山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:第8日

2010-12-06 04:58:41 | くるま旅くらしの話

 

8日 <10月30日(土)>

 

行 程】 小谷SA → (山陽道) → 三原・久井IC → (K25) → 三原市内コインランドリー → (R2) → 尾道ダイソー駐車場<尾道市内散策・古寺の道~千光寺> → (R2・K47) → みろくの里・新勝寺温泉(広島県福山市) → (K47) → 道の駅:アリストぬまくま(広島県福山市) (泊)  <79km>

 

夜は最初の頃は寝つきが良くて、何の問題もなかったのだったが、0時を過ぎた頃に隣に車がやって来て、朝方までエンジンを掛けっ放ししだった。それからは実に迷惑を被り、不愉快な半夜となった。その車は大阪ナンバーのバスコンで、この際ヤケクソで公表することにする。「大阪800 す 82-37」という車だった。自分は最左端の駐車帯に留まったのに、その車はその又左に入りこんできて、朝方までエンジンを掛けっ放しなのだ。暖房をしていたのか、断続的にエンジン音が高低して、眠るのには最悪の状況である。朝になってみてみると、車の後ろにバイクを積んでいた。大阪の田舎者のわがままな世間知らずが、他人様への迷惑などこれっぽっちも省みず、(この種の人らには元々その様な配慮など持ち合わせておらず、他人から迷惑を受けたときだけ声高に自分を主張するだけなのだ。こんな輩が世の中を狂わせ続けているのだ)自分だけの都合で世の中が動くと思っている、そんな風に見えた。直接注意などしたら、喧嘩では済まなくなるのは必定なので、紙面でこのような呪い方をするだけである。自分の知っている大阪の知人は、皆洗練された方ばかりなのに、大阪の田舎にはこんな奴も転がっているのだろう。

 

さて、今日はこのまましまなみ海道へと思っていたのだが、気が変わって、その前に福山市の南の、海側にある沼隈の道の駅に寄ることにした。邦子どのの話では、しまなみ海道の前に洗濯をしておきたいとのこと。島に入ってしまうとコインランドリーのある可能性が薄くなるので、ちょっと困るとのことである。それじゃあ、先ずは三原ICで下りて市内を探し、もし無かったら次の尾道でコインランドリーを探せば何とかなるのではないかとの判断だった。尾道は今NHKの朝ドラでも係わりのある場所だし、一度散策をして見たいと思っている場所でもある。そしてその後は沼隈に行って泊まろうということである。沼隈はこの辺に来た時には必ず寄る道の駅であり、朝の市場の海産物が楽しみだ。

 

ということで、SA出発の後は、三原・久井ICから三原市内方面へ。ICを出て、三原市内まではとんだ山道だった。それほど高い山ではなくても、たくさんの山が頭を並べて谷を造っていると、そこを通る道は曲折の多い、運転しにくい道となる。県道25はその見本のような道だった。間もなくR2バイパスを横切り、三原市内に入ると、何と直ちにコインランドリーの店を発見。全く、待ってましたとばかりの存在だった。早速車を駐車場に入れ、洗濯に取り掛かる。といってもこれは全て邦子どのの持ち場であり、自分の方は、パソコンで書き物の整理に取組むだけである。

 

それから2時間半ほどかけて洗濯が終了。お昼近くなっていたので、そのままここで昼食を摂ることにした。お昼は簡便法(?)で手づくりのきつねうどん。これは自分の担当。食事の後少々食材などの買物をして、尾道に向けて出発となる。尾道までは、三原からだと30分くらいか。直ぐに尾道の着いたのだが、車を停めておく所がない。事前に駐車場の案内図を手に入れ、参考にしたのだったが、載っている駐車場は皆一般の普通車向けばかりであり、SUN号を停められるようなのは皆無である。駅の周辺を2回りほどしたけど、やっぱりダメなのだ。やむを得ず少し遠かったけど、小さなショッピングモールがあったので、その中の一つに停めさせて貰うことにした。そこはあまり混んではおらず、迷惑をかけることもなさそうだとの判断だった。その前に一応店に入って駐車料程度の買物をする。これはまあ、仁義というものでしょう。

 

1kmほど歩いて、尾道駅を過ぎた所から踏み切りを渡って坂の町へ。古寺の道というのがあったので、そこを辿ってみることにした。最初に持光寺というお寺があった。何やらイベントのようなものが行なわれているようで、関係者の皆さんがテントの下で売店などを開いていた。少し行って光明寺、宝土寺と参詣したが、とにかく大変な坂道ばかりで、その道がたくさんのお寺とつながっているのである、この辺りはお寺とお墓が多い。これほど多いとは思わなかった。又こんな坂道なのにたくさんの住まいがあって、よくもまあ我慢できるものだと思った。NHKの朝ドラでは尾道の坂などは全く触れていないけど、市の中心地といえば、この坂の斜面一帯を指すに違いない。林芙美子の放浪記は有名だが、彼女はここの出身であり、それに因んでなのか、坂の小路に文学の小道というのがある。何人かの作家の作品の一節や句碑などがあったけど、息を切らしての歩きでは、ゆっくり観賞する気も起こらない。お寺めぐりはたちまち止めて、とにかく千光寺まで上って参詣し、車に戻ることにした。

 

   

急な坂の斜面に40以上ものお寺が点在する尾道の古寺めぐりの細道。勿論この道がここに住む人たちの生活道路でもある。

 

邦子どのは坂にもめげず写真を撮りまくっていたけど、後でとんだ疲れのお釣が来なければいいがとチョッピリ心配になった。千光寺にはロープウエイでも行けるようになっているけど、その様なものは我々には無縁である。尾道のお寺の中では、千光寺が一番人気があるようである。ごつごつした岩肌のむき出した場所に幾つかの堂宇があったが、参詣の人で混みあっていて、どれが何なのかが良くわからなかった。

 

   

千光寺付近からの尾道の街の俯瞰景観。向うに見える橋はしまなみ海道入口の尾道大橋。右手の造船工場のある丘は向島である。

 

参詣を終えた後は、下り坂ばかりである。来た道とは違う道を選んだのだが、道の規模は皆同じで、人一人がすれ違うのがやっとという道幅である。老人には、上りよりも下りの方が膝に負担がかかりやすくて、要注意である。そろそろと下って、ようやく駅の傍まで到着。遂に邦子どのは歩くのがイヤになったらしく、駅前のベンチで車を持って来るのを待つということとなった。とにかくもう一回来て歩いてみようという気にはなれないほどの大変な坂道だった。長崎の坂も大変だけど、尾道も決して引けをとらないなと思った。再び1kmほどを歩いて、車に着いて邦子どのの待つ駅の方へと引き返す。

 

   

千光寺を頂点とした尾道の市街地は、このような急な細い坂道が走り巡っており、よくもまあこのような場所で暮しが成り立っているものだと、驚嘆するほどだ。

 

邦子どのを拾った後は、一路福山市郊外の沼隈町の道の駅を目指す。途中餃子の王将があったので、今夜の夕食用にと餃子を買う。ここの餃子は普段から愛好している。本当は、餃子は自分で作るべきと思うが、面倒くさいのが先立って、殆ど作らない。従って、王将にお世話になるというわけである。道の駅に行く前に風呂に入ってゆこうと、途中にある新勝寺温泉という所に寄ることにした。着いたのが16時15分過ぎくらいだった。受付に行くと料金が17時までは千円、それを過ぎると600円になるとか。それじゃあTVでも見ながら待つとしようかと、大広間の休憩所に行って坐った迄は良かったのだが。15分も過ぎると、邦子どのが疲れすぎて気分が悪くなったので、もう温泉には入れないなどと言い出した。毎度のことなので、大して驚きもしなかったが、あれだけの坂道を重いカメラを持って動き回ったのだから、一旦座ったりなどして気を抜くといっぺんに疲れが振り戻って、風呂にも入れない気分となるのであろう。無理しても仕方ないので、入浴は諦め道の駅に向うことにした。

 

沼隈の道の駅は、アリストぬまくまという呼び名である。アリストというのは普通だと貴族という意味だと思うけど、沼隈の場合はどういうわけでそう命名したのか分からない。恐らく何かの略称なのであろう。ま、貴族でもいいやという感じである。辺りはもうすっかり暗くなっていたが、隣の広場では明日何かイベントでもあるらしく、関係者の人たちが忙しく会場作りに取組んでいるようだった。とにかく早く疲れをとるのが大事であり、それには寝るのが一番である。急ぎ夕食の用意をして、早めの就寝となる。

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