第4日 神戸淡路鳴門道の淡路SAから道の駅:公方の郷なかがわ(徳島県)まで(続き)
さて、四国に入ってからの予定ですが、午後にYさんのお宅をお邪魔するまでには少し時間がありますので、久しぶりに四国八十八カ所巡りの第一番札所の霊山寺にお参りし、その後でどこか温泉にでも入ろうかと考えています。車に戻り大橋を渡りました。霊山寺に行くには、板野街道と呼ばれる県道に入らなければならないのに、その入口を見落としてR11をそのまま通り過ごしてしまいました。いつもついて回っているチョンボです。家内には「又か」と無言で言われているのを感じました。
霊山寺に参詣する前に、家内が先にお昼にしたいというので、近くにある福寿庵という店でうどんを食べました。久しぶりに食べる四国のうどんです。本場は讃岐の高松の方なのだと思いますが、同じ四国の味ですから、やっぱり美味いのです。私の場合は超うどん好きなので、全国どこのうどんも皆美味いと思っていますが、順番を付けるとすれば、やはり四国が上位に来るのは間違いないと思います。この店のうどんもグーでした。お腹を満たした後は、お寺に参詣です。
霊山寺も久しぶりです。何度も来ていますし、四国八十八か所札所巡りも2回済んでいます。近くは52歳の時に自転車で全行程を13日かけての巡礼でした。勤務していた会社で30年勤続者に特別休暇が付与されたのを使ってのチャレンジでした。この時は川崎に住んでいましたが、この実現のために半年ほど毎日自転車で東京郊外の小平市にあった勤務先まで往復40kmほどの距離を通ったりしたのを懐かしく思い出します。あの時も巡礼のスタートはこの霊山寺からでした。今日も境内の中はお遍路の善男善女で賑わっていました。境内にある太子堂が修理中で、ネットが張られ足場板などが組まれていて、なんだか落ち着かない感じでした。相当に古い建物ですから、常に修理の箇所が出てくるのだと思います。本堂にお参りし、般若心経を誦して旅の安全を祈願したのでした。このようなことをしていると、本当に今四国に来ているのだという実感が湧いてきます。
霊山寺の参詣を終えて、温泉探しです。25年前とは大分変わっていますので、徳島県の温泉のことなど殆ど判りません本の情報によると土柱(どっちゅう)のある近くに温泉施設が出来たとかいうことなので、とにかくそこへ行ってみることにしました。板野街道を池田町の方へ向かい、途中でR318にある道の駅「どなり」に行ってみることにしました。どこか道の駅に行けば四国の道の駅のガイド地図があるかもしれないと考えたからです。25年前には道の駅などというものはまだ生まれておらず、現在どこにどんな駅があるのかは大雑把な資料でしか判らず、現地に行ったら判りやすい案内地図を求めようと思っていました。その最初の道の駅が「どなり」だったという訳です。この道の駅は山の中にあって、近くに御所温泉ホテルというのがありました。早速ガイド地図を求めたら消費税を含めて105円でした。しかも少し古いものでした。殆どの道の駅では無料で配ってくれるのですが、ここはケチだなと思いました。有料なら最新のものを用意すべきだと思いました。文句を言うほどのことでもないので、我慢して黙っていました。隣にあるホテルに立ち寄り湯ができないかと訊こうとしたのですが、声をかけても誰も出てきません。開店休業の感じでした。
ここへ来る途中に「御所の郷」という広い駐車場のある大きな施設があり、そこに入浴施設があったようなので、そこへ行ってみることにしました。土柱までは少し遠いのでもしかしたらYさんとの約束の時間に間に合わなくなってしまうかも知れないので、御所の郷に温泉があれば好都合なのです。行って見ると、立派な温泉施設があり、それで賑わっていたようです。四国の温泉といえば松山の道後くらいしか思い起こせないのですが、この頃は各地に続々と温泉施設がつくられており、その本物度はともかくとして、車で旅をする者にとっては真にありがたい環境整備だと思っています。というわけで御所の郷の温泉に早速入りました。何となく温泉ぽくない感じがしたのは、新しすぎてピカピカの施設だったからなのかも知れません。先ずは汗を流して満足です。
風呂からでた後は、偶々近くに徳島道の土成ICがありましたので、徳島まで迷わないためにもと、高速道を利用することにしました。終点の徳島ICを降りてR11に入り、吉野川の橋を渡って徳島市内へ。Yさんのお住まいは県庁の近くに位置しているようです。昨日の電話のお話では一方通行の道を入って行くということです。SUN号にはナビをとりつけていませんので、このような時にはやっぱりあった方が便利かなと思ったりもするのですが、ジサマの勘ピューターは初めての人のお宅を訪ねる時には存外の精度で機能するのです。今度も大丈夫だろうと変な自信を持っているのでした。
県庁を左に見て少し先の信号を適当に選んで左折して脇道に入りました。えいやあっ、という感じの選択でしたが、左右をきょろきょろしながら少し走ると、見えました!庭先に見覚えのあるキャンピングカーが留っていました。やった~という気分でした。Yさんもお顔を出されて、いやあ、とうとう来てしまいました、という感じです。やっぱりナビ無しでも大丈夫のようです。
それから後は何年来の知己のごとくにお宅に上がりこみ、まあ何を話したのやら、嬉しさと楽しさに溢れて思い出せないほどの時間なのでした。Yさんとは、昨年の北海道行で阿寒町の道の駅でたった一度だけお会いしただけの間柄に過ぎないのです。私どもも四国の高松に住んでいたこと、それからYさんの奥さんが家内と同郷の千葉県出身であられたことなどが、急速に親近感を膨らませてくれたのかもしれません。人と人との出会いは真に不思議です。毎日会っていてもまだ一度もその住まいを訪ねたことがない人がいるかと思えば、たった一度だけの出会いが決定的となってその後の親交が深まる人もいるのです。旅に出掛けるようになって、その不思議を何回か経験しています。これもまた旅の魅力に違いないと思っています。
Yさんと旅車の話となり、その装備などを見せて頂くこととなりました。家内が以前から助手席の椅子の坐り心地が悪く、腰に負担が大きいとブーブー言っており、何とかならないものかと販売店にも相談したのですが、スッキリしない返事ばかりで諦めていたのです。ところがYさんはご自分でレカロの椅子を取り付けられたというのです。それじゃあ、どんな具合なのか見せて頂こうと相成った次第でした。
いヤア、びっくりしました。助手席だけではなく運転席の方にも憧れのレカロの椅子がきっちりと取り付けられていました。全部ご自分で作業されたというのには只ただ驚くばかりです。それならばSUN号の方にもどうかと見ていただいたのですが、残念ながらベースの車が変わってしまっているため、取り付けは難しいのではないかというお話でした。仮にベース車が同じだったとしても、このジサマには取り付ける能力など全く持ち合わせていませんので、誰かに頼むしかないのですが、結局はこれは家内には我慢して貰う他ないと思ったのでした。
Yさんの車の運転席は小型飛行機の操縦席のような感じです。Yさんは電気工学の理論や技術に長けた方であり、旅車はその数々の思いが成果となって随所に散りばめられていました。後続車のために「お先にどうぞ」とか道を譲ってくれた車に「ありがとう」という言葉が現れる電光板やバックアイカメラも近距離だけではなく中長距離も見えるようにしてあるとか、驚くばかりです。それら各種の配線図がその歴史がわかるようにきちんと揃えられているのにもさすがだなあと思いました。外見は同じ旅車なのにその中身は天と地ほどの差があるのを知り、完全に脱帽です。愉しみながら一つずつアイデアを実現して行く、真に充実した趣味だなと思いました。このジサマには到底真似の出来ない才能です。
その後も歓談は続き、気がつけば夕暮れが迫ってきていました。慌てて辞去しようとしましたら、食事を一緒にというお話があり、辞退かなわずついつい甘えることとなってしまいました。ご案内いただいたのは、何とホテルの高階にあるレストランなのでした。水の都徳島の暮れかけた夜の景色を眼下にしながら、ご馳走を頂いているこのひと時が何だか不思議な夢のような感じがしました。
望外のおもてなしを頂戴した上に、奥様からはたくさんのお土産を頂戴して真に嬉しくも恐縮千万のお別れでした。本当にありがとうございました。
Yさん宅を後にして、今日の泊りは高松方面へ行き、途中の道の駅「津田の松原」にでも泊まろうかなどと考えていたのでしたが、途中道を曲がるのを間違えて、そのまま走っている内に急遽予定を変更し、小松島市の先にある道の駅「公方の郷なかがわ」に行って泊まることにしました。その理由としてこちらの方が近いしそれに明日もう一人の知人のMさんにお会いできるとすれば、好都合の場所だと思ったからでした。道の駅に着いた頃には日はすっかり暮れて、完全に夜の暗さとなっていました。如何にYさんのご厚意にどっぷり甘えていたかというのを改めて実感した次第です。
道の駅に着いて直ぐにMさんへ電話をしました。突然の電話でしたので、かなり面食らわれたようでした。申しわけもなしです。明日はいろいろご予定が入っておられるとお聞きし、調整されるような雰囲気でしたので、それには及ばない旨をお話してご納得いただきました。真に人騒がせな振る舞いでした。いずれ又四国には遠からず八十八ヶ所巡礼の旅を考えていますので、その時にでもお会いできればと思いながら、今回は無理をしないことにしました。
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