山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート <第18回:最終回>

2016-06-04 05:31:55 | くるま旅くらしの話

【昨日(6/1)のレポート】    天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:日光 →(R119・R293)→ 道の駅:うつのみやろまんちっくむら →(R230・R119・R4)→ 道の駅:下野 →(R4・R50)→ 結城市内コインランドリー →(R50・R294)→ 自宅

<レポート>

 道の駅:日光を出発するときは、これから途中でコインランドリーを見つけて、今迄に溜まった衣類の洗濯を済ませ、その後で道の駅:うつのみやろまんちっくむらに行き、そこで終日ゆっくり過ごし、旅の最終となる温泉に入って一夜を過ごし、帰宅への道を辿ることにしていたのだが、途中から気が変わっり、今日中に帰宅することになってしまった。突然の旅の終わりだったが、今回は初めから旅のスケジュールにはこだわらないことにしているので、帰宅が一日早くなっただけのことであり、どうってことはない。

 今朝は3時には起き出し、2時間ほどブログ記事作成に取り組んだのだが、5時になるともう書くのは止め、近くにある日光街道杉並木路の散策に出かけることにした。どうしてもこんなチャンスは逃してはならないと思ったのである。世界遺産の日光といえば東照宮などのきらびやかな建造物を思い描くのが普通だと思うけど、自分的にはこの杉並木も又世界一のプロムナードであり、そこをゆっくり歩けることは、東照宮以上に歴史を感じられる場所だと思っている。道の駅が出来たおかげで、今日はそれをたっぷり味わうことだ出来るのだ。

 しっかり靴ひもを結んで一歩を踏み出す。しばらく商店街を歩いて杉並木の入口まで来ると、左手に瀧尾神社というのがあった。境内には派手な色の風車が幾つも並んでおり、よく見ると何やら願い事などが書かれていた。どのような由来があるのかは判らないけど、変わった神社だなと思った。参拝の後はいよいよ杉並木の中に入る。早朝5時の時間帯は、歩いているのは自分一人である。大木に囲まれた道の空気は、外部の世界からは隔絶されたマイナスイオンの湧き溢れる世界をつくっており、それは霊気とも思われるほどの厳かなものに思われた。浮かれるのではなく、この樹達が植えられて以降の400年に近い歴史のあれこれを思わされる敬虔な気持に捉われるものだった。杉の大木の道脇には水路が走っており、森閑とした空気を震わせて流れるせせらぎの音が、又それと相和すように美しい声の持ち主の鳥の鳴き声が、耳に届いて、何とも言えない至福の世界が続き広がっていた。

   

歩き始めた辺りの杉並木の様子。杉の根元付近には側溝のようなものがあり、その中を清流が音を立てて奔っていた。早朝の日の光は柔らかくて、まさに日光そのものだった。

   

30分ほど歩くと側溝は見えなくなり、杉林の裏の方への川の流れとなったようである。道はどこまでも続いており、ここに杉を植えることを発想した人物の大きさを思った。

 杉の木の保全のためなのか、オーナー制度というものがあるらしく、大木の一本一本にその所有者の名札が掲げられていた。自治体名や会社名、個人のものもあり、これらの樹を愛する人たちが多いのだなと思った。自分的には、樹を愛するよりも樹に愛されたいと願っており、所有者などという大それた振る舞いはできないと思っている。これからは時々ここへ来て、この空気を吸い込ませて欲しいと願うだけである。

 それから往復2時間ほどかけて杉並木の道を歩かせて頂いた。良くみると根本が合体している二本杉や中には三本も根本が一緒の樹もあって、樹木たちも必ずしも個にこだわるものでもないのだなと思ったりした。また、中には戊辰戦争で砲弾を撃ち込まれた樹もあって、彼などは今、往時をどのように回顧しているのかなと思った。並木の中には神社やお墓などもあって、これらはどんな歴史を辿って今日に至っているのかなとも思った。杉並木を分断して割り込んで建てられてる民家もあり、この人たちの先祖は、どういういきさつからこのような格別な地に住めるようになったのかなとも思った。杉並木には様々な歴史の思いが詰まっているのであろう。

   

砲弾撃ち込まれ杉の痕跡。近くに戊辰戦争の際の前哨戦がこの辺りで行われ、その際に被弾したとのことが書かれた案内板があったので、それと知ることができた。

 並木道の散策の中で見つけた花の中に、純白のシモツケがあり、これには感動した。光の少ない緑の世界の中にふわっと浮かび上がる白い輝きは、森の妖精の魂がそこに光っている感じがして、これが本物のシモツケではないかと思った。シモツケといえばピンクや赤を主体とした細い糸の密集したあでやかな美しさの花を思い浮かべるのだが、この杉並木のそれは純白なのである。写真に収めようとしたが、持参のカメラではその本当の姿を捉えるのはとても無理なので、一人この感動を胸に収めておこうと思った。7時過ぎ車に戻る。

   

純白のシモツケの花。このカメラではどうしてもクリアな画像を写し取ることができず残念である。シモツケの花は拡大鏡で見ることがとても大切である。それは吸い込まれるような花の世界に入ることになるからである。

 朝食を済ませ、一休みして出発したのは8時半ごろだった。途中コインランドリーを探しながら道の駅:うつのみやろまんちっくむらに向かう。このひらがな表示の長い名称の道の駅は、真に書きにくくありがたくない表示である。何故「宇都宮ロマンチック村」と表示しないのかと思うことしきりである。命名を弄り回して却ってその価値を下げるということは良くあることで、この命名はその代表例ではないかと思ったりした。途中一軒のコインランドリーも見つけられなくて、その長ったらしい名の道の駅に着いたのだが、広大な敷地にあるいろいろなテーマ別のエリアのことは、何だかさっぱり分からなくて、興味関心は分散し、空中分解してしまいそうな感じがした。駐車場も第4駐車場などという案内があるから、何処にどう車を停めていいのか判らないほどなのである。

取り敢えず物産館のエリアに入って見たが、ちょうどさつきの開花時期を迎えており、構内には様々な色合いのさつきたちがその妍を競うかの如く数多く並べられていた。建物の中に入ると開店したばかりの店内には、所狭しと地産の新鮮野菜類や加工品の数々が溢れるように並んでいた。自分たちの今日も目当ては、ここで昼食に宇都宮の名物の餃子を食べるということだったのだが、それらしき店は見当たらず、何だかここは宇都宮ではないのではないかと思われてきた。とても一日ゆっくり過ごせる雰囲気ではない。そう思った。

ということで、午後にここに戻ることにして、取り敢えずどこか近くの未だ行ったことのない場所へ行って見ることにした。取り敢えずここから一番近い道の駅にでも行って見ることにして、道の駅:どまんなかたぬまが候補に挙がったのだが、調べるとここから50kmも離れていてちょっと遠すぎる。で、次はと取り上げたのが道の駅:下野だった。確かこの近郊には国分寺跡などもあったはずだなどと勝手な思い込みを働かせたりして、とにかくそこへ行って見ることにした。幾らなんでもそこに行くまでにはコインランドリーの一つくらいは見つかるだろうとも思った。

それからあとは、今朝来た道を戻ってR119を宇都宮方面へ向かう。この道は途中から片側2車線のバイパスとなっていて、まるで高速道並みだ。これではコインランドリーなど見つけても停まることも出来ない。しかし、道の駅:下野に行くまでには何とかなるだろうと走っていたのだが、この道はそのままR4のバイパスに入ってしまい。それから道の駅に着くまでの間は、半高速道のような状態だったのである。下野が近づくにつれて筑波山が見え出し、それが次第に近くなり出した。こうなると、何もわざわざ引き返して道の駅:うつのみやろまんちっくむらに泊ることもなかろうという気持ちが俄然膨らむことになる。それで決めた。今日の内に帰宅することにしよう。そう決心してしまうと、相棒のぎっくり腰のためにもそれが一番なのに、なぜ明日の帰宅にこだわっていたのかが不思議な気がした。

道の駅:下野に行って見ると、何と今日は休館日だという。それに天気が良すぎてやたらに暑い。もう国分寺跡などはどうでもよい。どうせ相棒は歩けないのである。小山からR50に入って筑西に至る途中には今度こそコインランドリーは見つかるに違いない。ということで、道の駅を出発してR4から別れてR50に入り、結城市内でコインランドリーを見つけて洗濯に取り掛かったのは10時半過ぎだった。洗濯ものの運搬は自分の役割、コインランドリーの機械類の扱い管理は相棒の役割。それから洗濯が終了するまでの間は車の中で旅の記録の整理などをして過ごす。洗濯が終了して出発となったのは12時50分だった。相棒はこれで家に帰ってからの洗濯作業が楽になると安堵していた。

途中腹が空いてきたので、蕎麦でも食べようと走りながら道脇を探したのだが、そのような店は見当たらない。あった!と喜べば看板が残っているだけで店は廃業だったりして、この業界の生き残りの厳しさを感じさせられたりした。目立つのはラーメンの看板ばかりなのだが、この暑さでは食欲を満たせるのはやはり蕎麦である。走っている内に下妻の道の駅構内で手打ちそばを食べさせてくれる店があるのを思い出した。少し時間がかかるかも知れないけど、あそこなら探す心配もない。ということで、その後30分ほどで下妻の道の駅に到着。平日なので日中この時間帯の道は空いていた。

思えば今回の旅の出発日の昼食も道の駅:東山道伊王野で食べたのが蕎麦だった。帰りも蕎麦が最後の昼食となった。蕎麦で始まって蕎麦で締めくくりとなった旅の食事なのだった。そのようなどうでもいいことを考えながら食べた下妻の手打ちそばは、伊王野の蕎麦に引けをとらぬほど美味かった。万歳!である。いい気分で満腹となって、あとは勝手知ったるR294を安全運転で我が家に到着するだけである。

我が家到着14時35分。短かったけど、その割にはゆっくり出来た旅が終わる。

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