山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

少年のように

2009-09-30 05:15:59 | くるま旅くらしの話

 少年のように 北風に向って

僕は立つ

残された時間を無限に生きてゆこうと

少年のように 光に向って

僕は進む

両手をかざし 未知の出会いを求めて

失ったもの 獲得したものも

迷い、振り返ることはしない

少年のように 真っ直ぐに

僕は行く

永遠につながる 僕の新しい道を求めて

(63歳の旅立ちのときに)

 

未だに完成をみない、私のリタイア後の人生を生きる気持ちを述べてみた詩なのですが、冒頭にこれを掲げたのは、そのメインテーマである「少年のように」という生き方を実践されている方々に出会ったことを書きたかったからです。

私は、抵抗する手立ても無いままに、いわゆる高齢化世代の門を潜ってしまったのですが、その入口付近でドタバタしている時に、「くるま旅くらし」という生き方に巡り会ったのでした。しかし、くるま旅くらしというのは、所詮は手段であって、生き方そのものとしてはそれほど意味のあるものではないと言えそうです。大切なのは、くるま旅をしながら、どのような生き方をするかということでありましょう。

定年を迎える世代においては、退職後の人生をどのように、何をして過ごすかということはかなり難しい課題のように思います。あの世への迎えがやってくるまで、活き活きと生きてゆきたいと願うのは、皆同じことだと思うのですが、その具体的な方法というのは、そう簡単に見つかるものでもなさそうです。あれこれちょっかいを出してトライしてみても、三日坊主で終わることが多く、気がついてみれば怪しげな病に取り付かれ出していたなどということは世間に幾らでも転がっている話です。

今回の旅では、そのような小難しい理屈なんぞを吹き飛ばして、少年の様に毎日を嬉々として遊び、戯れ、動き回る二人の方の旅くらしを垣間見ることが出来ました。このお二人、Mさんご夫妻とFさんとご一緒したのは、釧路湿原の北部にある鶴居村のキャンプ場でした。そのときに感じたことを記して、今回の北海道でのくるま旅くらしの締めくくりにしたいと思います。

Mさんご夫妻は神戸在住の方で、今回の旅は98日間を予定されておられ、6月12日に自宅を出発されて、舞鶴港まで途中を楽しみながら14日にフェリーに乗り、同日夕刻に小樽に上陸した後は、北海道には8月25日まで滞在して移動しながらほぼ一周し、その後は函館もしくは大間からフェリーに乗って本州を南下して9月17日に帰宅予定とのことで、この間の詳細な日程スケジュールを作っておられるのでした。事前にそれをお送り頂き、拝見してびっくり仰天しました。私は殆ど日程などその日のその時にならないと決まらないというような旅の仕方なものですから、98日間もの毎日の行程を予め決めるなどということは到底思いつかないことなのです。いヤア、そのエネルギーに圧倒される思いでした。

Mさんは昨年喜寿の祝いをされたとお聞きしていますから、私よりもかなりの年配です。勿論くるま旅くらしの大先輩であり、北海道のみならず全国を巡ってお出でです。全く年齢を感じさせない、とても喜寿を過ぎた方などとは思えず、身体も心(=精神)も実にお若いのです。それは見た目の若さだけではなく、旅の中での暮らしぶりの随所に現れているのでした。

もう一人のFさんは、青森県五所川原市在住の方で、この方はもうMさんの大ファンなのです。詳しいいきさつは存じ上げませんが、とにかくMさんと一緒に旅をしていることそのものに無上の嬉しさを感じているというふうに見えるのです。Fさんは、Mさんが来道されて直ぐに一緒に何日間かの長旅をされて一旦自宅に戻られた後の再来で、私たちが鶴居のキャンプ場でMさんとお会いした翌日、本当はその日の夕方頃の到着だろうというMさんの予想を遙かに超えて、もう朝方には昨夜の苫小牧上陸の足で鶴居に到着されたのでした。1分1秒でも早くMさんと一緒に過ごしたいという思いの溢れた行動だと思います。

このお二人の少年コンビの活動は、私なんぞには想像も出来ないエネルギッシュなものなのです。Fさんは車の後ろにロープを裂いたようなふさふさしたものを括りつけており、何だろうと思ったら、車の中から身の丈近い大きさの、武者絵の描かれた和凧を引っ張り出されました。そのふさふさのロープのようなものは、その凧を揚げるときの尻尾なのだそうです。そしてその大凧は、武者絵も含めて全てFさんの手づくりなのでした。青森県といえばねぶた(ねぷたと呼びエリアもある)が有名ですが、五所川原のたちねぷたもその一つです。その本場で鍛えた武者絵の腕は本物だと思いました。Fさんは大凧を作り、それを大空に揚げて皆と一緒に楽しむというのが一つの趣味となっておられるようでしたが、その日は風がないため凧揚げが出来なかったは残念でした。

Mさんは、輪ゴムに引っ掛けて飛ばす紙飛行機を持参され、空に向って放っておられました。たちまち何人かの子どもたちが集まり、その滞空時間の長い行き先に目を輝かせていました。今回は1機しか持参しなかったようですが、いつもはたくさん作って持参し、子どもたちと一緒に遊ぶのだということです。お二人ともこのような周囲を巻き込んだ遊びがたまらなく嬉しいらしくて、それらを扱っている時の瞳はまさに少年のようであり、話の声もトーンも嬉々としているのです。

私はくるま旅には、一応野営の焚き火の用具などを持参するのですが、それを取り出し終わって片付けるのが面倒くさいものですから、今回は使ったのはたった1回だけでした。しかし、このお二人は野営派らしく、前夜のMさんとの一夜も炭を熾しての夕餉でしたが、Fさんも加わっての夜のパーティは焚き火を囲みながらのものとなりました。驚いたのは、私が昼寝をしている間に、お二人は近隣の山に出かけてゆき、倒木などを集められて来たのでした。それだけなら大して驚くほどのことでもないのですが、なんとFさんはチェンソー持参なのです。そして鉞(まさかり)も。これには驚きます。普通はアウトドア派でもせいぜい鋸や鉈(なた)か斧くらいだと思いますが、マサカリとは!いやあ、豪快です。お二人共実に嬉しそうなのです。これはもう少年そのものだなと思いました。目一杯工夫しながらくるま旅くらしの中の一日一日、その日その時を楽しんでおられるのでした。

この他にも、この少年たちの遊びの楽しさを挙げれば幾つもあるのですが、紹介するのはこれだけに止めることにします。この二人を支えているのが奥様で、こちらの方はマイペースで料理に取り組まれているのです。遊びを最初に盛り立てるのも、最後に盛り上げるのも、食べ物であり、肴です。もし奥様の料理が無かったら、二人の遊びはそれだけで終ってしまうことでしょう。遊びを膨らまし、次の遊びへの新鮮な活力を生み出しているのが、もしかしたら奥様の料理なのかも知れません。その夜、ご一緒しながら遊びの様々なエピソードなどを聞いて、これこそが活き活きと生きる姿そのものなのだなと思ったのでした。

遊びながらもMさんは毎日仲間との無線交信を絶やさず、旅の諸データの記録を絶やすことがありません。私も旅が終ると日記として記録をまとめていますが、Mさんの記録は、実に科学的、客観的です。主な出来事だけではなく、その日の数値に換えて捉えられるデータの殆どを把握されており、頻度、コストなどかなりの項目が取り上げています。そのデータは、旅の質を客観的に捉える上で、貴重な資料となると思いました。一昨日その記録が届きましたが、それを拝見しながら、Mさんは科学者でもおありなのだなと思いました。データの記録作成も、楽しみながら取り組まれているに違いありません。

 私といえば、少年の様に、などといいながら少しもそれらしいことをしておらず、このお二人の活動の様子を垣間見て、そこに我が理想の体現者を発見して驚き、憧れ、新たな決意を固めたのでした。これからの人生は、このような活き活きとした喜びに満たされたものとしなければならない、と。

 

今月も今日で終わりです。今回の北海道行に係わる話もほぼ出尽くしたようですので、今日で終わりにすることにします。明日からは当分の間、気まぐれな宵宵妄話です。

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