第7日 道の駅:あぐり窪川から道の駅:内子フレッシュパークからりまで(つづき)
念願のカツオを食べ終えて、さてこれからどうするか。特段のアテもありません。天気はあまり良くないし、とにかく宇和島の辺りまで行って、どこか近くの道の駅でも見つけて泊ろうということにして出発しました。R321を少し走ると、大月町というのがあり、そこにも道の駅がありましたので、ちょっと寄ることにしました。何か目ぼしいものはないかと地元の物産品などを覗いてみたのですが、特にこれはというものは見当たりませんでした。しかし只一つ気になったのは、駅の向かい側にある店の前においてある大きな花瓶に目一杯活けてあるコスモスの花でした。コスモスの花は大好きですが、そこに活けてあるものがあまりに見事だったので、大いに心惹かれたのです。店の人に訊くと、つい先日までこの町ではコスモス祭りというのが開かれていたとのことです。もう祭りは終わったらしいのですが、まだ咲いているのではないかという話でした。それならばちょっと寄って見たいなと思いながら車を走らせたのですが、少し行くと祭りの会場への案内板や幟が、まだ取り払われずにあちこちに立っているではないですか。よし、行ってみようと決めたのでした。
大月町がどんな所なのか全く知りません。道の駅がある辺りは山と畑ばかりの農村地帯のように思えました。あとで地図を見ると意外と海の近くにあり町の半分以上が海岸線に囲まれているというのを知ったのですが、何故この町にコスモス祭りがあるのかは全く知りませんでした。離合も難しそうな細い町道を、大丈夫かと不安を覚えながら3kmほど進んでゆくと、コスモス畑が見えてきました。だんだん近づくにつれ、いやあ驚きました。ものすごい広さなのです。着いたらちょっと写真を撮るなどしておさらばしようと軽く考えていたのですが、それはとんでもない間違いでした。コスモス畑は一つや二つではなかったのです。見渡す限りのコスモス畑が延々と続き広がっているのです。あとで聞いた話では、23ha(=23町歩=6万9千坪)もあるというのです。それが全てコスモスの花で埋め尽くされているのでした。こんなコスモス畑は今まで一度も見たことがありません。まさにコスモスの花の天国を見る感じでした。
高台にあるコスモス畑の下に祭りの本部らしきものがまだ残されており、そこへ行って見ることにしました。広い駐車場があり、祭りの終わった今日は来訪車の数は少なかったのですが、本部には何人かの主催側の町の青年会の方がおられたので訊いて見ると、ここは通常はタバコの栽培をしている畑なのだそうです。今咲いている花もあと1週間で刈り取り、来年のタバコ栽培に向けての作業が始まるのだそうです。地域起し、町起こし事業の一環として1昨年辺りから初めたという話でした。素晴らしいアイデアだなと思いました。
コスモス畑といえば、今住んでいる東村山市の近くに、立川市・昭島市にまたがる横田基地跡地の一角に造られた国営昭和記念公園というのがあります。この中にあるコスモス畑が有名で、毎年そこへ行って何万本かの可憐な色合いのコスモスが咲いている、その景色に感動しているのですが、ここはその数十倍の規模なのです。23haの畑に3000万本のコスモスの花が咲き広がる夢のような世界なのです。3000万というのは、300万の10倍なのですよ。信じられますか?この天国の景観を目前にして、今の世のままならぬ思いに翻弄され、ストレスにがんじがらめにされている多くの人たちに、是非ここにやって来てその心の疲れを繕って欲しいなと思ったのでした。
あと1週間の生命だというコスモスたちが可哀そうだなあと思いました。タバコなんぞよりもコスモスの方がずっと世のためになるのになあと思いながらも、暮らしの糧を得るための耕作者の予定をとやかく言うことはできません。この花咲く天国と刈り取ったあとの地獄をつくり出す人間たちの所業をどう評価すべきなのか、この似非コメンテーターのジサマには難し過ぎるテーマです。今年一番の、否生まれてこの方一番の花の溢れる世界を見せて頂き大感動でした。あまり若くもなさそうな青年会の皆さんでしたが、その丹精込めたコスモス畑の事業に心から敬意を表し感謝したいと思いました。ありがとうございました。
帰り際に400円で買ったコスモスの花束は、胸に抱え込んで顎で抑えなければ持てないほどの大きさでした。その花たちは小さなつぼみまでを100%花咲かせてくれるまで、その後の狭い車の中の空間をあでやかにそして可憐に彩ってくれて、ジサマとバサマの心を癒してくれたのでした。コスモスの花の生命の強さを見出すと共に、この花が益々好きになりました。これからの旅のテーマの一つに、全国のコスモス探訪の旅などの企画もいいな、などと思いました。少し道草をしましたが、とても良い時間でした。
その後はR321に戻り、宿毛市方面へ。ここの道の駅にもちょっと寄りましたが、特に興味をひくもの無しで直ぐに出発でした。中村から来るR56に入り、宿毛を通過すると隣に一本松という町があり、そこに温泉施設があるのを見つけました。一旦通過してしまったのですが、確かにあれは温泉に違いないと思い直して戻ったのは大正解でした。入り口に「一本松温泉」と書かれていました。ここは昨日の龍河洞温泉のように料金が高くはなさそうです。しめしめ、です。入って見ると町の公共施設のようで、何と今日は年に何回かのサービスデーに当たっており、入浴料が200円だというのです。町民でなくてもOKというのは真にありがたく嬉しいことです。それにしても今日は途中から何とラッキーな出来事が続くのでありましょう。2日間の入浴ブランクを埋めるべくその後はゆっくりと湯に浸ったのでした。あ~、よかった~。
風呂から出た時は15時半を過ぎていました。それからはR56を海から離れて山道の中を、そして再び海の近くをと、変化の多い道をひた走って宇和島の街中でちょっぴり渋滞に巻きこまれた頃は17時を過ぎ薄暗くなってきていました。宿をどうしようかと走りながら迷ったのですが、ここまで来たからには明日は佐田岬の方に行って見ようと、岬の途中にある道の駅「瀬戸町農業公園」まで行って泊ることにしようと決めました。勿論初めてゆく場所です。少し遅くなってもどうせ寝るだけだから、まあ、何とかなるだろうと、いつも都合のいいように楽観的です。
大洲市からR197に入って八幡浜に向かう頃はすっかり日が暮れてもはや夜となっていました。やがて八幡浜です。ここを通り過ぎて佐田岬方面へ。佐田岬への道は20数年前に高松に住んでいた頃一度九州の佐賀関に車で行ったことがあり、その時この道を通っているので多少の土地勘はあると思っていたのです。ところが行って見るとどうもその昔のイメージとは違う道となっているのです。あの頃は確か半島の背ではなく海沿いの道を行ったような気がしていたのですが、今行く道は背の部分を走っており、海がどこなのか暗くて見当もつきません。町の灯りは皆下の方にあり、そこが海沿いなのでしょう。この道の脇には人家など殆ど見当たらないのです。昼間ならば状況が判るのでしょうが、何しろ真っ暗な夜なのです。正面の天空に細い三日月のようなものが鋭く光り、空には星が煌めいていて、宇宙に向かって走っている錯覚を覚えるような景観なのでした。今夜は風が強くて、何やら愛媛県には警報も出ているようです。こりゃあまずいなと思いました。しかし今更戻るわけにもゆかず、とにかく先に進むしかありません。
途中「伊方きらら館」という道の駅がありましたが、ここも人家からは遠く、無人の寂しい場所でした。R197はもしかしたら昔とは全く違うルートになっているのかなと思いました。どこまで行っても人家の灯りは遥か下方でそこへ行くのは難儀しそうです。酒の在庫がなくなっていたので、どこか途中で補てんしようと考えていたのですが、これじゃあどうにもなりません。あれこれよからぬことにとらわれながら走っている内に目的の道の駅に着いてしまいました。着いてしまったというのは、実のところ農業公園というくらいなのですから、この道の駅は海の側の平地にあるのではないかと思っていたのです。ところがやっぱり背の所に造られていたのでした。しかもすぐ傍に巨大な発電風車が建てられていて、薄気味悪い音を立てて回っているのです。駐車している車など一台もなく、無人状態なのです。外へ出てみると風はかなり強く吹いています。これはダメだなと思いました。下の方にもっと良い所はないかととにかく行って見ることにしました。ところが道は細くしかもかなりの傾斜のある坂道なのです。暗くてよく判らず、そろそろと行ったのですがどこまで行っても平にならない坂ばかりで、今にも行き止まりとなりそうな道ばかりなのです。いやあ、参りました。挙句の果てに何と対向車が来たと思ったら、それが乗り合いバスなのです。SUN号は図体が大きくて運転席の部分よりも胴体が膨らんで作ってあるため、バックするのが苦手なのですが、この時にはバックせざるを得ず、大汗をかいた次第です。もう下へ行くのは諦め、とにかく戻って泊ることにしようと決めました。
とにかく寝るしかないと、泊りたくはなさそうな無言のバサマを強引に諦めさせて、辛うじて残っていた賞味期限の切れた料理酒を晩酌代わりにしてベッドにもぐりこんだのでした。今日も270km以上走っており、温泉に入ったとはいえ疲れはあるのです。それにしてもこんな所に道の駅を造るなんて、何が農業公園だ、などと悪態をつかずにはいられない気分でした。その内に酔いが回ってあっという間の爆睡でした。
いつもの習慣で23時頃になると必ず目覚めるのですが、起きてみると隣のベッドに家内が居ないのです。どうしたのかと下を見ると座席のソファに頭から毛布をかぶって仮眠しているようでした。恐らく仮眠ではなく、時々強く吹き付ける風に揺れ動く車がいつ倒れるかしらんと、恐怖と闘っていたのかも知れません。あるいは薄気味悪い音を出しながら回り続ける発電風車にこの世とは思えない世界を連想していたのかも知れず、とても眠るなどという安楽行為の出来る状態ではなかったようです。この環境は彼女にとって最悪のものであることを承知してはいたのですが、時には我慢もして貰わないと、と思っていたのです。しかし、これはヤバイなと思いました。朝までこの調子でやっていると、旅を中止しなければならないことになるかも知れないと心配になり、とにかくここから脱出の移動をすることを決めました。幸い料理酒はアルコール分がかなり飛んでしまっていたようで、酔いなどは全くなくすっきりした気分であり、爆睡の後の目覚めはいつもと同じです。資料などを調べて、一番近くて問題なさそうなのは内子町にある道の駅「内子フレッシュパークからり」だと思い、そこへ行くことにしました。時刻は間もなく明日になりかけていました。
スピードに注意しながらの走行です。こんな真夜中に運転するのは、この車では初めてのことでした。さすがに通行する車は滅多になく、運転は比較的楽でした。途中夜間工事の箇所が幾つかあり、10分以上もの信号待ちをさせられた所もありました。このような時間帯でも集中的に仕事をしている場所があるのだということを教えられた感じがしました。使用中の既存道路の補修や改修は夜間の作業となるのでありましょう。関係者の皆さんは真にご苦労さまです。1時間ほど走って無事に道の駅に着きました。ここは内陸部なので風も大したことはなさそうです。これで家内の癇の虫も収まってくれることでありましょう。いやはやとんだ宿決めの失敗でした。真に変化に富んだ一日でした。やれやれ、です。