染まって見えたのだった。

   

大雪山塊の夜明けの空。中央一番高いのが旭岳あたりか。何時の間にか山の上空にかかった雲が鮮やかな朱色に染まって、朝の到来を告げたのだった。

日の出にはまだ少し早く、しばらく待っていると、いつの間にか十勝連峰の峰々にも雲が湧きだし絡まりつき始めた。やがてそれらの雲の一番多いと見えるトムラウシ山の上の方が朱く染まり出した。どうやらその辺りがここからの日の出の場所らしい。しばらくすると陽光が輝きながら広がり出した。日の出である。山の端の雲を染めて太陽がグングンとせり上がってきた。眩しいけどまだ上りたての太陽は、その光の輪を少しの時間見ることが可能だった。今日初めての陽光に染められた連峰の景観は、大自然の神秘的な世界をたっぷりと味わわせてくれたのだった。風は未だ少し強く、外に出ると寒さを覚えるほどだったが、相棒も飛び出して盛んにカメラのシャッターを切っていた。

   

十勝連峰の日の出。太陽の左方に最高峰のトムラウシ山がある。たくさんの山が連なっているので、登山をしていない自分にはそれらの山を正確に言い当てることができないのが残念。厳かな日の出という一瞬だった。

 いつものように10時までTVを見て、出発の準備が終わり、さあ、これからとりあえずファーム富田へ行こうとしていたら、1台のワンボックス車が入って来て人が下りてきた。顔を見たら、何と別海町のふれあいキャンプ場で、隣に泊まられた方で、我が守谷町に近い龍ヶ崎市在住の方だった。名前は伺っていないので存じ上げなかったのだが、旅を通して自然の中にある様々な景観の写真を撮り、自然の中に在る様々な音を録音して、Uチューブに載せているという話をされていた。その方が突然入って来られたので驚くとともに、再会できたことを嬉しく思った。お互いその後過ごした旅のコースや出来事などの話となり、それからかなり長い時間歓談することとなった。人との出会いはこのようにして深まってゆくものである。名刺を交換してOさんであることを知った。Uチューブはまだ見ていないけど、彼の投稿作品を見るのが楽しみである。11時近くとなって、別れて出発となる。

 ところで、今日の予定は殆ど決まっていない。ファーム富田までで、その先はハッキリしていない。明後日札幌在住の相棒の友達の方のお宅を訪問予定なので、それまでの間は調整的な時間なのであった。旅の間には、このようなときが時々発生する。予定が決まらないということは、自在の時間があるということなのだが、それは意外と自在の自覚を持てない時間でもある。とにかく先ずはファーム富田へ。今頃いってもラベンダーがあるわけではなし、花の方も昨日の色彩の丘を超えるほどの広さがあるわけでもないので、それほど期待しているわけではない。とにかく今頃の季節のラベンダーの名所がどうなっているのかを見てみたいだけだった。行ってみると、やはり予想通りの花畑の状態だったが、来訪者は多く、何台もの観光バスが停まっていた。観光客の多くは中国や台湾、それに韓国辺りからの人たちで、所定のコースに載せられての来訪に違いない。花のシーズンは終わっており、気の毒だなと思った。それでも中庭の方には、サルビアやマリーゴールドなどの花畑が巧みにレイアウトされて花を咲かせており、少しは慰められたのかも知れない。相棒はいつも使っている石鹸を補充するのだと、売店の方へ消えて行った。しばらく経って相棒が戻り、もうお昼の時間なので、ここで何か食べることにして食堂へ。野菜カレーなるものを食べることにした。相棒はより沢山野菜が多いのをオーダーしていた。中速の間に決めたのは、このあとは麓郷の方へ行くことと山部地区にある嶋田農園といういつもお邪魔している所に行き、スイカやメロンなどを物色すること。宿の方は依然未定だった。食事が済んで、カメラを抱えて出て行った相棒と別れて、車に戻り暫く寝床に横になった。眠くなったのである。

 相棒が戻って麓郷方面へ出発。麓郷はTVや映画の「北の国から」のロケ地であり、その時使った場所や物が残っている。何年か前に訪ねたことがあるけど、そのドラマを見ていない自分にはあまりよく理解できなかった。もう一度覗くのもいいかと思った次第。走り出して、先ずは嶋田農園の方へ先に行くこととした。富良野の果物や野菜は有名だけど、その中心の産地は山部地区である。その中の農家の一つに嶋田農園があり、我々はいつもそこによってメロンやスイカなどを手に入れることにしている。特に相棒はメロンが好きで、楽しみにしているようだ。自分はメロンの甘さがあまり好みではなく、同じような食べ物ならスイカの方がいい。ということで、今回は自分がスイカを相棒はメロンをそれぞれゲットした。カボチャやトウキビもたくさん並んでいたけど、このところ食べ過ぎの傾向にあるので、我慢することにした。

 買い物を終えて、麓郷へということになったのだけど、相棒もあまり乗り気ではなさそうで、自分としても特別にそこへ行きたいという気持ちもない。それじゃあ、行くのは止めようということになった。さて、宿はどうするか。相棒が依然として鼻がグズグズしていて調子が回復していない様なので、それじゃあ早めにどこか近くで休むことにするかということになった。昨日の千望峠でもいいのだけど、今日は昨日以上の風が吹いているので、風の少ない日の出公園下の方へ行くか、となった。しばらく走っている内に、一昨日東川の道の駅に行ったとき、相棒が木工クラフトの製作所などを見てみたいと言っていたのを思い出し、いっそのこともう一度東川の道の駅に泊まり、明日はその木工所などを幾つか訪ねた後、札幌方面に向かいどこか適当な所を探して泊まることにしようかと提案したところ、たちまち了解を得たのだった。このようにして、今日の宿は東川の道の駅に再泊となったのである。どうでもいいようなことをくどくどと書き連ねて申し訳ないけど、ま、旅の実態の一部は、我々の場合は、このようないい加減さで決められ、進んでいるのである。16時東川の道の駅到着。

 一昨日もピカピカの青空下の到着だったけど、今日もまた同じようなお天道様の照りつける中での到着だった。しかし暑さの実感はかなり変わっている。今日は少し風があり、日差しも弱まって凌ぎやすいのである。残暑もようやく重い腰を上げて逃げ去る準備を始めたようだ。途中の道脇の表示板によれば。気温は23℃、路面温度は32℃となっていた。これが普通というものであろう。その昔はもっと涼しかったに違いない。涼しくなったとはいえ、ピカピカの日差しはかなりのもので、それから日が沈むまでの間は、西側のカーテンを閉めて一方の風道を塞ぐことを余儀なくされたのだった。

 先ほど買ってきたスイカを、直ぐ傍にある手動ポンプで汲んだ井戸水に浸して冷やし、今夜の夕食のデザートは、デザートが中心の夕食となった。変な話だけど、要するにスイカの他は酒の肴と水割りだけだったということ。中玉のスイカを半分食べるのは、二人掛かりでも容易なことではない。半分は中身を小切りにしてタッパーに入れて冷蔵庫の中へ。冷蔵庫は小さく狭いので、そのスペースをひねり出すのが大変だった。所帯じみた話ではある。明日辺りから本格的な帰途のモードに入ることになる。札幌が近づき、函館が近づくと北海道の旅の終わりが如実なものとなるのである。

 今日(9/6)の予定】 

道の駅:東川道草館 →(旭川市内経由)→(未定)

 

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <66回>

2012-09-05 06:56:12 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月4日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

道の駅:東川道草館 →(道道1,160他・R237)→ 美瑛町:北西の丘公園 →(道道966)→ 美郷不動尊名水 →(道道966他)→ 四季彩の丘 →(道道・R237他)→ フラヌイ温泉 →(道道)→ 千望峠駐車公園 (泊) <77km>

≪レポート≫

 昨夜は夜半からかなりの雨降りとなり、天井を叩く音に目を覚ましたのだった。暑さはおかげさまで幾分収まったのだけど、一度目が覚めるとなかなかすんなり寝付くことが難しくなって、次の眠りが来るまでに手間取った。本来なら起きてしまえばいいのだけど、まだ0時にも届いておらず、起きるには早すぎると、しばし寝禅などを行った。寝禅というのは、座る代わりに体を横たえて行う呼吸法で、大いに重宝している。これを用いると不眠症などがかなり改善されるのではないかと思うけど、さてどうなのだろうか。怪しげな手法を他人様に教えるには勇気が要る。

 朝になって外を見ると青空はみられず、このままこの空が続いて欲しいと思った。別海に居て、同じような空を毎日見上げては、暑くなってもいいから、偶には青空を見たいものだと思ったりしたのだが、今はその正反対の環境にいる。人間の気持ちという奴は、真にいい加減で、環境には逆らえない。この世が荒み始めているように思うのは、何よりも環境の影響が大きく、それに人心が絡まって、悪化の一途をたどるスパイラルのコースに嵌ってしまっているのかも知れない。考えすぎであればいいのにと思う。この雲が取れてしまったら、又昨日の暑さが戻ってくるのかも知れない。相棒の話では、今日の天気の予報は晴れではなく、良くはないとのことだった。是非このまま、雲が空を覆い続けて欲しい。

 しかしいつものようにTVのドラマを見ている内に雲は次第に消え去ったようで、陽が射し始め次第に暑さがぶり返し始めたのだった。どうやら願いもむなしく、今日も猛烈な暑さの一日となるらしい。今日は美瑛の丘巡りなどをしようかと思っているけど、あまり暑いと、熱中症などが心配になってくる。そんな不安を抱えての出発だった。今日の予定は、先ず美瑛の北西の丘に行き、今頃の季節の様子を確認してから、その後の行動を決めることにしている。というのもこの季節まで北海道に残っているのは初めてのことであり、美瑛の景観を見ているのはいつも7月ごろばかりだからである。7月は花の季節であり作物も成長の季節だけど、今頃は収穫期を終えた作物も多く、花も殆どが盛りを過ぎているに違いない。

 10時過ぎ出発。昨日に負けない蒸し暑さである。もはやこの暑さには諦めるしかない。いつもとは違う、空港傍の道を通って、間もなく美瑛町に入り、北西の丘公園の駐車場に到着。もう観光シーズンは終わりかけており、来訪者は少ないのではないかと思ったのだが、意外と車が多いのに驚いた。観光バスなども来ている。ここは美瑛観光の拠点の一つとなっているので、立ち寄るのがパターン化しているのかも知れないなと思った。しばらく休んでいると、やっぱりシーズンが終わりに近づいているのを実感できるほどのまばらな人足となった。これが本当の姿なのだろうと思った。相棒は、ここへ来るといつものガラス工芸の店へ出かけて行った。店の方と気が合うらしく、あれこれと話の楽しさなどを報告されるのだけど、自分にはわからないことが多く、まあ相棒が喜んでいるのだからありがたいことだと思っている。そのお店が健在であることが何よりうれしいことである。1時間ほど休んで、結論としては、今日の美瑛の丘めぐりは、四季彩の丘だけを訪ねることにした。そして、昼食は白金温泉の近くにある美郷不動尊の名水を汲み、そこでそうめんを茹でて食べることに決めて出発。

 美郷名水は美瑛に幾つかある名水の中では一番人気のある場所で、水汲みの来訪者も多い。自分たちも毎度お世話になっている。京極や真狩の湧水ほどとはゆかないけど、湧水量もかなり多く、バナジウムを含んでいるとかで、価値の高い水のようだ。冷たい清冽な水でそうめんを食べるというのは、いつもここへ来た時の恒例のようになっている。さっそく水を汲み、お湯を沸かし、今日は先日旭川在住のSさんから頂戴したグリーン色の冷や麦を茹でることにした。茹で上がって、汲みたての冷水に晒すと、麺がきゅっと締まって、まあこれが何ともいえない触感で、今まであまり食べたことのない冷や麦を味わったのだった。美味である。チョーうみゃあ~である。相棒も嬉しそうに味わっていた。Sさんに感謝。深謝。ご馳走さまでした。食事の後に更にもう一度水を汲んで水槽を満たして出発。

 四季彩の丘は美瑛の花の名所として菅野ファームやゼルブの丘と並ぶ人気スポットである。花の種類や量ではここが一番なのかも知れない。行ってみるとさすがに賑やかな彩の花畑が視界に入って来た。しかし近くに行って見ると、やはり今頃まで咲き残る花の種類は限られており、それらを巧みに植え育てた畑なのが分かった。葉鶏頭、サルビア、マリーゴールド、クレオメなどの色違いの花が巧みに配列され、それらに遅咲きのヒマワリなどが加わって、全体としての見事な花の景観をつくり出していた。観光馬車やバギーなどが走り回るのが煩わしいけど、これは、それに乗って喜ぶ人たちがいるのだから仕方がない。1時間ほど花を楽しんだ後、今日の泊りは上富良野町の日の出公園にすることにし、その前に公園近くにあるフラヌイ温泉に入ることにして花園を後にする。

    

四季彩の丘花畑の景観。これはなんという名の花なのかよくわからない。シソ科の仲間で、花よりも葉の方の色に特徴があるようである。花づくりの人たちのご苦労を思った、

    

四季彩の丘ひまわり畑の景観。ひまわりの花は本当に太陽に向かって花を開かせているのか?この花たちを見ている限りそれは少し疑問に思った。

 美瑛に来ると必ず立ち寄って写真を撮る場所がある。今年はこの季節では絵にはならないのではと思いつつ、今日も寄って見ることにした。場所は拓真館の近くにある柳川押し花学園の所である。ここの景観はいかにも北海道らしい、日本の内地離れした景色だと思っている。パソコンの壁紙にも使っており、気に入りの場所なのだ。寄って見たけど、やはり予想通りいつもと違っており、残念に思いながらも何枚かの写真を撮る。

    

柳川押し花学園の景観。いつもだと手前のハーブ畑にはラベンダーの紫が鮮やかで、後ろの畑の丘は緑や黄金色の作物が青空をくっきりとさせて、赤い屋根を強調してくれているのだけど、今回はそれは叶わなかった。

寄り道の後はR237に入り、まっすぐにフラヌイ温泉へ。この温泉は源泉が31℃で、これを沸かした浴槽もあるけど、源泉のままの浴槽が気に入りで、ひんやりとした入浴感は他ではあまり味わえないものである。サウナなどにもしっかり入って、1時間余りの入浴を楽しんで車に戻った時は、17時半を過ぎていた。ここで気持ちが変わり、泊まる場所を日の出公園の駐車場から千望峠に変更する。

というのも、今日は美郷名水を汲むころから天気が急変し出し、暑さは一挙に消滅に向かい、四季彩の丘の散策時は旭川や留萌当たりのエリアの上空は真っ暗となって、時折雷光が煌めき走っていたのだった。それで、雷雨の襲来に備えて、風当たりなどの少ない公園を泊り場所に選んだのだったが、入浴中のサウナの中で見た予報では、夜間はそれらの雷雲は北上をするとのことであり、この近辺は大丈夫だという情報を得たからだった。相棒は明日の早超十勝岳や大雪山連峰の写真を撮りたいので、早朝に千望峠に移動しようなどといっていたので、それならば今の内にそこへ行って泊まっておればよいと思った次第。少し風はあるけど、今年はもっと強い風の洗礼も受けているので、大丈夫との判断だった。

千望峠はR237を挟んで、フラヌイ温泉の反対側にあり、そこからの十勝岳連峰の景観は写真には納まらぬほどの大きさなのである。ここには駐車公園があり、トイレも水もあるので山の写真を撮るために泊まる人が多い。今夜は自分たちの他には泊りは1台だけの様だったけど、時折山の夕景を眺めに来る車が入って来て、やはり名所の一つなのであろう。明日の早朝にはご来光が拝めることを祈念しながら、夜を迎える。暑さも一気に消え去り、心地よい眠りの環境に包まれて、今夜は熟睡が期待できる。

今日(9/5)の予定】 

千望峠駐車公園 →(R237)→ ファーム富田 →(未定)

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <65回>

2012-09-04 07:00:05 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月3日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

道の駅:鐘のなるまちちっぷべつ →(R233)→ 道の駅:ライスランドふかがわ →(R12・道道90)→ 旭川市内ショッピングモール(ウエスタン)→(道道90・道道1160)→ 道の駅:東川道草館 (泊) <86km>

≪レポート≫

 暑い。暑かった。もうヤダ。というのが今日一日の感想だ。しかし、ヤダといっても、自分の力ではどうにもできない限界がある。暑さから何とか逃れようと、旭川近郊を逃げ回った一日だった。

 秩父別の朝は、二度寝をしていい気持ちで眠りを楽しめそうになっていた6時、突然のガラガラの鐘の音にたたき起こされて始まった。何しろ鐘の音を振りまく塔のすぐ傍で寝ているのだから、たまったものではない。鐘の音は、直ぐに止むことなく、3分もの間ガラガラとなり続けるのである。日本のお寺の鐘を遠くで聞くのは情緒があるけど、ここの鐘は洋風で、連続的にガラガラワンワンと鳴り続けるので、真に落ち着かない。教会の鐘に擬してあるのだろうけど、自分的には馴染みにくい音である。要するにたたき起こされて、外に出てみると、真っ青な空が広がっていた。広い駐車場には旅車はたったの3台ほどだった。鐘の音が好きで泊まった人は居なかったと思う。もう経験済みの人は決してここには泊まらないのではないかと思った。その証拠には、昨夜温泉に入りに来ていた何台もの旅車の姿など全くなかったからである。風呂に入って、そのあと屯(たむろ)するくるま旅の人を何とか排除したいと考えている道の駅などでは、この秩父別のような対策をとればかなり有効なのではないか、などと思ったりした。くるま旅や車中泊の来訪者の撃退法ということになるわけだ。何だか変な話になった。しかし、これが日本国のくるま旅環境の現実の一端である。

 TVのドラマが終わった10時頃は、ピカピカのお天道様が駐車場のコンクリートの地面を照らしていて、外に出るとムッとする暑さが口の中に飛び込んできた。既に気温は30℃近くとなっているらしい。旭川エリアの暑いのはよくよく承知しているけど、9月に入ってからのこの暑さはやはり異常のような気がしてならない。早々に準備をして、とにかく隣の深川の道の駅まで行って気分を転換することにして出発する。

深川の道の駅は毎年何回か訪れている場所で、駅構内の売店でおにぎりを食べ、米や野菜などを買うのを楽しみにしている。少し前まではトイレがきれいで素晴らしかったのだけど、その後悪戯をするバカ者がいたりして、レベルがダウンした感じがしている。悪ふざけなのか、精神病の御一種なのか、バカな行為をする奴が増えている世の中を感じている。今日もおにぎりを食べる。わさび海苔の入った大型のおにぎりは、ご当地自慢の深川米を使ったもので、1個180円もするのだけど、握りたてのアツアツのそれは、ここでしか味わえない価値がある。相棒は帰宅後に食べる米などを買い込んでいた。トマトやとうきびなどの野菜もゲットする。一歩外に出ると、猛烈な暑さが大地を照り返し、40℃を目指して上昇を始めたのではないかと思うほどだった。

このまま旭川を素通りして美瑛の方へ行ってもよいのだけど、ショッピングモールなどに行けば涼しい場所も期待できるのではと考え、いつも寄っているラーメン村のある所へ行くことにして出発。旭川市内には先日美深のキャンプ場でご一緒したSさんが住んでおられるのだけど、現役の方なのでお騒がせするのは避けて、そのまま通り過ぎることにした。後で、メールを頂戴したのだけど、せっかくの御心遣いを不意にしてしまって申し訳なし。とにかく暑い。この地に住んでいる人で、暑さを感じなかった人は居ないように思う。居たとすればよほどに恵まれた人か、あるいはまったくその反対の不幸な環境にある人だけではないか。普通の暮らしの中で、「暑い!」と一度も声を発しなかった人をそのように思った。ショッピングモールの店の中は適当に涼しかった。しかしこの人工の涼しさをあまり好きではない。少しばかりの買い物を終えて、車に戻って休む。相棒はラーメンが食べたいと出かけて行った。この暑いのに勇気のあるお人である。車の中で窓を開けると僅かに風が通っているのを感じた。少し眠くなったので、そのまま寝床に体を横たえていると、たちまち眠気が本格化した。眠ってしまえば暑さなどどうでもいい。こっちのものである。30分くらいの眠りだったけど、暑さを忘れる良い時間だった。さて、どうするか。

とにかく美瑛方面へ行くことにして出発。途中でふと相棒が東川の道の駅の木工クラフトなどの工芸品を見たいなどといっていたのを思い出し、一寸寄って見るかということになった。東川町は旭川市に隣接している町の一つで、ここからは20分ほどの距離である。暑さを凌ぐ場所があるとは思えないけど、駅の中は少しは涼しいだろうと思った。直ぐに到着。日影のある駐車場所を探していると、幸運にも1カ所それがあったのである。全体的な暑さはどうにもならないけど、部分的には日蔭とそうでない場所とでは車の中は雲泥の差があり、日影では窓を開けて息をつくことができるのである。しばらくここに居座ることにした。

相棒の話では、木工クラフトの作品は、この道の駅ではなく、近郊に点在する製作者の工場などを訪問すれば見ることができるとのことだった。しかし、この暑さの中でそれらを見て回るには車でなくてはとても無理であり、もはや動き回るのは御免を蒙りたい。相棒にもそれは解っていて、しばらくこのまま過ごすことにした。直ぐ傍に登山用品などの専門店があり、相棒はその中に消えて行った。この間、所沢ナンバー(埼玉県所沢市)のバイクが傍に停まっており、間もなくその持ち主が戻って来られた。自分と同年輩か少し下なのか、彼の話では、このバイクはタイを旅した時に買ったもので、ホンダ製だけどタイ使用の車なのだとか。日本に持ち帰り、これをワンボックスの軽自動車に積んで、奥さんと一緒に旅をしているとのこと。車を拠点に於いて、バイクに二人乗って自在に目的地を訪ねているとのこと。いやあ、知恵者もいるもんだなと感心した。間もなく奥さんも戻って聞いて、話をすれば奥さんのお母さんの出身地が守谷市なのだという。所沢市は、何年か前に住んでいた東村山市や小平市近くにあり、埼玉県有数の人口の多い所である。しばらく旅の話などをした後、お二人は手を振りながらバイクで軽快に走り去っていった。

相棒はなかなか戻ってこない。店に行ってみると、靴を買うとかで、何やら店の人と話をしていたようだ。こうなると時間がかかるなと思ったけど、暑さを忘れるにはここでしばらく休んだ方がいいと思い、お好きなようにということにした。かなり古くなって傷んでいた運動靴に見切りをつけたということらしい。靴の後はついでに気に入ったズボンを見つけて、これもオーダーしたとのこと。採寸して縫製があるため、出来上がりは明日になるとか。ということはもう一度ここに来なければならないということ。さすればここかこの近くに泊まるということになる。ま、それも良かろうと、今日の美瑛方面行は止めることにした。

一段落して、ここに泊まっても良いけど、その前に予て旅の知人たちから耳にしているこの近くのキャンプ場はどうか、行ってみることにした。近くには隣町の東神楽キャンプ場があり、東川町にはキトウシの家族旅行村キャンプ場などがある。東神楽のキャンプ場の話をよく聞いていたので、先ずはそこに行ってみることにした。相変わらずの暑さである。市街地を出るのは500mほど走ればよい。過ぎに田んぼや畑の世界となる。まっすぐな道を4kmほど走って山地にかかり、曲がった道の坂を少し上ると、そこにキャンプ場があった。どうやらテントの設営専門の芝生地だけのようで、駐車場に泊まるだけではダメの様だった。少し上の方の左手に入浴施設があり、その向かい側にオートキャンプ場があるので行ってみたのだが、受付は閉まっており、御用の方は下の管理棟にと書かれていた。ちょっと中を覗いてみたが、誰もおらず車も泊まっていない。もう閉鎖期に入ったのかも知れない。何だか訊く気もしなくなって、戻ることにした。その後、水の補給がしたくて、遊水公園というのへ行ってみたのだが、遊水とは名ばかりで、干上がった池が幾つか炎天下に横たわっているだけで、水飲み場などどこを探しても皆無だった。遊水とはどんな意味があるのか、行政担当者の思いつきのいい加減さを改めて感じたのだった。特別の予算に与れば後のメンテなど考えもせず、とにかく箱モノを作って金を使ったという実績をつくるというのが、彼らの常套発想で手段なのだが、ここもそのように感じた。公園内に中国人の強制連行のモニュメントがあったけど、複雑な気持ちでそれを見たのだった。

とにかくがっかりしながら、道の駅の駐車場に戻る。第2駐車場の方がゆとりがある様なので、そちらに移動して夜を迎える。ようやく日が沈み、わずかだけど涼気が漂い始めたのは18時をかなり過ぎた頃だったろうか。とにかく北国の猛暑に嬲り続けられた一日だった。明日はどうなるのか。

今日(9/3)の予定】 

道の駅:東川道草館 →(道道・R237)→ 美瑛町方面(未定)

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <64回>

2012-09-03 05:09:37 | くるま旅くらしの話

昨日(9月2日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

道の駅:ほっと・はぼろ →(R232)→ 道の駅:おびら鰊番屋 →(R232・R231)→ JR増毛駅 →(R231・R233)→ 留萌市内コインランドリー →(R233・R232)→ ホテル神居岩(♨)→ 道の駅:鐘のなるまちちっぷべつ (泊) <131km>

≪レポート≫

 羽幌の朝は真っ青の空だった。嬉しいというよりも今日は真夏日か、という、うんざりの気持ちが大きい。南下に従って暑さが強まるのは当然なのだけど、風のないべとべとの暑さには、辟易する。朝の内はそれほど気温も上がらず、まあ、快適なのだけど、9時を過ぎる頃には予想通りの暑さが到来し始めた。今日は洗濯をする日と決めている。一応、その場所は旭川市内と考えているのは、他の町のコインランドリーを知らないからだった。その前に、昨夜電話を頂いたMさんの情報では、増毛町の名物にタコの柔らかく煮たのがあり、その天ぷらが美味いのだという。先ずはちょっと寄り道してそれを味わって見ようということにした。タコのてんぷらというのは、まだ食べたことが無い。老人でも食に対する好奇心は未だ少なからず残っている。

 今日は日曜日。いつものTVの太祖王建はないので、出発は9時頃となる。昨夜は10台を超える旅車がいたのだけど、9時まで残っていたのは、3台ほどだった。皆さん早起きで、出発も早い。我々といえば、今日の関心事は洗濯とタコのてんぷらだけなのだから、急ぐ理由など何もないのだけど、さりとてぐずぐず滞留している理由もない。昨日に続くオロロン街道を走る。オロロン鳥は羽幌町のシンボルとなっており、町の入り口と出口には巨大なその鳥の像が建っている。オロロン鳥をまだ見たことが無いけど、やっぱり天売や焼尻まで行かないとダメなのであろう。それにしてもオロロンというのは、何とも妙な哀歓を覚える言葉の響きがある。

 走り出して直ぐに隣の苫前町に入り、直ぐに道の駅があるので、一寸寄って覗いてみた。ここは以前来た時も寄ったことがある。その時はまだ開業したばかりで、あいにくの定休日だったため、無機質の新品の建物には人ひとり見えず、何だか違和感を覚えたのだったが、今日は車も多く駐車しており、以前の印象とは全く別となっていた。ここにも温泉があり、夕陽などの景観も大いに期待できそうであり、機会があれば利用してみたいなと思った。

 次に寄ったのは、小平町の道の駅:おびら鰊番屋。ここは、その昔ニシン漁が盛んだった頃、花田家の番屋があり、それが今は道の駅となっている。資料館も併設されており、その昔のニシン漁の最盛期の様子を思い描かせてくれる。自分たちは以前、東京都多摩エリアにある小平(こだいら)市に住んでいたことがあり、同じ漢字の小平をおびらと読むこの町に何とはなく親近感を覚えている。小平市と小平町は確か姉妹都市のような関係にあり、元住民としては格別の思いを感ずるのは当然なのかも知れない。表敬訪問のつもりで、立ち寄ったのだった。

 さらに1時間ほど走り、留萌の市街地を通り抜けて増毛町に入る。ここは初めての来訪地である。10年以上も北海道に来ているのに、この地にはなかなか来るチャンスが無かったのだった。昨日Mさんから電話を頂いた時、タコのてんぷらへの関心も大だったけど、それだけではなく、一度はどういう所なのか行ってみたいという思いを実現できるいい機会だと思ったのだった。坂を下って海の傍の市街地に入ると、交差点の脇に如何にもその昔の豪商というか、財を成した商家の建物のようなものが目に入った。この頃は旅の中で国指定伝統的建物保存群というものを訪ねるのを楽しみにしており、春の九州行でも幾つかのエリアを訪ねて、その昔の日本の暮らしの文化などに思いを馳せたのだったが、この町にもそれを感じたのだった。先ずはその前に名物のタコの煮たのはないかと、それらしき店を探したのだったが、見つからない。店に入って聞いても知らないというのである。ここは数の子が名物だとも言っていたけど、どうやらその店はその専門業者のものらしかった。狭い町なので、あっという間に通り過ぎてしまう。その内に増毛駅という字が目に入り、見るとその構内が売店となっており、そこに「タコザンギあります」と書かれていた。これじゃないかなと考え、車を停めて中に入ってみた。店の人に訊くと天ぷらではなくから揚げだとのこと。又タコの柔らか煮のことを訊くと、うちの製品でそこの冷凍庫の中に入っているのがそうですという。しかし、コチンコチンに凍っており、車の冷蔵庫には入らない。それを買うのは諦め、とにかくそのタコザンギという奴を食べてみることにした。注文を受けてから作るということで、5分ほど待って紙コップに入ったそれを受け取ったのだった。車に戻って一口食べてみたのだが、「美味い!」のである。ビールのアテには最高だ。夕方までとっておこうかと思ったのだが、食べている内にビールが無くても、今が食べ時じゃないかと、相棒との話はこのような場合はぴったり一致するから不思議である。ビールの代わりに氷りを入れたコップに紫蘇ジュースを炭酸で割って飲むことにした。これが又タコちゃんザンギにぴったり合うのである。うまい、うめ~、うみゃ~などといいながら、2杯分をあっという間に完食したのだった。それにしても美味かったなあ。Mさんに感謝。家に帰ったら、この食材のこの調理方法を研究してみようということになった。タコを柔らかく煮るというのは結構難しいように思う。酒入りのしょうゆなどに漬けて何かのスパイスを利かせて、揚げるという手順だと思うけど、何やら楽しみである。すっかり嬉しくなってしまった。そのあとは、町中を歩いて、「国稀」という地酒をつくる蔵元が汲ませてくれている水を汲み、その昔この地で財を成した本間家の蔵などを見学し、そこに収められている鰊船の写真などを撮ったりした。いい時間だった。今度増毛に来るときは、寿司なども賞味してみたい。確か以前TVで紹介されていた気がする。今回はタコザンギで十分満足。

 増毛を後にして、留萌市街の方に戻る。間もなく留萌市街のはずれとなる頃にコインランドリーを発見。道路の反対側だったので、急ぎ車を停め引き返す。旭川のいつものコインランドリーまでは、まだかなりの距離があり、ぐずぐずしていると洗濯が夜遅くまでかかってしまうのではないかと心配していたのだけど、ここで済ませておけば、時間管理もずいぶん楽になる。ということで、相棒はさっそく作業に取り掛かる。こちとらはいつものように運ぶだけ。ヒマなので、近くの店におにぎりを買いに出かける。12時を少し過ぎたばかりだ。日差しは益々強くなり、直射日光に当たるとクラクラするほどだった。ランドリーの駐車場は幸い建物の日陰だったので、これは大いに助かった。その後完了するまで2時間ほどの時間があり、HOを見ていたら、何と留萌にもホテル神居岩というのがあることが判った。それならば、旭川まで行かなくてもここでその風呂に入らせて頂き、その後は近くに道の駅に泊まることにしようということになった。候補地としては、北竜町か秩父別町か、どちらかの道の駅である。それは風呂に入った後に決めることにした。とにかく、外は暑い。猛暑の夏日である。

 洗濯も無事完了し、ホテル神居岩に向け出発。なんと5分もかからぬほどの近くにあった。勿論初めてお世話になる場所である。1時間ほど温泉を楽しんで車に戻ったのは、15時過ぎだった。まだ日は高く、空には一篇の雲もない、ピカピカの青空である。幸い車は木陰に駐車できており、そよ風が吹くと結構凌ぎやすい。今すぐに道の駅に行ってもこの暑さでは、せっかくの入浴が汗で不意になってしまう。ということで、もうしばらくここで休ませて貰うことにした。温泉の汗が収まる16時過ぎまで休憩。それにしても酷すぎる暑さだと思う。あと半月後には帰宅となるのだけど、これほどの残暑に耐えられるのか、少し心配になった。

 16時過ぎ出発。まだ行ったことのない秩父別の道の駅に行くことにする。ゆっくりと走って、1時間ほどで到着。17時を少し過ぎていたが、まだ太陽は天空にあり、日没の18時頃までには少し間があった。それでもかなり涼しさは増して、車の中ならばどうにか過ごせるレベルとなっていた。この道の駅にはかなり大きな温泉入浴施設があり、利用者もかなり多い様で、駐車場にはかなりの車が停まっていた。200台を超える駐車スペースがあり、我々は端の方に邪魔にならないように停まって夜を迎える。道の駅の名称が、「鐘のなるまち・ちっぷべつ」であり、その鐘を備えたシンボルタワーが直ぐ傍に建っており、これが正時になるとガランカランとなりふり構わずに音を振り回すので、些か閉口した。町の歴史の100年記念の事業で建てたものらしい。遠くで聞く鐘の音には抵抗はないけど、間近での音は、騒音以外の何物でもない。眠りかけた20時頃にも突然鐘が鳴り響き出し、いやあ、参った。良い所だけど、今後は泊まるのは敬遠しようと思った。北見のおんねゆ温泉の果夢林の鳩時計のメルヘンの世界とはずいぶんと違うなと思った。世の中、いろいろなものがあるなと、改めて思った一夜だった。

今日(9/3)の予定】 

道の駅:鐘のなるまちちっぷべつ →(R233)→ 道の駅:ライスランドふかがわ →(R12)→ 旭川経由・美瑛方面 →(未定)

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <63回>

2012-09-02 06:13:45 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月1日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

道立宗谷ふれあい公園キャンプ場 →(R238・R40・R232)→ 道の駅:てしお →(R232)→ 道の駅:ロマン街道しょさんべつ →(R232)→ 道の駅:ほっと・はぼろ (泊) <137km>

≪レポート≫

 昨日一日ここの滞在を延期したのだけど、Aさんご夫妻とのいい思い出の残る日を過ごせて本当に良かった。旅先で、大勢の知人たちとワイワイ賑やかに過ごすことも楽しいけど、2家族だけの夕べの歓談も味わいのある時間だと思う。昨日は少し収まったとはいえ、依然として風の強い一日だったけど、その気象状況までもが思い出に織り込まれて、却って一日の印象を強化してくれたように思った。

 今日はそのAさんご夫妻に別れを告げ、再び南下を開始する日である。天気はまあまあの様である。相変わらず風が吹いているのは、もしかしたらここは元々いろいろな風の通り道になっている地形なのかも知れない。良く考えてみれば、日本海とオホーツク海とが宗谷海峡の左右に別れて控えている場所なのである。初めての土地は、東西南北の方向感覚がなかなか定まらず、磁石を取り出して確認していても南北が反対のような気がしてしまうのは、素直になれない老人の性格の表れなのだろうか。そんなことを思ってしまうほど、旅先では戸惑いが多い。ここは、その点今朝Aさんに日の出の朝焼け雲のきれいなことを知らされ、カメラを持って飛び出して何枚かの写真を撮ったので、東がどの方向だったかがしっかりと頭の中に叩きこまれて、もう大丈夫だろうと、妙な安心感を得たのだった。

 ブログの投稿を済ませた後、公園の一部となっているらしい展望所があり、そこからは最北の湖の大沼が眺望され、又利尻富士も遠望できるとAさんから聞いていたので、行ってみることにした。車からは少し遠くて、15分はかかる距離である。歩きの際には、左右の道端の野草や樹木の観察の楽しみがあるので、立ち止まりや寄り道が多くなる。北海道の植生の状況にも少し慣れてきて、どんな所にどんな草木が多いのかが解りかけてきている。それが歩く力となって、老化を食い止めてくれているようなことを感ずるようになってきているこの頃である。スキー場の脇の熊笹の茂る中につくられた小道を上ってゆくと視界が開けて、そこが展望所だった。何やらモニュメントの様なものが作られていた。かなり広い駐車場があり、今登って来た熊笹の中の道は一体何なのだろうかと思った。Aさんから後で聞いた話では、元々この展望所が早く作られており、かつてこの駐車場にも泊まったことがあり、その時にはまだ公園は完成してなくて、オートキャンプ場もなかったのだとか。なるほどと了解した。

  そのAさんご夫妻が先着されており、ここまで散歩に来ておられるのを知らなかったので、驚いた。我が相棒は未だ眠りの中にいる。我が家では、相棒と一緒の早朝散歩は夢のような話である。朝が弱いのは、相棒の習性のようであり、今更それを変えるようなことは犯罪に等しいのだと思っている。その点、早起きのAさんご夫妻は朝のいい空気を共有できていいなと思った。そのお二人に合流して、その後は車に戻るまでは、野草や樹木の観察会のような時間となり、これが結構楽しかった。改めて良く見てみると思わぬところに思わぬ花が咲き残ったりしていて、嬉しい発見が幾つかあった。ご夫妻も熱心にカメラに収めたりしておられた。7時半頃車に戻ったのだが、相棒は未だ寝床の中だった。風邪気味なので、いつも見ているTV番組の開始時刻にも気づかず眠っていたのかも知れない。この調子だと回復も早まるに違いない。それでいいのだ。

 昼食の後、チエックアウトの11時まで、出発の準備が終わった後は、Aさんのテントの中で用意して下さったお茶を頂戴しながら、歓談で過ごしたのだった。11時少し前、腰を上げ、再会を期しての挨拶を交わし出発となる。Aさんご夫妻にはたくさんのことを学ばせて頂き、今年は実りの多い旅となった。心から感謝したい。ありがとうございました。

 さて、天気はまあまあなのだが、心配なのは風である。これからは一応昨日考えていた日本海側のコースを通って、羽幌辺りで錨を降ろそうかと考えている。しかし、もし強風が吹き荒れるような状態なら途中から山の中の道に逃げ込んで名寄方面へ行くことも視野に入れている。日本海を吹く風は、悪魔のような奴が吹き送っているのではないかと思い込んでいる。というのも数年前に道南の寿都辺りを通った時、危うく車の転倒を免れるほどの強風に見舞われて、何度も立往生をした恐怖の経験があるからである。本当にあの時は生きた心地もしないほどだった。それ以来、風の吹く日は風車のやたらに立ち並ぶようなエリアを通るのは出来る限り敬遠している。特に日本海側には要注意で、稚内に来たのも久しぶりのことだったし、ましてやオロロン街道を通るのはもっと久しいのだった。さて、今日はどうなのか、稚内地方の予報では午後から風が強くなり15mにもなるとか。

 稚内市内で小さな買い物を済ませ、給油をした後、南下を開始する。R40を行き、途中豊富バイパスを通って天塩の手前でR232に入り海側の方向へ。心配していた風はそれほどでもなく、却って蒸し暑さを吹き払ってくれる涼風の感じとなっていた。これなら大丈夫である。天塩の道の駅で軽く昼食を済ます。風が止むと一挙に暑さが膨らんでくる。空の雲は既に秋なのだが、暑さがぶり返すと夏の雲が勢いを盛り返し、留萌地方には雷雨注意報が出ていると道路情報板に示されていた。天塩辺りは雷雨とは無関係の様である。昼食を終えて、出発。この先街道沿いに情報誌「HO」に掲載の無料入浴可能施設が3か所ある。その内の羽幌のホテルは休日なのでダメ。残りの二つの内、初山別村の道の駅に隣接している「しょさんべつ温泉 岬の湯」というのに入ることにした。相棒は未だ風邪が治っていないので入浴はしないとのこと。そこに向かって走っていると俄かに雨が降ってきた。通り雨のようだけど、この辺りも先ほどの雷雨注意報のエリアなのかなと思った。雨は間もなく止んで、道の駅に到着。それから一人1時間余り温泉を楽しんだ。この道の駅に来るのは初めてなのだが、海の景観を巧みに利用したいい施設だなと思った。浴場からは遠く水平線を望むことができ、夕刻ともなれば、天気のいい日は沈む夕日を味わいながら温泉を楽しむことができる。今日の日の入りは18時を少し過ぎるという掲示が入口にあったけど、肯けるサービスである。まだ15時を過ぎたばかりなので、それを見ることは叶わないけど、次回来れる時はこのことを頭に入れて、ここに泊まらせて頂こうと思った。

 車に戻り、今夜は隣の羽幌町にある、道の駅:ほっと・はぼろに泊まらせて貰うことにして出発。16時過ぎ到着。ここは何度もお世話になっている場所である。羽幌町はオロロン鳥で有名な天売や焼尻島へ渡る船の拠点となる町で、至る所にオロロン鳥の名のついた店名や広告板などが掲出されている。残念ながらまだ北海道の離島にはどこへも一度も行ったことが無い。もうそろそろ行っておかないと行けなくなってしまうぞ、とは思っているのだけど。さて、……。

 道の駅の傍に立派なバラ園があり、無料で鑑賞できるのはありがたい。今は花の賑やかなシーズンではないけど、それでも何種類かのバラが咲いていた。相棒は早速カメラを抱えて出かけて行った。この間、TVの受信設定などのいつもの作業を済ませ、一段落ついたので、近くに店があればパンでも買おうかなと町中に出かけたのだった。30分ほど歩き回ったけど、皆無といっていい状態だった。元スーパーらしき店はあったけどシャッターが閉まっており、パンを売る様な店はどこにも見当たらなかった。自分は、まるで店のない通りばかりを選んで歩いているのかなと思うほどだった。この町の人たちはどのようにして食材などを手に入れておられるのだろうとも思った。車の時代なので、近所に小店が無くても少し離れた大型店に行けば不自由はないということなのかも知れない。何だか妙な気分にとらわれたのだった。

 車に戻り、一杯やっていると、窓の外に夕陽が沈む気配がしたので振り返ると空が少し朱くなっていた。ここは夕陽の名所でもある。とにかく一度それを見ておこうと、カメラを持って海の方へ行ってみることにした。相棒は行かないとのこと。10分ほど川沿いの道を歩いて夕日が沈むのを待った。丁度天売なのか焼尻島なのか島影が浮かぶ辺りが落日のポイントの様だった。その上の方には雲がかかっており、それが除け去ってくれればいいのだけどと、期待したのだったが、短時間でそんなことが起こるはずもない。わずかにあった雲の切れ目から沈む太陽の茜の輝きがほんの少し見えただけで、今日の落陽の時間は終わってしまった。少しがっかりしながら車に戻る。気が付けばいつの間にか旅の車が増えており、10台以上が思い思いの場所に泊まっていた。

 明日の無風、いや、そよ風を期待しながら眠りにつく。先ほど中標津在住のMさんから電話を頂き、増毛に名物のタコの煮た物があるというので、それを手に入れてから旭川の方へ行って、何とか洗濯を済ませたいと考えている。

今日(9/2)の予定】 

道の駅:ほっと・はぼろ →(R232・R231)→(増毛市街)→(R231・R233・R12)→ 旭川市内コインランドリー →(未定)

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <62回>

2012-09-01 05:17:09 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月31日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

終日道立宗谷ふれあい公園キャンプ場に滞在  <0km>

≪レポート≫

 旅に出てから、あっという間に時間が過ぎて、今日が8月の終わりとなった。62日目を迎えたのだ。この間別海に着くまでは暑さを程々に感じながらの北上だったけど、別海のふれあい広場キャンプ場の1ヶ月は、2~3日の例外を除けば、今年は信じ難いような冷夏の洗礼を受けて、猛暑の明け暮れに息も絶え絶えの熱中症懸念の毎日を送っている人たちには、真に罪悪感を感ずるほどの暮らしだったのだけど、その後の毎日は北海道とはいえ、かなり残暑に辟易する毎日を送ってきている。暑さを逃れるためには、北海道といえどもやはり道東の地しかないようにも思った。だけど真夏というのに長袖と時にはもう一枚上着の着用を強いられるような毎日が続くと、人間の心理は妙なもので、暑さが恋しくなって来るのである。今年はそう感ずるほどの極端な体験をしている夏となったような気がする。

 さて、昨日からの強風も夜遅くなってようやく弱まったようで、窓の外を覗いた5時過ぎの頃は、真っ青な空が秋の雲を浮かべて広がっていた。わずかに風は残っていたけど、その風向きは昨日とは真反対に近い方向からのもので、少し寒さを覚えるほどだった。これが本来のこの地の今頃の季節の姿なのだろうと思った。ブログを書き終えて投稿を済ませ、珍しく起き出した相棒と一緒にキャンプ場の構内につながる広い公園を歩いてみた。如何にも北の大地を実感させる広大な施設である。入り口の受付のある建物も立派だけど芝生の広場は周囲が1km近くあるのではないか。それを中心にパークゴルフ場、数棟のロッジ、キャンプ場はオートサイト、プライベートサイト、フリーサイトとあり、何棟かのトイレと炊事場が点在し、シャワー設備やランドリーも完備している。皆清潔で手入れが行き届いていた。冬にはスキーもできるようで、スキー場までもが備わっているのである。真に立派な施設だなと思った。40分ほど歩いたのだけど、とても全部を見ることは出来なかった。こんな素晴らしいキャンプ場が、65歳を超えるシニアには入場料の千円が無料となって、閑散期には個別の電源と給水施設を備えたプライベートサイトが1日千円でOKなのである。たった1日でお別れするのは勿体ないような気持ちになっていた。隣のAさんに相棒が何時ごろに出発されるのかを伺ったところ、何と最初から5日間滞在の申し込みをされておられるとか。それじゃあ、自分たちももう一晩は泊まることにしようと即決する。昨日は強風で落着かなかったけど、今日はその分を取り返すことができる晴れの良い一日となる予感がした。昨日あれほどの強風の中を、懸命にテントを設営されるAさんを正直不思議に思ったのだが、その理由が氷解した。

 ということで、羽幌に向かっての南下は延期して、今日はここでゆっくりすることになった。相棒が少し風邪気味で、これは昨日まで咳をしていた自分の症状がうつったようで、申しわけなし。今日の休みが有効に効いてくれるのではないかと思った。午前中はとりあえず寝床の中で安静の相棒を残して、自転車を降ろして稚内市内まで買い物に出かける。足腰の鍛錬を兼ねての、大型のリュックを背負っての、わざわざの自転車行だった。市内のスーパーまでは片道が5kmほどの距離である。大した距離ではない。只意外と向かい風が強くて、往路は少し時間がかかった。帰りは荷物が増え、重量も増したので鍛練には好都合だった。海岸沿いを走るR238の海側には人の住む家は少なく、水産加工業や運送関係の事業所や工場が多い様で、時折魚の干物の臭いのようなのが漂ってくる。最北の地での暮らしは、冬になると相当に厳しいのだろうな、などと思いながらの往復1時間半だった。車に戻って軽い昼食を済まし、洗濯などをした後、夕刻近くまで午睡を貪る。

 起き出して、肉じゃが作りを開始する。Aさんに、今夜は我が家は肉じゃがを作ることを表明(?)してしまっている。昨日でお別れかと思っていたのが、1日ご一緒が増えて嬉しい。どうにか肉じゃがも出来上がって、今宵は、Aさんは特製の広島焼きに腕を奮ってくださった。アウトドアの達人のAさんには、無数とも思える料理のメニューが身体の中に納まっておられるようで、先日の朝粥もその一つだった。思いの籠もった様々な工夫が加えられた広島焼きは超美味だった。最後の晩餐には、しまっておいた鹿児島のとっておきの焼酎「農家の嫁」を取り出して酌みみ交わす。この焼酎は「明るい農村」と並ぶ、霧島町醸造所の名品である。Aさんにも喜んでいただいて、安堵した。それからの時間は、まさに至福の時。Aさんご夫妻と、そして後段はAさんと二人で存分にその至福の時間を楽しんだのだった。その内容は勿体ないのでここには書かない。嬉しい時間が終わったのは、22時をかなり過ぎてからだった。余韻が眠りに落ちる時まで続いた。

今日(9/1)の予定】 

道立宗谷ふれあい公園オートキャンプ場 → (未定)

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