山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷)第7日(その1)

2011-12-06 00:25:54 | くるま旅くらしの話

 

第7日 道の駅:あぐり窪川から道の駅:内子フレッシュパークからりまで

 

 

昨夜はよく眠れはしたのですが、明け方になると国道を走る大型トラックと、時々立ち寄るその他の輸送トラックなどのエンジン音がやかましく、ゆっくりと惰眠を貪らせて貰うような雰囲気は全くない状況なのでした。もう起きてしまおうと決心し、外に出てみたら、なんと一面の霧の世界なのでした。視界は100m以下の状況で、直ぐ近くにある巨大なカントリーエレベーターの一部が見えるだけで、辺りがどのようになっているのか全く判りませんでした。ここは山の中の感じなのですが、地図を見ると意外と海にも近く、四万十川も比較的近くを流れているようですから、今頃の季節は毎朝霧が湧き出るのかもしれません。通行する車の中に大型トラックが多いのは、大都市圏などに向けての野菜等を搬送するためなのかもしれません。高知の野菜類は、東京では年間を通してお目にかかっていますから不思議はありませんが、実際の産地がどこなのかは知る由もなく、このような現地に来てたくさんの大型トラックを見て初めて実感できることなのだろうと一人肯いたのでした。

 

早やめに起き出した分だけ出発も早やめとなるわけです。食事の後、いつものように水の補給やトイレの処理をして、出発は8時半頃となりました。いつもよりは30分ほど早い出発です。今日は足摺岬を経由して、海岸線を通りながら宇和島辺りまで行こうかと考えています。先ず目指すのは、足摺岬です。10年前の思い出というのは、自転車での巡礼で足摺岬の突端にある第三十八番札所の金剛福寺に参詣した時のことなのです。この時は丁度台風が接近している時で、その日はまだ小雨が断続的に降り、時々強風が吹くといった天候でした。その中を自転車で足摺スカイラインという有料道路を自転車を押しながら7km近く坂を登り、その後今度は下り坂を時速60kmほどのスピードで駆け下りて参詣を済ませたのでしたが、台風接近のため予約なしの客は泊めない旅館が多くて、数軒を回って断られ、ようやく泊めてくれる所を見つけ出したのでした。宿に落着く前の金剛福寺の参詣は気もそぞろでした。というのも唸り声をあげて吠えまくる太平洋の怒涛が岬の崖の下を赤茶けた黄濁色に染めてぶち当たるその有様を見て、こりゃあとんでもない時にとんだ所に来てしまったと、いやあ度肝を抜かれたのでした。それなのに泊る宿屋も見つからず野宿など出来るような場所も見当たらないのです。相当に困惑したのを思い出します。

 

ようやく素泊まりOKの宿を見つけて安堵し、風呂に入ったのですが、どうも足の裏が先ほどから痛くて異常な感覚があるものですから、どうなっているんだとこわごわ覗いて見ましたら、何とホルマリン漬けにされた脳の標本のように白っぽく皺しわになっているではありませんか。いやあ、これには驚きました。スカイラインを登る際は自転車に乗るのが無理なので、ずっと押して歩いたのですが、汗と小雨で全身びしょぬれとなっており、靴の方も履き替えるなど到底無理な状況でしたから、そのまま2時間近く歩き続けたのでした。足の裏を覗く余裕など全くなかったのです。無謀だったとしか言いようがありません。明日までにちゃんと元に戻ってくれるものなのかと、足の裏を心配しつつ又足の裏に対しては真に申しわけないことをしてしまったと謝ったのでした。泊ったその夜は暴風雨が吹き荒れ大騒ぎでしたが、疲れのせいでそのようなことは全く気にも出来ぬままに熟睡したおかげで、朝起きると足の裏はちゃんと元に戻ってくれていたのでした。ま、そのような思い出があるものですから、あれほど苦労して登ったスカイラインを今日は旅車でじっくり再確認しながら走って見たいと思っているのです。

 

R56は順調な流れで渋滞などとは全く無縁な道でした。中村市の近くになる頃から雲行きが怪しかった空から小粒の雨が少し落ち出し始めました。中村市といえば清流四万十川の河口近くにある町として有名ですが、その清流も実のところはこの辺りまで来ると、もはや清流とは言い難い状況となっているようです。中村でR56と別れてR321に入ってしばらく四万十川の堤防のような所を走るのですが、やはり河の水は濁っていました。四万十川の清流というものを一度は上流にまで遡って見てみたいと思っているのですが、まだ実現していません。やがて土佐清水市に入りました。

 

土佐清水市は足摺岬のある足摺半島の首根っこに位置している漁業の町です。最も有名な魚はやはりカツオだと思います。今頃はどのような魚が入っているのか見るのが楽しみです。岬の方に行く前に町の黒潮市場という所を覗いてみることにしました。おっ、あるある、いろいろな魚が並んでいました。カツオ、ソウダガツオ、赤イカ、シマアジの子分のような奴(名前を忘れました)などの魅力的なものが超安値で並んでいました。全部買い上げてしまいたいくらいの気持ちなのですが、これから足摺岬に行くので、帰りにでも寄ろうかと見るだけにすることにしたのでした。

 

ところが車に戻りかけた途端に、真っ暗となった空から大粒の雨がバラバラと落ちて来たのです。それがあっという間にものすごい豪雨となってしまいました。高知の驟雨の激しさは高松在住時代に高知を訪れた際にそれにぶつかって承知済みなのですが、今日のこの降りはそれを超えるものでした。しかも止まないのです。驟雨ならば所詮通り雨なのですから、少し待てば今のは何だったのかと思うくらいあっけないものなのですが、今日のこれはそのような生易しい降りではなく、真っ暗な空は岬に向かって厚く広がっているのです。この分じゃあ、岬の方へ行ったら後が大変なことになりかねないなと思いました。20分ほど様子を見てもダメだったので、岬に行くのは諦め、宿毛の方へ向かうことにしました。残念ですが先があるので仕方ありません。

 

すっかり足摺岬には嫌われてしまったものだと、ちょっぴり複雑な心境で走っていると、どうやら雨は止んで、間もなく道の駅「めじかの里土佐清水」というのがありました。この辺りは最初から雨など降らなかったらしく、道路も周辺も乾いていました。やはり嫌われていたのです。めじかの里の「めじか」というのはソウダガツオのことをいうらしくその謂われはこの魚はカツオと違って口と目の間隔が短く、目が口に近いというので目近かということになったとのことです。ソウダガツオはカツオに似ているけどカツオのように腹に縞の線が入っていないのです。主にカツオ節に加工されているようです。めじかの里というのですから、ここにはそのソウダガツオがあるのかもしれません。ちょっと寄ることにしました。

 

後で調べたところ、ここにはソウダガツオのカツオ節づくりの加工場があるのだそうです。でもその時は気づきませんでした。めじかを名乗っているのだから、何か魚を置いていそうなものだと駅舎の中の売店を覗いていましたら、ありました。ありました。赤イカや伊勢エビに混ざってカツオの巨大な四半身がありました。元のカツオの大きさは1m近くはあったのではないかと思います。これほど大きいカツオの四半身を見たのは初めてです。値段を聞くと、何と800円というのです。東京で買えば、その倍以上は間違いないなと思いました。それよりもこれほどの大きさの且つ新鮮なカツオなど普通の店にあるはずがありません。よし!これで昼飯にしようと即座に決めました。店の親父さんに刺身にして貰うことにしました。その親父は包丁の使い方が下手で、無駄な切り落としがおびただしいのです。勿体ないと思いました。自分でやればそんなに無駄な切り方などしないのにと思いながらも、車に魚を捌くための包丁が積んでいないので致し方ありません。涎を垂らしながらの批判的な待ち時間でした。

 

 大型のパックに巨大な切り身が溢れんばかりに盛り上がった奴を手にしながら車に戻り、早速一切れを口に入れました。うめえ~、うめえ~、うめえ~です。本当ならもうここで一杯やってしまいたいところなのですが、まだ11時を少し過ぎたばかりで、今からここに泊るというわけにもゆきません。今日はもう少し先まで行くべきでしょう。我慢、ガマンです。ひたすらおあけを飲んだつもりになって、その味を賞味しました。カツオには独特の臭みがあるのですが、ここで食べたのには全くそれがありませんでした。これぞ本物のカツオといった感じです。カツオは厚く切って食べるものというのは、家内の家の教えなのですが、今日のカツオはその理想を超えた厚さであり、5切れも食べると満腹になってしまいました。家内も十二分に満足したようです。残りはズケ(醤油漬け)にしようとタッパーに醤油を満たしてその中に入れました。もう一度あとで賞味できるというのは真に幸せなことであります。小休止が大休止となり、もう足摺岬にゆけなかったことなど忘れかけています。食い物の恨みは大きいといいますが、その反対に思いがけなく素晴らしい食べ物に出会った時の人の心地というものは、ストレスを一気に解放する力があるようです。ジサマが単細胞である証拠でありましょう。(つづく)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする