山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

偉い人たちへの憤懣

2011-03-16 10:57:12 | その他

  大震災の発生から5日目を迎えましたが、津波被災の惨状に加えて今、次なる惨事を迎えようとしている感がします。それは福島原発の事故です。事故の内容が専門家ではない我々にはさっぱり分からず、この先一体どうなるのか不安は増幅するばかりです。事故の現場からは30km圏要注意の話の方に注意が向かっていますが、31kmに住む者には不安はないのか、40kmはどうなのか、そして最悪の場合は100kmあるいは200km圏ではどうなるのか、全くそのことについての広報も報道もなく、未だ安全だから大丈夫、この数値なら危険がないなどという、気休めにもならない数値などの強調文句ばかりが並べられて、真実が何なのかがさっぱり判りません。

東京電力は「東電力」となり、原子力安全保安院は「原子力危険不安院」と化しているかのようです。これらの責任者層に属する、いわゆるエライ人たちは一体どういうつもりでこの事態に臨んでいるのか、疑問を通り越して怒りの憤懣を覚えます。何のための安全なのか、誰のための安全管理なのか、この人たちは今まで現実論としての災害を本気で考えたことなど一度も無く、紙の上の理論と、法規上の定めに汲々とした発想しか持たなかったのではないかと思うほどです。この非常事態に対して、生きて不安を抱えている人たちや現場で必死になって対処している人たちの思いをどれほど汲んでいるのか、さっぱり見えてきません。TVの記者会見での説明をする人の対応を見てもそのことが良くわかります。今更文句を言っても始まりませんが、その対応のあまりのお粗末さに憤懣の持って行きどころがない気持ちです。

このような人たちの情報に基づいて国民にアピールせざるを得ない政府当局に対しては同情の向きもありますが、しかし、よく考えれば、国民の側から見れば同じ穴の(むじな)であること変わりはなく、同情は取り消さざるを得ないようです。

我々国民にとって知りたいのは真実であり、隠蔽された報告ではないのです。隠蔽の臭いを感ずるのは、会見等での報告情報が、すべて過去形に対する見解であり、未来に対する見通しや所見と言ったものが皆無であるということです。必要な条件が整わなければ断定はできないというのが科学なのだということは理解できるとしても、危険に関する現実は条件の整備を待っている余裕はないはずであり、たとえ不正確であっても最悪状態の見通しについては明言があってしかるべきと思います。

それを言いたくても国内・国外に対する影響の大きさを考えると、とても口にすることはできないのかもしれません。そしてことが終焉した時の反省点として論議の俎板に載るというのが歴史の示すところであり、今回も又その前例に倣うということになるのでしょう。結局このような事情事態時においては、我々一般の国民はなるようにしかならないという諦念に落ち着かされるしかないのだということのようです。

被災後の対応はどこでどのように進められているのかさっぱり分からず、この辺の気のきいた人たちは、やたらに先取りをして被災地の人たちを遠くから首を絞めるかのような購買行動を取り始めています。このような事態に対して国のエライ人たちは、自制を呼びかけたりなどの甘い行動に止まっていないで、強制的に被災地の人たちのためにガソリンや食料や医療用薬品、等々の支援物資が届く手立てを考え、直ちに実行すべきです。

政治家のエライ人たちもにさっぱり動きが見えません。普段は口先ばかりの議論に明け暮れていて、いざという時に何もできない政治ならば、政治家など世の中には無用のような気もします。とにかく、エライ人たちは計算ばかりしていないで、本気になってこの難事に動いて欲しいものです。

コメント
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