山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷)第4日(その1)

2011-11-27 07:07:36 | くるま旅くらしの話

 

 

第4日 神戸淡路鳴門道の淡路SAから道の駅:公方の郷なかがわ(徳島県)まで(その1)

 

騒音まみれの一夜が明けて、寝不足で重い頭を宥(なだ)めながらとにかく朝食を済ませました。気分とは無関係に今日は朝からいい天気です。とにかくここは車の出入りが多くて煩(うるさ)いので、地図を見て近くにある道の駅に移動することにしました。ICのややこしい出口を表示に従って下りるとようやく外に出ることができました。道の駅「あわじ」に寄るのはもちろん初めてです。ほんの少し行くと、昨日渡った明石海峡大橋の巨大な橋桁の下に道の駅がありました。数台の大型のキャンピングカーが停まっていましたが、何か仲間内のイベントで待ち合わせでもされているのかもしれないなと思いました。

 

ここでしばらくゆっくりするつもりで、車を止めて付近を散策することにしました。大橋の完成を記念して造られた公園の中に道の駅がつくられているようで、なかなか良い所です。橋桁の下から見上げる大橋は、超弩()級の迫力です。こんなに間近で違った視点から大橋を見ることが出来るなんて、ここへ来るまでは想像もしていないことでした。それにしても、よくもまあこのような巨大なものが造れるものだなと、改めて驚き入った次第です。目の前の明石海峡は、潮の流れが相当に早いように見えました。あのどの辺にタコ君たちは棲んでいるのかな、などとよからぬ食べ物の想像を膨らませたりしました。ひっきりなしにたくさんの船が航行しており、やはり日本というのは海洋国なのだというのを教えられた感じがします。この頃は普段なかなか海や船を見るチャンスが無いので、うっかりすると日本の別の姿を忘れてしまいそうです。船倉の外壁にタコの絵を描いたフェリーが航行して行くのが目につきました。大橋が出来ても利用者が減らなければいいのになあなどと、高松在住時代の宇高連絡船のことなどを思い出しました。

 

近くの岸壁は多くの魚釣の人たちで賑わっていました。中には年配のご婦人なども交っています。「何を釣ってるんですか?」と訊くと、「メバル」との返事です。ということはこの辺りは岩場が多いということなのかもしれません。しかしあまり大きい型のものは釣れないらしく、コマセの餌に飽いた小魚が、うっかり引っかかって釣れているといった感じでした。それでも釣れないよりはマシなのかもしれません。私(わたし)的にはこのような釣りはご免を蒙ります。慾が深いので、大きいのが釣れなければ我慢が出来ないのです。嬉しそうに小魚を釣りあげているオバサンを見ながら、当方は見当違いのことを考えていたのでした。

 

未だ店も案内所も開いていない道の駅にいつまで居ても仕方ないので、とにかく、淡路島を横切って四国は徳島方面に向けて出発することにしました。四国を訪ねての最初の予定は、旅の知人を訪ねることにしています。昨年の北海道の旅で知り合った二家族が徳島市内にお住まいなのです。YさんとMさんのお二人なのですが、Yさんには予め電話で14時のアポイント済みなのです。Mさんの方はあとで電話してみてご都合が合えばお会いすることにしています。それまでたっぷり時間があるので、これからは先ず初めての淡路島を適当に寄り道を重ねながら鳴門の方に向かうつもりでいます。

 

淡路島は思ったよりもはるかに大きい島で、明石海峡大橋の出来た今ではとても島などとは思えない感じがします。島というのは、やはり船で渡って実感できる土地を指すように思います。今では橋が架かり、車であっという間に着いてしまいますので、島を実感するのが難しくなってしまった感じがします。便利になって得たものと失なったものとのギャップは、単に損得の物差しでは計れないもっと大きなものがあるような気もします。淡路島は島というよりも、今は名実ともに兵庫県の一地区というイメージが強くなりました。

 

それにしても明石海峡大橋は巨大です。三つある本四架橋の中で、単体としては明石海峡大橋が最長だそうですが、これを下から見上げると、不思議な感覚にとらわれます。細密精緻に組み上げられた無数の鉄の梁が、この地から一里以上も向こうの土地へ空を塞ぐようにして伸びているのです。何故人はこのようにしてまで巨大な橋を架けようとするのでしょうか。単に経済的な、或いは政治的な理由だけではない、何かもっと本質的、本能的なものがその奥に潜んでいるような気がするのです。恐らくその本質というのは、「つなぐ」とか「結ぶ」とかいう集団本能ともいうようなものなのかもしれません。この地と彼の地をつなぐというのは、私とあなたをつなぐという人の結びつきと同じであり、その仲立てのツールが橋なのかもしれません。人は一人では生きられず、他人との関係において初めて人となれるというのは、人間の根源的なとらえ方であり、まさにその通りだと思うのですが、この関係をつくるために必要なものの一つが橋なのだと思うのです。橋が出来てグンと近くなるというのは、単に距離感の問題だけではなく、心理的な世界にも大きな影響を及ぼす出来事なのだと思います。明石海峡大橋を真下から見上げながら、あれこれとそのようなことを思いました。人間はこれから先もたくさんの橋を架けてゆくのだと思います。と同時にこれからは架けた橋のメンテナンスが大変だなと思いました。つながり続けるということは、つながることよりも遥かにエネルギーを要することだからです。それは、私とあなたの関係、例えばジサマとバサマとの関係を見れば明らかなことです。あれれ、これは話が少し飛び過ぎたかな?

 

道の駅「あわじ」を出て、海岸線に沿って続くR28を鳴門方面へ向かいました。左方にはエメラルドグリーンの透明感のある海が輝いていました。海峡の流れが速いためなのか、濁るようなことはないのでありましょう。思ったよりもきれいな海が広がっているのに驚きました。高松で見ていた瀬戸内海とは違う感じです。淡路島に来たのは初めてです。ですから通る道も見る景色も何もかも初めてとなります。一つ気づいて何だか変な感じがしたのは、前を走る軽トラのナンバーが神戸だったということですね。淡路島が兵庫県で、所轄の陸運局は神戸なのだと気づけば、不思議でも変でもないのですが、北海道や関東辺りで出会う神戸ナンバーといえば、何となく上品で都会的なイメージがあったものですから、軽トラにも神戸ナンバーがあるなどとは予想もしなかったことでした。淡路島といえば、玉ねぎや花卉栽培が盛んな所ですから、農家の軽トラが活躍するのは当たり前のことでしょう。いやあ、失礼しました。

 

少し行くとフェリーの発着所らしいのがある東浦という港があり、そこが道の駅となっていました。ちょっと立ち寄りましたが、まだ時間が早過ぎて駅舎も店も開店前でした。SUN号を止める場所が見つからないほど駐車場に車が溢れていました。対岸の大阪エリアになどに向かうフェリーを利用する人たちの車なのかもしれません。でも大橋が架かって、この先はこのフェリーも又影響を受けるのだろうなと思いました。

 

R28は洲本市までは大阪湾に面した海岸線を走り、洲本からは山間部に入って南淡町の福良港で終わります。と思いきや、四国を結ぶ大鳴門橋は実はR28であって、徳島県に入ってもR11に出るまで続いているのでした。くるま旅をしていると、しょっ中地図を見るため、道路のナンバーには結構関心を持つようになるのです。二桁のしかもわりと若い番号がこの小さな島の僅か50kmほどの国道に使われているというのは、この道がかなり早く造られた重要度の高いものであったのか、或いはこの島に対する敬意を表した証なのか、よく分かりませんが、それなりの理由があるのだろうなと思った次第です。     

 

洲本を過ぎてからの山の中の道は、ここが島であることなど全く感じさせない雰囲気となりました。洲本市の郊外は日本中の何処にでもあるような、よく見かける大型店舗が道の両側に並んでいました。今回はこの道だけを通ることにしていますので、淡路島の淡路島らしい場所を感じる場所を通っているのかどうかよく判りません。ま、四国に渡る通過点として来てしまっていますので、仕方ありませんが、又来るチャンスがあった時には、2~3泊して島の各所をじっくり訪ねてみたいなと思いながらの運転でした。

 

福良港からは急な細い坂道を登って、鳴門大橋に向かいます。大橋の袂に道の駅「うずしお」というのがあるというので、橋を渡る前に立ち寄ることにしました。鳴門大橋は確か本四架橋が決まった頃にはもう完成していたか、しかかっていたような気がします。高松に転勤で住んでいた時に一度鳴門側からこの橋を見に来たような気がしますが、渡ってはいなかったと思います。どうも四半世紀も経ってしまうと、記憶というものは実に曖昧となってしまうようです。今となっては、今朝仰ぎ見た明石海峡大橋には及びませんが、25年前のその当時は、鳴門の渦潮を跨いで海に架かる大きな橋が出来るというので、四国に住む人たちにとっては大変な話題だったのでした。

 

道の駅「うずしお」はとんでもない場所に造られていました。日本一とんでもない場所ではないかと思います。断崖の背のような場所に造られた駐車場に車を止め、駅舎の店の方に行きますと、その裏が展望台になっていて、そこから橋の下の方に潮の渦巻く海峡が見えました。鳴門の大渦は有名ですが、実際にそれを間近に見るのは初めてでした。すごい迫力です。丁度一隻の中型の貨物船が渦の傍を流れに逆らって航行しようとしていましたが、殆ど前進することが出来ずまるで止まっている感じでした。如何に潮の流れが速いのか、恐怖を覚えるほどです。あの渦に巻き込まれたらあっという間に木っ葉微塵になって海中深くに飲み込まれてしまうことでしょう。しばらく驚きながら眺めていましたら、止まっていたはずの貨物船はいつの間にか流れを振り切って彼方へと去ってゆきました。展望台の下には渦潮をより間近に見るための小道が造られていましたが、あまりの恐ろしさに降りる気も起りませんでした。

 

車に戻り、さあこれから鳴門大橋を渡って四国に上陸です。ま、上陸といっても橋を渡っての話ですから、実感としてはあっという間の出来事であり、さほどの感動もありません。車で橋を渡るというのは、単に舗装された高速道を通行するようなもので、橋というものを実感するに相応しい行いではないような気がします。やっぱり歩いて渡るのが、一番というものでしょう。しかし高所恐怖症の気のある私には勇気というものを振り絞ってもなかなか出来ない行為だと思います。

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