山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <77回>

2012-09-16 03:53:44 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月15日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:なんごう →(県道42)→ 八戸道南郷IC →(八戸道・東北道)→ 岩手山SA → 前沢SA → 長者原SA → 菅生PA → 安達太良SA → 矢吹IC →(R4他)→ Iさん宅 →(県道42他)→ 道の駅:たまかわ (泊)  <453km>

≪レポート≫

 今日は高速道での移動日である。道の駅:なんごうの夜は、前段は車の交通量が多く騒がしかったが、深夜に入ってからは静かになり、快適な夜を送ることができた。明け方近くに起きだし、外を見ると、空には無数の星が煌めいていた。夜の間は日中の暑さが嘘のように消え去って、真に過ごしやすいのだけど、この満天の星空では、今日の日中も又かなり暑くなるに違いない。この涼しさが定着するような季節の到来を願うのみである。朝起きて、付近を散策すると、碑は語るという表題の記念碑があり、その脇に何と北氷洋捕鯨の銛の発射台が置かれていた。書かれていたのを読むと、戦後の北洋捕鯨やカニ工船、鮭の漁などへ、この村からかなりの人たちが出かけてゆき、各船団に所属して活躍したとのこと。今頃は捕鯨は禁止され、わずかに調査という形で再開を待つという状態だけど、その昔の栄光の活躍記録をここに残し止めたいという村の人たちの思いが記されていた。ここは海とは離れた、かなりの山の中にあり、少し不思議に思ったけど、このような時代、このような暮らしもあったのだと、改めて時代の変化の速さを思ったのだった。南郷村は、今は八戸市と合併し、直ぐ傍には高速道のICも控えている。一つ新しい道の駅の印象が強く残った。

 NHKの朝ドラを見たあと、出発となる。予想通りの暑さが膨らんできている。高速道のICまでは5分もかからなかった。久しぶりの高速走行は無理をせず、スピードを出さず、とにかく安全運転に徹することを心掛けることにしている。今日の予定は、八戸から東北道をひたすら南下して、行けるところまで行って、SAなどに泊まることにしている。そこがどこになるのかは走り次第で決めることにしている。高速道の走りの基本は、今回は100kmほど走って、1時間の休憩をとることにしている。スピードも80kmを上限として一番左の車線をキープし続けることにしている。何しろSUN号は重量があり、過積載を気にする必要があるからである。それにタイヤも3年目に入っており、出発前の専門家のチエックでは大丈夫とのお墨付きは貰ってはいるものの、何が起こるか判らないので、油断は禁物である。長時間の連続走行は控えることにしている。

 南郷ICから入って、しばらく八戸道を走り、間もなく東北道に入る。天気はいいのだけど、時折突風のようなのが吹くのは、谷間を見下ろす山の上の方につくられた道を走っているからなのであろう。ハンドルをとられぬように慎重に運転する。1時間と少し走って岩手山SAに到着。ここで1時間ほど休憩することにする。今日の岩手山は、逆光とスモッグで黒い影になって見えるだけだった。大きな山である。この暑さでは、山も霞んでしまうのかも知れない。相棒はどこかへ出かけて行ったけど、自分の方は直ぐに寝床に横になる。外は暑くても車の中は良く冷えており、この冷えが消えないうちに少しでも眠っておこうという算段なのである。ということで40分ほど眠りを得ることができた。寝る時はちゃんと寝る支度をして横になるというのが、自分のやり方である。ズボンを履いたままとか、運転席でハンドルに顔を伏せて眠るなどはしない。40分も眠れば、気分は爽快となる。

 岩手山SAを出た後は、同様のスタイルで、前沢SA、長者原SA、菅生PA、安達太良SAと休憩をとりながら南下を続ける。この間、前沢SAで昼食。作るのを省略して外食とした。この頃から今日のこの先のコースに関し、このまま南下を続ければ、16時頃までには福島県の南部くらいまでには行けるので、それならばこのところくるま旅から遠ざかっておられる矢吹町在住のIさん宅を訪問して、一寸ご尊顔を拝して行くことにしようと気づいた。相棒も即座にOKということで、Iさんにメールを打つ。突然の話なので、もしかしたらIさんは所用で不在なのかも知れないし、或いは体調が思わしくなくて医療機関のお世話になっているのかも、などなどあれこれ思い迷ったけど、もしT連絡がつかなくてもとにかく立ち寄って様子を見ることにしての走行だった。安達太良SAの入る前に、Iさんから電話があり、今は買い物で少し遠くへ来ているけど大丈夫との内容だった。良かった。買い物に出かけられるということは、体調の方もまあまあの状態なのだろうと安堵した。

 16時半頃矢吹ICを降りて、東北道に別れを告げる。ここからは一般道となり、ともかく高速道走行の緊張からは解放されてホッとする。タイヤの方も頑張ってくれて大丈夫である。矢吹町辺りはサッと雨が降ったようで、路面が濡れており、暑さも拭われた感じがしていた。子供の頃は毎日夕立があり、どんなに暑くても夕方には涼しさが戻って来たものだったが、この頃は夕立は滅多に無く、ある時にはとんでもないゲリラ豪雨や雷鳴・竜巻などがやってきたりして、恐ろしい限りである。通り雨に濡れた路面を走るのは、車だけではなく、人間にとっても嬉しいことだ。間もなくIさんのお宅に到着。

 ご夫妻とも思ったよりもお元気そうで安堵した。Iさんご夫妻は自分たちよりも少し若い世代の方なのだけど、早めのリタイアの後はくるま旅を楽しまれて、何年か前に自分たちとは北海道で出会って以来の大切な知人である。そのご主人の方が、3年ほど前から体調を崩され、膝などが痛む病に見舞われて、今は長旅のできない状態となってしまわれ、治療に専心する状態がしばらく続いていたのだった。現在でも少しは改善されたものの、立居の動作にはかなり苦労されており、決して無理のできない状況とお見受けした。いろいろと話を伺うにつけても、やはり健康の大切さを思ったのだった。Iさんご夫妻も今年の夏は、札幌のお孫さんに会いがてら、北海道には2度も訪れているとのこと。旅車ならば、もっともっと長い時間お孫さんに会えたものをと思いつつも、2度も訪問されたことを嬉しく思った。一日も早い本復を願ったのだった。とにかく、一寸お顔を見るだけとのことだったけど、気が付けば外はもう暗くなっており、あわててお宅を辞す。突然のお邪魔にも快く迎えて頂き、短い時間だったけれど楽しい安心のひと時が持てて本当に良かった。どうぞお元気で。

 Iさん宅を出た後は、最寄りの道の駅:たまがわに行き、泊まることにした。10分ほどで到着。高速道のSAなどに泊まるよりも、こちらの方がずっと静かで過ごしやすい。明日は愈々家に戻る日なのかと思いつつ、旅の最後の夜を送る。

今日(9/16)の予定】 

道の駅:たまかわ →(県道42・R118・R289・R294)→ 道の駅:東山道伊王野 →(R294))→ 道の駅:しもつま → 自宅 

コメント
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