山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

誤解していた すいとん

2011-03-01 03:44:59 | 宵宵妄話

  すいとんという食べ物をご存知ですか?還暦を過ぎた世代の方で戦後の貧しい暮らしを体験した人なら、知らないはずはないと思います。知らない人は、貧しさを知らなかった人か、もしくは貧しさから解放された世代の人ではないかと思うのは私だけではないと思います。

どうしていきなりこんな話なのかというと、先日真壁(桜川市)のひな祭りを見に行った時に、町中のあちこちに「すいとん」と書かれた看板が目立つものですから、今頃のすいとんとはどういうものなのか、久しぶりにそのすいとんという奴を食べてみようかと思ったからなのです。真壁では、「うまかべすいとん」というキャッチフレーズで、すいとんを売り出しているようです。「美味(うま)かべ」と「う真壁(まかべ)」を語呂合わせしたことは明らかです。どうしてこの町がすいとんなのかといえば、真壁は筑波石の産地であり、その石材を使って作られた石臼で挽いた粉で上等のすいとんが出来るようになったという由来によるということでした。

ところで私にとってのすいとんというのは、子供の頃に食べさせてもらった食事の中では、かなりランクの低いものでした。そのような記憶というか印象というものは、大人になってもなかなか消え去るものではなく、古希を終えた今でもまだしっかりとあの美味くなかった印象が残っています。ですから、ずっとすいとんなるものを食べたいとは思いませんでした。食べればあの子供の頃の貧しくも悲しい様々な思い出が甦るような気がするからです。戦争の愚かさ、悲惨さは死の恐怖に直結していますが、なかんずく子供にとっては餓えに直結しているように思います。そのことは、今の飽食の時代に生きる者には決して解らないことでしょう。すいとんは、あの忌まわしい時代を封じ込めるためにも、食べてはならない食べ物といった感覚がいつの間にか心の暗い部分に定着してしまっていたのでした。

しかし、残りの時間が少なくなってくると、時々封じ込めていたものを解きほぐしても良いじゃないかという妥協心というか、回顧心のようなものが働き、もう一度それをという気が起きてくるようです。それで、そのうまかべすいとんなるものを食べてみることにしたのでした。で、入ったのは蕎麦屋さんでした。早速すいとんを注文すると、しばらくして、「熱いから気をつけてください」ということばと一緒に土鍋に入ったすいとんが運ばれてきました。何しろ60年ぶりに食べるのですから、興味津々でした。まず汁を(すく)て飲んでみました。肉なしのけんちん汁と同じ味のようでした。野菜たくさん入りというキャッチフレーズの割には野菜は少なく、その中に平べったいやや透明感のある生のせんべいのようなものが入っていて、それがすいとんなのでした。平べったいうどんを食しているという食感でした。それはやはり昔食べたすいとんとは異質のものでした。代用食といった感じは全くありませんでした。

その昔私が食べたすいとんは、こんな上品なものではなく、祖母や母が、(こ)ねたうどん粉を手でぎゅっと握って団子状になったものをそのまま醤油味の汁の中に入れて、野菜と一緒に煮たものでした。出汁(だし)も不十分だったし、醤油今のような品質のものではなかったと思います。野菜だって畑で採れるあり合わせのものであり、時には野菜といえぬ山菜のトドキ(=ツリガネニンジンの若芽の葉)などが入ったりしていて、それはもう美味いなどという世界からは遥かに遠いものでした。子供の好き嫌いなんぞを大事にするなどという、そんなことをつべこべいうような生易しい余地など全くなかった時代でした。とにかく食べなければ生きては行けない時代だったのです。そのようなことを思い浮かべながら、あの頃のすいとんとは全く別の料理だなと、60年ぶりにうまかべすいとんという名の料理を味わったのでした。

ところで、すいとんというのは、漢字ではどう書くのかとふと思ったのです。私には、すいとんというのは戦後の食糧難の時代に半ばご飯の代わりにつくり出された代用食(当時は確かこのように呼ばれていたように思います)という理解でしたから、当てはまる漢字など無いのではないかと思っていたのです。しかし辞書を引いてみてびっくりしました。すいとんとは「水団」と書き、ずいぶんと長い歴史を持つ日本の料理なのだと教えられたのです。

まず水団という字から直ぐに理解できたのは、水というのは汁とも係わり、団というのは勿論ダンゴということなのだろうということです。水で捏ねたダンゴを汁の中に入れて食べるといった料理のイメージが浮かび上がります。そして調べてみると、この料理にはずいぶんと長い歴史があり、その始まりは鎌倉時代あたりからともいわれ(真壁の案内では平安時代からとのことです)、江戸時代では普通の料理としても幅を利かせていたらしいのです。そのような歴史があるのですから、これは全国に普及するに従って、その地方の様々な特色や工夫を取り入れて、いつしか固有の郷土食となって、今日につながっているということです。たとえば、東北地方の「ひっつみ」などもその一つだということです。なるほどなあと、まさに腑に落ちたのでした。

つまり、すいとんというのは、戦後の貧しい時代の代用食などではなかったわけです。長い間随分とひどい誤解をしていたものだと気づきました。うどんや蕎麦などと比べても遜色のない食の歴史を持ちながら、このような誤解を持たれるに至ったのも、すいとんが手軽に作って食べることができる、戦後の食糧難時の(い)わば救民食の一つだったからなのでしょう。それは決してすいとん本来の姿ではなく、極めて不本意な扱いだったわけです。そして国が豊かになると共に、いつしか忘れられ、代用食という汚名を着せられたまま葬りかけられていたのでした。

このようなことを知って、何だかすいとんに対して申し訳ない気持ちになりました。すいとんを作ってくれた母も祖母も今はこの世にはなく、恐らくあの時代ではもっと美味しく作るための食材も調味料も無かったのでしょう。何でもいいから腹の足しにしなければ生きてゆけない時代だったのです。どのような思いで作ってくれたのかを今頃になって気づくとは真に恥ずかしい話です。食の名称と中身は、人が生きる時代によって少しずつ変化し、時に大きく変わることがあることを、うまかべすいとんを食べながらしみじみと思ったのでした。

コメント
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