大震災の発生から今日で10日目を迎えました。この間為(な)す術(すべ)もなくTVの前に座し、被災地に係わる報道を見続け、又机の上のモニターのネットの情報を見ながら、この大事件の進行のあり様を見続けてきました。いつものトーンでのブログ記事を書く気にもなれず、ただただ被災関係者の無事と安全と健康を祈るのみでした。
そして今外には放射能を含んだ雨が降り注いでいます。本当は春の恵みの雨のはずなのですが、深まりゆく原発事故への疑念は、安全を呼び掛ける慰めたっぷりの報道に反比例して膨らみ、複雑な思いで恨みの雨を眺めています。
黒い雨を思い出しています。といってもそれを直接見たことはなく、広島や長崎に住んでいたこともありませんが、私の中の原爆投下の悲惨状況のイメージの中には、鎮まった死の世界に音も無く降る黒く重い雨が、大地を黒くべっとりと染めている様子が不気味に広がります。
津波は天災でした。しかし、原発事故は紛れもない人災です。引き金が地震だったのは間違いのないことですが、原発をつくったのは人間なのですから。これは言い逃れができません。このあと、人災が天災にすり替えられることがないようしっかり注視してゆく必要があることでしょう。未だ事態は進行中であり、今は現場で当(まさ)に命を懸けて対処作業に取り組まれている方たちのご安全と成功を祈るのみです。
目に見えない凶悪な魔物(まもの)の悪辣な行為を、座して待つだけの人間の無力さを改めて虚しいと思いながら、私としてはジタバタすることは一切やめて、最悪の時の来訪に備えての覚悟を決めることにしました。無理をして雨の中を裸で歩くようなことはしませんが、最悪の時が来てもこの地に止まることにし、その時が来るまでは、できうる限りの対策は講じなければならないと思っています。それは、今、被災地で懸命に生きようとされている大勢の皆さまの思いに比べれば、取るに足らぬ贅沢な小問題なのですから。
それにしても、津波で被災された方々の地に、これ以上人災の余波が二重に降りかからないことを心から願っています。何よりも、当面困難に遭遇されている福島県浜通りの皆さまには、一刻も早くこの事件の解決がもたらされることを願い、心の平安がやって来ることを祈っています。