山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今年の大ニュースに思う

2011-12-31 02:26:34 | 宵宵妄話

  今年も今日で終わりとなりました。毎年年末になると様々な報道機関などで、今年の話題となった出来事を、十大ニュースなどという形で取り上げています。我が家では、東京新聞を購読しており、それによれば、今年の十大ニュースとして国内に関しては次のような事項が取り上げられていました。

   1.東日本大震災と福島第一原発事故

  2.放射能汚染広がる

  3.浜岡原発停止、他も稼働せず

  4.計画停電、節電広がる

  5.首都圏でも被災者受け入れ

  6.「脱原発」などで市民が行動

  7.円 戦後最高値

  8.「なでしこ」世界一

  9.野田政権誕生とTPP参加表明・消費増税

 10.大相撲八百長問題

    (以上12月30日付東京新聞)

 

これを見て思うのは、①~⑥は同根のニュースであること、⑧だけが燦然と輝き、⑦⑨は東西のお粗末な政治に起因する暗い現象、そして⑩は現代社会の病理現象の典型の一つ、という私の見方です。

 

 これからのこの国を想う時、最も忌むべくして排除しなければならない問題は、大地震や大津波に対する対策などではなく、原発災害に対する人類生存権の確立であり、不気味な危険因子を無限に孕んでいる原発の中止・撤去・廃棄ということではないかと思います。如何なる理由があろうとも、人類が完璧に安全を確保できないものを使い続けることは、この地球で百万年以上に渡って生き続けることが出来て来た人類のご先祖に対する冒涜ではないかと思うのです。

 

 私自身は、原発に関して長い間曖昧な気持ちでその成り行きを見守り、石油の代替資源のことやコストパフォーマンスのことを考えればやむを得ないのではないかという妥協心があったのですが、今回の事故を契機として、これは人類が決して使ってはならないツールなのだという確信を持つに至りました。原発から撤退することによって新たに様々な問題が頭をもたげてくることは十二分に承知していますが、それらの全ては「だから原発は必要不可欠なのだ」という理由にはならないと確信しています。たとえ電気が使えなくなって、原始時代のような不便に満ちた暮らしに戻るようなことがあるとしても、それを甘受する覚悟は持っているつもりです。原発を継続することが許されるための条件があるとしたら、それは今回のような事故をはじめ、如何なる種類の事故が誤って発生したとしても、直ちにあらゆる種類の放射能や電磁波等を一気に消滅させる手立てが用意されているということです。それが見出せない限り、決して原発は造っても稼働させてもならないものであり、核物質を燃料として用いてはならないということなのです。

 

 それがどれくらい人類、否生きものの全てにとって重要なのかは、現在恐怖の真っただ中にいる福島県をはじめとする、近郊の行政区域に住む人々に降りかかっている、山積された法外な問題の深刻さを見れば明らかなことです。セシウム137だけが騒がれていますが、その他の放射能が皆無という保証はどこにもなく、セシウム137だって30年で解決する話ではなく、単に半減期がそうであるというに過ぎないのです。除染などと簡単に言われている印象がありますが、実質的には不可能と言っても過言ではないように思います。何故なら、除染個所の現状は無限に近い広さとも考えられるし、除染したとしても、その取り除いたものの中には依然としてセシウムは残され、しかも濃度を増しているわけなのです。発生したセシウムの絶対量は不変なのであり、決して短時間で消え去るわけではないのです。

 

 不幸にして私が住む守谷市は関東地区有数の汚染スポットに入っており、市のゴミ焼却炉では焼却灰の置き場所の問題が日を追う毎に深刻化しているという話を聞きます。このような事態が、いつでも全国のどこかで起こる危険性が全ての原発には確実に含まれているのです。今回の事故は、もはやどんな言い逃れの説明も許さない厳しい現実を我々に突きつけたのだと思います。これを甘く見たりいい加減に扱ったりすることは、もはや人類に対する冒涜だと考えざるをえません。

 

大震災については、復興を見守りたいと思っています。もはや老人には大した支援も出来ないと思いますが、心の中で祈ることはできます。浮ついた気持ちではなく、これから先、生きている間は忘れることなく、何年でも祈り続けて行きたいと思っています。

 

政治の貧困さは人々の価値観の多様化と変化にも拠るのでしょうが、世界的に無力感を抱かせる現象を来しており、その中でも我が国の政治の今年の混乱ぶりは群を抜いている感じがします。円高のチャンスを活かすような技量など日本の政治には期待不能というところでしょうか。失望して何も言うことはありません。

 

大相撲の八百長問題は明らかに今の日本国の世の中における社会病理現象の一つだと思っています。八百長などというものは、芸人のギャグと同類だというくらいにしか思っていない若者の力士は存外多いのではないでしょうか。国技などと重い受け止め方をしているのは、外国からやって来た力士の人たちなのかも知れません。今の時代、ショウスポーツの切り口からは、そもそも国技などという見方が無理な話なのでは?という実態があり、国技と呼ぶのは既に幻想化している感じがします。国技的風土が既に退化している以上は、これからも同類の問題は一休みの後に再発するに違いありません。日本人でもない関取がやがては半ば以上の数を占めるという状況では、もはや国技などとは呼べなくなるに違いありません。国際化が進んでいるのなら、マヤカシの勝負も計算に織り込んだショウスポーツとしての仕組みを新たに作ればいいのになどと思ったりしてしまいます。茨城県は守谷市に近い牛久市出身の稀勢の里が大関になったりして、古い人間には相撲は捨てがたい観戦スポーツなのですが、彼がいなくなったらTV中継など見なくなるのかも知れません。

 

最後に唯一明るい話題として選ばれたのは「なでしこ」ジャパンの女子サッカーワールドカップでの優勝でした。これはその内容(=プロセス+結果)から見ても全く文句なしの快挙でした。国民栄誉賞など当たり前のことです。あまり注目されていなかっただけに、その結果は衝撃的でした。男どもが足元にも及ばないことを全力を傾注して女子(おなご)たちが実現してしまったのですから。この快挙は今年一番日本国民を元気づけてくれた出来事だったと思います。「女のくせに」などとは、もはや口が裂けても声に出してはならないことばであり、禁句です。根性のひねくれたジジイでも素直に祝福の拍手を送りたいと思います。

 

国内版の東京新聞の十大ニュースをコメントしてきましたが、自分的には今年の大ニュースといえば、東日本大震災と原発事故に尽きると思っています。この二つはセットとなっている感じがしますが、その真因は別々のものだと思います。震災は天災ですが、原発事故は人災です。

 

今回の天災は歴史的には建国以来最悪のものだったと思います。課題は山積していますが、必ず復興は叶うはずだし、実現しなければなりません。被災された方々に対して改めてお見舞い申し上げますと共に、復興に係わるあらゆる方々のご尽力が一日も早く具現化し結果することを心から願っています。

 

そして、もう一つの人災に関しては、現在も拡大中であり収束の兆しなど見当たらないように感じています。何が本当なのか判らないような状況の中では、信頼できるものは殆ど見当たらず、この問題は、津波や地震といった天災よりもはるかに根が深い感じがします。一日も早くこの原発という即時に悪魔化する設備を撤去・廃棄することを願わずにはいられません。

(2011年12月31日記)

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