山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷)第13日(その1)

2011-12-20 01:27:31 | くるま旅くらしの話

 

第13日 リフレかやの里(京都府)から道の駅:しんあさひ風車村(滋賀県)まで

 

 曇りの朝でした。今日から天気は下り坂に入ってようです。この辺りも山陰のエリアに入る場所なのかもしれません。山陰の旅では、雨降りなどに出会ったことは比較的少なかったのですが、今回はこれから先さてどうなるのでしょう。まだ大丈夫のようです。リフレの里はなかなかいい場所につくられており、小高い丘の上から下方に広がる景色を展望することが出来ます。初めて来た場所なので、見ている景色のどこが何なのかはさっぱり分かりません。加悦という漢字を「かや」と読むことは知りませんでした。地名というのは読み方の難しい所があり、その地に行って見て初めて解るということが時々あります。この加悦の読み方も地元の人たちはともかく、関東エリアから初めて訪れた人間にはせいぜい「かえつ」と読むくらいしか出来ないのではないかと思います。

 

  加悦町はその昔から丹後ちりめんの産地として有名だったようですから、京都近郊に住む人ならばだれでも加悦をかやと読むくらいは当然のことだったのでありましょう。道の駅がシルクのまちかやというのも、その歴史にちなんで命名されたのだなということが解ります。温泉施設の中のお土産店では絹に絡む製品が販売されており、家内は何点かをものにしたようでした。今でも絹織物の製造が行われているのかよく判りませんが、今度来る時には予め調べておいてそのような施設があれば見学するのも良いなと思いました。今回の旅はジサマが目指そうとしている本来のくるま旅からは遠く、何やら再来のための下見の旅をしている感じがします。

 

  給水の後、少し離れた道の駅の方に移動することにしました。車の汚れが少し目立つようになったので水で拭いを掛けようと考えました。昨日の夕方登って来た坂道をそろそろと下って道の駅の駐車場に車を入れようとしていると、下の方から中年の男の人が登ってくるのが気になりました。ゴルフのアプローチの練習にでも行くのか、ショートアイアンを2本自転車の前かごに差し込んでいます。その方は旅車に興味があるらしく、盛んに車を見ておられましたが、その内に声を掛けてこられました。いろいろと話しかけられるので、それならば車の中に来て頂いて話をした方が解りやすいだろうと、中に入って頂くことにしました。キャンピングカーに興味をもたれた人から話しかけられた時には、いつも車の中を覗いて貰うことにしています。多くの方々は中がどうなっているのだろうと興味関心大のようですから、見て頂くのが一番だと思って、そうすることにしています。車を使って旅をする仲間が一人でも増えたらいいなと思っているものですから、車内が汚くなっていることなど気にしないことにしています。

 

 お話によると、Oさんとおっしゃるその方は、最近まで栃木県の宇都宮に住んでおられたとのことですが、ご両親がお歳をとられて健康上の不安が増してきたので、出身地であるこの町に戻って来られたとか。今でも週に何日かは仕事のために宇都宮の方に出向かれておられるということです。SUN号が東京の多摩ナンバーだったので、特に親近感を抱かれて声を掛けられたようで、ご自分でもくるま旅をしてみたいと考えておられるようでした。

 

 Oさんは何か経営コンサルタントのようなことをしておられるようで、何やらビジネスを企業化するような仕事だとおっしゃっていました。ジサマにはその内容はよく判りませんし、わかろうとも考えません。大変話好きな方で、仕事の話やらくるま旅の話やら、広範囲に渡っての話題につい時間が経つのを忘れてしまい、気がつけばい1時間以上も話し込んでしまいました。当方はビジネスのことなどは久しく忘れていたのですが、Oさんに会って思い出すこともあり、さながら異次元の世界からUFOに乗ってやってきた人に突然出会ったという感じでした。優秀なビジネスマンなのだなと思いました。又ビジネスのみならずその生き方においても八面六臂の活躍をされておられるようで、ボランティアとして福祉や環境問題にも取り組まれているとか。何やらの懸賞論文に応募したのが入選となって、近く福祉国家のご本家である北欧のスウェーデンに出かけるとも話されていました。それにしてもどうしてこのような不思議な人がここにおられるのだろうか、そしてどうして自分などと出会うのだろうかと、改めて旅の不思議な力を感じたのでした。

 

 この辺の土地の状況について、Oさんからいろいろと参考になる面白い話をお聞きしました。特に歴史に絡む古い話は興味深く、神話の時代にさかのぼってこの地が由緒ある所であるのを知り、勉強になりました。例えばその話の一つとして、天橋立の北浜に鎮座する籠(この)神社というのがあるということで、ここは伊勢神宮の故郷なのだそうです。神々の歴史は複雑で古事記などをざっくり読んだくらいでは夫々の関係などとても覚えきれるものではありません。伊勢神宮の祭神が何であり、どのようないきさつで伊勢に祀られるようになったのかなどさっぱり分からないのですが、もともと丹後のこの地の近くの籠神社に住まわれていたのだという話は初めて聞いたことであり、思いもよらないことでした。要するにそれほど古い歴史を有しているということなのでありましょう。お伊勢さんと呼ばれ、全国からの参拝者が今日でも絶えることのない伊勢神宮に故郷があり、その地がこの近くなのだという話は何とも面白く、是非今日はそこに参拝しようと思った次第です。実に楽しくありがたい時間でした。Oさんに感謝、多謝です。

 

 天橋立はここからは20分もあれば行けるロケーションです。出発する前に、直ぐ近くの広場で収穫祭らしきイベントが行われているようなので、ちょっと覗いて見ることにしました。

地元の野菜や海産物などが並んでいました。野菜類にはあまり魅力を感ずるものが見当たりませんでしたが、海の幸の中には、かなりの大きさの赤イカが驚くほど安い値段で売られており、これにはかなり心を吸い寄せられました。しかし手を出すにはあまりにも大きすぎるのです。 あれを1匹買ったら、多分3日ぐらいは毎三食に腹一杯になるまでイカを食べなければならなくなるでしょう。いくらなんでもそんなことをしたら、それでなくとも高いレベルにあるコレステロール値が益々上がってしまって、動脈硬化の危険性はいや増すに違いありません。諦めが肝心というのはこのようなケースをいうのだなと、自らに言い聞かせたのでした。

 

 出発して大して時間も取らずに籠神社に到着です。確かに天橋立の北側の入り口近くに位置していました。天橋立は初めてはないのですが、今までこの神社の存在など全く知りませんでした。神社はかなりの参詣者で賑わっていました。今日はそう言えば11月3日の文化の日です。七五三の本番の日でもありますから、着飾った子どもの手を引いた若い夫婦、それにそのつき添いのジジババなどの善男善女の何組もが、三々五々と連れだってお参りをしていました。先日の吉備津神社の時よりもはるかに多い人数です。七五三の人たちの他にも、近くの駐車場に停まった大型の観光バスの中から、続々と吐き出されてくる人たちがいます。間もなく高齢者の仲間入りしそうな勤めを終えたばかりのセミ老人中心の団体さんのようです。この方たちは、一先ず神社にお参りした後、境内の裏手にあるケーブルカーの乗り場の方へぞろぞろと歩いて行きます。これらの動きは、もう一つの決められた観光ルートとして指定されてしまっているような感じです。ケーブルカーの上の展望台から身体を折って股の下から天橋立を覗きこむというのが皆さんの楽しみの予定なのでありましょう。今日はいい天気なので、その景色も格別ではないかと思います。でも、中にはお腹が膨らみ過ぎてどう頑張っても首がそこまで至らない人も混ざっていて、あの人はどうするのだろうかなどと要らぬ心配をしたりしたのでした。人間観察は実に面白く、様々な人たちの人生を垣間見ることが出来ます。(つづく)

 

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