山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷)第10日

2011-12-13 00:37:16 | くるま旅くらしの話

 

 

第10 道の駅:アリスト沼隈(沼隈町)から福山市のS君宅まで

 

 明けて、今日もどうやら機嫌のよい良い天気となってくれるような空です。昨夜のバイクの騒動を忘れさせてくれるような青空が広がっていました。朝食の後、いつものように車のチエックや給排水、トイレの処理などを行っていると、駅舎の売店に地元の野菜や花などを運んで盛んに軽トラが出入りしています。先日の内子の道の駅と同じように、この道の駅もかなり活気があるのを感じました。

 開店までにはまだ30分ほどあったのですが、ちょいと中を覗いて見ましたら、いやあ驚きました。魅力的な地元の農・海産物が所狭しと並べられているのです。昨夜見た、閉ざされた売店のイメージからは想像も出来ないことでした。特にびっくりしたのは今朝漁師さんが獲って来たと思われる海産物がたくさん並べられていたことです。これは今まで訪れたたくさんの道の駅の中でもあまりなかったことだったので、嬉しかったですなあ。近くに海があるのを実際に見てはいないので、今一ピンとこない感じがあるのですが、いろいろな魚類が獲れているようです。近海の魚類の他にタコやシャコやワタリガニなどが溢れるほどに並んでいました。

 何といっても一番嬉しかったのは、大好物のワタリガニのかなり大きい奴が1匹500円ほどで売られていたことでした。これはもう見逃すことはできません。今夜S君宅に泊る予定になっていますので、その時の食卓に載せるべく、いそいそと買い入れました。その他ホウレン草やサトイモなどの野菜類なども安い価格で売られていました。

 野菜の中で一つ不思議に思ったのは、大根が妙に痩せこけていて貧弱だったことです。これは昨日の大三島の道の駅でもやはり同じように小さく細くて可哀想な姿だったのです。どのような場所でつくられているのか判りませんが、狭く厳しい条件の山襞のような所の畑ででもつくられているのかも知れません。ミカン畑などはかなり傾斜がきつい条件の所に作られているわけで、その脇の畑などでは根菜類の栽培は難しいのだろうと思ったのでした。

 ちょいとワタリガニの話ですが、このジサマはカニの中で一番美味いのはワタリガニだと思っています。松葉ガニやタラバガニ、毛ガニなどよりも遥かに上を行く味だと思っているのです。これは20数年前に高松に住んでいた時に、随分とワタリガニを食べさせてもらったおかげだと思っています。高松の人たちはあまりワタリガニに興味を示さないのか、魚屋の店先に随分と安い値段で販売されていました。ですから毎度わくわくしながらそれを買い求めたのでした。その内に自分でワタリガニを獲るための網をしかける所まで行ったのを思い出します。高松や近郊の港に出かけて、夕方に網をしかけ朝にそれを引き揚げに行くのですが、手づくりの網は上手く働いてくれず、なかなかカニは網の中には入ってくれませんでした。しかし、ワタリガニへのこだわりはあの頃以来かわることはありません。東京では生きたワタリガニを手に入れるのは先ず不可能で、殆どは冷凍されたものばかりです。冷凍だとせいぜい味噌汁に入れるくらいしか道はないと思われ、それはもはや味としてはワタリガニではなくなっていると思っているのです。ですから、今日生きた奴がこんな安い値段で手に入ったことは、20数年ぶりの興奮といっていいほどなのです。いやあ、良い出足の今日の始まりでした。

 さて、今日はS君に会う前に、家内の希望で福山市の西を流れる芦田川沿いにある明王院というお寺を訪ねることにしています。家内の調べでは、このお寺の本堂が国宝なのだということです。明王院に向かって出発すると、少し行った所に「みろくの里」という何やらレジャーランドのようなものがあり、そこに新勝寺温泉というのがあるという案内板を見かけましたので、どんな所なのかちょっと寄って覗いてみることにしました。恐らく今後も瀬戸内海エリアの旅をする時には、道の駅「アリストぬまくま」には必ず寄ることになると思ったからです。これほど豊かな海の幸が手に入る場所を逃すことはあり得ないと心に決めたからでした。ですから近くの温泉の存在には重大な関心があるのです。

 というわけでその「みろくの里」という所に行ってみました。行ってみると、そこはかなり大きな施設で、休日などに家族連れで楽しめるような場所だなと思いました。温泉は一番奥まった所にありました。営業について訊いて見ましたら時間は朝6時から開始で、10時までは600円、10時以降は1000円の入浴料とのことです。今度来た時は朝風呂が良いかなと思いました。今日はカニなどで興奮している内にもう時間が過ぎてしまい、機会を失って残念です。ちょっと高い感じがするけど、他に入浴施設がなければいた仕方ないと考えざるをえません。

 引き続いて明王院へ向かいました。ここは芦田川に沿った道を行けばいいので、迷うことなく着くことが出来ました。勿論初めの場所です。駐車場は芦田川の河原に近い場所にあり、お寺はそこから少し長い坂を登った上の方にありました。少し息切れするほどの石段の道でした。境内の本堂の奥の方は小高い山に囲まれた公園になっていました。

 案内板によれば、室町時代の往時は、この辺りはお寺の門前町として大へん栄えた港町だったということです。その名も草戸千軒と呼ばれるほど家々が軒を連ねていたとのことで、この名から数日前に訪ねた奈良井千軒を思い出しました。彼方は全くの木曽の山の中ですが、ここは港町ですから条件は真反対ですが、昔の人は、人が大勢暮す賑わいの場所を「千軒」というような表現で呼んでいたんだなあ、と思いました。その草戸千軒は、芦田川の大洪水・氾濫で大被害を被り土中に埋もれてしまったとのことです。復活ができないほどのダメージだったのですから、ここには多くの人々の悲しみが未だに埋まっているのだと思います。町の遺跡として相当に有名らしいのですが、関東の田舎に育ったジサマには全く土地勘がなく、案内の解説板を見て初めて知ったことでした。今も昔も大自然の脅威というのは、人力を遥かに超える所にあるのだなと思いました

お寺に参詣した後、S君に会う約束の時間まで少し余裕があるので、お寺の裏山を少し散策することにしました。汗をかきながら20分ほど坂道を登って行くと、何とその向こうには新興の住宅地が拓けていて、新しい町が出来ていました。そこには草戸公園といういい眺めの出来る展望台のある公園があり、その近くにはかなり大きな駐車場があったのです。道を知っていれば、この駐車場なら随分と楽に来れたのになあ、などとちょっぴり損得の思想が頭を過ぎりました。でもその公園にある展望台からの眺望は、一汗かいたお蔭で値が倍加したようで、遥か遠くまでの福山市が一望できるだけでなく、近くの芦田川辺りにはその昔の草戸千軒の賑わいを目の当たりに出来るようなイメージが膨らみました。しばらくその景観を楽しみました。明王院の国宝の方は家内まかせなのは言うまでもありません。

 再び坂を下りてSUN号を留めてある駐車場に戻り昼食です。ジサマの方は残っていたパンにゆで卵を挟んだサンドイッチでしたが、家内の方は今日の朝ごはんがいい加減だったので、ちゃんとしたものが食べたいと近くにある喫茶店風のレストランに一人で入って行きました。我々の旅はいつも夫婦一緒の行動ではないということが、このような食事一つでもご理解い頂けるのではないかと思います。このようなことには、お互い何の違和感も覚えていません。

 食事の後は、S君の待つ福山市内の喫茶店へ向かって出発です。S君というのは、実は偉そうに言うならばジサマの教え子なのです。そのS君が、現在その市内の喫茶店で絵の個展を開いているので、そこへお邪魔しようというわけなのです。同じ会社にS君は1年早く入社した先輩なのですが、当時会社が行っていた技能訓練生制度というのがあり、2年生になったS君たちを新入社員の私が指導員として受け持つことになり、何とこのジサマが英語、社会、体育などの教科を受け持たされたのでした。

 この技能訓練生制度というのは、全国の中学卒業者を対象に会社が募集した人材を、2年制で工業高校卒業レベルに到達させようというもので、全員入寮制度を採っており、この新入社員だったジサマも教科の指導だけではなく寮の指導員を兼ねて彼らと24時間寝食を共にしたのでした。教員にだけはなるまいと教員免許も取らずに一般企業に入社したのに、よりによって自分が最も嫌いだと考えているこの仕事に配属された時には、こりゃあ遠からず退職をしなければなるまいと思っていたのでした。

 しかし、現場で彼ら16~17歳のクリクリ坊主頭の子どもたちと一緒に暮らしている内に、少しずつこの仕事に対する認識が変わり出したのも事実でした。この技能訓練生制度は、昭和40年代の初めに中卒者が金の卵という時代が到来するのに合わせて消滅させざるを得なくなり、それを以ってジサマの教師暮らしも終わったのですが、200人を超える入寮者の彼らと一緒に暮らした2年間は、いろいろな意味で自分の人生の転換期となったと思っています。その後技能訓練生は、会社の中でサービス技術者の核となって貢献してくれたわけですが、新しい人生の場を求めて職場を離れて行った者も多く、彼らにとっては会社というよりも学校という受け止め方でその後の人生につながっているのではないかと思います。何度か彼らの同窓会に招待されたことがありますが、集まるメンバーは多彩で、とうの昔に会社を辞めた者も皆同期として何の違和感もなく一緒に昔の思い出を語り、歌を歌っているのを見て、人生というのは会社などというものはホンの脇役に過ぎないのだなということを実感したのを思い出します。

 あの頃の自分を思い起こすと、指導員などというのは名ばかりで、単に同じ会社の社員同士が与えられた役割に従って教える側は無理やり教える仕事を強行突破して押しつけ、教わる側は給料を貰いながら教わるという弱味をもった義務観を無理やり強いられていたという関係だったのかもしれません。教科書はあっても指導要領書などは何もなく、全てが指導員の自己裁量に任されていたというのですから、無茶な教育もあったものです。尤も皆ジサマのような指導員ばかりではなく、一般教養的な教科の大半は夜間高校の専門教師の方にお願いして指導を頂いていたのでした。ま、もう無くなってしまった遠い昔の話ですから、これ以上内情を明かすのは止めることにしましょう。

 その訓練生の卒業者の一人がS君なのです。勿論自分が係わった全訓練生の皆さんのことは忘れるはずもなく、誰でも会えば直ぐに往時の世界に懐かしく戻ることが出来ます。クリクリ坊主頭だった彼らももう孫を抱く者もおり、このジサマとさして変わらない暮らしに入ろうとしています。S君は最初の配属は東京のどこかの事業所だったと記憶していますが、その後出身地の広島の方に転勤となり、現在は福山の事業所に勤務しているのです。一昨年偶々仕事で福山の事業所を訪れた時に彼に20数年ぶりに再会し、その時に昨日の瀬戸田町の平山郁夫美術館までご案内頂いたりしてすっかりお世話になったのです。最初はどこへ連れて行かれるのかも判らず、車に乗せられて為されるままにご案内頂いたのですが、後で気づいたのは、S君が自分で絵を描いていることから平山先生の絵を見せてジサマを教化しようという目論見があったのかも知れません。その後で彼の描いた絵を見せて頂き、甚(いた)く感動したのを思い出します。彼の絵は住まいの近くを流れる芦田川を中心とした「やわらかな風景」というテーマで描く水彩画で、そのテーマの通り芦田川の持つ暖かく優しい雰囲気を巧みに表現した作品が描かれているのでした。その時に頂戴した1枚は、今でも書斎の壁に見上げるといつでも目に入るように掲げています。彼にこのような才能があるということは、想像も出来ないことでした。

 そのS君から先日個展開催の案内状が送られてきたのです。福山といえば東京からはかなり離れた距離にあり、せっかく案内頂いても出かけるのは到底無理だろうと思っていたのですが、旅の虫が騒ぎだして急に四国方面へ行こうと思い立ったついでに、しまなみ海道を渡れば福山はすぐ傍ではないかと気づいて、よし、S君の個展を見せて頂こうと急遽決めたのでした。このようにして、今ここに来てしまっていることが実に不思議なことのようにも思えます。

 個展の開かれている喫茶店は、福山城の裏の方(北側)に位置しており、予め凡その場所を調べておきましたので、迷うことなく直ぐに分かりました。駐車場に入ると、待ちかねていたのか、直ぐに彼が飛び出してきました。その時に彼と一緒に妙な男が付いてきました。よく見ると、その昔のジサマが福岡の事業所に勤務していた時の同じ職場仲間のY君でした。これはまあ、思いもかけぬ嬉しい再会でした。彼は現在広島の支社で営業の仕事を担当しているとか。今日はたまたま仕事の関係で福山の事業所に来ていたとのことでした。S君から私が来るという話を聞いて、わざわざここで待っていてくれていたとのことです。いやあ、感激でした。

 お互いにご無沙汰の挨拶を交わした後、店の中に入り彼の作品の数々を見せて貰いました。30枚ほどの絵は、その殆どに赤い紙が貼られており、どうしたことかと聞きましたら来訪者の方にお買い上げ頂いているということでした。赤紙はそのお買い上げ済みという印とのことです。作品の殆どは芦田川の風景を淡く表現した水彩画らしいムードに溢れたものでした。一昨年頂いた画を見て以来の彼のファンである家内は、残っていた画の中から1点を自腹で購入していました。彼がこの地で多くのファンを持つ画描きの道を着実に歩んでいるのを見て驚くと共に、これから先尚一層精進して大成して欲しいなと思いました。

  絵の鑑賞の後は、SUN号の中に来て貰って、Y君も交えてしばし歓談です。同じ会社に勤めている者同士ですから、話のタネは尽きることがありません。あれこれと幾つかの話題に花を咲かせている内にあっという間に夕暮れとなりました。今夜は、S君のどうしても自宅に泊って欲しいというご厚意に甘えることにしています。Y君に別れを告げてS君の車に乗せて頂き、彼の自宅に向かうことにしました。その途中彼の絵のメインモチーフとなっている芦田川のスケッチ場所などに立ち寄り、その景観を眺めたりしました。一層彼の絵に対する親近感が増したのでした。

 彼のご自宅での歓談も楽しいものでした。今朝手に入れたワタリガニをと奥さんに話しましたら、なんとカニは大の苦手なのだそうです。食べるよりも何よりもカニそのものが怖いのだそうで、とても茹でたり蒸かしたりするのは恐ろしくて出来ないという話でした。それならばと、カニを茹でるに関しては名人(?)と思われている家内の出番となりました。他人さまの家の台所で、あれこれ鍋などを引っ張りだして貰いながらの大騒動でした。ジサマの酒好きを知ってのことなのか、S君にはわざわざ牛乳焼酎などという初めての飲み物などを用意して頂いて、最後はすっかり酔っぱらってしまい、風呂に入るのも忘れてそのまま寝床に直行のあり様でした。いやあ、ごちそうさまでした。たちまちの爆睡でした。

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