山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

自分だけはという思い上がりを止めよう

2011-03-18 09:24:27 | その他

 

 このブログを目にされた皆さまへのお願いです。

 

大震災被災地で救助を待つ被災者の皆さまの厳しさ・辛さを思う気持ちは、普通の人間であれば、皆同じだと思います。それなのに現地ではすぐそばまで来ている救援の物資が手元に届かず、被災地では、今現在そして明日を迎えるための大勢の方の生命が大変な危険に陥っておられます。

この厳しい寒さの中で、暖房も寝具も無い床むき出しの体育館や校舎の中で眠れぬ夜を重ねておられる被災者の皆様の状況を思い浮かべると、多少の停電や断水などがあるとはいえ、ぬくぬくと過ごせている恵まれた自分たちが、何とももうしわけない気持ちでいっぱいです。

一方で不安は抱えてはいても大した実害も無いのに、いざという時のためにと車の燃料を買いだめし、食料品の備蓄にうつつを抜かして、被災地への同情と自分のやることは別だと考えて平気でいる人間の、あまりに多いことに悲しさと怒りを覚えます。被災地の皆さまの切実・悲痛な声を聴く力があるのなら、今に余裕のある者はしばらく事態を静観し、まずは被災地の人たちに当面の安全と健康が保たれるように、自分のわがままを抑えることが大切ではないでしょうか。

今被災現地は混乱の中にあるわけであり、被災された方々に対して我々一人ひとりが最も貢献できることは、安易な同情を寄せながら一方で利己・保身のために、世風に押されて買いだめ行為に励むようなことではなく、じっと静観して現地に一日でも早く救援の手が隅々まで届くように、支援に直接係わる人たちの邪魔をしないことではないかと思います。

もしあなたの近くに買いだめなどにうつつを抜かしている人がいたならば、厳しく戒めて欲しいと思います。よほどの急用のない限り車の外出は避け、不要不急の行動はとらないように努めたいものです。買いだめなどして頑張っても、いざとなれば、人間が楽な状態で暮らせる時間などたかが知れているはずです。今はとにかく我慢をしなければならない時なのです。

具体的な支援行動は、まさに当面の危機を乗り越えて、それが可能になった時からというのが私の気持ちです。今は、被災地の皆さまに同情の思いを寄せる分だけ我々もまたじっと我慢をし、利己保身のための行動は厳しく自戒しようではありませんか。

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何故事態を悪化させているのか!

2011-03-17 18:37:26 | その他

 

 東北関東大震災に関して、今喫緊の要事は被災地に救援物資が一刻も早く届くことです。このためには早急に輸送の基幹となる車両の燃料を確保し、充足することです。これには、政府の非常手段の行使が不可欠で、一般人に協力を呼びかける程度の生ぬるい処置では、事態は改善どころか益々悪化するばかりです。

 政府当局はその全権力を集中して、燃料補給態勢を即刻整え、ガソリン等の必要な石油類を、タンクローリーやドラム缶等を積んだ車両により、石油基地から被災地に向かわせるべきです。

 

終日の報道を見ていても、政府関係者や政治家の連中からは何の具体的な行動も起こされておらず、民間ボランティアのみが苦労しながら対応してるのを見るにつけ、怒りが湧き上がります。この怒りをどこへ向けて良いかわからず、とにかくここに書くことにしました。心ある当局関係者は、直ちに行動を起こされんことを願っています。

 

(小生などは、動きたくても下手に動いたら却って支障となり迷惑をかけるのではないかとじっとしているしかできないのです。この無様な様子を皆さまに情報としてすらも伝えられないのは、真に残念無念であり、もうしわけなく思っています)

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偉い人たちへの憤懣

2011-03-16 10:57:12 | その他

  大震災の発生から5日目を迎えましたが、津波被災の惨状に加えて今、次なる惨事を迎えようとしている感がします。それは福島原発の事故です。事故の内容が専門家ではない我々にはさっぱり分からず、この先一体どうなるのか不安は増幅するばかりです。事故の現場からは30km圏要注意の話の方に注意が向かっていますが、31kmに住む者には不安はないのか、40kmはどうなのか、そして最悪の場合は100kmあるいは200km圏ではどうなるのか、全くそのことについての広報も報道もなく、未だ安全だから大丈夫、この数値なら危険がないなどという、気休めにもならない数値などの強調文句ばかりが並べられて、真実が何なのかがさっぱり判りません。

東京電力は「東電力」となり、原子力安全保安院は「原子力危険不安院」と化しているかのようです。これらの責任者層に属する、いわゆるエライ人たちは一体どういうつもりでこの事態に臨んでいるのか、疑問を通り越して怒りの憤懣を覚えます。何のための安全なのか、誰のための安全管理なのか、この人たちは今まで現実論としての災害を本気で考えたことなど一度も無く、紙の上の理論と、法規上の定めに汲々とした発想しか持たなかったのではないかと思うほどです。この非常事態に対して、生きて不安を抱えている人たちや現場で必死になって対処している人たちの思いをどれほど汲んでいるのか、さっぱり見えてきません。TVの記者会見での説明をする人の対応を見てもそのことが良くわかります。今更文句を言っても始まりませんが、その対応のあまりのお粗末さに憤懣の持って行きどころがない気持ちです。

このような人たちの情報に基づいて国民にアピールせざるを得ない政府当局に対しては同情の向きもありますが、しかし、よく考えれば、国民の側から見れば同じ穴の(むじな)であること変わりはなく、同情は取り消さざるを得ないようです。

我々国民にとって知りたいのは真実であり、隠蔽された報告ではないのです。隠蔽の臭いを感ずるのは、会見等での報告情報が、すべて過去形に対する見解であり、未来に対する見通しや所見と言ったものが皆無であるということです。必要な条件が整わなければ断定はできないというのが科学なのだということは理解できるとしても、危険に関する現実は条件の整備を待っている余裕はないはずであり、たとえ不正確であっても最悪状態の見通しについては明言があってしかるべきと思います。

それを言いたくても国内・国外に対する影響の大きさを考えると、とても口にすることはできないのかもしれません。そしてことが終焉した時の反省点として論議の俎板に載るというのが歴史の示すところであり、今回も又その前例に倣うということになるのでしょう。結局このような事情事態時においては、我々一般の国民はなるようにしかならないという諦念に落ち着かされるしかないのだということのようです。

被災後の対応はどこでどのように進められているのかさっぱり分からず、この辺の気のきいた人たちは、やたらに先取りをして被災地の人たちを遠くから首を絞めるかのような購買行動を取り始めています。このような事態に対して国のエライ人たちは、自制を呼びかけたりなどの甘い行動に止まっていないで、強制的に被災地の人たちのためにガソリンや食料や医療用薬品、等々の支援物資が届く手立てを考え、直ちに実行すべきです。

政治家のエライ人たちもにさっぱり動きが見えません。普段は口先ばかりの議論に明け暮れていて、いざという時に何もできない政治ならば、政治家など世の中には無用のような気もします。とにかく、エライ人たちは計算ばかりしていないで、本気になってこの難事に動いて欲しいものです。

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東北・関東大震災お見舞い3

2011-03-15 03:25:13 | その他

  最初の発表と少し違って、震災の呼び方が変わったようです。呼称などはともかくとして、発生以来その実態が明らかになるにつれて、これはまさに日本国成立以来の、容易ならぬ国難に遭遇しているという思いが一層強くなりました。まだ本当の実態が判っているわけではなく、又判ることができるような状態でもない厳しい現実の中にあるのだと思いますが、何よりもまず少しでも早く、一人でも多く生存者が発見され、救助の手が差し伸べられますことを願い、祈っています。

大震災のもたらした被害の最大のものは津波によるものですが、加えて憂慮されるのは原子力発電所の事故のことです。隣県の福島県浜通りにお住まいの皆さまにおかれては、二重の不安に日夜苛まれておられるに違いなく、過去にJCOの臨界事故を経験している茨城県に住む者としては、とても他人ごととは思えません。原発の事故は一般の我々には不明な点があまりにも多く、地震が引き金であったとしても、津波と同じレベルで扱える問題ではないように思います。天災と人災の違いが明確です。

現在の日本国において、人災と天災のこれ以上大きなものはないと思われる難題を、突然天から突き付けられたような気がします。この国難を乗り越えるために最も必要なのは、私たち日本に住む人間の連携の力だと思います。それしかないように思います。日本人は、しばらくの間「個人最優先」というものの考え方を脇に置く必要があるのではないでしょうか。ピンチはチャンスなどと我が身の功利を太らせるような発想は、まさに邪道だと思います。人が持つ力は一人ひとり小さいものですが、皆でそれらを合わせれば、大きな力になるに違いありません。これから先、一人ひとりが一人ひとりに応じた力を出し合って、この未曽有の難題に立ち向かってゆかなければならないのだと思います。

今日の今でも、寒さに身を震わせて眠れぬ夜を過ごされている避難所の皆さまのことを想いながら、私自身何ができるのか、どのような手助けができるのかを思っています。被災された皆さまにおかれましては、当面の厳しい状況を何としても乗り越えて欲しいと願っています。現地から遠い私たちには、今すぐには祈ることぐらいしかできないのですが、何とか自分の力を役立たせて欲しいとの思いを強くしている者が日本国中にたくさんいるということを、どうぞ今を生きる力の中に加えて頂きたいと思います。

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東北地方太平洋沖地震被災お見舞い2

2011-03-13 15:13:08 | その他

  地震の発生以降TVにくぎ付け状態で状況を見ておりますが、惨状は益々その酷さの度合いを強め、まさに地獄の様相を目の当たりにしている感がしています。大きな余震が起こるたびに、ヒヤッとしながらその揺れが収まるのを待つ今日でもありますが、なんともはややりきれない気持ちです。

 加えて原発の災害もその深刻さは未曽有のもののような気がします。関係者のあいまいな報告を聞く度に、胸が煮えくりかえるような怒りを覚えますが、そのようなことよりも今はまず何よりも原発周辺に住まわれる方々のご安全と事故防止に直接携わっておられる方々のご安全を心から願っています。

 茨城県でも多大の被害を被っている現状ですが、それは主として沿岸部と県北の方が厳しい状況です。幸いにして県南の守谷市周辺では、昨日までストップしていたTXも回復し交通の基幹は修復したものの、生活の実情の中では異常な状態が現出しているのを2日ぶりの外出で気づきました。

その1は車の給油が大変困難な状況になっているということです。すべての給油所に長蛇の車の列ができていて、売り切れの看板を出す所も散見されます。

その2は食料品を扱うスーパーなどの店が入店規制をするほどに混み合っており、中に入ることができても、パンや牛乳などの簡易的食料品は全く在庫無しの状態であり、米などの主食類も殆ど在庫がない状況となっています。この地がそれほど被害を受けていないにも拘らず、普段とは全く違った様相を呈しています。

何故このように慌てふためく現象が起こっているのか理解に苦しむのですが、群集心理のなせる仕業(しわざ)か、ろい不安保身必要以上パニックていようた。

我が家ではいつもの通りですが、我が身の保全などよりも、かつて職場を共にした東北各県の昔の仲間の方たちの安否と職業(昇降機や冷熱機器の保全サービス)上の労苦に思いを馳せること大です。同時に、こうしてTVを見ているだけでよいのかと複雑な心境です。

今回の地震は日本国にとって有史以来の大惨事です。まずは被災者の人命救助が第一であり、その上で災害のしっかりした実情把握が大切です。報道の方も常に全体のことを念頭に置きながら個々の実態を正確に伝えて欲しいと思います。

まだまだ大混乱のさ中にあり、私のできることといえば、ひたすらに生きておられる方のご安全とご健康を、そして不明者の方々のご無事を祈るだけです。

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東北地方太平洋沖地震被災お見舞い

2011-03-11 22:23:24 | その他

 

 本日の東北地方太平洋沖地震の発生により突然の悲しみを被られた皆さまに心からお見舞いを申し上げます

 

 私の所では、偶々他出から戻り遅い昼食をとっていましたら、突然大地が揺らぎ、家も震えて、驚いたの何のって、あわや戸棚の食器類や本棚の収納物が飛び出すかと思えるほどの揺れとなりました。幸いにして3分ほどで揺れが収まりかけて、その後も何度か大揺れに見舞われましたが、どうにか事なきを得て胸を撫で下ろした次第です。このようなひどい揺れを体感したのは、生まれてこの方初めてのことであり、改めて地震というものの怖さを思い知らされました。

 その後TVにくぎ付けとなり、様子を見ていますと、各地を襲った津波が地獄の使者のごとくに情け容赦もなくあらゆるものを押しのけ、呑み込んで大地を遡上するのを、息をのみながら見続けました。大自然の強烈なパワーの前の人間の無力さを思いました。

 とてもブログなどを書いている気持ちにはなれません。これから実情が判るにつれて被害は甚大になる予感がします。とても心配です。少しでも早く余震の不安が少なくなり、一先ずの心の安堵がもたらされることを祈ると共に、被災された皆さまに対して改めて心からお見舞いを申し上げます。

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藪(やぶ)の女王

2011-03-11 01:13:41 | ホト発句

        

            

                           

 

     紅一点 中年だけど 綺麗でしょ

        

     女王の 饒舌(じょうぜつ)藪を 鎮(しず)まらせ

 

コメント:

 

2月半ば過ぎからの今頃は、椿の花の季節である。つくば市のいつもの散策路には何本かの藪椿があって、厚ぼったい花を咲かせていた。この花には、いくら探しても楚々感は見当たらず、大人の、しかも少し歳のいった女性のイメージが浮かび上がってしまう。となれば、賑やかなのだ。つまり姦しいということ。でもそれは花びらではなく、中央のめしべやおしべのエネルギーがそう思わせているような気がしたのだった。

 

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絶望的な政界状況

2011-03-10 00:13:03 | 宵宵妄話

 民主党政権は、菅首相になっても依然としてモタモタが続いていると思っていたら、今度は前原外相の政治資金の問題が突然湧き起こって、あっという間の辞任へとつながり、今また細川厚労相が危うい状況にあり、いよいよ沈没の危機を迎えようとしています。これらの状況は、嘆くというよりも腹が立つという感じです。政治のことにはあまり触れたくないと思っていても、ここ数年がこの体たらくでは、無関心のままではとてもいられないというのが正直な気持ちであり、且つ我々一般大衆の共通の心情ではないかと思います。

現今の厳しい国際情勢の中では、外相の担う役割は極めて重要であり、首相以上にその継続的遂行が求められるのに、日本ではその様なことは無視して、政界内部の勢力や主導権争いに明け暮れていて、政治の果たすべき機能が停滞し続けています。外相以外の閣僚においても、いつ辞任問題が起こっても不思議ではないようなムードが漂っているようです。これにはマスコミも加担し、小さな正義をむやみに膨らませて、世の中全体を似非の理想社会へ向わせようとしている感がします。

どうしてこのような状況が続くのでしょうか。様々な要因が考えられますが、政界に関していえば、本物のリーダーが出て来ていないということが一番のように思えます。否、国を挙げて、出させないようにしているのかもしれません。今政界の中でリーダーと呼ばれる人たちが何人居るのか判りませんが、その多くは小さなグループは統率できても、より大きなグループを牽引するには力不足で、もうそこで動きは頭打ちになってしまっているように感じます。そのことは、与党も野党も皆同じなのではないでしょうか。民主党政権では、鳩山、菅などという人がリーダーとして表に立ち、政権運営を担当したわけですが、両氏共に自グループを超えた影響力が発揮できているとは思えず、内紛の嵐が一向に収まりません。今の状況では、恐らく次にどのような人がリーダーのポジションに収まろうとも改善の見通しは殆んどないと思われます。

 今回の前原氏の外相辞任問題の中に現在の政治体質の本質がちらちらしている感じがします。どのような政治家でも、政治家としての活動の前に、常時その前提条件を満たすことが求められますが、現今辞任問題等を起こしている人物は、皆この前提条件を欠いているために、その欠陥事実を暴露されて足を掬われ転倒しています。

ではその前提条件とは何かといえば、これはもう常識レベルで考えられることであり、改めて云々するようなものではないと思います。それは、今までいろいろ取り沙汰されてきた問題を思い浮かべれば、誰でも「そんなことをしちゃあ、まずいよな。おかしいよ」といえる程度のそんなことなのです。それが政治家に見えないのは、結局根本的には気にもしていない、つまり意識や認識が不足しているに尽きるように思います。

過去に何度も繰り返されている政治家の愚にもつかない侮蔑発言や失言の類、あるいは汚職への係わりなどは、初めからその人物が政治家たる資格がないと判断されても仕方のないことですが、今回の前原氏の辞任問題などは心情的には微妙なレベルにあるようにも思います。しかし、禁断のルールに反したという点では、外相としての資格に照らせば、許されざる事実と言わざるをえません。政治家たるものは一人ひとりが決して侵してはならないその活動の基盤となる条件を、自分自身でもう一度しっかり確認すると共に自らの組織の関係者に対して、より厳しく周知徹底を図る必要があると思います。その上で問題が起きた場合は、引責の判断、決断は世論を待たずに自らこれを行うべきです。その点では前原氏の行動は理にかなっていると言えるでしょう。しかし今はそのような失態で辞めていい時期ではないのです。脇が甘いという見方もありますが、それは油断というよりも政治家としての本当の取り組み姿勢が、未だできていないということを意味しているのかも知れません。

現在の混迷状況からみて、政権の運営はもはや限界に近づいているように思います。遠からず又選挙なるものが行われ、この不況下に莫大な費用を否応なしに使うことになります。世の中の混乱は、脆弱な力しか持たない政治家たちが自ら招来しているように思えてなりません。力のない者同士の戦いは、お互い相手の弱点を攻めるしかなく、現在の政界はまさにその繰り返しの連続です。自民党から民主党に変わったのも、やたらに民主党が自民党の弱点を攻め、一方で絵に描いた餅を盛んに見せびらかすものですから、一度は騙されてもいいかと国民の大半は半信半疑ながら政権を委託してみたわけですが、その結果として行われていることは自民党と大して変わらないばかりか、時折り大ウソをついてしゃあしゃあとしている分だけ性質(たち)が悪いと思ってまうは、感想ないようす。

この時期に選挙が行われれば、国民として一体誰を選べばいいのか、途方にくれる人が大勢いると思います。自民党の体質が民主党と大差ないのは既知のことですし、その他の政党も弱点を攻める技しか発揮できないのは周知のことです。口先ばかりでええ格好するのはもう大概にして欲しいと思います。長期的・大局的な展望のない政治はもういい加減やめにして欲しいと思います。

やはり抜本的な政界再編しか道は残されていないように思えてなりません。地方から政治を変えるという取り組みが動き出していますが、未だ緒に就いたばかりで、この先どう進展してゆくのか判りません。もしかしたらこれからの政界再編の動きは、これら地方からボトムアップの形で展開してゆくのかもしれません。地方が国家行政を乗っ取るというのもおかしな話ですが、要するに国政に携わる人たちが、もっともっとしっかりして、国民が信頼と誇りの持てるような、政治の再構築を本気で考えないと、この国も我々の生活も大変なことになるよという警告の表れなのだと思います。

言いたいことはたくさんあるのですが、とにかく誹謗中傷事項ばかりの論議や裏付けなしの口先だけのええ格好シイの吹聴議論は止め、本当の国益、本当に国民の安全と信頼につながる実効性のある政治が行われる日の、一日も早い到来を強く願うしかありません。

これを書いているうちに何だか嫌気がさしてきて、投げ出したくなりました。これはやはり今の日本国の政治体質と同じものなのでしょうか。我ながら嫌になってしまいます。

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毬(いが)物語 

2011-03-09 00:57:05 | ホト発句

                                                         

           

    

      生り終えて なお止まらん 冬の世も

      

      子別れも できぬ奴かと 皆笑い

 

コメント:

先日農園の中を歩いていたら、若い栗の木の枝に昨秋の実の名残をしっかりと止めているのを見つけた。どういうわけなのか、何と(いが)の中に実を残してぶら下げているのがあった。それらは冬の青空の下になお生きんとするかのように力強くも見え、且つ必死に枝にしがみつきながら空威張りをしているかのようにも見えた。そして身内の中では、相変わらず誰かの弱点を責めて笑っているかのようにも見えた。いずれの世にも、人の世界ではごく普通のことではある。

 

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憂鬱な季節の到来

2011-03-08 00:15:21 | 宵宵妄話

  3月になっていよいよ花粉の飛散が本格化し始めました。もう発症以来30年を超える患者としては、今年の春がどうなるのか極めて心配な状況です。既に2月初めの頃から目や鼻の異常を感じており、医者に行って薬をもらって飲んだりしているのですが、最盛期となれば薬の効能の限界を超えてしまうのではないかと不安です。

先日新聞を見ていたら、今の世では花粉観測機というものが現出しており我々のために的確な情報を送り続けてくれているとのことです。先月8日付の東京新聞に次のような記事がありました。

「花粉観測機「ポールンロボ」~ 人や動物の顔に見立てた直径15センチの球体。口の部分から空気を吸い、飛散量に応じて目の色を5段階に変える。データは1分ごとに自動送信され、瞬時にインターネットのサイトで瞬時に公開される。(2・8・東京新聞掲載)

この情報を知ったところで、たちどころに花粉の被害を軽減できるわけでもないように思いますが、それでもいろいろな意味で心の準備をするには役立つと思います。それにしてももはや今の時代では、このような観測測定用のロボットが活躍するほど、花粉の飛散が当たり前のこととなってしまったようです。

もともと人間と植物の間にはこのような対立関係は殆どなかったのに、今このようになってしまったというのには、どう考えても人間側に自然界に反する仕業があったのではないかと思います。現在では杉の花粉ばかりでなく、様々な種類の花粉や埃などが悪さを仕掛けて来ているようですが、それが何故なのか私には未だにわかりません。

私が子供の頃は、杉鉄砲というのがあり、春先はそれでよく遊んだのを思い出します。細い篠を切って来てその筒の中に杉の実を詰めて砲弾の代わりにして、筒の径に合わせた棒で押し出すと、ポンと勢いよくその玉が飛び出すのです。怪我をするような遊びではなく、未だ戦争ごっこなどという遊びの雰囲気が残っていた時代には、男の子には結構人気のある遊びでした。その硬い杉の実がやがてはじけて、そこから黄色っぽい花粉が飛び出すわけですが、その昔は花粉アレルギーで困るような子供や大人がいるなどということを聞いたこともありませんでした。それなのに今は花粉症になっていない人を探すのが難しいほどなのですから、どうしようもありません。

 

 

 

杉の花芽。その昔田舎の子供たちは、この粒を砲弾として使う杉鉄砲をつくって、遊んだものだった。花芽を強く筒に詰め込むと、杉のいい香りがした。

 

一体なぜこうなったのかについて、人間の側の原因を考えてみますと、これはもう自動車社会の到来とそのための道路の舗装整備が最大のものではないかと思います。都会に行けば行くほど花粉アレルギーの人が増えるのは、大地を覆うコンクリートの量が増えているからではないかと思うのです。全国を旅していても、国道や県道で未舗装の道路に出会うことは殆んどありません。多少の段差はあっても砂利や土の道とは違って、車の運転には快適です。子供の頃の時代の悪路を知っている身からは、これらは大変ありがたいのですが、舗装が完備されるに反比例して土中に吸収される大気中の埃や花粉の量は少なくなり、その分大気中にはアレルギー症状を引き起こすのにつながる様々な成分が漂うという結果になっているに違いありません。

ま、このようなことが真因であったとしても、今更車社会を無くし、道路の舗装をやめ土に戻すなどということができるわけでもなく、杉や檜たちを恨まずにせめてできることといえば、開発された薬の効能を素直に信じてこの季節を乗り越えるしかないように思います。

中には杉の木を全部伐ってしまって、害をもたらさない木に植え替えるなどという発想もあるようですが、私に言わせてもらえば、それは人間の思い上がりというものでしょう。己の思い上がりに気づかず、その真因を見極めないままに自然界を破壊するような行為を続けていると、いずれはとてつもない大自然のしっぺ返しを受けるように思えてなりません。

守谷市の守谷という命名の由来は、ヤマトタケルが東征の際にこの地を通った時に、木々の豊かに茂る森を見て、「おお、これぞ森哉!」と感嘆の言葉を発したということにあるそうで、今でもたくさんの樹木があり、その中には杉の木や檜も混ざっています。それらが間もなく花粉を発することになるのですが、私としてはもう観念して、ポールンロボ君がリアルタイムに打ち出してくれる情報を見ながら、できる限り外出を抑えて、花粉が収まるのを待つことにしたいと思っています。

 

 

 

今年はこの辺りの空気をまっ黄色になるまで染め上げてやるぞ!と言わんばかりに出番を待っている杉の花芽の大群たち。杉鉄砲のイメージとは180度違って、反人間的な感じがする。

 

 

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