山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

新しい政治への期待

2009-10-01 03:07:30 | 宵宵妄話

 今日から元の偉そうな口調の書き方に戻ります。

約3ヶ月間、旅のこと以外は殆ど触れなかった。しかし世の中はこの間に大きく変換したのである。その変換の中身や成果はまだ見えていないが、その端緒に就いたのは間違いないと思っている。つまり、政治の体制が大きく変わったということだ。去る8月末の総選挙で、民主党が圧倒的な勝利を収め、自民党や公明党が予想を遙かに超える大敗を喫したのである。

私は選挙日の前日に旅から戻り、辛うじて国民の義務を果たしたのだが、世の中の大半の人びとと同じように、総理大臣が2代も引き続いて政治のリーダーとしての責任を投げ出し、引き継いだ後任の人もたどたどしさの見え隠れするリーダーとしての力不足を垣間見るにつけ、どんなことがあってもこの政党に継続して政権を委ねることは出来ないと考え、しかるべく投票したのだったが、結果としての私の思いは、世の趨勢と変わってはいなかったのだと思う。

政治を担当する当事者からすれば、批判に対して言いたいことは山ほどあるのだと思うが、客観的に見てここ数年の政治というものは、不信感を抱かせる出来事が多かったように思う。小泉政治の手法や内容についても疑問が残ることは少なくない。ま、それらの個々の批判については、政治評論をするには情報があまりに不足しており、述べることは差し控えたい。敗れた政党に対して期待するのは、これから先、勝利者側を遙かに超える政治理念の確立と、それに基づく納得ゆく施策の提示である。

さて、新たに政権を担うことになった3党については、大いなる期待を持ってこれから先をウオッチすることにしたい。その出だしを見ていると、先ずは順調の様でご同慶の至りである。新総理は世界に向って温室効果ガスの削減目標を1990年比で25%と公表した。国内経済や各個人の取り組み状況からは、かなり厳しい目標であり、その実現には多くの障害が横たわっていると思うが、自国の利益のためだけを考えていい加減な目標を立てたり、目標樹立すらしようとしない地球汚染国に対しては、たとえそれが大風呂敷を広げたに止まったとしても大いに意義のあることだと思う。その内容についても前提条件としての各国の参加を促しており、最近の日本国外交としては、上出来といって良いと思う。もし政権が変わらなかったら、先々の小利のことばかりを考えて、大国の蔭に寄り添うような姿勢に止まったに違いない。地球の温暖化や環境汚染はまさにグローバルな問題であり、我が国が明確に自国の考えを表明したことは、どの国の誰であっても安易に批判は出来ないのではないか。

問題はこれからの具体策であろう。それがどのようなものであっても現状の事態改善に役立つものであれば、微力ながら協力しなければならないと思っている。そして思うのだが、具体策の中で最大のテーマは、国民が一人ひとりの立場において、明確な温室効果ガスに削減の絶対的な必要性とそのための行動意識を持つことではないか。これをどうやって醸成するかがこの問題を解決する上で最も重要だと思う。今までも各種のPR施策等は講じられてきたが、25%となると、甘ったれた上っ面の生活意識では、この目標達成は到底不可能である。

不景気がどうのこうのといいながらも世の中の現実は、休日に全国の高速道路に何十キロもの渋滞の列を何箇所も作って、性懲りも無く小さな個人の欲望を満たそうとしている。まさにそれが人間として生きる原点のようなものなのだろうが、その楽しみの活動エネルギーの負の部分として、温室ガスを増やしているのであるから、皮肉である。人びとがこれくらいは当然だと思ってなしている行為のレベルは、例えば私が育った戦後間もない昭和20年代の頃と比べたら、想像もつかないほどリッチである。そのリッチさをその昔のことばで言うなら、「贅沢」ということであろう。しかし、そのリッチさは本当に豊かなものなのだろうか?人びとはあっという間に豊かさに馴れ、満ち足りた幸せよりも、更に一段上の欲望を目指して不満を募らせている。幸せとは何か?エネルギーをやたらに使わなくても、それが身近にあることを、見出すことができることを我々は知らなければ、気づかなければならない。それがこの指標の達成に近づく根本の考え方であると私は思っている。この考えなしで、安易に物理面での改善や改革を求めてもその限界はなかなか広がらないのではないか。

何でもそうだけど、人びとの願う幸せという奴には矛盾がたくさん含まれている。その今の時代における最大の現象が地球温暖化であり環境問題であろう。新しい日本の政治が、この問題解決のための一番ベースとなる部分で確実な一歩を踏み出すことを、そして決して腰砕けにならないことを願っている。

温室効果ガス削減問題を取り上げ、強調してしまったが、この他にも問題は山積している。たちまち壁にぶつかったかに見えるダム建設中止の問題や反論もかなりある高速道通行無料化の問題、中小企業のモラトリアム施策の問題等々、一見良さそうに見えるテーマでも、全て無難というものは元々存在しない。ものごとの多くは必ず正負のかかわりを持つ要因が存在しているのである。したがって、施策の選択・決定において重要なのは、如何に的確な優先順位を決めるかということであろう。施策の全てが莫大なコストを必要としているからでもある。これを誤ると、世の中がおかしくなるのは必定である。現政権においては、補正予算の見直しを開始したということであるが、それは単にムダの排除などという作業だけではなく、次のステップとして施策の優先順位の決定に大きく係わる見直しでなければならないと思う。

挙げればきりが無いけど、やり出したからには、国としての前進の成果が見られることを期待したい。そして付加することが出来るならば、リタイア世代のためのくるま旅の環境整備の一環として、モーターホームポート(旅車のための簡易宿泊駐車場)の敷設を、厳しい条件付で実現して欲しいと願っている。かなりというか、あまりに虫の良い、前段とは矛盾した話に聞こえるかもしれないけど、高齢者が一方的に使いまくっている医療費負担等の国家予算を減少させるためにも、或いはこれから成熟して行くべき車社会の環境整備のためにも、このささやかな請願が届けばいいなと思っている。勿論、優先順位については申し上げる資格は無い。

竜頭蛇尾の中途半端な感慨となってしまったけど、これから先2~3年の世の中の動きに、政治がどれほどの力を発揮するのかを見守ってゆきたいと思っている。

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